うん。別れた方がいいと思う。

「男性が軽自動車に乗ることはダサい」という考え方があるんですってね。livedoor ニュースで見かけた記事なんですが。

購入資金や維持費にあまりお金をかけられない人が軽自動車を選ぶというような、ちょっとマイナスなイメージがあるんでしょうか。
乗用車を所有できるお金があっても、税金が安いと言って、わざと軽自動車を選んでる人もいるから、そういうイメージはひとつの偏見だと思うけど。

「彼氏が軽自動車に乗っていたら別れる」という女性もいるようです。

そういうことを本気で言う女性なら、その機会に別れた方が男性のためにはよいと僕は思います。
しばらくは未練があるだろうけど、軽自動車を別れの理由にする人なんて一緒にいないでよかったってあとからきっと感じると思うよ。

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男性の気づかいって大切だよね。

働く女性を応援しているコミュニティーサービス “エスカーラ”。たまたま見かけたそこの『20代働く女子の実態』という記事の1つを読んでびっくり。

詳しくは本文を読んでね。
【働く女子の実態】20代働く女子が彼ママの前でやってしまった失敗談

驚いたのは、親の問題あるいは男の気づかいの不足じゃないかと思うことが多かったから。
女性の失敗だよなと思う話しもあるけどね。

■靴をそろえるのを忘れて叱られた。
叱られるのは仕方がない。行儀の問題を指摘されたんだから。

でも、靴がそろっていない写真が後から送られてきたというのは、怖すぎるぞ。
そういう母親がいる彼とは、今後のことを冷静に考えた方がよいと思う。

■出してくれた食事に、苦手なものが出てきても無理して食べてしまった。
体調を壊すのがわかっている食材なら、はっきりと伝えた方がよかったと思うなぁ。身体の調子が悪くなるのは誰にとっても楽しい話しではないし。

それよりもだ! こういう場合、大事なのは男性の配慮じゃないか!?

事前に彼女が苦手な食べ物などをちゃんと確認して、家の人に伝えておくべきだと僕は思うぞ。
だってさ、自宅に彼女を呼んだんでしょ? お客様をお迎えする側なんだから、お客様の苦手なものに配慮をするのは当たり前だろう。

食べられない物なんて、彼女からは言いづらいだろうが! でも、自分の息子から「鯖がだめなんだって」とかみたいにさらっと聞かされるのは、両親も悪い気はしないと思うぞ。

■彼の母親の前で飲み過ぎちゃった。
うん。これは失敗だ。大人なら自分の酒量というものを把握しておかないとね。

まぁ、彼も「あんまり酔わないようにね。最初にそうだと印象悪いから」ぐらいは、ちょっと言っておいてあげるというのもありだと思う。

■いつものニックネームで彼を呼んでしまった。
これは失敗じゃないんじゃないかなぁ。可愛い話しじゃないか。
反社会的な言葉だったりするとまずいと思うけど。この話しに出ているニックネームぐらいなら可愛いもんじゃないかと僕は思う。

もし、「息子をそんな風に呼ぶなんて……」とか不快になるような親なら、彼とのつきあいもちょっと考えた方がいいかも。

でも彼氏が、彼女との仲の良さを強調するようなフォローをしてくれたと信じたいなぁ。

■いつも彼が料理してくれている。
彼氏の母親の前で『演じていた』のがそもそもいかんと思うぞ。

何にしても、演じているというのは、早い話が嘘だから。演じちゃいけないだろう。実態とは異なることを相手に思わせてるんだからさ。

正直に料理が苦手だと言えばよかったんだ。言いづらいというのはわかるけどね。

このとき、彼はなんかフォローしてくれたんだろうか。彼女が気まずい思いをしてるんだからね。

■仕事に打ち込んでいた。
この例も実態とは異なる姿を演じてしまったのがちょいとよくないと思う。
でも、失敗ではないと思うぞ。ばりばり働いて、彼も応援してくれてるというのだったらいい話しじゃないか。

それに、その話しを聞いて不快になる母親なら、そういう母がいる彼とのつきあいはちょっと考えた方がよいよね。だって、ばりばり働き続けたいでしょ?
まぁ、彼が気をつかった言葉で何かフォローしてくれたと思いたい。

男と女。いろいろありますが、誰もがいつもハッピーでありますように。

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ホワイトデーには、なに送る?

忘れていようがなかろうが、必ずやってくるバレンタインデー。
そのあとはホワイトデーが待ちかまえています。

チョコレートだろうがなんだろうが、売る側にとっては、高額であればあるほど、大量に出回れば出回るほど嬉しいわけで、製菓メーカーや百貨店にまんまとのせられてしまってるような感じではありますが。

以前に、ホワイトデーについて書いていました。

ホワイトデー公式サイトというものが存在するという話し。

ここでもう一度言っておく!

世の中の男性諸君! 正しいホワイトデーを知っているか!?
チョコレートを誰かに渡した全ての人へ。君は、チョコレートのお返しに過度な期待を寄せていないか!?

「3月14日ホワイトデーはキャンデーを贈る日」なのだ!

嘘だと思うなら、ホワイトデー公式サイトを見ればいい。
「全国飴菓子工業協同組合」の皆さんの努力を無駄にしてはいけない。

大好きな人からいただくプレゼントは、心を込めて送ってくれたというだけで嬉しいもの。
男女に限らず、とにかくより高額なお返しを望む人とは、今後の付き合いを一度は考えてみた方がよいと思います。

ホワイトデー公式サイトは、こちら

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結婚しました。

冗談でもなんでもなく、本当の話し。
2006年4月6日。長かった独身時代に終わりを告げて、大切な人との新しい時間が始まりました。
(婚姻届を提出したのは翌日の7日)

辛いことも楽しいこともいっしょに経験していきましょうと誓い合いました。そして、いつまでも仲良くいようと妻とは話しています。

結婚という大きな変化を迎えた今年、気を引き締めてこれからの人生を過ごしていきたいと考えています。

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浮気する人はやめよう。

男性でも女性でも、浮気をする人を相手にしない方がいいと僕は思っています。

どんなに好きでも、どんなに未練があっても、浮気をする人を恋愛や結婚の相手に選ばないようにしないと、疲弊していくのは自分自身です。
浮気がばれると平謝りしてきて、関係を修復しようとする人もいますが、そんな人でももう相手にしない方がいいというのが僕の考え。

一生懸命に関係を修復するんだったら、最初から一生懸命に愛していられるはずです。それができないのがもうおかしい。

「浮気する人はいいよ。本当にいま幸せな気分。浮気する人と付き合ってごらんよ。もう最高。」なんて嬉しそうな表情で主張する人はいません。浮気されて嬉しい人なんていないですよね。

浮気をされることは心の安らぎを乱される大きな要因になります。
浮気をする人は、自分以外の人の安らかな気分や幸せな想いに関心が薄い人だといえるかと思います。こちらの安らぎを想いやってくれない人とでも恋人同士でいようとする人がいたら、早く自分の勘違いに気が付いて欲しいです。

苦しんでいる男性、女性のみなさん。離れられない具体的な理由があるならともかく、そういう縛りはないのでしたら、一刻も早くそんな人とは関係を断ち切ることをおすすめします。

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パートナーに求めるもの5つ

「心理テストね」と切り出されたのが、恋人や伴侶に求めるものを5つ挙げてくださいという質問。

テレビでやっていたらしいです。僕が挙げたのは以下のよう。

1.誠実さ
2.思いやり
3.いたわり
4.明るさ
5.楽しさ

3つ目に出てくるものが、その人が本当に相手に望んでいるものなんですって。その他について詳しい解説は、残念だけど出題者自身も覚えてないですって。

普通、2つ目までは簡単にでるのだそうで、3つ目がでるのにちょっと時間がかかる。そういうところから、心のなかの本当の求めているものが現れるという話は少しだけど納得。

真偽のほどは知りません。
さて、あなたの5つって何でしたか。

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『モトマチの石畳』と『瓦煉濱横』

『モトマチの石畳』というチョコレートをいただきました。
『モトマチの石畳』は、『仏蘭西料亭 横浜元町 霧笛楼』 のオリジナルチョコレート。

サイトにある「パティシェの解説」によると、最高級のクーベルチュールとクリームをふんだんに使った生チョコレートだとか。
クーベルチュールチョコレートというのは、カカオバターの含有量が高い製菓用のチョコレートのことで、油分が多く、 カカオ風味が強いという特徴があるそうです。

口に含むと、うっとりするぐらい優しく柔らかく溶ける。小さな立方体のチョコが箱に並べられている様は、その名の通りの 『モトマチの石畳』。

実はいただいたチョコレートはそれだけではなく、もう1ついっしょに入っていたが、『瓦煉濱横』。これは、 文字の変換間違いではありません。右から読むようにわざと商品名が表記されています。

横浜元町が発祥の地と言われている「レンガ」。『瓦煉濱横』は、そのレンガの形をイメージしたチョコレート菓子。

同じくサイトにある解説では、

横濱煉瓦(ラ・ブリック・ドゥ・ショコラ)は、2002年、春の販売からすぐに、 霧笛楼のベストセラー商品になった人気のチョコレート菓子です。

とのこと。

チョコレートケーキに、熱々のチョコレート・クルミソースをたっぷりとしみ込ませていくことで、 チョコが層になっているので独特な食感が楽しめる。優雅で嬉しいチョコレートが『瓦煉濱横』。

どちらのチョコも、オンライン販売もされてます。

誰でも知ってるというチョコではないだろうから、意中の男性にプレゼントすると印象に残っていいかも…

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幸せな気分が大切。

誰かに恋心を感じて、相手からも同じ気持ちを返してもらえたら、それはとても幸せなことだと思います。

でも、ときには相手から自分と同じ想いを返してもらえないときがあります。逆に、自分が誰かに同じ想いを返さない立場になるときだってあるでしょう。

誰かに好きだと告白するときでも、告白してもらったときでも、相手への想いを抱いて行動することが自分にとって幸せに感じることかどうかがまず大切ではないかなと、僕は思っています。
たとえ相手が自分の想いに応じてくれなくても、誰かを想い続けることが自分にとって幸せである場合は、十分意味があるといえると思います。

とはいえ、ストーカーのように自分が嬉しいからといって、相手が嫌がることをするのは別の話です。それは、相手を想っているのではなくて、突き詰めれば、自分を受け入れて欲しいというだけだから。

もし、誰かを想うことで不安になったり、いらついたり、穏やかな心でいられないなら、その理由は何なのかを考え、その理由の回避が非常に困難かあるいは不可能なものなら、相手への想いを断ち切ることを検討してみた方がいいかもしれません。

ちなみに、僕は浮気や不倫は否定します。夫や妻、恋人が不誠実な人であるとか、話をよく聞くといたしかたない場合もあるでしょうけど、基本的には自分がどんなに幸せに感じても、浮気や不倫はしない方がいいと思います。自分が幸せだからといっても、誰かを苦しめることになっていたらいかんでしょうと思うから。

その人を想いながら過ごす時間を幸せと感じられますか?

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愛おしい人を大切に

某駅の近くで待ち合わせ中。道を行くカップルの笑顔が幸せそうで、こっちも嬉しくなってきて眺めてしまう。聖しこの夜(イブだけど…)。皆、みんな、幸せになってね。

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自分の言葉の印象

本人は特に意識せずに発した言葉でも、他人に悪い印象を抱かれることがあります。

ひとの話を聞いていて、自分が相手にあまり良くない印象を感じたときには、あらためてそう思います。相手のことをよく知ってるわけではないのに、使っている言葉だけで相手の印象を作ってしまうものだなぁと。

たとえば、以前あったものでは「…のに」という表現。
僕:「Aさんには電話してみた?」
相手:「昨日電話したのに、でませんでした」

話している相手は特に意識せずに「…のに」といっているとわかったのですが、それを聞いていると「(せっかく電話してやった)のに」というように、電話にでなかった人を責めているように聞こえて、「ずいぶんと、責め口調で物を言う人だなぁ」と感じたことがありました。

あるいは、男性でも女性でも、好みのタイプとかの話になったときに、自分が異性に何を求めるかということを熱く話す人がいます。
好みのタイプの話ですから、同じ内容をいつも聞くことになります。まぁそれはいいとして、あまり熱く語りすぎると、「この人は自分が望むことしか考えない人なのかも。相手に自分が何ができるかといった話をぜんぜんしないもんな」という気になったこともあります。
本人は単に自分の好みの話をしているのでしょうけど、聞いている側としては、単なる好みの話には聞こえなくなってきます。

僕は、若い頃の自分がそうだったからわかるけど… 「自分は料理が上手な女性が好きだ」とか「朝は和食でないと」とかそんなことばかり言っているという印象の男性っているでしょ? 
女性にだって、それしか言うことがないのかと尋ねたくなる人っていますけどね。

ここであげたのは、どれも、聞いている僕の側の印象だというだけです。話している人が本当に僕が感じたような人かどうかはわかりません。

でも、1人が感じたら、他の人も同じことを感じているってことだってあります。それが、恋愛でも友情でもその他もろもろの好意や敬意を感じている人の前で起きたら、自分にとって何のプラスにもなりません。

人が聞いていて、あまりそういう言い方はしない方がいいのになって感じてしまうような言葉の選び方や会話をしていないか、いろんな対人関係上で自分を振り返ってみるのは、一度ぐらいやってみてもよいと思います。

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自分に合う人

大きなプロジェクトが1つ終わり、ほっとしてちょっとふぬけた感覚に陥っていました。仕事もプライベートも、あらためて充実させていかねばと気合いを入れ直しています。

ということでブログの更新から…

恋愛や結婚のお相手として、「自分が理想とする異性のタイプ」と、「自分に合っている異性のタイプ」というものがあるようです。

互いにそれらが一致していると、2人の関係はわりとうまくいくようですが、異なっている場合だとなかなか難しい関係になるようです。

僕のつたない経験や周囲の友人・知人たちを見ての話ですが、男女ともにおうおうにして「自分に合っている人」ではなく、「自分の理想の人」を探し求める人が多いみたいです。

そういう場合は、そもそも「合うか合わないか」を重視して相手を知ろうとしていなかったので、後でいろいろと疲れたり、衝突したりすることが多くなるようです。

自分はどんな人が理想なのかといっしょに、どんな人が自分に合っているかも考えておくのは損なことではない気がしています。

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優しい心、広がれ

恋人同士が仲良くしているのを1人でいるときに見て、「いいなぁ」って憧れたことがあります。そして、恋人がもしできたら自分もあんな風にお相手を大事にしたいなぁとか、あんな感じの関係になりたいなぁとか思ったりしたことがあります。

誰かが誰かに接する姿を見てそのように人に接したいという気持ちになったことがあるから、恋人同士でなくても親子でも兄弟でも友人でも、自分の周りにいる人に同じように接していきたいなと思っています。

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1つになろう

「頑な(かたくな)」というのは、意地を張って考えとか態度を変えようとしないこと。意地というのは自分の考えのことで、意地を張るというのは自分の考えをあくまで通そうとすること。

これは譲れないという考えや好みなどがあるのはそれはそれでいいけど、自分の考えを変えようとしない人は、自分のことだけを考えている度合いが多いと言える気が僕にはします。だって考えを少し変えてそこに相手を受け入れようとしないわけですし。

手元にある大辞林で「愛」という言葉をひいてみました。

(1)対象をかけがえのないものと認め、それに引き付けられる心の動き。また、その気持ちの表れ。
ア)相手をいつくしむ心。相手のために良かれと願う心。
イ)異性に対して抱く思慕の情。恋。
ウ)何事にもまして、大切にしたいと思う気持ち。

という説明が載っていました。
愛することには、自分の好みや考えを変えないでおくという意味は入っていません。これは辞書の話ですが、実際に考えても人を愛するということはそういうことなんだろうなと思います。

1組の男女が愛を誓う場にお招きいただきました。
女性の方には、もし一緒に暮らすならこれだけは譲れないという条件が昔からあったそうですが、彼との暮らしでは彼女の条件は満たされないそうです。それでも彼女は彼の求めに応じ、彼に決めました。

彼女の条件が満たされる日が来るのか来ないのか、それともそんな条件はどこかへ行ってしまうのか。そんなことは誰にもわかりませんが、2人の姿を見ていると、頑なな心は愛し合うことには大きな障害になるのだなという気がしました。

全ての人の心が1つとなり、皆さんに幸が多くありますように。

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お礼の意志を

この記事は、カテゴリーは「恋愛」にも保存してますが、それだけに関係する話ではありません。

恋愛でも仕事でも何でも、誰かが負担を負ってくれたり、お世話になったら「ありがとう」を言うなりなんなりして、お礼の意志を示したがよいと思います。

たとえ、相手が自分にいろいろとしてくれるのが、何らかの理由で当たり前のことだとしても、お礼を伝えることは忘れない方がよいと思います。

お食事を作ってくれたり、いただいたりしたら、仕事を助けてもらったら、相手が多少の不都合を受け入れてでもこちらが快適であるような状態を作ってくれたりしたらなどなど、「ありがとう」の気持ちを伝えることを忘れてはいけないと思います。

で、そのような場面でお礼の意志を示さない人とは、付き合いの仕方をちょっと考えた方がよいなと僕は思います。

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繊細な話はなるべく直に

たとえば、相手に何か負担をかけてしまったとき、その結果に対して「ありがとう」というお礼か、あるいは「すみませんでした」というお詫びのどちらにより比重をかけて伝えるかとか、ちょっと言い方を間違えたら相手に不快な思いをさせてしまうかもしれないというような状況では、なるべくメールを使うことは避けた方がよいと僕は思っています。

そういう場合は、最低でも電話、できるなら直に会って話をすることをお勧めします。

僕の経験では、ディスプレイに映る文字を読むときには、読んだ人がその意味を思いこむ傾向があるようです。
実際に会っていて「それ、おかしいんじゃない?」とか言われても気にならないのに、同じ内容でもメールだと読んだ人が気分を害するということが起きたりします。

文字面では決して伝わらない微妙な意味合いや雰囲気というものが、ビジネスでも恋愛でもその他諸々より良い人間関係を保つには必要だといえるかもしれません。

メールを読む方も、文字だけ見て相手の意図を勘違いしないようにする心づかいが必要でしょうが、メールを送る方は、その前に直に会ったり、電話して声で伝えたりといった方法が採れないかを考えてみるのは悪いことではないと思います。

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結婚に必要な蓄え

結婚資金っていくらぐらい貯めてますか?
僕がすぐにどうという話ではないのですが、今の自分の蓄えがその日に備えて少ないのか多いのか単に気になる。

どれだけの人を呼んで、どんな式と披露宴にするかで金額が変わってくるでしょうけど、つい最近結婚したばかりの友人に尋ねてみました。

彼曰わく、最低ラインで300万円はかかると思っておいた方がよいらしいです。
それぐらいのラインだとご祝儀でほぼまかなえるのだそうな。まぁ、披露宴に来てくれる人がどんな人たちかにもよるでしょうが。

300万かぁ…仮にご祝儀でプラス・マイナス0になったとしても、支払うときは一括だから、そう簡単に支払える金額ではない。

そういえば、以前何かの雑誌でみた覚えがあるのですが、結婚式費用の首都圏平均は260万円ぐらいだったと思います。

でもね、平均だからねー。
算出の元になったサンプル(標本)全部の頭を平らにそろえたら260万円になるという意味だからね。

どういうサンプルだったのか個々に見ていかないと、平均値で物事を語る意味は本当は無いのだけど…他のサンプルと比較して格別に高い値があると平均値も高くなってくるし、ものすごく低い値があると平均値も低くなってくるから。

はて、結婚式費用の首都圏平均は260万円ぐらいという数字は、どんなサンプルから算出したのやら。

他の比べて特に低い値を含んだサンプルから算出したものだと、実態はもっと費用がかかっているということになりますしね。

既婚者のみなさんに尋ねてみたいです。
結婚資金ってみなさんいくらぐらい貯めておかれましたか? あるいは、いくらぐらいあった方がよいよとかありますか?

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独身だからって何だよ!

独身(男女問わず)の人について話すとき、「あの年まで独身でいるって、なんかあるんだよ」というような言い方をする人がいます。

僕は面と向かって言われたことはさすがにないですが、他人がそういう発言をしているのを聞いたり、ブログや雑誌、書籍あるいはその他の情報源でそういう書き方の記事を見たりしたときは「なんかある」って何だよっていう気になり、自分のことでなくてもいい気分はしません。

大体の場合、そういうときの「なんかあるんだよ」って言葉には、「何かはわからないけど、結婚ということを考えたときに、相手がその気になれない"性格的欠点"をもってるんだよ」という含みを感じるからです。

いろんな人がいますから、中には"性格的欠点"としか言いようがないものをもっているせいで結婚相手が見つからない人もいるにはいるでしょうが、全ての独身者がそうだなんてことはありえない話です。

「あの年まで独身でいるって、なんかあるんだよ」という言い方は、他人の話を聞いているのも不愉快なので止めて欲しいものです。

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落ち込んだ相手の話を聞く

仕事の不安や不満、落ち込んだ気持ちを聞くときには、男女を問わず相手から求められない限り、あまり具体的な解決策や手段を述べたり、それにふれたりしない方が、聞く側の態度としてはよいようです。

僕が心がけているのは、仕事の不安や不満、落ち込んだ気分を話す人に対しては、ひたすら聞く。ときどき、「そうなんだ」「よっぽど腹が立ったんだね」「たしかに難しい話だね」とか相づちを入れながら。

僕がそういう風に聞いていると、いっとき話すと気がすむみたいです。「仕事の話はこれで終わり!」って自分で区切りを宣言したりして。

仕事の不安や不満、落ち込んだ気分を話す人は、べつに解決策や手段が欲しいのではなくて、話を聞いて欲しいというニーズがほとんどのようです。
「こうしてみたら」とか「で、あなたはどうしたらいいと思う?」なんて話をしていくと、たいていの人はだんだん機嫌が悪くなってきます。

そして、僕の経験で絶対にしない方がよいと思っているのは、話している人の不足している部分にふれたり、反省を促すような指摘をすること。
「君の伝え方にも考えないといけない部分があるかもね」なんてことを言ったらもう最悪です。

どうもどちらかというと、男性の方が僕がいうやらない方がよいことをする傾向が強いようです。

あるでしょ? 女性が「そんなこと聞きたいんじゃないの!」なんて怒り出してしまって、彼の方も「せっかくアドバイスしてるのに」なんて気分を害するというパターン。

ただ相手の話を聞くというのは、なかなか難しいことのようです。

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優しさが優しさを呼べば

心理学には「好意の返報性」という言葉があるそうで、 「人間は好意を示す相手を好きになる」ということなんだそうです。

ですが、いつも見ているポータルサイトのEXCITEで、「好意の返報性」についてのこういう記述を見つけました。

人から渡された好意には、必ず同じものを返してくるようになるもの。
偏差値40からの恋愛ゼミナールより)

僕は心理学を学んだことがないので厳密な定義は知りませんが、後者の意味の方が好きです。

優しい気持ちが優しい気持ちを呼べば、いつも暖かい気分でいられるでしょう。
相手の気をひきたいといった単純な理由からではなく、そうしたいという自然な想いでそうする。そんな心の動きが互いにあれば、補い、支え合っていける。そして、それはとても幸せなことなんだだと僕は思っています。

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不倫はしないで

仕事から帰ってきてテレビをつけたら、「曲がり角の彼女」(火曜夜10時放映)というドラマをやっていて、何とはなしに見てしまいました。

僕にとっては、なんだかなぁのドラマでした。

主人公の女性(稲森いずみ)が不倫相手と別れようとして、別れられなかったという話でしたが、不倫をあんな風にロマンチックというか、ポジティブというか、コメディというかそういう風に描くのは僕は好きではありません。

僕は相手の不倫で苦しんだ夫婦を見たことがあります。男性側の不倫であっても、女性側の不倫であっても不倫は周りを巻き込み苦しめます。
まぁ、不倫されても仕方ないかと思うような場合もあるにはありますけど、そういうのは僕の周りではまれなようです。

妻や夫の不倫で苦しんいる人を見ているから、あんな風に不倫を描くのは何だか、苦しんでいる人が馬鹿にされているようでいやだ。

でも、テレビでは不倫は扱いやすい題材のようです。
不倫をロマンチックに描いたり、コメディタッチに描いても、それで苦しんでる人から苦情がきたなんて話は聞いたことはありません。
少しはテレビ局に苦情が来ているのかもしれませんが、話題になるような量ではないのでしょう。

あれが、大きな病や事故だったら、あんな風に扱って描いたら実際に苦しんでいる視聴者から苦情がくるかもしれません。

不倫で一番悪いのは、特定の相手のいる方というのが僕の考え方です。、「曲がり角の彼女」の場合は、奥さんがいるのに他の女性と不倫をしている男が一番悪い。

奥さんとうまくいっていないなら奥さんと、奥さんとの間に問題がなければ、不倫相手の女性とさっさと別れる。
ああいう不倫なら、男がちゃんとけじめをつけないといかんと思うのですが、番組を見た方はどう思われますか?

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言ったことはなくならない?

「言ったことはなくならないよ」。
一般視聴者参加のあるテレビ番組に出ていた女性が、彼氏が言った言葉を責めるように言っていた言葉。僕は番組を見ていて、この女性の考え方に少し疑問を感じました。

確かに一度口に出した言葉は、相手の記憶に残るし、それが否定的な内容だったりすると心に傷を残すのでなおさら消えづらいです。

でもなぁ、「言ったことはなくならない」という考え方は場合によっては、相手を許さないということと同じです。
その番組のなかでの状況では、彼女が彼にそういうセリフを言うのは、僕からすれば彼女の心の冷たさを感じさせる流れでした。彼はちゃんと謝っていたし。

僕は、許すということは無かったことにするという考え方をもっています。
無かったことにするのですから、許すと言ったなら、その後もうそのことには一切ふれないわけです。いったん許したことを、何かに付けいつまでも「あのときはこうだった」と相手から言われたら、言われている方としては辛くてしょうがないでしょう。
(逆にいうと、無くせないことについては許すとは言わないということなのですが…)

口にできないほどのひどい言葉をぶつけられたというのなら、無くならないというのもわかりますが、その番組で彼が彼女に言ったことは、僕にはそれほどのひどいものには聞こえませんでした。

彼女にとってはひどいセリフだったのかも知れませんが、とはいえ、その彼の発言の後でも2人はそれなりに仲良くしていたのですから、どうにもならなくなるほどひどい言葉を投げつけられたというわけでもないといえます。

それなのに、彼に向かって、「言ったことはなくならないよ」と責めるような感じで言っていた彼女は、僕にはやはり心が冷たい人のように感じられます。

何度も同じ事を繰り返しては謝り、それでもまたやってしまうとかいうなら話は別でしょうけど、ちゃんと謝ってきたのなら、許すことができる人になりたいなと思います。
(その番組を見ていないと彼女の言葉の意味合いが伝わらないですね。難しい内容を記事にしてしまった。)

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会おうとすること

「会いたい」じゃなくて、会おうとすること。
たとえ結果的に会えなくても、会おうとする積極的な意志が見えると嬉しい。

会おうとする気持ちが同じだと、信頼が生まれる気がします。
(逆かな? 信頼があるから会おうとする気持ちが生まれるのか? どっちでもいいか。)

「今週末は仕事が入ってしまって…」とか「次の土曜日は、お友達のお母さんからエスニック料理を教えてもらうから…」とか「日曜日は、高校のときの友達が集まってお花見に行くんだ。」とか、人にはそれぞれ人間関係や興味関心があって、それを一緒に楽しめることもあれば、そうでない場合もある。

次は会えないけど、ごめんね。またその話するね。

謝ることではないけど、そんなセリフがすなおにいえる気持ちと関係がとても大事だと僕は思っています。

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最高は、いくつもあった方がいい。

人と出会ってあちらの時間とこちらの時間が交わりだすことは普通にあっても、すてきだと思える人かどうかは別の話。

すてきだなと思える人とゆったりとした週末に会って美味しい食事をする。

恋愛関係に限らず、そんな時間は最高のものの1つ。

最高は、いくつもあった方がいい。

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恋愛関係とバランス感覚

仕事や友人と自分を並べて、恋人に向かって選択を迫るセリフを言う人がいます。
たとえば、「仕事と私(俺)とどっちが大事か」とか、「友達と俺(私)とどっちが大事か」とか。

こういうセリフが出るということは、その背景に、もっといっしょに居たいのにとか、もっと話したい、あるいは、愛されている・大事にされていると感じさせて欲しいといった想いがあると思います。

本来なら恋人からそんな風な想いを告げられたらなお愛おしさが感じられるはずなのですが、そういう想いを選択を迫るセリフにのせて言ったときには喧嘩になることが多いようです。

僕としては、選択を迫るのではなく、その背景にある気持ちを素直に恋人に伝えた方がよいと思っています。
「どっちが大事か」ではなく、「会える時間を増やしたいなと思うのだけど、どうしたらいいかと迷ってる」というように、自分の想いを声を荒げずに素直に伝えるところが大事かなと。

誰にだって、彼や彼女に出会う前からあった人間関係や趣味、嗜好があります。
恋人同士になったからといってそれらの幅を狭めることを相手に望むのは、自分との関係が大事だという想いに囚われて、相手の人間関係や生活の時間をつい軽くみてしまったからかもしれません。

同時に、彼や彼女に出会う前からあった人間関係や趣味、嗜好に囚われすぎると、新たに始まった恋人同士の関係を弱めてしまう場合もあります。先の状態と同じで、今までの生活を大事にしすぎると、恋人との時間をおろそかにしてしまいがちです。
(どうにもならないほど仕事が忙しいなどというときもありますけどね。)

男女間のこういうバランスというのは全く難しいものですが、そのバランスをとっていくのが恋愛関係を始めるということでもあるかなと僕には思えます。
そういうバランス感覚が優れた人と恋人同士になれたら、自分もその人から学べるし、すてきな恋愛が始まるような気がします。

バランスを取るには、重ければ少し軽く、軽ければ少し重くするということが必要です。
そういう意味で、今までの生活を全く変えたくないという思いがもし自分のなかにあったなら、ちょっと見なおしをかけてみてもいいかもしれません。

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部屋着に困る

自分の部屋で居るときの格好に困っています。
(贅沢な困り方だな。まったく)

外から帰ってくるとちょっとゆったりとした服装に着替えたいのですが、あまりだらけたのもいやだし。

僕の友人の1人は家ではジーンズでいると言っていましたが、僕はそもそもジーンズがあまり好きじゃない。身体を締め付けるし、重いし。持ってはいるけど1本だけ。

スウェットとかもねぇ。いまいちという感じがある。いい感じがするスウェットもあるにはあるけどね。

ちょっとこじゃれた感じで、落ち着いた雰囲気もある部屋着ってないのかなぁ?

こういう場合は、女性の方に尋ねてみた方がよいような気がする。同じ男性に尋ねると「どうでもいいよ」と思ってるような答えが返ってきそうだし。

■想定シチュエーション
今日は彼氏の部屋に初のお泊まり。
昼間はデートして、少し暗くなってからいっしょに彼氏の部屋へ。
部屋に入ってから彼氏が「ちょっと着替えていいかなぁ。気楽にしててね」とかいいながら、奥にひっこむ。

彼は普段からわりとおしゃれには気をつかっている男性。
かといってブランド好きとかいうのではなく、質のよいものをさりげなく着ている。
いっしょにいる女性の価値を落とさないための男性側からの気づかいぐらいの感じで、側にいて恥ずかしくない程度に着る物には気をつかっているのがわかる。
あなたもそんな彼氏のおしゃれが気に入ってたりするので、部屋に遊びにいって、彼氏があまり落差の激しい服に着替えたりするのを見たくない。

で、この後、彼氏がどんな格好に着替えてきたらがっかりしないか。

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いかがでしょ? 情報をお待ちしてます。

イヤ、別に僕がおしゃれな男性だとか、こういう立場にいるというわけではないのだけど…雰囲気のいい部屋着を想定してもらうなら、なんとなくこういうシチュエーションの方が答えがでやすいかなと思って…

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異性にだらしない人はだめ!

異性からやたらもてて、そのせいか複数の人と同時に恋愛(恋愛っていうのか?)を進行させる人のことをぼやているブログをみました。
(リンクをはらせてもらおうかなと思ったのですが、内容がどろどろしているのであまり関係をもちたくないなと思ってしまってやめました。)

個人的にはそういう人とは恋愛ざたに陥らないようにするのが賢明だと思っています。
彼や彼女にとっての私は、他の人たちとは違うとか、自分だけを選んでくれるはずだとか思っていたら痛い目に遭うのがほとんどの場合です。

たまに過去からの己の行動を反省して心を入れ替え、1人の人だけとちゃんとおつき合いしようとしてくれる人もいるにはいます。
でも、それはやっぱり"たまに"のことであって、期待しない方が賢明だと思います。

意図的に二股とかそれ以上の状態を作る人がいると同時に、本人にはそういう意図はないのだけど、単にだらしなくて複数の人とはっきりしない関係を続けてしまうという人もいます。

前者の方が対処はしやすいです。
やってやれと思って不誠実な行動をしてますから、こちらの態度さへ決めれば、「誰を選ぶんだ」と詰め寄るなり、「もうさよならだ」と終わらせるなりをこちらが選択できます。

やっかいなのは後者です。
意図してないし、悪気もないのでこちらとしてはひたすら振り回される場合が多くなります。

本来なら楽しかったり、嬉しかったり、たまには喧嘩して悲しくてもいっしょに何かを乗り越えていけたりするのが恋人同士だろうと思うのですが、そうした関係になれず、こちらに気をもたせるだけだったり、不誠実なことを繰り返す人とは、早めに関係を整理しておくことを僕としてはお勧めします。

どろどろ、ぐちゃぐちゃしたすっきりしない恋愛関係は、心を傷つけ、身体をむしばみ、人生をすり減らしてしまう悪因だと思います。

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名前で呼んでよ

この間、夕食を近所のファミレスで取っていたとき、斜め向かいのテーブルにいたカップルの会話が聞こえてきました。どうやら、2人は携帯電話を買い換える相談をしているようでした。

それで、盗み聞きしていたわけではないのですが、聞こえてきてしまった2人の会話にちょっと気になることがありました。というのは、男性の方は会話の中で、彼女に向かってニックネームで「○○ちゃん」と何かにつけ呼んでいるのですが、彼女の方は彼をニックネームですら呼んでませんでした。

○○ちゃん、彼が呼んでくれているんだからさぁ、あんたも何かしらの呼び方で彼のことを呼んであげなよ。

と、僕は心のなかで突っ込んでいたのですが、相手を名前で呼べる幸せ、名前で呼んでもらえる幸せってあるような気がしています。

たとえば、レストランや何かショップに行って「○○様」と呼んでもらえると気分がいいです。大事にしてくれているという感じもします。

恋人同士でも同じじゃないかなぁ。
彼女と彼の間で、名前やニックネームで呼びあえることは、大事にされていると感じられる大切な1つの瞬間だと僕は思っています。

「おい」とか「ねぇ」、「あのさぁ」とか声をかけることが悪いとは言いません。
でも、文字面だけだと誰に声をかけているのかわからない呼び方ではなく、大事な人には固有の呼び方で声をかけるようにしても人生にマイナスは生じないと思います。

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幸せの証

会社で昼を食べながら話をしていて、幸せの証とでもいうのかな? とにかくそういう話になりました。

とはいえ、僕らが話したの組織としての話。つまり、幸せな職場とか、幸せな組織とかそういう話題。

だから、カテゴリーに「恋愛」も含めましたがちょっと違うかもと思ったりもしています。
でも、考え方として恋愛や結婚生活にも共通するかなと感じた部分もあったので恋愛カテゴリーも含めてみたしだい。

結論を簡単に言ってしまうと、「笑顔があること」。
自分が働く組織・職場で、自分にも周りにも笑顔があるということは幸せであるという結論。

恋愛でも結婚生活でも同様の部分が多いかなと僕は思っています。

笑顔が無い恋愛や結婚生活は苦しい感じがする。
いつも、いつでも平穏な笑顔でいられるということはないだろうけど、それでも苦労を乗り越えた後の笑顔というものがあるはず。そのあたりは、ビジネスと同じじゃないかなぁ?

だから、もし彼や彼女との恋愛関係に悩んでいたり、結婚を決めてよいかどうか迷っていたら、その人と居ることでどのくらい笑顔で居られるかを考えてみるのは、けっこう価値ある検討だと僕には思えます。

けれど、笑顔で居られるといっても、ただ居られるだけではだめだと思います。その笑顔の意味が大切。
たとえば、テレビの再現ドラマで以前見たことがあるのですが、奥さんに暴力をふるう男性が、暴力をふるった後は急に優しくなって、その落差を彼女は嬉しく感じて男と離れられなくなるという内容のもの。

そんな関係で生まれる彼女の笑顔には意味がない。
だって、彼が優しくしてくるときにだけ、そのときだけ生まれる彼女の笑顔だから。それに、彼女に優しく接しているときにだけ見せる彼の笑顔にも意味がない。その笑顔の後には、暴力がやってくるから。

笑顔が生まれるのは幸せであるから。幸せであれば、幸せだと自覚がなくても自然に笑顔になっている。(そうはいっても、まず最初に笑顔を絶やさないでいれば幸せになってくるという面も確かにあるのも人生の不思議。)

彼や彼女といると、あなたには笑顔が浮かびますか?

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"体温"を感じられる大切さ

親しい人の"体温"を感じられることはとても、とても大切。
直接触れるというだけでなく、声が聞ける、顔が見られるというのは本当に大事だと思います。

どんな間柄だって、親しい人の声が聞けたり、顔が見られたりするのは嬉しい。

それが夫婦や恋人のように愛し合っている同士ならなおさら嬉しい。
実際に触れ合っているだけでなく、食事をしたり、映画を見たりしたいっしょに過ごした時間を思い出すことができるだけでも、そこにもう相手を感じられる"温度"が発生します。それが楽しく優しい時間であればあるほど、思い出すだけで、もう誰に対しても優しい気持ちになることができることがある。

親しい人の"体温"を感じられる時間の存在は、いつも柔らかで優しい気持ちでいられるということに対して、深く関わっている要因の1つだと僕は思っています。

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話していると楽しい人って

友人や恋人、あるいは先輩や後輩などなどその関係の種類にかかわらず、話していると楽しい人とがいます。そういう人といっしょにお話しをしていると、こちらが何も話さなくて相手の話を聞いているという状態にしばらくなっていても苦になりません。
一方、誰かにずっとしゃべり続けられたら、嫌な気分になることもあります。

その違いって自分にとっては何だろうなと考えてみました。

どうやら僕の場合は、相手が僕の話をちゃんと聞いて反応してくれるということを、僕が信用しているから相手が話し続けても気にならないようです。

だから、今は相手が話し続けていても、何かのタイミングで僕が話し出すと今度はそれをちゃんと聞いてくれるという信頼感・安心感を覚えながら相手の話を聞いていることができます。

話し上手と聞き上手というのはセットになっているようですが、それは本当なんだなという気がしました。

人の話を受け止めて聞くことについては、あまり上手ではないと僕は自己評価しているので、人の話はちゃんと受け止めて聞けるように努力しないといけないなと思っています。

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大切にしたい人がいると

大切にしたいと思える人がいる人は幸せ。

大切にしたいと思える人から、「大切にするよ」と言ってもらえた人は、本当に幸せ。

大切にしたいと思える人から、「大切にするよ」と言ってもらえて、「私も」とちゃんと声にして返した人は、きっと幸せ。

恋愛に限らず、ビジネス上でも家族でも友人同士でも、大切にしたいと思える人がいることは、普通に大事なことなわけ。

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自分らしくいられること

誰かといっしょにいるときでも、1人のときでも、自分らしくいられていると感じることができていたら、それはとても幸せなことだと思います。

べつに恋愛に限らず、他の人といっしょにいるときに、自分が自分のままでいられると実感できるのは嬉しいものです。そして、いっしょにいると自分らしくいられると感じることができる人(たち)が身近にいることに感謝したくなります。

誰かといて自分らしくいられているかどうか、僕にとってはそれはその人といると疲れないかどうかで判別できます。いっしょにいて疲れないと感じる人の前では、僕は自分らしくいられていると思うことができます。

より深い関係になっていけるかどうかには、いっしょにいて疲れない人ということが僕にとっては大事なことです。

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大切にされているという実感

ずっと前に同様のことを書いた記憶がありますが、自分が誰かから大切にされているという実感が人には必要なのだという気がしています。

つい最近もあらためてそう思うことがあったので、よけいに感じます。

誰かから自分は大切に思われていると十分に感じられることで、人の心は安らぎを覚えるようです。

相手は、親であったり、友人であったり、恋人であったり、師であったり、兄弟であったり、いろいろでしょう。相手が誰であれ、あの人は自分を大切に想ってくれていると実感できることは、生きていく上で人の心の支えになると僕は信じています。

そういうふうにして幸せな安らぎを得ることができたら、こんどは自分も誰かを大切にしようという気持ちになれる気もします。青臭いことを言うようですが、大切に思いあう心がつながっていけば、もっと心安らぐ人が増えていくと思います。そして、そのことは柔和な社会をもたらしてくれるかもしれません。

想いを伝えたくても諸事情で伝えられないという状況もあるでしょうけど、もしそんな制限がないのなら、それはとても幸せなことでしょうから、その制限がないことを十分に活かして、大切に感じている人に対して想いを伝えることを僕としてはお勧めします。

見た目にわかるほど大きな変化はないかもしれません。けれど、少なくとも、人生のマイナスにはならないと思います。

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BABBI

BABBI (バビと読むそうな) のチョコレートウエハース『Viennesi(ヴィエッネズィ)』をいただきました。予期していなかった贈り物だったので、とても嬉しかったです。

『Viennesi』は、ウェハースにクリームを載せて、チョコレートでコーティングしたもの。

僕がいただいたのは2005年限定2ピース入り。これまたバレンタイン限定の巻紙を巻いたもの。金銀の小さなハートのマークが1つずつ印刷されたおしゃれな巻紙。

赤いパッケージと巻紙がきれいで、食べていて嬉しく楽しいチョコレート。見た目もおしゃれでもちろん美味しい。

サイトの説明によると、BABBIは、53年前にイタリアのCESENAという町でジェラートコーン工場としてスタートしたのが最初。その後、2002年12月に日本に上陸。

『Viennesi(ヴィエッネズィ)』は、BABBIの代表作だとか。

僕は知らなかったのですが、有名なチョコレートのようです。男性には知らない人の方が多いだろうから、ライバルとちょっと差をつけたい女性にはお勧めかも。

来年のバレンタインはBABBIを送ってみてはいかがでしょか。

でもこのBABBI、おしゃれなだけに、お返しはそれなりに気のきいたものでないと男性としてはセンスを疑われそうです。おしゃれセンスには絶望的に自身が無い僕には荷が重い。どうしよう…

サイトは、こっち

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今年は「ピエール・ルドン」

仕事が忙しくて疲れがたまっているとかいう記事を書きましたが、休みが取れているだけまだまし。休みも十分取れずにがんばっている人は世の中にたくさんいるし。気を取り直して、ココログの更新。

この時期には、どこのブログでも何かと話題にあがることが多いであろう「バレンタインデー」。昨年に引き続き、今年もちょっとしたチョコをプレゼント。
(当たり前だろうけど、今年も売り場にいた男性は僕1人。本人は全然気にしてないのだけれど、周りからみたら、異常に浮いているかも…)

今年は「Pierre Ledent(ピエール・ルドン)」のチョコレート。
彼は、世界青年菓子職人選手権大会のゴールドメダリスト。'94年だったかな?

いまどきは、インターネットで何でもいつでも買えるし、ちょっと有名なお菓子なら、百貨店に行けばどこでも同じものがたいてい置いてある。彼のチョコレートも例外ではない。

でも、僕が買ったのは、この時期限定、ベルギーからの直輸入もの。バレンタインデーをすぎれば、もう買えない。プレゼントには、こういうちょっとした"ストーリー"があったほうがもらう方も楽しいだろうと思う。渡す方も選ぶ際に楽しい思いができるし。

いま風にいうと"うんちく"ということになるのかな?
でも、"うんちく"と"ストーリー"では、ちょっと違うんだよなー。("うんちく"と"ストーリー"の違いはまた別の機会にでも)

僕の場合、恋愛話とはぜんぜん関係がないチョコレートですが、告白するときのプレゼントには、その後の会話につながるようなちょっとした情報がついていた方が少しでも恋の支えになるというもの。
「限定発売なんで、ちょっと珍しいかなと思って…」とか言えた方が、ライバルが多い人だったりすると印象的に少しは点差を設けられる? もう恋人同士になっていてもね。会話のねたがあるのはいいことだし。

老若男女問わず、恋心を成就させたい人も互いの想いをもっと深めていきたい人も、みんな幸せになってね。

で、その後に昨年は、こんな記事も書いてます。
男性諸君、「バレンタインデー」は元はと言えば、某製菓会社がしかけたキャンペーンが根付いたもの。僕たちも正しい"お返し"を根付かせよう!! 世のため人のため、未来の子孫のために。

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残念なニアミス

久しくあっていなかった知り合いに本当に偶然再会しました。仕事帰りにぶらっと食事に入ったお店に彼がいました。いやーこんなことってあるんだねぇと互いにびっくり。男同士じゃなかったら運命の出会いだと感じていたかもねなどと。

で、僕が隣の席につくなり彼が言うには「惜しかったよ。ほんの数分前。」って。

「何が?」と尋ねると、ある保母さんと会ってみないかという話が彼にあり、彼はすでにいい人がいるので彼の知り合いにその話をふったのだとか。それが僕と再会するほんの数分前のこと。

う~ん、確かに惜しかったかも。

そういえば、彼と最初に知り合いになったころにも似たような会話をしたことを思い出した。そのときも、どこかのお店で晩飯をいっしょに食べてた。
彼、「今度、職場で仲のいい女の子が合コン企画してくれたんですよ。」
僕、「そうなの。よかったじゃん。」
彼、「数がうまっちゃったんんで、ミッ君(仮)ごめんなさい。話があったのは前のことなので、そのときに都合がつく人間で埋めてしまったんで」

…というような話をしたのだけど、こんな書き方すると、ひょっとして彼は僕を外しているのじゃないかと、これ読んでいる人の中にはそう思う人がいると思う。

でも彼はそんなやつじゃない。

後輩の面倒見もよくて、まじめで仕事熱心で誰に対しても偉ぶらないいいやつだしね。僕を外してくるなんてそんなことない。ほんとだよ。うん。絶対。ほんとだからね…

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主役は女性

来年、知り合いの結婚が決まりました。おめでとう。ほかの人が結婚していくのをみていると、自分が独身でいるのがちょっと寂しい。

こんな記事を書いていたら、また1人、結婚するという報告がありました。今度は女性だけど。

春も近いしね。これから、こんな話がぽろぽろと出てくるシーズンなんだなとわけもなく感じ入ってしまったついでに、自分も早く結婚したいという気持ちがまたわいてきた。

"また"というのは、結婚したいっていう気持ちがときどきぐんと高まることがあるから。別に普段から結婚したくないわけではなく、したいとは思ってはいますが、ものすごくしたいというわけでもない。

でも、ものすごく結婚したいよ~という気持ちになるときと、まぁいい縁があったらねぐらいの気持ちのときが交互にやってくることがあります。変な周期だけど。

だからといって相手がいないしね。資金面でも問題があるし。そう簡単にたまらないしね…

結婚式・披露宴のどちらでも、主役は女性。
20代のころ、某有名結婚式場で長くアルバイトをしていたことがあるので、なんとくわかるのだけれど、男の思惑ではどうにもならんのが結婚式や披露宴。
あまたのカップルをバックステージから見てきた経験で、今から式場探しを始めて結婚を進める男性に言っておきたいのは、「女性の意見と家族の意見はちゃんときっちりと聞いておくこと」。

それが式の進行の打ち合わせや2人の暮らしなどあとあとに控えるさまざまな出来事を円滑に進めるひとつのコツのようです。

「女性の意見を聞いておく」というのは、彼女の言う通りにするということではありません。
まず、男性は式の打ち合わせや衣装の選択、新居探しなどなどにおいて「どっちでもいいよ」とか「どっちもいい」とか、「そんなの何でもいいじゃん」とかいった、投げやりで面倒そうな態度は絶対にしないこと。

彼女の言い分をちゃんと受け止めて聞いておくことが大切。
たとえ彼女の衣装を決めるのだって、彼女にしてみれば2人に関係することだから、彼女だけで決めるのは嬉しくない話。たとえば、彼女が「こっちのブルーもいいけど、かわいいのはこっちのピンクよね」とか言ったら、「そうだね。かわいいのはピンクだよね」とかちゃんと話を受け止める。話をちゃんと聞いておけば、喧嘩にならないし。
(もっとも、この時点でいっかい大きな喧嘩をしておくのが大事という人もいる。それもまた真理)

「家族の意見を聞く」というのも同じ。親族・家族の言い分通りにするということではありません。とくに相手の叔父様・叔母様などがかなめ。披露宴で「男は紋付き袴を着るもんだ」ともう決めつけている叔父様とかが大抵いたりするから。
こういう叔父様がいることに気が付かず、2人でタキシードやドレスを決めたりしたら、もう挙式日も近づいてきてからその叔父様からクレームがでたりする。その叔父様が、彼女のお父さんのお兄さんだったりすると、また話がややこしくなる。

まず結婚話を控えているカップルは、そういう少々うるさいことを言いそうな人が互いの親族・家族に居るかどうかを確認しておくとよいかも。
いなければいいけど、いたなら、何かアドバイスがあったら聞かせてくださいといったぐらいのスタンスで、互いの親族・家族の思惑を声に出してもらっておく。
いわゆるガス抜きのつもりで、周りの意見をお伺いだけはしておくことも、あとあと面倒なことにならないためのミソのようです。

これらは僕の周りの既婚者諸君もそう言ってます。

それから、「結婚話を進めている間に、一度は"この結婚は無かったことに"といった展開になる場合があるので、覚悟しておいて、そういう話が出ても、あぁ始まったなと思ってうろたえたり慌てたりしないように」というのは、うちの社長の意見。

ありがちな話だと思います。

その状況にどうやって元の方向性を与えるかは僕にはわかりません。状況によってがんばって対応してくださいとしか言いようがない。
とりあえず、"この結婚は無かったことに"という展開になる場合があると思っておくだけでも、実際になっても気が楽? かな。

これからご結婚を控えている全てのカップルに幸多かれ。
(それから、僕にちょっとでいいから幸せのお裾分けを…)

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メールは"大人"になってから

友人や恋人から携帯電話へのメールの返事がすぐに来ないことについて、「忙しくてもメールぐらいできるよね」とこちらに同意を求めるような言い方をする人がいます。

僕はそういうのを聞くと「忙しいからできないんじゃないの? ずいぶんと器量の狭いことを言うなぁ」と思ってしまいます。

前にも似たような記事を書きましたが、携帯電話でのメールは、送ったら返事をすぐに返すのが当たり前と思っている人が多いように感じます。
相手がどんな状態にあるかわからないのに、送ったメールへの返事は早いのが普通だなんていうのは、僕に言わせれば自己中心的な考え方です。

ビジネスでの連絡ならクィックレスポンスを求めるのはわかるけど。

もちろん、どんなに忙しくてもすぐに返事をくれる人はいるでしょう。でも、それは相手が気をつかってくれているだけです。
友人や恋人同士の間で、「メールの返事をもっと早くするように気をつかって欲しい」という気持ちになることはあるでしょうし、「返事をすぐに送れなんて言わないでくれ」という反応もあるでしょう。
ようするに、メールのやりとりは互いの気づかいの問題であって、「すぐに返事をするのが当たり前」と決めつけているのはおかしいと思います。

電波が届くところならどこにいても送受信ができるという仕組みについて、若干の勘違いを起こしている人が多いのかもしれません。
「いつでも受信できる」ということと「すぐに送信できる」ということはぜんぜん違う話です。それに、相手は何かの必然的な理由で電源を切っているのかもしれません。

こう考えてくると、「ビジネスでもないのに、メールの返事をすぐに求めるのは一般常識違反という認識を世の中に広める会」の会長に就任したくなってしまいます。

送信した側が忙しいなかでメールを送信したなら、どうしても相手にも同じことを望むのは人情だとは思いますが、落ち着いた口調の会話で返事が早く欲しいと感じる自分の気持ちを伝えるとか、相手の気持ちも察してそこをうまく引きずらないようにするとかできるのが "大人のふるまい" だと思うのですが…いかがなものでしょうか。

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恋の結論は先に言って

昨日の夜、仕事から帰って来てテレビをつけたら、「あいのり」をやってました。告白した男の子が、帰国前に相手の女の子から返事をちょうど聞くところ。普段はあまり見てないですが、昨日はちょっと見てしまった。

結果としては「ごめんなさい」で、男の子はいっしょに帰国してもらえませんでした。

で、見ていて女の子の話のもっていき方が気になりました。
彼女は、最初に日ごろどんなことを考え、感じていたか自分の胸の内をしゃべって、それから結論に至る心的プロセスにふれて、最後に「やっぱり、いっしょに帰れません」みたいな流れでしゃべっていました。

あれはどうなんだろう?

結論へ向かってあんなもっていき方をしたら、相手の男がよけいきつくないかなぁ。それまで一緒に旅をしてきた仲間意識とか感謝の気持ちがそうさせるのだろうけど。
僕だったら、勘弁して欲しいなと思ってしまった。そこまでずっと一緒だっただけに、最後になる時は、へんな期待をいだかせないぱしっとした終りにして欲しい。

僕が断られるなら、一番最初に結論を言ってもらって、それからちょっと補足みたいな形で自分がどうしてNOを選んだかに触れてもらえたら、それ以上しゃべって欲しくないな。僕だったらね。

それとも、最近の人たちは、お断りの話をあんな風にするのが普通なんだろうか。

ところで、あの番組は、落ち着いて考えてみたらちょっと気持ち悪くないですか?
本来なら二人っきりの時間に秘めておきたい会話や行動をテレビで映して、また、それを全国で見ている人がいるってどうなのよ。

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出会いがないのよ

来年、知り合いの結婚が決まりました。おめでとう。

ほかの人が結婚していくのをみていると、自分が独身でいるのがちょっと寂しい。結婚したくないわけではなく、したいのだけど、相手がいない。出会いがない。もうあまり若くないの三拍子がそろっている。

そのような話を会社でパートの人にしていたら、「ミッ君(仮名)、結婚したから幸せになるとは限らないよ。結婚してからの話だからね。」とアドバイスをもらってしまった。

その通りだよね。結婚は人生の途中の通過点でしかないからね。あまり夢をもちすぎないようにするのも確かに大切。
とはいえ、やっぱり休日ともなると1人はつまんないよ。感じたり、見たりしたいろんなものを共有したい。

年明けに行われる「ココログブックスコンテスト表彰パーティー」が「ココログ新年会」にバージョンアップ?
僕は参加の申し込みをして確認のメールもいただいている。ココログユーザー同士の出会いの場でもあるけど、恋心がちょっとときめくような出会いにもならないかしら?

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リフレ・デートはいかが?

以前、「リフレクソロジー」へ初めて行ったときのことを書きましたが、久しぶりにまた行ってきました。

ここんとこ、仕事が忙しかったので身体が全体に疲れ気味。
常に笑顔でていねいに対応してくれる人たちに、足でも揉んでもらって少しばかりのセレブな気分に浸ってストレス解消しようと思いまして。

前回は初めてでおどおどしてたけど、今回は知ってるからね。堂々としたもの。
ボーナスも出たことだし、給料も出たしで、今回は気前よくコースを選んでしまった。そのお店で2番目に高いコース。(一番でないところが、そこはかとなく庶民な感じだと思うけど…)

まぁ、いい。
クリスマスだしね。特別だしね。自分へのプレゼントさね。

時間は75分。ゆったりとしたシートに座ったら最初はフットバスから。
これがまた気持ちいい。ちょうどよい湯加減のお湯に足をいれて暖める。エッセンシャルオイルが入っていて、血行を促進する作用があるため、リフレクソロジーの効果を高めるにも役立つのだとか。

フットバスにはフタがされているから、ちょっとぐらい中で足を動かしてもお湯がこぼれたりしない。子供がプールとかでするように、お湯のなかで足を少し持ち上げてぶらぶらさせると、足にあたる暖かいお湯の感触が楽しい。

多少は周囲の目を気にしながら…いい年したオッサンが嬉しそうにすることではないから。フットバスの底には丸い突起がついているので、そこに足裏を軽く押しつけてみるのもよい。

暖めた足を抜くときは、そっと支えてくれて、すぐにタオルで優しく拭いてくれる。これがまた「よきにはからえ」という感じでよいわけよ。

このコースは、ふくらはぎまでマッサージしてくれる。マッサージに使うオイルは数種類からお好みを選ぶことができる。
始める前に、「お選びになったオイルです」とか言ってくれて、香りの確認のようなこともする。まるで、ワインのよう。確認したって何がわかるわけでもないところもワインのようだけど…

「ちょっと違うなぁ。オイルを変えてもらおうかな」とか言ってみたらどういう反応してくれたかしらん? 
たまにはいるんだろうな、そんなお客さまも。でもせっかくだしね。自分が一番気に入った香りを選ぶのは当たり前か。

それにしても、前回のときも思いましたが、施術してくれる人たちはかなり訓練をつんできているのだと思う。「腰が疲れている」とかいうように施術後に指摘されたことは、自分でも感じていたことと同じ。

リフレクソロジーは、あなどれません。

終わったあとの気持ちの良さを考えると、恋人同士で行くのもいいかも。
いっしょにならんで座って、一番いいコースで足をもんでもらって気分良くなるのも、たまにはいいデートかもと思ってしまった。

もちろんそんなときは男性が全部払うべし。若い恋人たちにはちょいと難しいかな?

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この日を、優しい想いで

僕はキリスト教徒でもなんでもありませんが、生涯にわたり愛を説き続けた人が生まれたその日に向けて、この星のかなり広い範囲で「誰かを愛そう」という気持ちが高まっていくような気がします。そして、それは単なる偶然ではないかもしれないなという気がしています。…互いに楽しく思え、喜んでいられる。そんな時を世界中の人が過ごせたらいいな思います。

昨年の12月25日には、そんな記事を書いています。

本年も想いは変わっていません。

災害に犯罪、異常気象、拉致問題や自衛隊派遣など今年は笑顔になれるような話題が、この国ではあまりなかったという印象が僕にはあります。定番フレーズですが"今年もあとわずか"、せめてこの時期だけでも、誰かへの優しい想いと微笑みが世界中であふれますように。

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同性からの評判が一番

僕のつたない経験からだけの話ですが、同性の間であまり評判のよくない人との色恋は避けた方がよいというものがあります。

男性から「あいついい奴だよ」と言われない男性、女性から「あの子いい子よ」と言われない女性。そんな人との特に色恋は、後々何かとトラブルが生じることが多いようです。

ずっと前にも少し書きましたが、男性でも、女性でも異性からの評判よりも、同性の間でどういう評判なのかの方がなぜか信頼度が高いように感じます。

男性に女性にも、異性の前では印象よく振る舞える人がいますが、そもそも前提が「異性の前」ですから、そのようなすべを習得していたとしても同性の前では意識的に発揮しない、あるいは意識していても発揮できなくなるのかもしれません。

でも、同性から評判を尋ねるのが難しかったりするんですけどね。特に男性が女性の評判を尋ねる方が難しいような…
気になっている女性について、あの人どんな感じの人? って気軽に尋ねることができる女性の友人がいる男性ってあまり多くないような気がするのですが…どうだろう?

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恋心を試さないで

他のブログを見てまわっていて、男の恋心を試したせいで悲惨な目にあった女性が書いた記事を読みました。

男の恋心を試す女、女の恋心試す男。どちらも世間には存在します。
でも、自分のなかにある相手が好きだという気持ちを試されて嬉しい人はあまりいないでしょう。

たとえ、試してくれてもいいからとか、遊びでもいいから付き合って欲しいとか告白してきた本人が言ったとしても、それで何事もなく済むはずがないです。

最悪なのは、夫婦や恋人が何かの理由で別れた直後とかに、別の異性から告白されてつい相手の気持ちを試してみたくなるというパターン。
気持ちが疲れているときにはどうでもいいという想いになりがちですが、それは気持ちだけにしておくことに力をさいて、そんな気持ちに基づいた具体的な行動は決して行さないのが得策だと思います。

恋愛に限らずビジネスでも何でも「どうでもいい」という気持ちで行ったことは、「どうでもいい」と思える結果にはたいていならなくて、嫌でもどうにかしないといけないことになることの方が多いようです。

相手に気持ちを試されていたという事実を知ったときは、その衝撃で、もうどうでもいいやと思ってしまうのも無理がないことだと思います。

そんな想いを人にもたせるのがどれほど罪なことか。あるいは、そんな気持ちが、相手への恨みとなって現れることだって実際によくある話です。
だから、いま現在、誰かの恋心を試している人がいたら、相手のためにも自分のためにもすぐに止めた方がよいかと僕は思います。

あるいは、他の誰かから恋心を試されていたなら、そんなことをしてくる人は、相手を苦しめることや自分に跳ね返ってくるということについてよく考えていない浅はかな人だといえますから、そんな人とは、人としても付き合いの仕方を考え直すことを僕としてはお勧めします。

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笑ってくれるだけでいいなんて

離婚する夫婦の再現ドラマをテレビで見ました。
女性に結婚を申し込むとき、「君は笑ってくれているだけでいい」などと言う男が本当にいるのかしら?

で、結局、笑ってばかりもいられなくなって別れることになるわけですが…ここでも疑問が。

「結婚する前は、君はいつもきれいで笑ってくれているだけでいいなんて言ってたくせに!」なんて離婚話の最中に怒りながら本気でそんなことを言う女性って実在するのかねー。

僕に言わせれば、そんなセリフを言う男もおかしいけど、相手の言葉をそのままの意味で受け取る女性もどうかしてるぞ。
一緒に暮らし始めたら、笑っているだけでいいなんてありえないでしょうが。
セリフとしてはそう言ったとしても、その具体的意味はどういうことなのかをちゃんと確認しあっておかないと。

自己資産が数億~数百億あって今も増え続けているとかいう旦那さんだったら、奥様は日常生活としては笑っていられるということもあるでしょうけど、それにしたって、互いに病気やケガをしたり、事故になったりすることがあるだろうし、いつも笑っているだけでいいなんてことはない。

結婚を控えている男女の皆さんは、こんなはずじゃなかったとならないためにも、もう一度互いに結婚生活についていだいているイメージや約束事について具体的に話し合った方がよいと思います。

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恋人達をそっとしておいて

恋愛話を書きたくなるこのごろ。クリスマスシーズンだしね。
以下、ちょっと気取った書き方をしてみます。

小学生のころの夏休みの話。
近所だった友達の家に親戚の女の子が遊びにきてました。彼女は何日かお泊まりしていて、その友達もいっしょに3人で遊んでいるあいだに、なんだかその子と僕はいい感じに…

あれが初恋だったと思う。もう名前を覚えてないけれど。

彼女は親戚であるはずの僕の友人の家にお泊まりしにきているのに、僕の家へよく遊びに来てくれた。早朝のラジオ体操が終わって、朝食を食べて、夏休みの宿題にあてた朝の時間がすぎたころ、彼女は僕の家へやってきてくれた。
その年の夏休みは、3人でいっしょになって遊んで特別な出来事は何もなかったけど、彼女と僕は何となくつながっているような感覚があった。
彼女が帰る日に、「来年も遊びにおいでや」(出身が関西なもんで)と言ったら、彼女は「うん」といってくれた。

僕はそれから1年間、来年の夏休みがくれば彼女にまた会えるとずっと思っていて、毎日が待ち遠しかった。その友達に「あの子、また来るやろか?」とかすごく尋ねてみたかったけど、恥ずかしくて言い出せなかった。

秋が来て冬になって、年があけて春が過ぎて、そして待ち遠しかった夏休み到来。

友達に「あの子…いつ来るやろか?」と聞きたかったけど、冷やかされそうで恥ずかしく聞けなかった。来て欲しかった…そして、彼女は来てくれた。
僕との会話を覚えていたのかどうか、それはわからないけど、彼女はやってきた。また何日かお泊まりしていくという形で。

嬉しかった。
僕らはいっしょに遊んだ。でも、そのころになると友達も僕の気持ちを知っていて、「今日は2人で行ってこいや」とかいって自分はいっしょについてこないように気をつかってくれたりもした。にやにやと笑ってはいたけど。

僕と彼女は2人で遊びに行った。
どんな話をしたのか、どこで何をしたのかもう記憶にない。でも、僕と彼女は夏休みの青い空と白い雲の下、間違いなく2人っきりで遊んだ。

どこでもそうだろうけど、小学校では夏休みにプールで泳ぐことができた。先生が当番制で学校へ来ていた。僕らはいっしょにプールへ行くことにした。
そのときも友達は気をつかってくれたのかいっしょには来なかった。僕はよその町から来た見知らぬ女の子をつれて、2人で小学校のプールへ出かけていった。

水着姿の彼女もとても可愛かった。

でも、現実は厳しい。
僕らの仲の良さをひがんだのか、他のやつらが僕らをはやし立て始めた。小学生の男の子なら誰だって、女子と仲良さそうにしている奴がいたら、周りではやしたてるだろう。今なら理解できる。

でも、そのときはそれがいやだった。
放っておいて欲しかったけど、そうはいかなかった。彼らは僕と彼女にプールの水をかけたりして騒ぎ立てた。「やめろや」と言っても、そんなことで止まるはずがない。僕は何とかしないといけないと思った。
僕は、「あっち行こう」と言って彼女の手をひいてプールのふちをまわって場所を変えようとした。

彼らは手をつなぐ僕らを見てよけいに騒ぎ出し、プールの中から水をひっかけながら付いてきた。
「彼女を守らなくちゃ」…自分のなかで王子様になったような気分だったのを覚えている。

今思えばそれがいけなかった。本音は、僕は彼女と手をつなぎたかったから。
騒ぐ彼らから離れることを理由に、僕は彼女の手をにぎった。
彼女は何も言わなかったけど、多分、恥ずかしくてかえって迷惑だったと思う。手を離して欲しかっただろうと思う。でも、僕に気をつかって言えなかったのだろう。

そのあと僕らはどうなったのかはっきり覚えていない。
僕の記憶にあるのは、水をかけられながら、彼女の手を引いて歩いていた自分の姿だけ。彼女が帰るときのことも記憶にはない。

そして…彼女はその後、二度とその友人宅に遊びに来なかった。

彼女がどうしているかを知りたかったし、「もう来ないかな?」とか友達に聞いてみたかったし、その友達が彼女を呼んでくれたらまた来てくれるのではないかとかいろいろ考えた。けど、やっぱり恥ずかしくて言い出せなかった。

それで僕の1年に及んだ夏の恋は終わり。

一度だけ、小学校も卒業間近になって彼女が元気にしているらしいとうちの母親から聞いた。
どういうことかというと、昔、夏休みに僕が彼女と仲良く遊んでいたのを母は覚えていて、友達のお母さんに「そういえば、昔お宅に遊びに来てた子はどうしてる?」とか尋ねたらしい。

おそらく、母は僕の恋心に気が付いていたのだと思う。

時は流れて、いまや21世紀になってしまった。
彼女はその後どうしているやら。元気で幸せになっていて欲しいです。

親戚の家に遊びに行った夏休みに、そこで出会った男の子に手を引かれながらプールで水をかけられたことがある女性がいたら、あのときは気がきかなくてごめんなさい。

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抱きしめたくなることがあります。

大好きな人ができたら、抱きしめたくなることがあります。

他に何をするわけでもなく、ただただ抱きしめていたくなることがあります。

頬に触れる髪のやわらかさを感じていたくなることがあります。
肩にそっと触れて、腕や手のひらに感じる暖かさでほっとしていたくなることがあります。

それが後からだったら、耳元で楽しい話や腹が立ったことや、今度出かけていきたいところの話をずっとしているのもわるくありません。

寝むたくなったら、そのままいっしょにうとうとするのもわるくありません。

あの人が話すのをずっと聞いているのもわるくありません。

ぐちでも何でも、話せばすっきりするということがあってもわるくありません。

男だって、そんなロマンティックな気分になることがあるんです。イケナイことを考えてばかりじゃないときだってあるんです。
ほんとに抱きしめているだけってときがあるんです…ってば。
(クリスマスも近づく今日この頃。ちょっと気取ったことを書いてみたくなりました。)

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夫婦で楽しく

最近、同僚が結婚して、そのときに気が付いたのですが、独身男性は僕を含めて職場で2人になってしまいました。

ただし、僕以外のもう1人には、彼女がいるとのこと。ということで、本当に1人なのは僕だけになってしまった。フン!

でも、僕は、他人の「おのろけ話」を聞くのは嫌いではありません。
恋人と喧嘩したとか、映画がすごくおもしろかったとか、誕生日に何をもらったとか、どこそこへ行ったのが楽しかったとか、イマイチだったとかそういう話を、怒ったり笑ったり表情を変えながら話す人を見ているのはおもしろいし、こちらも楽しくなる。

ところが、夫婦になるとなぜかそういう話をする人がぐっと少なくなります。
夫婦になるというのは楽しいだけではないというのはわかるけど、それにしては夫婦の不平不満を聞くことの方が多い。

恋人時代のようにべたべたなのもちょっとどうかと思いますが、ご結婚されている人からは、夫婦で楽しい体験や幸せな想いをしたという話をもう少し多めに聞きたいと思います。

世の中のすべてのご夫婦のみなさんへ。
一番最近、微笑み合ったのはいつですか?

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価値観が合っているって

結婚を決める相手とは、価値観が合っていた方がよいと考える人は多いと思います。僕もそう思っていました。

今月の初めに録画していた「地球の夢! 生命の夢!! ダーウィンの大冒険」(2004年11月3日TBS)をやっと鑑賞。
この番組を見ていて、そう考えるときの価値観という言葉は、具体的には何なのかを考えてしまいました。
趣味や好み、大切にしたいと考えるものが同じ、あるいは似ているというぐらいに漠然と思っていたのですが。

『種の起源』の著者であるチャールズ・ダーウィン。彼の妻は、エマ・ウエッジウッドという女性。

エマは、その生涯を通じて敬虔なクリスチャンだったそうです。

天地創造についての彼女の信仰を覆す学説を研究し続け、発表した夫は彼女にはどのように見えていたのでしょう。
でも、信仰と学説の相違によって、ダーウィンとエマの仲が悪かったということはないようです。

ダーウィンは、子どもたちに宛てて、妻であり彼らの母であるエマについて、次のように書き送っているのだとか。

「私は一生を通じてこの人から聞きたくないような言葉を一言でも聞いたことはなかったと言い切ることができる。」

神が世界を創造したという従来の世界観を覆し、そのことで世間の避難を一斉にうけることになったダーウィンの心を、エマは彼が亡くなるまでずっと支えたそうです。
また、ダーウィンは、天地創造を否定することになる学説を発表はしましたが、キリスト教自体を避難したり、攻撃することはなかったそうです。

何らかの信仰をもっている人と、そうでない人が結婚することは、現代でも普通に起こっています。
信仰に限らず、自分が大切にしているものを、恋人や妻あるいは夫も大切にしてくれるかどうかは重要なことでしょう。

そう考えると、結婚相手に望む「価値観が合っている」という言葉の意味を、大切にしたいものが同じ、あるいは似ているというように単純に捉えていると、自分にとって本当に必要な人とすれ違ってしまうかもしれません。

結婚相手に望む「価値観が合っている」という言葉の意味。
それは、「大切に感じているものが、もし違っていてもそれを攻撃したり非難したりしないでお互いに穏やかにいられる」ということなのだろうなと思います。

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女性の方がちゃんとしてる?

小さい頃からを振り返って思うに、男性よりも女性の方が基本的にまじめでちゃんとしているという気がします。
たとえば、掃除の時間や文化祭の準備など皆で何かを協力して行うといったときに、他の子と遊んでいて先生に叱られるのは大抵が男の子です。

たまに、元気な女子も中にはいて叱られたりしますが、それでも男子といっしょに遊んでいて叱られるというシチュエーションが多いのでは? 

男子はちゃんと準備や掃除をしていたのに、女子は遊んでいて先生から叱られるとか、「女子もちゃんとやれよ」と男子から忠告されるといった状況は小・中・高を通じて僕は見たことがありません。

家でごろごろしているお父さんの姿や、同じ女性であるお母さんが家事をしている姿を見ているためでしょうか?
いっしょに生活している他の人に役立つようなことは、女性がちゃんとしておかないと男性には期待できないという想いが幼い頃から意識の中に入っているのかもしれません。

恋愛や結婚においても女性の方が基本的にはちゃんとしているという印象があります。
他の人の話を聞いていると、デートの待ち合わせの時間にルーズだったり、浮気をしたり、自分の好きなことしかやりたがらなかったりといったふるまいを見せるのはたいてい男性です。(女性はうまく隠しているという場合も多いでしょうけどね)

また、いろいろなブログを見ていても、女性の方が基本的にはちゃんとしているという想いが強くなります。
おもしろおかしく書いていてもそれなりに抑制がきいていて、どことなく落ち着いた感じもするブログが僕の好みなのですが、僕がそんな印象を受けるのは、女性(プロフィールを信じるならですが…)が開設しているブログがほんとんど。

そんなこんな話ですが、僕の印象に過ぎません。個人差もあって、僕の周りにはあまりいないだけで、世間にはちゃんとしてない女性だっています。
男性の方が基本的にはちゃんとしているぞという話があったら教えてくださると嬉しいです。

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結婚をする前に

録画してあったNHK教育「ETV特集 わたしたちが結婚しない理由~シングル20人の本音」(2004年11月13日放送)を見て、いろいろと考えてしまいました。

結婚をしていない男性や女性には、「結婚はしたくないということはないけど、適当な相手にめぐり会えない」と言う人がいます。
この「適当な相手」というのが、いろんな意味を含んだずいぶんと複雑な言葉です。

一言でまとめてしまうと、「自分が失いたくないもの、背負いたくないもの、得たいもののどれか、あるいは全てを満たすことができる相手」というのがその意味ではないかなと感じています。

その意味だと仮定して、それによって相手を選定しているなら、それはどうなんでしょう?
未婚の自分が偉そうなことを言うようですが、一番大事なのは、愛し合えるかどうかだと思うのですが。

『人柄もよくて同じように尊敬できる人が複数いたら、その中からある程度の地位や収入がある人を選ぶのは当たり前』と言う人がいます。
それは、誰もが考えるでしょうし、女性に限らず、男性だって女性にそういう条件を求める人はいるでしょう。

けれど、それはあくまで仮の話であって、本当にそんな出会いが起きるかどうはか誰にもわかりません。それに、現実にそんな出会いがあったとしても、相手もこちらを選んでくれるとは限りません。

最終的には、どちらからも受け入れてもらえなかったという場合だってあるでしょうし。

つまり、『人柄もよくて同じように尊敬できる人が複数いたら、その中からある程度の地位や収入がある人を選ぶ』という想定を行うことには、自分がより良い人生を送るためには何の意味もないといえるかと思います。それを考えたからといって、何が起きるわけでもないですから。

それよりも何よりも、死ぬまでその人といっしょにいて愛し合えるかを、やっぱりまず感じ取っておかないといけないような気がします。

人がうらやむほど収入や地位があっても、それが無くならない保証は今時どこにもありません。
無くなってもその人といたいのか、その人を支えていけるのか、あるいは地位や収入を無くした自分をあの人は支えてくれるのか、そうやって考えておくことが大事なことだと思います。

愛し合うということは、簡単に言ってしまえば許し合うことだと僕は思っています。
他人がいっしょに生きていこうとするのですから、いろいろな場面でうまくかみ合わないことが起きると思います。そんなときに大事なのは、相手を受容し、認め合い、許し合う心でしょう。

また、絶対に外してはいけない部分をこの人は守れるのかという判断も大事だと思います。

僕はキリスト教徒ではありませんが、キリスト教式での結婚式で使われる誓いの言葉がとても好きです。
「神の定めに従って、いのちの限り、かたく節操を守ることを誓いますか。」という問いに、新郎・新婦は「誓います」と応えます。
この瞬間、2人は節操を守ることを約束したわけですから、これは絶対に外してはいけません。約束ですから。

そして、「順境においても逆境においても、病気の時も健康なときも、豊かなときも貧しいときも、生涯愛と誠実を尽くすことを誓います。」という約束もします。
これまた約束ですから、絶対に外してはいけません。

キリスト教徒ではないとか、キリスト教式で結婚式をしていないとかは関係ないです。

普通に考えても、結婚したら互いに節操を守り、どんなときも互いに愛と誠実に満ちたな関係でいるのは当たり前のことでしょう。
逆から言うと、こうした誓いを心から言えない人、言いたい気持ちにならない人とは結婚を決めるべきではないと思います。

浮気をしたり、2人の関係よりも自分が望むことの方を強く求める人がいたら、生涯を共にする人としてさっと決めてしまわないで、ちょっと時間をおいてそれでもその人でいいのかどうかを考える。また、互いの将来について話し合うのは、男性でも女性でも決して損にはならないと僕は思うのですが、いかがなものでしょう?

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恋を占いで決めないで

恋に悩んでいるとき、占いを見たくなる人は多いと思います。僕もその1人ですが。

ただ、相手を判断するときに占いを適用して、その結果をはっきりと言う人がいます。それはよした方がいいと僕は思います。

具体的には、たとえば、「○○座とは合わない」とか「○型とは相性が悪い」とかいって、相手を取捨選択する理由としてそれを告げる行為のことです。

占いを参考にするのは良い・悪いも何もない自由なことですが、そのことを断りの理由として伝えるのは相手に対して失礼でしょう。

自分と相手の立場を逆にすればわかるはずです。
血液型や星座、生年月日や名前の画数などそういったものが理由で大好きな人から断られたら…

個人的には10代のころにこの経験があります。そのときは、僕の星座が問題だったようです。今だから、10代の女の子のかわいい勘違いだと微笑ましくもなれますが、そのときは笑えないです。

お断りでなく承諾する場合でも同じです。
占いの相性で自分とつきあうと決めたと知らされたら、あまりいい気分がするものではありません。僕なら、つきあえる事自体は嬉しいでしょうが、それでも、自分をひとりの人としてちゃんと見てくれたわけではなかったんだと嫌な気分にはなります。

10代のころなら女性でも男性もかわいいでしょうが、これを20代、30代になってまだやっている人たちがいるのは驚きます。
自分の人間関係の範囲を狭めるもの広げるのも、ちゃんと自分の判断で行って欲しいものです。

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結婚式はビジネスプロジェクト

11月14日の日曜日は知り合いの結婚式。ホテルのなかのチャペルでやるので、結婚式から呼んでいただいてます。披露宴もそのまま同じホテルで。

彼はいいヤツだから、花嫁になる女性はすごく幸せだと思う。話を聞いていると、ずいぶんと彼はもう尻にひかれだしているけど。

花嫁殿。
婿殿のすばらしさをよくおわかりになっておられないようですな。いつか反省しないといけないような事態にならないように、今から彼にはもっと優しくね。結婚式の準備の過程で彼にきつい事も含めていろいろと言えるのは彼が優しいからだよ。

結婚式の準備に女性にいろいろ言われて言うことを聞いている男性の話はよく聞ききますが、男性からいろいろ言われて言うことを聞いている女性はあまりいません。時代の変遷はそんなに関係ないみたいです。20代のころ某結婚式場でアルバイトを僕はしてましたが、そのころもすでにそうでした。

あれは何なのでしょう? 「私がしっかりとしきらないと彼は何もしない」っていうように、男性が面倒くさがりのカップルが多いということなのかしら。

結婚式はともかくとして、披露宴の主役は女性だから、女性の方が何事を決めるにも力が入って当然でしょう。

披露宴ではケーキカットのことを司会者が「最初の共同作業」なんて言い方をしますが、僕に言わせればそこまでの準備が2人の最初の共同作業です。

今まで異なる人生、状況を歩んできた2人が、2人だけでなく周囲の人も納得する結果を得られるように検討を行うのですから、何かと難しい場面がいっぱい出てくるのは当たり前でしょう。

そうであるなら、2人の意思疎通が大事です。
ただ考えていないで、相手にわかって欲しいことはちゃんと言った方がいいです。言わないでもわかってくれなんてナンセンスです。

大きなビジネスプロジェクトを動かしているのと同じだろうと思います。
何をどうしたいのかを2人でちゃんと言葉にして話し合った方がよけいな気苦労はしなくていいような気がします。多分。(僕はまだしたことがないので想像…)

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恋とポロシャツ

「ビジネスカジュアル」という言葉があります。ちょっと前まではあまり耳慣れませんでしたが、今では普通に使われているようです。
普段着過ぎず、そのままクライアントとビジネスミーティングができる。かといって、格式張った雰囲気ではないというファッションのことを言うようです。

基本は、襟付シャツ(ポロシャツも可)・綿パン・革靴で、Tシャツ、ジーンズ、短パンは不可というところでしょうか。

ところで、このビジネスカジュアルというドレスコードでは、ポロシャツをパンツの中に入れるのがマナーのようです。某企業の部長さんで、「ビジネスカジュアルでお願いしますと伝えてあるのに、ポロシャツをパンツの中に入れない奴がいる」と怒っておられる方がいました。

以前、アメリカにある展示会に仕事で行ったとき、そこのブースに並んでいる人はみなパンツの中にポロシャツを入れていました。

アメリカでの行いが全て正しいというつもりはありませんが、ビジネスが関わってくる場でのポロシャツ着用時には、裾はパンツのなかに入れておく方が好ましいと個人的にも感じます。

ところが、この「ポロシャツの裾をパンツの中に入れる」という行為は、ファッション的には非常に受けが悪いようです。時に男性がこれをやると、女性の皆さんからは、はっきり言って嫌われます。

ずっと前にも同じ事を書いた記憶がありますが、男性が「ポロシャツの裾をパンツの中に入れる」行為は、上記のようにビジネス上でのクライアントに接するときと同じ感覚、つまり誠意と熱心さ、まじめさを現しているのだと言えます。

ですから、多くの女性の皆さんには、男性が「ポロシャツの裾をパンツの中に入れる」行為をしていても嫌ったりせず、それほどの気持ちで彼はあなたと接しようとしているのだと大目に見てやって欲しいとお願いします。

女性から見てどんなにかっこよくなくても、彼は単に普段と同じまじめな気持ちでポロシャツを着ているだけなのかもしれません。

もっとも、ファッションセンスのかけらもない男性である可能性もありますけどね。

でも、ファッションはあなたが気にしてあげればいくらでも直すことができます。
少なくともポロシャツの着方だけで切って捨てるのではなく、もうちょっとだけ彼に猶予を与えて欲しいです。本当はとても誠実でビジネスパーソンとしても優秀で、恋の土俵から落とすには非常にもったいない人物である可能性だってありますから。

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お見合いの勧め

お見合いの経験は2度あります。残念ながら、2度ともお話はまとまりませんでしたが。

どういうわけか、気になる人がいる時に限って「お見合い話」が持ち込まれることが多かったです。自分には好きな人(片思いなんだけど…)がいる場合、どうも気乗りがしないので、お見合い話は断ってきました。

けれど、まだ両想いになっていないのなら、お見合いはしてみることをお勧めします。ひょっとしたら、今気になっている人よりもっとすてきな人と出会えるかもしれないから。

でも、食わず嫌いといいますか、苦手意識といいますか、「お見合いは断りづらい。だから、したくない」というイメージをもっている人がいます。

僕に言わせればそんなのは大昔の話です。今時は気乗りがしなければさっとお断りしてしまっていっこうにかまわないと思います。もちろん丁寧な対応は必要でしょうが。

結婚する気はあるけど、出会いがないという状況で結婚への確率をあげるには、人工的に出会いを発生させるしかないでしょう。結婚相談所を利用するのもよいと思います。お金がかかることなので簡単には決められないでしょうが。

お見合いや結婚相談所の利用を恥ずかしいこと、いやなことと考える人もいるようですが、それはもったいないと思います。
自然な出会いは可能性として起こりえますが、それだけしか手札をもっていないのは勝率の低い賭け事をしているのと同じです。

出会いを得るためにどんな手段をとっても、自分が気に入る人と出会えるかどうかは最終的には「賭け」です。そして同じ「賭ける」なら、自分が望むことが得られる確率が少しでも高いものに賭けた方がよいでしょう。

結婚したいと思っていてお見合いの話があったら、僕としてはお会いしてみるとことをお勧めします。

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想いを表す

フジテレビで始まった「ラストクリスマス」(毎週月曜よる9時放送)。

織田裕二さんが13年ぶりに月9ドラマ主演ということが話題になっていたので、第1話を見てみました。ロマンチックなラブストーリーの王道をいく、直球勝負のドラマのようです。

世の中そうきれいに格好よくいかないことは、誰もがわかっています。

それでも、テレビや映画、小説や舞台などで愛し合う人たちの物語に出会い、そのなかで見る優しさや思いやり、支え合う心や信じる姿などに何かしら感じ得たら、それを心の糧にすることは可能だろうなと僕は思っています。

たとえば、出かける人に対して「気を付けてね」と言います。英語でも "Take care." と言います。

あの言葉は、相手の心の中にこちらの「気にとめてますよ」「無理はしないでね」といった意識を送り届けているように感じます。
そして、届けられた言葉は鐘が響くように、相手の心の中で反響をくりかえして残っているのかもしれません。相手が具体的に意識してなくても。
その心の中の反響が、出かける過程で気を付けた行動をとるエネルギーの何割分かに転換されていて、相手を少しでも支えているような気がします。

心にある優しさや思いやりを、現実の世界でちょっとした場面でも表すことは大切なことだと思います。そして、表した想いが相手に届いたなら、それはとてもすてきなことだと思います。

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披露宴とご祝儀

恋をしてそして結婚へという過程にあこがれる人は多いと思います。

でも、結婚はゴールでもスタートでもありません。
「そのとき」を強く認識すると、どうしても時間の流れを止めて捉えてしまいがちになりますが、一生という時間の流れの中で1つの通過点です。

結婚をした日(人によっては同棲時代)から2人での暮らしが発生します。
食材も衣類も生活用品も買います。光熱費も払います。貯金もしたいし、保険にだって入っておきたいです。

親元にいた人は少し事情が異なりますが、1人で暮らしているときと何も変わりません。

たまには旅行もしたいし、外でおいしい食事もしたい。映画やコンサートなどへ2人で行きたいなぁって思うときだってあります。

さて、ここでいったんお風呂にでも入ってすっきりしましょう。そして、深呼吸して、落ち着いたらちょっと考えてみてください。

「2時間~3時間の間で飲んで食べて歌って踊ることに数百万円を使うことを、あなたはどう思いますか?」

昨日、知り合いと「披露宴」の是非について話をしました。金銭的な側面からだけの考えではありますが、「披露宴」に大きなお金を費やすのは止めた方がよいと僕は思っています。
大きな金額を自由に使える人は別として、普通に考えて、数時間の飲食に百万円単位のお金を費やすなんて無茶でしょう。披露宴の費用が、年収の半分からそれ以上になる人だっているでしょうし。

仮に、300万円あったら…

今時の海外旅行は安いです。有名ホテルに泊まっても、ハワイあたりなら2人で数回は行けるでしょう。

ご結婚されてから、アロマテラピーとか英会話とかITスクールとか、何かの趣味や勉強、資格取得などを始める資金にできるでしょう。

自動車が好きな人なら、ちょっといい自動車を購入する頭金にできます。

超高級なところを望まなければ、マンションの頭金にだってできます。

たとえ、両親が費用を全額出してくれるということだったとしても、それほどの額を両親に出してもらって、人を集めて歌い踊って、飲み食いしてしまうのはどうなのよという感じです。

僕にすれば、「披露宴」に数百万円の費用をかける人たちの中には、何か勘違いをしている人がいる気がします。
それが何の勘違いなのかよくわかりませんが、僕の中ではどう考えても数時間で数百万円を使ってしまってよいといえる論理的な根拠が見あたりません。

列席者側になっても、すっきりしない気持ちを感じるときがないですか?
数万円のご祝儀をもっていくのが普通だと思いますが、一度の飲食に数万円をかけても平気な人はそうはいないと思います。それに、お招きが続けば馬鹿にならない出費です。

「披露宴でご祝儀を渡さなければならない習慣はもう止めよう。」ってなぜ誰も言い出さないのか不思議です。
(もっとも、本当に少しでも役に立てれば嬉しいという気持ちでご祝儀を渡すときもあります。それはそれで、渡したい人が渡したいだけ渡せばいいと思います。)

僕の考えでいうと、昔々、年若いということと収入が少ないということがまだ同じ意味だった時代。
若い2人よりは収入がある人生の先輩達が、2人の新しい生活を後押しする意味で手渡したのがご祝儀だったのではないかと思います。

活気がない今時の日本経済です。
職場の都合で収入が減ってしまったという人は、たくさんいるでしょう。場合によっては、若い新郎新婦のお二人より、列席者の方の収入が下回っているということだってあり得る昨今です。

たとえ知らないこととはいえ、数万円のお金を用意しなければいけない状況を、自分よりも収入が下回っている人に対して作るのは、僕に言わせればひどい話です。

ビジネスでもないのに、人からお金をいただくことを前提にして行動するのは止めた方がよいと思います。そもそも、そんなにお金に困っている2人なら、大きな披露宴なんてするべきではないでしょう。

数百万円の単位を、人生の価値を高めるために使うか、一度の宴に使うか、選択は本人達しだいです。
けれども、どちらがいいでしょうかと相談されたら、僕は前者をお薦めします。

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恋する瞬間

専門ガイドの人たちがさまざまな情報を提供してくれる総合情報サイトAll About Japanの特集ページ「All About Life」は、"幸せに生きるためのヒント"をコンセプトとしたページです。

その10月のテーマは、 「愛も情けもいらない、私は“恋”がしたい」

1週目のテーマは、「恋する瞬間」です。
いわく、"ハートに火がつく瞬間を見逃さない" ためのヒントを読むことができますよ。

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祝 料理教室卒業!

今までここでふれたことがなかったのですが、料理教室に1年間通っていました。1年といっても月1回の全12回ですけれど。

それで、この度めでたく卒業。

料理教室に通っていたからといって料理が好きということではありません。むしろ料理をするのはあまり好きではないです。

でも、料理が何にもできないというのも一人暮らしだし問題かなという思いや、少しできるようになったらちょっとは好きになるかなという思いがありました。
それに、顔を横に向けていてもタマネギやキャベツを軽やかにきざめる人に少し憧れもありまして…

だけど1年通ってみて、「やっぱり、俺は料理をするのは好きではないんだ」ということをあらためて感じました。

百貨店などで料理器具や食器を見るのは好きです。
こじゃれたガラスの容器とかきれいな色をしたフォーローのパンとかを見ていると楽しいです。
でも実際にそれらを購入したことはありません。どうせ使わないだろうと思うから。

好きではないですが、それなりに楽しい時間を過ごせたので、つまらない1年ではなかったです。
講師の説明を聞いたあとは、3,4人一組で実習をします。その日に初めて会った人たちでも、協力して何かを作っていく過程で仲間のような一体感を感じることができました。

料理が趣味というのではなく、料理教室に通うのが趣味という有り様でしたが、少しは料理をするときの勘所がわかったような気が致します。

まだまだ未熟な僕の手料理は、恋人と呼べる人にだけ振る舞おうと思っております。
僕の手料理を食べてみたいという若干の興味と多大な勇気、並びに深いボランティア精神をお持ちの独身成人女性の方はぜひご連絡いただければ幸いです。

ただし、諸般の事情により以下の事項に同意してくださる方に限らせていただきたいと思います。

1.出された料理は全て食べきる。
食べ物を粗末にしない女性はすてきです。

2.思いやりと優しさに満ちた笑顔と声で「おいしい」と必ず言う。
「優しさ」とは女性の代名詞であると存じております。

3.僕と僕の料理に対してひたすら賞賛を続ける。
愛する人の支えによってこそ男は強くなれるものでございます。

4.常にほがらかで機嫌良く、明るくいる。
明るい2人にこそ明日は来るものでございます。

以上、よろしくお願い致します。
(なお、応募資格には年齢の上限はございません。)

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みんな仲良くね。

携帯電話機のメモリの内容を見せるように、恋人や奥様・旦那様に要求する男性あるいは女性がいるんですってね。

「やましいことがなかったら見せられるだろう」というのが、そういうときによく使われるセリフのようです。

本当にやましいことをしていて、なんとか言い逃れようとしているバレバレの人に対しては別として、その主張は身勝手で暴力的な意見だと僕は思っています。

DV(Domestic Violence:ドメスティック・バイオレンス)が問題になる昨今ですが、「やましいことがなかったら見せられるだろう」というのは、僕に言わせると言葉の暴力になり得ます。
「見せられないという具体的な理由はないのに、いやだというのは何かあるからだろう。そう疑われたくなければ、気にしないで見せろ」と脅かしているのでしょうから。

特別に脅すつもりはなくて、相手の態度が心配になってメモリを見せて欲しいという人でも結局は同じでしょう。自分の欲求を満たすために、相手に気にしないように求めているわけですし。

何を気にして、何を気にしないかは個々人の内で感じることです。
「やましくなければ、見せられるだろう」というのは、そういう個人の感じ方を、他人が制御しようとする言い方だといえます。

やましいことは何もなくても、いやなものはいやで見せたくない。要するに、気持ちの問題です。

でも、そもそも相手のメモリを見ないと気持ちが落ち着かないなんてことがないのが一番いいでしょうけどね。
この星の全ての恋人とご夫婦に幸多かれ。

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食事の誘いと恋心

久しぶりに女性と2人きりの食事をしました。ちょっとした知り合いで、それなりにいつもお世話になっているし、誕生日がついこの間だったと聞いて、じゃぁってことで食事にお誘いしました。

2X歳になったばかりとのこと。久しぶりの女性との食事が20代の女性と一緒とは思ってもみなかったけど、いやー、お若い。ところどころいろんな意味で付いていけないところがあったりで。

話してみると、読書や音楽などで趣味が似ている部分があって、その部分ではけっこう話もあって楽しかった。
(と、僕としては思っているのだけれど、彼女の方はどうかな?)

しかし、なんというか話のノリと言いますか、テンポといいますか、リズム感といいますか、やっぱりちょっとズレるなと。僕の方がうまく付いていけていないという感覚。
もうすこし落ち着いた食事をしたかったなと感じ、それだけ年をとったのだなーと自分なりに納得。

実はその彼女、もうすぐ花嫁になるとのこと。

日頃の感謝で単に食事に誘っただけで、変な下心を持ってなくてよかったよーと内心でほっと安心。
でも、そういう会話を出したということは、ちょっと警戒されたということかとすぐ気が付く。たぶん、"私はもうすぐ結婚する身だから、そこんとこヨロシクねバリア"を、一応はっておいたんだろうな。

婚約者がいる女性が別の男性と食事をする場合の大人のふるまいとしては、さらっとしていて正解だと思う。
これが「私、婚約者がいますから、変な気は起こさないでくださいね」ってまじめな顔で言われたら露骨すぎていやだ。こっちが変な気を起こすはずだという前提で考えているということだから。
普通はそんな言い方をする人はいないだろうけど。

個人的には、婚約者がいたら別の女性と2人きりで食事には行きたくないなー。
僕が女性だとしても自分に婚約者がいたら、適当なことを理由にいって断ってしまうと思う。

そういえば、以前テレビ番組の「恋のから騒ぎ」で、さんまさんが「男から食事に誘われて、それをOKしたら、おつき合いするという意味だろう」といったようなことをしゃべっていた。食事=おつき合いとは思わないけど、少しだけ同意できる。

僕らが若い頃は、恋心を抱いていておつき合いしたいなと思っている女性を食事に誘ったものです。それも、夕食。
単なる友達とか、知り合いとかいう子は、2人きりになっても昼メシだったりとか、みんなで繰り出すってパターンだった。

だから、男性から夜の食事に誘うということは、好きだというちゃんとした告白の前段階としてのちょっとした意思表示だったと思う。
でもって、多少はいいかもねって思いが女性の方にもなければ食事の誘いはOKしないっていう暗黙の了解が、僕の若い頃にはあったような…。
逆に言うと、食事を誘った女性にOKをもらえたら、女性側としてもこっちのことを少しは知りたいという関心をもってくれてはいるというぐらいの脈はあるということだったと思う。

そこのところが世代の違いなんだろうな。

前にも書いたけど、その辺の相手の想いを実は感じ取っていて、ある程度の後々の展開を読みとることができていながら、食事をおごってもらえるというだけでOKを出して、いざ告白してみたら、食事しただけで勘違いしないでっていう言い方をする女性は、僕としては卑怯だと思う。

断るにしても、単純に断って欲しい。「食事しただけで勘違いしないで」っていうセリフは言い過ぎでしょう。
(もっともそれぐらいに言っておかないとわかんない男性もいることは確か。)

ひどい人になると、私は食事をごちそうになったけど、そっちは私といっしょに過ごしていい思いができたのだから、五分五分だろうという意味の言い方をする人もいます。
(男性にも、女性に対してこういう言い方をする人はいるから、女性の皆さんも気を付けてね。)

食事の誘いにのってくれるかどうかで、どきどきしていた時代の方が僕としてはよいなぁと思うのですが…いかがなものでしょうか?

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"よ"って言うのね

うちの社長のお母さんが、社長の娘さんたちと会話をしていてそう言ったらしい。うちの社長の奥様から聞いた話。

細かいところは忘れてしまったけど、おばあちゃん(社長のお母さん)から何かを問われたお孫さん達(社長の娘さんたち)が、「違うよ」って答えたそうです。
それを受けて、おばあちゃんが「"よ"って言うのね。」とつぶやいたのだとか。

奥様が言うに、社長のお母さんとしては「違うわよ」って、"わ"を付けて言って欲しかったんだそうです。
年頃の女性が使う言葉として「違うよ」っていうのは、避けた方がいい言葉の使い方だと感じる世代なのでしょうね。

僕は、女性が「違うよ」という言葉に違和感は感じませんが、女性が言うのは避けて欲しいなと個人的に感じるのは、飲食をしたしたときに言う「うまい」という言葉です。

女性には絶対に止めて欲しいというわけでもないですが、「うまい」という言葉を、女性が使っているのを見ると違和感を感じます。

そこは「おいしい」と言って欲しいです。
「うまい」という言葉は、僕のなかでは、特に性別に関係なくいつでもどこでも安心して使える言葉ではないように感じます。周囲の男性に対しても、状況によっては「ここでは、"おいしい"と言って欲しいなぁ」と思うときがあるぐらいです。

時代によって男性や女性が使っても違和感がない言葉は変わっているのだと思います。個人の感じ方としても、女性なら・男性ならこの言葉は使わないで欲しいというものもあると思います。

そんなとき大事になってくるのは、相手との話し合いでしょう。
こちらが気になることを相手がしたときに、不快になったり残念に感じたりするだけで終わるのではなく、それを気軽に話し合える関係があれば、互いにもっと幸せな気分になれると思います。

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愛してくれる誰かへのお願い

僕は、クモが大嫌い。というより、はっきりいって怖い。
前は「結婚するならクモをとってくれる女性にしよう」と本気で思っていた。
いまはだいぶ平気になって、小さいのなら手で追い払うことができるようになったけど。20代のころまでは、大きさ・種類に関係なく、どんなクモでも怖かった。

でも、田舎の家とか便所とかによく出る灰色というかまだらっぽくて、足が長いでかいヤツはいまだにダメ。こう書いているだけでも身体がぞくぞくする。あれは本当に勘弁して欲しい。

先週、3日間続けてアイツが事務所に出た。3日連続なんて、僕は何かに呪われてるんじゃないかと思ったよ。

なぜか世間では、クモ嫌いは市民権を得られない。
「クモぐらいでがたがた騒ぐな」っていう周囲からの視線を感じる。これが、ゴキブリだったら皆が協力して何とかしようとしてくれるだろう。
あるいは、単に「嫌い」というなら「犬が嫌い。ほえられると怖い」とかいう話は、共感してくれる人だっている。

でも、どういうわけかクモは、誰もとってくれないし、怖いということが理解してもらえなかったりする。
挙げ句の果てには、「クモは虫をとってくれる益虫だよ」とか「朝グモは縁起がいいっていうじゃん」とか、お説教する奴が出てくる。
"奴"なんて、少々柄が悪い言葉を使ったけど、そんな言葉を使いたくなるぐらい、こっちとしては腹立たしいわけだ。そんなお説教をしてくれる間があったら、お願いだからヤツを取ってくれ。

僕は、ゴキブリも犬も平気だ。
は虫類だって、両生類だって平気だ。
蛇だって、手でつかんで投げ捨てることができる。

でも、クモはだめだ。
映画「スパイダーマン」だって、最初に主人公がクモに噛まれるシーンでは、気持ちが悪くて画面を見ながら、ウワッて言ってしまった。

だから、いつか出会うであろう僕を愛してくれる女性にお願いしたい。
ゴキブリでもその他もろもろの虫でも、トカゲでもカエルでも、犬でも、ヘビだって僕が何とかする。
あるいは、僕には好き嫌いは何もない。もし、君が食べられないものがあれば、僕が全部食べよう。
たとえ、僕が食べられないと感じたものだったとしても、何とかがんばって食べるようにするよ。

だから、だから、クモに関してだけは僕を助けて欲しい。

…って、こんな男性は嫌われますか?

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こんなOLは実在する。

都内で仕事をした日に昼食をとったお店でのこと。

僕は1人で注文したものを待ってました。そこは、小さなお店だったので、隣のテーブルとの間が狭く、ほとんど相席のような状態でした。
しばらくすると、2人のOLさんがやってきて、僕が座っていた隣のテーブルに案内されました。

テーブルも隣だし、昼休みの開放感もあってか少々声も大きくて、彼女たちがしていた話が聞こえてしまいました。

どうやら2人は職場での先輩と後輩で、職場のIとHという男性がその先輩の方に気があるようで…

後輩:で、Iにマジ告られたらどうすんすか?
先輩:えー、無視ぃー
後輩:でも、会社で会うじゃないっすか。
先輩:それでも無視ぃー。だってぇ、I…友達じゃないもん。
後輩:そうすっよね。I、友達じゃないっすよねー。H、どうすんすか?
先輩:Hはー…おいしいお店とか連れてってくれるしぃー、友達かな?
後輩:そうすっよね。H、友達っすよねー…

いやー、こういうOLが実在するんですね。嘘みたいですけど、本当にあった話しですよ。

先輩の割り切った考え方といい、彼女たちのバカっぽいしゃべり方といい、2人の会話をそのままお伝えできないのが残念です。
僕は、お笑い番組のコントでも見ているようで、隣で笑い出すのを我慢するのに少々努力が必要でした。

IあるいはHのイニシャルをもっていて、都内にお勤めで、いま会社で気になっている女性がいる男性へ。
ちょっと立ち止まって、彼女のことをもう一度よく見つめ直すことを僕としてはお勧めします。

男性諸君、心をよせる相手はよく吟味しよう。
女性の皆さん、あまり公の場で本音を出し過ぎないようにね。

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ずるい男や女にご用心

この間、久しぶりに続けて見ているテレビ番組「バツ彼」についての記事を書きました。
TBSで木曜夜10時から放映していたのですが、昨日(9月16日)が最終回。

僕は、真矢みきさんが演じていた“川口夏樹”のファンだったのですが、最終回では彼女の身辺に大きな変化は訪れませんでした。

第8回のお話で、彼女は人生の一大決心をしてましたから、あの後はそんなに変化に富んだ話にはできないよなと1人で納得。
それにしても、彼女にも人生のパートナーが現れるかもしれないといった期待感ぐらいは視聴者として感じたかったです。

男性でも女性でも、異性として気になる人ができたら、自分の男女関係を整理しておくのは常識の範囲だと僕は思っています。

異性として気になっている人がいても、他の気の合う異性と食事をしたりすることは普通にあると思います。
それはそれでよいことですし、人間関係を狭める必要はないでしょう。

でも、本当に自分が気になっている人といつ恋人同士になってもいいように、他の異性との関係は、後々ややこしいことが起きないようなものにしておく方がいいでしょう。
たとえ、気になっている人とは、まだこれからどうなるかわからない段階であっても。
それは相手にわざわざ言わないけれど、自分の中でのけじめであり誠意の範囲だと僕は思います。

自分とあの人は恋人同士だと思っていた相手に、自分ではない異性と親密に過ごしている時間があったと知ったときは、本当に苦しくつらいものです。

そういえば、彼女あるいは奥様がいる男が、浮気相手の女性に「あいつとは別れるから、俺を信じてくれ」と言う話はドラマでも現実でも聞いたことはありますが、彼あるいは旦那さんがいる女性が浮気相手の男性に同じ事を言う話は聞いたことがありません。

また、そんな風に言われて、結果的にどうあれそのときは信じるのも女性が多いようです。
男性が女性から「あの男とは必ず別れるから…」といった言葉を言われて、信じて待ったという話も僕は聞いたことがありません。
どこかには実在する話だと思いますが…

ずるい男や女には、皆さんくれぐれもご用心を。

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幸せにする? ほんとか?

テレビドラマはあまり見ないのですが、実は“最終回”だけは結構見ています。
なぜ最終回だけかという深い理由はないのですが、いつも見なくてもいいけど、一応最後はどうだったか知っておけば、周囲の話題には付いていけるだろうといった感じです。

本日9月14日は、フジテレビの火曜日22時から放映していた「君が想い出になる前に」の最終回でした。
番組の中で、女優の加藤あいさんが演じる『富田ちひろ』が言った言葉の「幸せにできるかどうかとかいうのじゃなく、いっしょにいたいかどうかが大事だと思う」というセリフにはかなり共感。

男性が女性に向かって「君を幸せにする」と言うのが、僕は昔からどうも納得いきません。人ひとりを自分が幸せにするぞと断言してしまうような人は、何か勘違いしているのではないかと思うんです。
「幸せにする」なんて、そんなこと一体何の根拠があって言い切れるのでしょうか? 

もし僕に娘がいて、父親である僕のところに男性が挨拶にきて、「娘さんをきっと幸せにします」なんて言おうものなら、ただじゃおきません。
「君がいれば私の娘を幸せにできると言うなら、私の娘の存在は何なのだ?」って突っ込んでやります。

そもそも他者に向かって「君を幸せにする」と言うためには、互いの間で「幸せとは何か」という定義が共有されていなければなりません。
そうでなければ、互いに「幸せになる」という状態について、違うことを考えているかもしれないからです。

で、冒頭のセリフに関係してきます。
「君といっしょにいたいんだ」とか「ずっといっしょにいて欲しい」とか言う方がずっと自然な感じが僕にはします。

“僕はそう思っているのだけど、できるものなら、君も同意してくれると嬉しいのだけれど、どうだろうか”という選択の自由がある感じがするからです。

選択の自由がないなんて考えただけで僕は嫌になります。
自分が嫌なことは他人にもしたくないので、たとえば「俺に付いてこい」なんて僕は間違っても女性に言いたくないです。
僕が女性で男性からそんなことを言われたら、「なんで、付いてこいなんて言われないといけないの? 私はあんたの犬か!? 」と言いたくなります。

もっとも、僕のこんな考え方は、きっぱりと言えないなんて男らしくない。相手にどうするかをゆだねているだけだということもできるでしょうが。

大事なのは、こうした価値観を互いに分かち合えるかどうかなんでしょうね。

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既婚者へのお願い

2004年9月11日のNIKKEIプラス1の1面「何でもランキング」。見出しは「30代女性、結婚相手に望むこと」。結婚相手に望むことに優先順位をつけてベスト10形式で載っていました。
有効回答は男性1033人、女性も同じく1033人。ちょっと厳密な話をすると、インターネットでの公開調査のため、回答したなかには20代の人も交じっています。全部ひっくるめてのベスト10のようです。

結婚を望んでいる独身男性としてはこういう記事はつい目を通してしまいます。

同記事には、「30代男性が結婚相手に望むこと」も載ってました。
1位から4位あたりまでは、多少のずれはあるものの男女ともに同じ項目が並んでいるのが、なぜかちょっとほっとします。

1位になったのは「信頼できる、誠実である」というもの。2位も同じで「価値観や相性が合う」。
3位は女性の方が「自分への愛情が深い」で、男性は「優しい、寛容である」。4位は女性が「優しい、寛容である」を選んでいて、男性は「自分への愛情が深い」。

この辺がネックかもねと思ったのは、男性の6位である「好みの容姿や外見である」という項目。女性の方には、この項目は10位までには入っていません。
男性諸君、はらからよ。容姿や外見というのは女性の皆さんはさほど重要視していないみたいですぞ。ちょっと反省…

意外だったのは、30代女性に関してランク外になった項目としてあげられていたもの。それらは「家事や育児への協力」「両親との同居がない」「仕事への理解」の3つ。

家事や育児という点は、「子供をもつか、もたないか」とも関わってくるので、そちらの方も見てみないと、これが単純に30代女性のなかでは優先順位が低いとは言えないでしょうけど。
「仕事への理解」というのは、結婚する際にはもう当たり前なことで、わざわざ重要視するものとして選ぶ項目ではないのかもしれないと想像しています。
「両親との同居がない」というのがベスト10にも入っていなかったというのは、高齢社会を見据えて、両親との同居もやむなしという考えをもっている人が増えているかもしれません。あくまで推測の域を出ないけれど。

気になったのは、結婚についてのイメージとして悲観論が目立ったという指摘。
「結婚したいと思わない」という人が男女全体で36%になっているとか。いわく「夫がいる友人に会うと、いつも愚痴ばかり」「辛抱と忍耐の連続」などが理由としてあがっていました。

記事の中にも書いてありますが、経験しないとわからないはずの負のイメージがずいぶんと育っているようです。
まだ結婚を体験していないのに、負のイメージをもっている人は要注意かもしれませんよ。
周囲から聞いただけの情報にすぎないのに、いつのまにか自分の考えが影響されているといえますからね。

もっとも男女ともで結婚したいという人は60%、相手の結婚歴は問わないと答えた人は48%いるので、結婚を望んでいる人はそう悲観することもないかもしれません。

そういえば、僕の周りにいるほとんどの既婚者は、結婚についてマイナスのことしか言いません。
いままで、僕の周りで「結婚っていいよ」とか「ミッ君(仮名)も早く結婚した方がいいよ」とかはっきりと言った人は2人だけです。

どうも、独身のころから結婚にあまり夢をもちすぎないようにという親心というか、先輩としてのアドバイスというかそういうつもりで言ってくれているようです。
しかし、アドバイスのつもりなら、結婚とはどういうものかということをマイナスもプラスも含めて体験者として教えてくれないとアドバイスにならないと僕は思うのですが…いかがでしょうか?

僕としては、人生の先輩としての既婚者の方からは、結婚についてプラスもマイナスもちゃんと聞いておきたいという願いをもっています。

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女性だから殴らない?

「男が女を殴るなんて最低」という考え方をする女性は僕の周りにもいます。男性にもそう思っている人は多いのでは? 確認したことはありませんが。

で、僕自身は「女性は殴らない」というルールをもっていません。というか、人を殴ることはよほどのことがない限りしない方がよいでしょう。

しかしそれでも、僕が知っている人生の経験則の1つには、「老若男女を問わず、他者から殴られても仕方がないことをする人が世の中にはいる」というものがあります。

僕は女性を殴ったことが今まで一度だけあります。
小学校のころ喧嘩して、いきおいで相手の女の子を殴ってしまいました。それ以降の人生で、僕は女性を殴ったことはありません。

僕はこれから先も、女性に限らず人を殴ることはしないで生きていきたいと思っています。
でも、性別が女性であるという理由だけで、男性は殴るべきではないという価値基準には疑問を感じます。

殴る加減の調整はあるべきだと思います。
ただただ相手の身体を傷つけ血を流させるために殴るというのは止めた方がよいと思います。人を痛め付けて認められるのは格闘技と戦争だけです。

男性が女性を殴ることは、できるならしない方がよいことでしょうが、状況によっては男性から殴られても仕方がない場合はあるだろうと僕は思っています。

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誰かの不幸を望むのは苦しい

ほとんどテレビドラマは見ないけれど、TBSで木曜夜10時から放映している「バツ彼」は、久しぶりに続けて見ている番組です。

見続けている理由は、真矢みきさんが演じている“川口夏樹”。
最初は単なる偶然。風呂からあがってテレビをつけたときにたまたま彼女が映っていました。

実は、真矢みきさんは、昔好きだった人に雰囲気が似ている。それは前から思っていたのですが、この“川口夏樹”さんというキャラクタが、またその女性にちょっと似ている。

知っている人に女優さん自身が似た雰囲気をもっていて、その女優さんが演じている役もまた似ているなんてことがあるんだなと不思議な気分です。

でもって、昔好きだった人に会っている気分がちょっと楽しくて番組を見続けてます。夏樹さんが出てくるシーンでは、胸の当たりが少し暖かい感じになります。(それが何なのかわからないのですが、まだその人のことが好きなんだというほどの想いではない。「懐かしい」という言い方が一番ぴったりくるかも…)

夏樹さんが人生の一大決心をしたときなんか、見ていて「オレがいるがな。」という気持ちになってしまいました。

妙に屈折したストーカーとも言えなくもないような…違うか? ストーカーはすでに屈折しているしな…

とかなんとか思いながら見ていて、ついに来週が最終回。夏樹さんが一番幸せだと思えるようになって欲しいです。

昔好きだった人がいまどうなっているかは知りたいような知りたくないような感じですが、人が不幸になっているのは見たくありません。たとえ、先方に否がある離れ方をしたとしても。

あいつには不幸になっていて欲しい、苦しんでいて欲しいという想いが残っていく離れ方になってしまった人は、その想いがあること自体でご自身も苦しい日々を送っているのだと思います。

誰かの不幸を望んでいるということは、自分の心の中にそう望みたくなる何かがあるということでしょうか。それは「相手に自分の怒りをもっと伝えたかった」という気持ちや、「思いっきり声をあげて泣きたかったのに涙は見せまいとして我慢してしまった」という想いなのかもしれません。
そして、そうした何かが心の中で解消するなり、決着がついていないので相手の不幸を望むという心の動きとなって現れているのかもしれません。

とするなら、それが何なのかを自覚できれば、その何かを解消・決着させる手だてが見つかるきっかけになるかもしれません。それが本当に見つかり解消できれば、誰かの不幸を望むといった負の心の動きから解放されるかも…?

心のあり方について、僕には偉そうに語れるような詳しい知識も深い体験もありませんが、もし自分が誰かの不幸を望みたくなったら、そのように考えて自分の心と向き合うことを忘れたくないなとは思っています。

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秋が近いねー…

「今年も年末・年始は1人だなー」など僕が何をどう感じていても、関係なく時は流れていくなどとセンチメンタルな気分になりやすい季節が近づいてきました。

「心の傷は時が癒してくれる」という言葉もありますが、少々違うなと以前から思っています。

傷の痛みは時とともに和らぐでしょうが、ついてしまった傷跡はなかなか消えないというのが僕の考え。
僕の身体には子供のころに受けた手術の跡が残っていますが、それのように、心の傷についてももう何も痛まないし心身に影響も全くないけれど、その後の人生でもずっと残ってはいるといったことが起きることはあると思っています。

ドラマや小説で自分が苦しかったころに似たような状況を見たとき、「あんなことが本当にあったよな」と懐かしく思い出すようなときは、痛みはないけど傷は消えてないという時ではないのかなと思います。
恋愛でもビジネスでも何でもね。

朝起きて、仕事へ行って。帰ってきて、夕飯食べて、お風呂へ入って寝て…朝起きて、仕事へ行って。帰ってきて、夕飯食べて、お風呂へ入って寝て…といった生活を続けていると、ますますセンチメンタルな気分になってくるわな。

あぁ暗い。気分転換に時間作ってスポーツクラブで泳いでこよう。

凹みタイム終わり!

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異なる観点も重要

昨日、「重要視するもの」というタイトルの記事を書きましたが、あらためて読み返してみると自分を客観的に眺める態度にはふれていませんでした。

人として価値観や考え方が異なっているのは当たり前。けれど、自分にはどうしてもゆずれないという部分は、どんなところなのか。それを考えると、続けていく意味がある人間関係なのか、あまり続ける意味が無い関係なのか、多少は見えてくる場合があるかもしれません。

という書き方をしましたが、それだけではなく、自分が重要視していること自体を一度疑ってみることも必要でしょう。

自分が大事だと感じていることを、大事ではないのではないかという観点でみてみる。
このような「解釈や枠組みを違った観点で捉えみる」とらえ方を、「ダブルループ学習」というのだとか。経営学の方面では著名な学者"クリス・アージリス"という方が提唱してきたらしいです。
アージリスの考え方では、ただ異なる観点で捉えようとしただけでは「学習」とは呼ばす、「実際に新たな解釈や枠組みを構築した」ときに「学習は成立した」というのだそうですが。
(経営学に詳しい皆さん、間違っていたらごめんなさい)

自分が大切に感じていることを一度疑ってみる。
そうすることで、動かなかった何かが動き出すこともあるかもしれません。

■参考情報
Chris Argyris (1923-) Double Loop Learning

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重要視するもの

日経新聞の最終面「文化」の欄。日曜日(2000年8月8日)は、歌人の「ほむら・ひろし」という方が書いておられた。

ちょっとした言葉の使い方で世代間のずれを感じて、年上の恋人のことを駄目だと思った女性の話がでてきます。
その女性は学生時代に、20歳ぐらい年上の男性と付き合っていたそうですが、ある日彼が送ってきたメールの中に「がんばってネ」という文字列が入っていたのをみて、"昔の人"だと感じてしまい醒めてしまったのだそうです。

その女性が言うに「がんばって"ネ"」ではなく、そこは「がんばって"ね"」と平仮名の"ね"なのだとか。

他人からしたらどうだっていいことでも、本人にしてみたら重要に感じるということはいくらでもあります。
僕は、「がんばって"ネ"」でも「がんばって"ね"」でも何でもいいと思うし、その程度ことで恋人との別れを決めるなよとも思いますが、彼女にとっては重要なことだったのでしょう。

重要に感じる部分が異なっていて、その相違の度合いがどうしても気になるなら、そういう恋人同士は、早めに別れた方が互いのためによいだろうと僕は思います。
どちらが正しいとか間違っているとかではなく、単に相違点があるものとして受け入れがたいのなら、付き合いはどのみち長続きしないでしょうから。

恋人であれ友人であれ、人付き合いの中で僕が重要に感じ、その感じ方の違いを受け入れがたいのは「時間を守る」ということです。
10時に待ち合わせをしたら、10時を過ぎてやってくる人とは僕はあまり親しくなれません。電車が止まっていたとか、仕事が長引いたといったどうしようもない理由があるなら仕方のないことですが。
(20代のころ、携帯電話なんて無かった時代、互いの会社帰りにデートの待ち合わせをして、僕は当時付き合っていた女性を3時間待ったことがあります。仕事が伸びているのだろうなというのは想像がついたから。ちなみに、彼女は来てくれました。)

5分や10分ぐらい遅くなってもいいじゃないかと主張する人とは、僕は親しい付き合いはできないです。
最悪、自分とその人だけの間の話ならまだしも、他の人もいっしょに待っていたとすると、遅れてくる人は僕以外の人も巻き込むわけですから。

人として価値観や考え方が異なっているのは当たり前。けれど、自分にはどうしてもゆずれないという部分は、どんなところなのか。それを考えると、続けていく意味がある人間関係なのか、あまり続ける意味が無い関係なのか、多少は見えてくる場合があるかもしれません。

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晩婚と高齢出産

正直言ってもう決して若くない。1人のときには、タイトルのようなことを思い詰めてしまうこともある。

結婚相手の年齢については、もともと「若い女性でないといやだ」という条件を自分はもっていない。
でも、子供は欲しいとは思っている。
縁というものは誰にもわからないけど、普通は自分のような「おっさん」と呼ばれてもおかしくない年齢の男性が、妊娠から出産、そして子育てという体力と精神力を相当に駆使するライフステージをわりと余力をもって過ごせられる世代の女性と結ばれる確率はあまり高くない。

となると、お相手となる女性の年齢によっては、そしてその人が出産に同意してくれるなら、いわゆる高齢出産という状態になる可能性は十分ある。
妊娠から出産、そして子育てに関わる精神的・肉体的負担のほとんどは女性にかかってくるのだけれど、自分もそこそこ年齢はいっているわけで、子育てという段階になってくるとやはり体力的に自分も不安にはなる。
子供が生まれてきて終わりじゃなくて、そこから「始まり」なわけだからね。

年を経れば経るほど、女性にも男性にも、単純に「体力」という面において妊娠・出産・子育てという流れは大きな峠だ。
特に肉体的負担は女性により多くかかるので、場合によっては、子供は作らないという選択をするしかなくなることだってありえる。
結婚が遅くなるということは、そういう事態が起きる可能性もあるという覚悟が必要になるということだろうとも思う。

男女双方が、子供はいらないという気持ちでいれば多少はこの問題は互いの人生の中で重要度を下げていくかとは思うけど、気持ちなんて何かのタイミングで変わるかもしれないし、本人達はしっかりと避妊していたつもりでも妊娠してしまったという事態だって起こりえる。

だからといって、結婚するなら子供が欲しいので年齢的に若い女性しか相手として考えないというのも個人的に何か違うんじゃないかという気がする。
自分が女性で、そういうことを言っている男性に出会ったら「女性は子供製造マシーンじゃないんだ。女性を馬鹿にするな」といいたくなるだろう。その男性が自分の恋人だったりしたらなおさらだ。ひょとしたら殴ってやるかもしれない。

まぁ、その辺は個人の価値観の範囲だとも思うけど。
「結婚するなら子供が欲しいので年齢的に若い女性がいい」という考え方を男性がもっていたとしても、そんなことは特に気にしないという女性だっているだろうし。

女性にとっても男性にとっても、結婚する年齢が遅くなるということは、あとあとさまざまな余波を生じさせることでもある。

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神様だって難しい

知っている人もいると思うけど、ギリシャ神話に登場する「アポロン」と「アルテミス」は双子です。父である主神「ゼウス」と、タイタン一族の娘「レト」との不倫の結果生まれた子供たちが彼ら。(ゼウスの正妻は「ヘラ」)

アポロンとアルテミスは後にギリシャ十二神に数えられる。そのへんはさすが主神の子供たちだからか? (ひょっとしたら、周囲は扱いに困っていたかもしれない)

このゼウスという人(人じゃないか…)は、随分と好色なキャラクターで、人間やニンフにやたらちょっとかいを出す。その結果、正妻であるヘラが怒るという話が多い。

その怒り方が、お昼にテレビでやっているドロドロの恋愛憎悪絵巻級なもので、ゼウスがちょっかいを出した相手を罰するのにヘラは全力を傾ける。
アポロンとアルテミスの母になるレトの場合は、ヘラから世界中に「レトに出産をする場所を与えてはならん」というおふれを出された。

結局、不憫に感じた海神「ポセイドン」が、「いわゆる、大地でなければよいだろう」ということで、当時は「エーゲ海にある浮き島」だったと言われている「デロス島」をレトに与え、レトはそこで出産することになる。
まさしく、「捨てる神あれば拾う神あり」だね。

しかし、ゼウスは何も言わなかったのか?
もっとも不倫相手を旦那がかばったら、正妻としてはぶち切れるわな。不倫相手を懲らしめてやろうと思うのも無理はないか。
神様だってこのざまで、まったく「男性」という存在は神々の時代の昔から浮気を止められないようです。全ての男性がそうではないけど、そんなに難しいものかしらね?

そういえば、知り合いのある男性は奥様が「元某ミスコン優勝者」という方で、とてもきれいな奥様なのだけれど、そんな奥様がいても飲み屋のお姉さんの太股を触るのが楽しいとのたもうておりました。

自分はまだ独身だけれど、結婚してからも他の女性に触れるのが楽しいと思ってしまうのは何が原因なんでしょうかね。自分としてはそうはなりたくないと思っているのだけど。

もし妻の方が浮気をしたら? 自分としては叱りとばすと思うね。場合によるだろうけど、実家へしばらく帰っていなさいって言い渡すかも。まぁ改心の姿が見えたら最終的には許すと思うけどね。

でも、もし居直りだして「あんただって、隠れてやってんでしょ!」なんて言いだしたら、百年の恋もさめる。ぼろ雑巾のように感じてしまうかも。
誰にでも過ちというものはあるし、未来の奥様、「ごめんなさい」って素直に言ってね。
でもって僕が「ごめんなさい」って言ったときにはすぐに許してね。だって、神様だって難しいんだから。
(阿刀田 高 「ギリシャ神話への誘い」;20004年6月3日付け 日経新聞を元に)

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幼稚なのはいやだ

知り合いが言うに、彼女とよく喧嘩をするのだそうだ。その理由というのが、「携帯でメールを出したら、早く返事をかえして」といった程度の話。

彼も彼女も同じ理由で相手に文句を言うときがあるとか。彼は28、彼女は26。
お互いに仕事もしているし、携帯のメールにすぐ返事ができないときなんていくらでもあるだろうに、ちょっと幼稚すぎるぞと思いながら話を聞いていた。

ブログやインターネットのいろんな掲示板を見ていると、「携帯のメールにすぐに返事がこない」という理由で不快になったり、そのこと以外には何もないのに心配になったりする人は、結構いるようだと感じた。比較的若い世代にそういう傾向が多いような気がする。

ビジネスでのEメールのやりとりは、こちらが送信したら何らかのレスポンスがすぐにあるのは嬉しい。恋人同士でもそうだと思う。
だけれど、心離れで揺れているとか特別な状況でならともかく、普通に会話する程度のメールで少々返事がこないからといって不快になったり、心配になったりするのは、自分にはどうも幼稚なことのように思える。

とは言っていながら、もし恋人ができたら「メールにはすぐに返事してよ」とか言ってしまうのだろうな。
いい年をして、間違ってもそうはなりたくないな。

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男の身体の仕組み

まもなく結婚するという後輩と話していたら、恋愛話から始まって男の生理現象の話しになった。

世の中には、たとえ夫婦間であっても「子供をつくるためでないなら、そんなのイヤ」といって性生活を拒否する女性が結構いるようです。
この事に対して、僕と後輩の共通見解は、「そんなことを言ってたら、旦那さんが浮気をする確率が高くなる」です。

特に性的機能に問題がない限り、男性の身体のなかでは精子が作られて貯蔵されていきます。そして、貯蔵のための容量は無限ではありません。やがて貯蔵量の限界がきます。限界がきたら、体内に貯蔵されたものは体外へ移動することでしか対処できません。

若い男性なら多くの人が経験しているであろう「夢精」という現象になってこれは現れます。
意味は違いますが、身体機能の質としては、「おねしょ」と原理は同じです。たまってきたら出して、またためられるようにするという過程が必要になります。身体のなかで自然と消えていくということはありません。

これが男性の身体の仕組みです。製造される量と貯蔵できる量に個人差があるだけで、起こる現象自体は誰もが同じでしょう。

そして、貯蔵された精子を体外へ移動させるには、自分で移動作業を行うか、でなければ他者といっしょに移動作業を行うかになります。そんなとき「子供を作るためでないと…」などと言われて拒否されてしまうと、あとは自分で移動作業を行うしかなくなります。(ときたま同じ男性を移動作業のパートナーに選ぶ人もいるようですけどね)

ところが、男性でも女性もそうでしょうが、移動作業はたんたんと行われる類のものではありません。やはりいっしょに移動作業を行ってくれる相手が欲しいものです。
そんなときに、「私ならいっしょに作業をしてあげる」と言ってくれる女性が現れたら… 男性としては、くらくらと傾いてしまう人が中にはいるだろうなと推測するのは、そう難しいことではありません。悲しいことではありますが。

男性も色々な意味でもっと女性の心身について知る必要がありますが、女性にも冷静に男性の肉体的・心的仕組みを認知していただきたいと思います。
そして男性としては、女性との移動作業は、精神的な結びつきや安心感・充足感といったものも内包するとても繊細な作業であるということをしっかりと認識し、むやみに移動作業を女性に求めない。
また、「共同で行う作業」の結果として女性も十分な満足感が得られるように、男性がさまざまな配慮をするべきだろうといった話しに後輩との間でなったのですが、いかがなものでしょうか?

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大切でいられるなら一番

ずいぶん以前に公開されていて不倫をテーマにした某映画の話しになった。

当時、その映画の宣伝に「男女の純愛」という言葉が使われているのを見たことがあり、どうも違和感を覚えていたので「あの映画は、純愛とかいっているけど、ようは不倫の映画でしょうが」と言ったら、「最近は不倫をしている人が多いようだから、周りにいないとも限らないので、そういう言い方はしない方がいいよ」といっしょにいた1人から言われた。

あとから聞くに、どうやらその場に不倫をしている人がいたらしい。その人に気をつかったわけだな。
いろんな理由があるだろうから、不倫についてはあれこれ言わない方がよいというは、なんとくなわかる。

彼あるいは彼女がギャンブルにのめり込んでいるとか、異性に対するクセが悪いとか、すぐ暴力に訴えるとかその他いろいろな障害があって、決まった相手がいるのに他の人に心が移ってしまうことはあると思う。
暴力をふるったり、借金してまでギャンブルをしたりといった人と、誰も好きこのんでいっしょにいたいとは思わないだろうから。

そうした事情がわかると納得してしまうような不倫なのか、そうではない単に心がうわついているだけの不倫なのかは周囲からはわからないから、基本的には話題にしないほうがよいかもしれない。

世の中いろいろあるだろうけれど、好きでいっしょにいたいと思ったのだから、やっぱり不倫はしないですむのであれば、それに越したことはない。
夫婦の間で何があったのか知らないけど、互いに大事にし合った方がよいと思うよ。

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正しいホワイトデーを

ホワイトデー公式サイトというものがあるのは知りませんでした。

「ホワイトデー誕生秘話」なんてコーナーは、プロジェクトXみたいでちょっとじんときてしまいました。

ここの主張だと、「ホワイトデー」の制定は、純日本製といっていいようです。
ということで、公式サイトの主張に敬意を表して、あえて“正しいホワイトデー”を、あらためて指摘しておきます。

ご存じの方もおられるでしょうが、「3月14日ホワイトデーはキャンデーを贈る日」です。

男性諸君!
LOUIS VUITTONのバッグだとか、BVLGARIのネックレスだとか、TIFFANYのリングやペンダントだとか、その他諸々シャネル、グッチ、プラダ、エルメス、フェンディ、コーチ、セリーヌ、ロンシャン、バーバリー、アナスイ、ブシュロン、ソニアリキエル、ヴァン・クリーフ&アーペルとか、クリスチャンディオールやエスティローダーとか、オリジンズ、ゲラン、ランコム、ニナリッチとか贈るのは、“正しいホワイトデー”ではないのだ。

がんばれ!「全国飴菓子工業協同組合」。オレ達の財布を守ってくれ!!
(いや、べつにプレゼントをおねだりされているわけでも、贈りたい人がいるわけでもないんだけどさ…)

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幸せは難しい

昨日(2月17日)の「ガイアの夜明け」で、女性をめぐる「結婚」や「離婚」の状況を取り上げていました。
厚生労働省統計情報部が発表している平成14年度の人口動態統計の年間推計によると、婚姻件数は57
万8000組で、平成13年度より4万5000組の減少と推定されています。単純計算では40秒に1組が結婚していることになるそうです。
(平成11年度~13年度までは、増加の傾向があったとのことですが、14年度では減っているというのは、やはり長引いている不況の影響もあるのかな?)

よく言われるように、仕事をしてそれなりに収入もあり、自分の生活スタイルができている女性にとっては、いまのスタイルを犠牲にするような結婚は問題外でしょう。男性だって同じです。
男女ともに、結婚をしないと考えている人もいれば、結婚はしたいがしたいと思うほどの相手がいないという人がいるでしょうね。

で、離婚については、件数も率も過去最高になっているそうです。14年度は29万2000件と昨年よりも6000件増加らしいです。13年度では2分に1件の離婚という計算だったらしいですが、「ガイアの夜明け」でも指摘してましたが、14年度の推計にもとづくと1分48秒に1件だそうです。

番組中に出てきたコンサルタントの方が言っていましたが、「お金のことだけを考えたら、離婚をするのは損」だそうです。ですから、「よくよく考えてなさってください」とのこと。
夫の浮気の場合、慰謝料の上は500万円が相場だとか。(妻の浮気についての金額は番組ではふれてませんでした)
それに養育費の約束をしても、それをきちっと払い終える男性は数パーセントだそうです。女性側がまだ小さなお子さんを引き取っていたら、よほど金銭的に余裕がないと子育てと生きていくことの両方が大変です。もちろん、離婚してお子さんを引き取ったら男性だって大変でしょうが。
不況が続けば、給与も増えないでしょうから、払いたくても払えないという状態に陥っている男性もいるでしょうし。

離婚はいけないことだと考えている人は今時あまりいないと思います。
男性の暴力とか、浮気性、ギャンブルやその他金銭的なトラブルなどなど。別れた方がまだ幸せだという状況はいくらでもあります。男性から女性を見限った方がよいという状況もあります。

でも、いっしょにいたいと思って結婚したのだから、そのままいつまでもいっしょにいられた方がよりよいと思います。
男性にも女性にも、互いに初めて微笑み合った日のことを忘れないでいて欲しいです。

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あらためて問うてみよう

日本経済新聞の1面で連載されている「春秋」の本日14日付けの記事を読んで、"DIGITAL"が形容詞であることをあらためて認識しました。
「春秋」によると、名詞形は"DIGIT"で、これには「指」「数」という意味があり、指を折って数えることに由来しているとのこと。

僕が持っている研究社新英和中辞典で見てみると、"DIGIT"の意味には、
1 (手・足の)指.
2 指幅 #約 3/4 インチ#.
3 (個々の)アラビア数字 #0‐9 のうちのひとつ; 本来指で数えた#.#ラテン語「指」の意; 《形》 digital#
(研究社新英和中辞典より)
と書かれていました。

「デジタル」という言葉を、ふだんあたりまえに使っているので、なんだか名詞のように思ってました。

由来の真偽のほどはともかく、「デジタル」に「指」という意味があるとは知らなかった。
普段から使っているのに、あらためて意味を確認してみたら驚くような言葉はもっとたくさんあるんだろうな。

言葉がそうなら、人の気持ちだってそうかも。
今日は、バレンタインデー。
いつも一緒にいるのが自然なことになっているカップル、いつもいっしょにいられるのが普通になりたい男女。
あらためて、自分の気持ち・相手の気持ちを問いかけてみると何か発見があるかも。
でも、良ければいいけど、驚くようなネガティブな発見があっても僕を恨まないでね。
(…ネガティブの意味も調べてみないと…)

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深い愛の証

俳優の「地井武男」さんが再婚されたんですね。
地井さんは61歳。3年ほど前に先の奥さんがガンでお亡くなりになったとき、テレビで取材を受ける地井さんが本当につらそうだったのが記憶にあります。

本人いわく「『僕に付いて来い』」とはいえないんで『助けてください』」といったプロポーズだったとか。
だからといって、本当に女性にあらゆる意味で何もかもずっと助けてもらおうなどとは地井さんは思ってないでしょうね。
でも、心境をすなおに表すと「助けてください」だったのだろうなと想像しています。いろいろなことを経験してきた大人だけが言える深いセリフだなー。

病と闘っていたころの奥さんが病床から「私が死んだら誰かいい人を見つけるんだよ」と言ってくれたそうです。この奥さんの言葉もすごい。
地井さんの新しいパートナーに対するプロポーズも、奥さんの一言も円熟した大人の愛の証だなと思います。

自分ももし愛する人よりも先に逝くことがあれば、同じように言えると嬉しい。
また、漠然と思っているのは、もし愛する人の方が先に逝くようなことがあれば、互いの指先をナイフで少し傷つけて「生まれ変わってもいっしょになろう。指の先に傷がある男を探せ、それが僕だ。僕も君を必ず捜す」と言いたい。

本当にそんなTVドラマみたいなことをするかどうか、そのときになってみないとわかりませんが、この先にお相手となる女性と巡り会ったら、少なくともそう言いたくなるような関係を築いていきたいです。

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ずっと幸せでいて欲しかった

「ラストサムライ」で話題の渡辺謙さんは、奥さんと離婚訴訟中なんですね。

渡辺さんがかつて白血病を患っていたたときは、お2人の仲はどうだったのかしら? 当時は、奥さんはかいがいしく看病していたという芸能ニュースを聞いたことがあるのだけど。

死ぬかもしれないところから一緒に戻ってきた夫婦でも、こんなことになっちゃうんだよな。悲しいなぁ。お二人の間で何が起こったのだろう? お子さんはおいくつなのだろう? まだ幼かったりしたら、よりつらい話だな。

奥さんの方は3億円というすごい金額を提示して、それが支払われるなら離婚に応じてもよいといったのだとか。いっしょに死を乗り越えてきたパートナーから金額を提示されて、用意できればわかれてもよいと言われる。なんともやりきれない話です。
最近、人が痛みを感じる出来事が多すぎる。なんであれ、人が悩んだり苦しんだりするのは見たくないです。

あるいは、奥さんにそんな風に思わせる理由が渡辺さんにあるのかもしれませんが。

僕は12~13歳頃に大きな病気をして、入院があと1日遅かったら土の下だったと主治医に言われたことがあります。5500CCの輸血を経てこの世に帰ってきました。
大学を卒業した後で、知り合いの看護婦さんから聞いたのだけど、12歳ぐらいの子供で全身にだいたい6000CCの血液が流れているのだとか、そのうち5500CCを輸血したのだから、単純計算だけど僕自身の血液は500CCということになり、これは数字の上では死んでいる値だそうな。本当にあぶなかったのだ。
寄り添ってくれる両親に、「死にたくないよ」ってベッドの上で泣きながらつぶやいたのを覚えている。

「死ぬかもしれない」と実感するのは本当に怖いこと。
そんなところから戻ってきた渡辺さんと奥さんは、もう最高に幸せだったと信じたい。そんな人たちにはずっと、ずっと、ずっと幸せでいて欲しかった。

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すべてはインターネット!

結婚してシマッタ!: すべてはモテるため!で書かれている、Excite エキサイト ブックスは、僕も好きでよく閲覧しているページです。

結婚してシマッタ! の「あ」さんがふれている「すべてはモテるため!」 ニュースな本棚|Excite エキサイト : ブックスで取り上げられている本は、僕もちょっと好奇心が刺激されて、怖いもの見たさという感覚で読んでみたいと思うものがあったのですが、「あ」さんも言っておられるように題名がよくありません。
これは男女関係なく躊躇する人はすると思います。

この特集であげられているどの本だってレジにもっていったら、書店の店員さんに休み時間にきっと話題にされるのにきまっています。
まして男だったら、もう絶対です。「あの男の人、まとめて買ってたけどあれ全部真剣に読むのかしら。気持ちわるーい。」なんて、休憩室でお菓子食べながら女性店員さんたちにぼろくそ言われるんだ。

男でも女でも、ああいうような題名の本をレジへもっていくには勇気がいるのではないかなぁ? わからんけど。
たとえば、適当に考えるけど、「男に好かれる10の会話術」とか「寂しい女(あなた)は嫌われる」とか「やっぱりあった! 彼がとぎれない彼女の法則」いうような題名の本だったら、女性はレジへもっていきにくいでしょ?

でもまぁ、困ったときのオンラインストアということで、ちょっとレジへもっていくには気が引ける本はインターネットで注文すればいいのですけどね。

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大事なものは共感して欲しい

今日は彼女の誕生日。
前から2人で行きたいねと話していた話題のステーキハウスの予約が取れた。2人で乾杯したいし、大事な思い出の日に事故でも起こしては大変だからと最寄りの駅からタクシーを使うことに。
駅を出て、さして待つこともなくタクシーに乗ることもできた。間違いがないように何度も確認したステーキハウスの場所を運転手さんに告げて、いざ出発。
2人はもうロマンチックモード。彼女の嬉しそうな笑顔に会話も盛り上がり、ステーキハウスまでの道のりがもどかしくもある。
でも、そんなときに運転手さんが一言「あっ、すみません。道を間違えました。反対に来てしまいました。」あわてて向きを変える運転手さん。そんなハプニングもあったけど、ステーキハウスには予約時間直前にはなんとか到着。
ところが、運転手さんは「どうもすみませんでした。」と謝りながらも、メーターに表示されている料金をそのまま告げてきた。
彼はちょっとむっとするも、せっかくの2人で楽しい時間を過ごす日にタクシー代をまけろとか何とかもめて時間をとるようなことはしたくなくて、運転手さんが言うままの料金を支払った。

こんなとき、「道を間違えたのだから、その分の料金はひいてもらえばよかったのに」と彼女に言われたらちょっとがっかりです。
逆に僕が女性なら、「道を間違えたのだから、その分の料金はひいてくださいよ」と運転手さんと交渉を始める男性には幻滅します。

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美しき恋愛は体重から

体重ついででもう一本記事を。健康診断が指摘するように今が肥満気味だとすると、人生において僕の体重はWの字を描く変化をしています。

小学校を卒業するぐらいまでは、実はすごく太っていて80kgぐらいありました
そのあと、急激に体重が落ちたのは、中学校に入って入院したせいです。内臓の病だったので絶食が続き、退院するころには、入院前の服のサイズでは2人分ぐらいになってました。

それからまたハイスピードで太り出します。病気が直った時期が悪かったです。ちょうど食べ盛りです。絶食が続いていた後ですから、食へのあこがれが高まっていたということがあったと思います。
あっというまに、元の80kgぐらいまで戻ってました。
少し違うのは、身長が伸びたこと。そのため、以前の80kgのころよりはぱっと見の印象での太さは減ってはいたようですが、それでもよくみれば…

で、そのまま高校時代にまで流れ込み。高校のときに好きだった子に告白したら、もうとてつもなく辛いお断りのセリフをいただきました。
「私、ブタはあかんね」(関西出身なんです)
一瞬へこみましたが、そこはもういいかげん大人になっている僕でした。
「ブタとは何だ。ブタとは。くそー今に見ておれよ」と決意を新たに猛烈ダイエットに突入。急にやせようとしても無理だとわかっていたので、食事の量を抑えたり、清涼飲料水を飲むのを止めたりして、1年後にはなんと! 60kgまで落としていました。いやー今から思い出しても手をたたきたくなる。すごい、すごい。

1年かけて20kgダウンというのは、ゆったり構えすぎなダイエットかもね。でも結果良ければそれでよしですわ。
ちなみに、そのころにはその子にはぜんぜん興味なしです。その子も僕のことを気にかけてなかったけどね。

そのまま今日にいたればよかったのですが、徐々に体重は上がってきてますね。いま69kgだもんねー。
とはいえ、去年からずっと腹筋などの筋肉運動を続けているから、お腹はへこんでいるんですよ。(正直いって去年の一時期ちょっとやばかった。ウェストのサイズ88のパンツでないときついときがあったし)
へこんで体重が増えているということは「筋肉量」が増えたのだと思いたいのですが。いかがでしょうか?

もりもりのマッチョではなく、適度にうっすらとついた筋肉、彫刻刀をすべらせたように割れている腹部、それこそが美しき恋愛を手に入れる第一歩なのだと、高校時代のあのときに僕は気がついています。

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なぜ?と言われると難しい

quatro: そもそもの疑問を読んで、ちょっと固まってしまった。
というのも、自分でそう深く考えたことはなかったから。あらためて、そういえばなんでよ? と尋ねられるとすぐに答えがでてこない。

しかし、これはちゃんと考えておいた方がよい問題だと思う。
そもそもなぜあの人に恋をしたのか。なぜあの人と結婚したいと思ったのかと。

そういえば、高校の時からの付き合いが絶えていない男友達が結婚を決めるとき、彼女の下の世話ができるかと考えたといっていた。男気のあるいいやつだとずっと思っていたけど、その話を聞いてますますいい奴だなと思ったのを覚えている。
やっぱり、この人の下の世話をしてもよいから「一緒にいたい」と思う気持ちが何より大事かと。じゃなんでそんな気持ちになるのかということだけど、恋人も婚約者もいない僕には言えるセリフは何もない。ただ、想像はできる。

自分としては、いっしょに居て互いに心地よいという感じを大事にしたい。
もっとも、最初は心地よくても、途中で心地よくなくなってくるという可能性もあるだろうけど、少なくとも最初からいっしょにいて心地よくない人と頑張っていっしょに居ようとする必要はない。

もし僕の年収では相手の女性に気に入ってもらえなければ、僕としては辛いだろうけどそれは仕方がないと思う。
僕程度の年収でも、そしてその年収がもし無くなったとしても、僕と一緒にいようとしてくれる。そして、当然自分も相手の何がなくなってもその人といっしょにいることを選ぶ関係になれたら嬉しい。
もっとも、無くなっても仕方がないようなことをする人なら問題外だと思うけどね。

お相手への条件というものは男も女もいろいろあるだろうけど、いろんな理由で無くなる可能性があるという意味でそれは初期設定にしかすぎないと思う。
絶対に無くならないと思っているなら、ちょっと考え直した方がよいと思う。100年続いた企業が無くなる時代だよ。本人の能力や努力が及ばないことだってある。今の時代、本当に何があるかわからないし。

最初から、別れるときはどうしようとか、何か嬉しくない状態になったときはどうしようなど考えてからつきあったり、結婚する人はいないと思う。
でも、この人となら嬉しいときも嬉しくないときもいっしょにやっていけるかどうかを考えておくのは悪くないと思う。それを考えた上で、無くなるかもしれないし、そういう心づもりもしているけれど、それでもとにかく初期設定としてはこれくらいはあると嬉しいなという条件設定は有りだと思う。

うーん、話が変わってしまった。それほど難しいということか。

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ダイナマイトは苦手です。

会社で女性のみなさんと、好みのタイプについて話をした。

同性としては、どんな女性がよいかという問いには、多かったのは「叶姉妹」。ああいうナイスボディで、妖艶な感じがする人になりたいという女性が多かった。

また、女性からみて男性が好みとしてあげることが多いと思われているのは、いわゆる「外国人女性」。
これまたナイスボディのステレオタイプのようなイメージからきていると思う。金髪で胸が大きくて、くびれるところはくびれているスタイルとかいうイメージだな。
男の人ってAVを見るなら外人女性がいいという人が多いというのが彼女たちの言い分。そうかなぁ?
(僕の場合は…ノーコメントということで…)

僕の場合、はっきりしているのは苦手なタイプ。筆頭は叶姉妹。他には、藤原紀香さんとか、その他もろもろの胸が大きな女性タレントの皆さん方などなど。ナイスボディというか、ダイナマイトというか、肉感的というか、そういうのが苦手です。
特に叶姉妹のお二人は、もう体質的にだめです。
ファッションでやっているというのはわかるのだけれど、あの胸元や腕のあたりでてかてかしている金粉だか銀粉だかが、何か変な汁が出ているみたいに見えて、ぬめぬめとした印象があって、あーーーーーもう考えただけで鳥肌になる。

で、どんな人が見た目の好みかというと、清楚で小柄とでもいいましょうか、ちょっと小さい印象がして細身の人。(あくまでも見た目の好みね。そんな女性でないと絶対イヤだ。愛せもしないなんてことじゃないよ。)

などと言っていたら、前は米国で暮らしていた帰国子女の後輩が一言、「幼児体型が好きなんですね」って…

幼児体型って言うなー! 君の日本語はやっぱりおかしいぞ。それじゃ犯罪じゃないか。
とにかく、1つだけ自分でもわかっていて、異性に興味をもちはじめるころから今にいたるまでずっとそうなのは、「胸が大きな女性」には恋心を感じたことがないということ。…やっぱりロリコンか?

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「に」よりも「と」を大切に

・愛する人「に」どんな話をしますか。
・愛する人「と」どんな話をしますか。

・愛する人「に」何をしますか。
・愛する人「と」何をしますか。

病などで苦しんでいるときなど、「に」もないがしろにしてはいけない場合はいっぱいある。
けれども、それでも「と」の方がより大切なような気がする。後者は相手が共有してくれる気がなければ何も始まらない。そして、共有するためには相手との会話が必要だ。

昔、部下を蹴り飛ばして叱咤激励する上司がいた。
彼は「誰も俺の愛情はわからないんだろうな」と言ったそうな。それはそうだろ。前提として深い信頼感が生まれているならともかく、蹴り飛ばしてくる人に普通は愛情なんか感じない。それは、単なる暴力だ。
本当に部下に愛情を感じているなら、それを部下にまず言葉で伝えてくれ。そして、誤解のしようがない態度を見せてくれ。そうすれば、やがて部下は上司を信じることができる。

愛する人「と」どんな話をしますか。
愛する人「と」何をしますか。

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愛する人を大切にしたい

quatro: 秘訣は他人行儀、かも。という記事と、結婚してシマッタ!: 日常は楽しいか?という記事に強く共感できた。

先にあげたくわとろさんの記事に書かれているように、互いにいつも感謝の心でいられるのは、とても幸せだと思う。うらやましいぐらい。

「結婚してシマッタ!」は、「あ」さんという方のココログ。
「あ」さんが、自分たち夫婦を振り返って、「相手の話をちゃんと聞く」ことが、2人の関係において大事になっていることが語られている。
互いの話をよく聞き、わからないことを質問すると喜んで説明してくれる旦那さん。なんてすてきなご夫婦だろう。

くわとろさんや「あ」さんが、そんな気持ちでいられるのは、旦那さんもまた同じ思考の方だから、よけいに自然とそうなるのではないかと思った。
2人して同じ方向性をもっているのは、幸せのひとつなのだと当たり前のようなことをしみじみと再確認してしまった。
(他者の考え方をきっかけにして自分の見方を振り返ることができるは、ココログの幸せだな。)

自分はまだ独身だが、結婚したらこうしようと思っていることが前々から2つあった。
1つは妻を「おまえ」と呼ばないこと。「おまえ」と呼んでいる人が悪いという意味ではない。自分が女性なら、愛する人から「君」か「あなた」、あるいは名前にさん付けで読んで欲しいなと思うからというだけ。
ちなみに、愛する女性からも、僕のことは結婚前から「あなた」、あるいは僕の名前にさん付けで呼んで欲しい。

もう1つは、これはうちの社長が奥さんとしていることだけど、疲れたら互いの身体をマッサージすること。これをまねたいなと思っていた。

今回、くわとろさんと「あ」さんのご夫婦を見習って、3つ目として「感謝の心を忘れないこと」を、4つ目として「相手の話をちゃんと聞く」と加えようと思う。
そして、これらの4つに笑顔で賛同してくれると女性を見つけようと思う。

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誠実でいたい

女性といっしょに食事をしたときのお金の出し方を、3人で話しました。
人数比は男性2人に女性1人。
結論は、「自分の分は自分で支払うのが基本。」当たり前すぎる結論でした。

でも、2人で食事をしたときは男性が支払うものだと決めている女性が僕の周囲にもいます。
それも、相対的に収入がまだそう高くない世代ならまだしも、いい年をしてそういう女性がいるのですから驚きます。

僕の考え方は、こうです。
1.基本としては、自分の分は自分で出す。

2.誘った方が出す。(ホストとゲストという関係になるので、誘ったホストがゲストの分も払う)
ただし、自分がゲストになったときは、1.に則って自分の分は支払うという主張を明確に行う。

3.後はその場の雰囲気と流れ。
せっかくご馳走してくれようという相手に対して、自分で支払うことをあまりに強く主張し続けるのも失礼かと思う。

幻滅するのは、
1.最初から相手が払うものだと決めている場合
男性も女性も、あの流れなら当然奢ってくれるとこちらとしては思うでしょうという状況はあるだろうけど、それでも自分で支払う用意はしておくのが社会人の態度だと思う。

2.お礼を言わない場合
お礼を言って欲しいということではないけど、自然にお礼が出るかでないかで印象は随分と違います。

誰かを食事に誘う場合、ちょっとした恋心があるのでもう少し知り合いたいという気持ちがある場合があります。
ところが、「食事とそれとは別」という考えを相手がしていることもあります。「ちょっと食事をしたからといって勘違いしないで欲しい」と相手に言いたくなる状況は、女性でも男性でもあります。
僕に言わせると、勘違いする男性や女性は確かに困りものですが、誘われたときの雰囲気で、相手が自分に気があるのかどうかを察することができなかったというのは鈍感だと思います。

もっとも、男も女も相手に嫌われたくてそうなるよう言動をするという場合はあると思いますが、それならそれでやりようというものがあるでしょう。
最悪なのは、誘われたときになんとなく相手はこちらに気があることがわかっていて、それを知ったままで食事の誘いに応じ、そこはかとなくよい雰囲気で過ごしておいて、あとから「それとこれとは別。勘違いするな」というパターン。それはひどすぎます。

彼や彼女の恋心を感じていて、でも自分はその気がないといった場合は、基本的には食事のお誘いは断った方がよいと思います。
どうも断れないという場合には、お誘いを受けはしても、いっしょに食事をしている最中に、こちらにはその気がないということを漂わせる態度をする。
それも、相手に思い知らせるようなひどいやり方ではなく、何となくあきらめた方がよいなと相手が感じるようなやりとりを自然にできるというのが大人の態度ではないかなと思っています。

偉そうなことを言っていますが、僕も鈍感で、そうした態度をいつもできるとはとても言えません。でも、相手の人に対して誠実でいたいという気持ちはあります。
相手の気持ちを知りながら、脈がありそうな雰囲気を醸し出すだけにして、自分の利益は得て、後は無かったことにしようというのは、恋愛に限らず卑怯な行為だと思います。

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昔からだから

何かというと、「小顔」の話。
飲んだりしたときに好みのタイプの話をして、内面的にはこうでとか、見かけだけでいえばこんなこんなでとかいう話になると、「男の人は小顔が好きよね」とか周りの女性から言われることがあります。

でも、僕は10代のころ、まだ「小顔」という言葉を知らないころから、自分が好きになるタレントさんや女優さんの傾向を考えて、「自分は顔が小さい女性が好きなんだな」と思っていました。
つまり、僕は流行にのせられて「小顔」が好きになったのではないのであります。もともとなんです。ですから、そういう風に言われるのは、自分が何だか流行だけに敏感になっているバカな男扱いされているようで気分がよくない。

なんでこんな話をするかというと、さっき話題になっているテレビドラマ「プライド」を見たから。(今夜はココログで「プライド」ネタは多いんだろうな)
ドラマの中に出てきた「円形の赤いオブジェがある橋」は、「プライド」が視聴率をあげていくにつれて話題のスポットになるんだろうなと思いました。

でも、「プライド」が始まるずっと以前から、あの場所を待ち合わせに使っていたり、お気に入りのデートスポットにしたりしていた人たちがいても不思議はない。
そんな人の中には、ドラマが流行ったからここを使うんだなんて言われる人が、きっと出てくるだろうな。ドラマよりもずっと先に知っていたのに。

流行のものが出てきたとき、ずっと前から知っていたのに、使っていたのに、妙に流行りだしたせいで使いづらくなった、持ちづらくなったなどという経験をもつ人が世の中にはいっぱいいると思います。
だけれど、物などの場合は、昔からずっと知っていたという人と、流行にのってきただけの人とでは、何かしら話のなかでわかったりするものですが、「小顔」はねー。

どう主張しても、どうにもならんわな。

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考えること

ちょっと前に、徒然なるままだし: 信じることで書いたのですが、

最終的に落ち込んだり傷ついたりするときのことを最初から考えて人間関係を構築しようとするのは、あまり好ましくないことのように思えます。離婚したときのことを考えてから結婚する人はいないように。
ですから、自分が何か感じる人との出会いがあったら、それはやっぱり大切にした方がよいと僕は思っています。
人を信じるときには何かを返してくれることを期待しない方がよいのかもしれません。

今読んでみると言いたいことがうまく書けていません。
この話の前提は、自分が相手について何も知らなかったときのことです。
たとえば、恋人としてお付き合いしてみたら、相手にもともと恋人がいたとか、既婚者だったとかいうようなときです。
何も知らないで、最初からこの人に傷つけられたらどうしようと考えるのは、考えても仕方ないことです。

彼や彼女に決まった人がいるとわかっている、あるいは途中でわかったというなら別の話です。このときは、よくよく考えないといけないと思います。
相手に決まった人がいても付きあい続けて、最終的には相手は別れて自分と結ばれることになって今は幸せだという話も確かにありますが、それはひとつの成功例にしかすぎません。失敗例も多々あるはずです。
結ばれるまでの過程で起こる苦労、結ばれたあとで起こる苦労、関係する人たちに及ぼす影響、そういったものをちゃんと考えておかないといけないでしょう。もちろん失敗したときのことも。

大きくて広い家を購入する前に、大きくて広い家を掃除すること、維持することを全く考えないで購入するのは止めた方がよいと思います。

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信じること

「し~やもん」さんという方のココログを見つけました。うさぎ好きのし~やもんさんが作っておられる可愛らしい印象のココログです。

そこで、し~やもんやもん: オープンにすることという記事を読みました。

自分としては、相手に好意をもっていて、ほかの人よりもオープンに接しているつもりでも、相手からは、特別に思われないことって、多々あって、そういうのって、相手が異性(恋人)じゃなくて友達でも知人でも、すっごく辛いって思う

ということは確かにあります。
なかでも、し~やもんさんもおっしゃてますが、相手が異性(恋人)じゃなくて友達でも知人でも、相手も特別に思ってくれているとこちらは感じていたのにそうではなかったといったときが一番きつい気がします。

昔、お付き合いしていた女性から別れ話をもちかけられたときに「最初からそんな気はなかった」と言われたときは、本当に死にそうでした。
さすがに周囲の女友達も「あの子は卑怯だ」と憤慨して僕のことを気づかってくれてました。
(ちょっと話は変わるけど、男でも女でも同性から批判される行動や発言をする人は、深い付きをしない方がよいというのが僕の持論です)

でも、最終的に落ち込んだり傷ついたりするときのことを最初から考えて人間関係を構築しようとするのは、あまり好ましくないことのように思えます。離婚したときのことを考えてから結婚する人はいないように。
ですから、自分が何か感じる人との出会いがあったら、それはやっぱり大切にした方がよいと僕は思っています。

人を信じるときには何かを返してくれることを期待しない方がよいのかもしれません。

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失礼な奴だな

「失礼な奴だな。」
知り合いの女性が、彼氏と映画を見に行ったときに途中で寝てしまい、映画が終わってから彼氏にこう言われたそうです。

僕の感覚では、映画を見ているときに自分あるいは自分の彼女が寝てしまうのは失礼にはあたりません。見終わってから感想を話したいので起きていて欲しいとは思いますが。
また、失礼とは思わないけど、いっしょに見たいという想いが叶わなかったので、自分が寝てしまったときには謝ります。

彼のこの言葉は、単純に言葉面だけの意味ではないのかもしれないけれど、彼女から話を聞いたときには、そんな言い方しなくてもいいのに思いました。
彼女は仕事で疲れていたかもしれないし、ちょっと気分が悪くなったのかもしれません。寝ていたからといって、この言葉はないだろうと感じました。

男も女も、互いの関係性がある程度深まると良い悪いはまぁ別として「変わる」ようです。
昔、僕が引っ越しをするときに手伝ってくれた夫婦は、奥さん・旦那さん両方とも僕は友人なのですが、奥さんが旦那さんに対してもっとしっかり働けとか言いながら、旦那さんのお尻を蹴飛ばしていました。この夫婦は、結婚する前は初々しいカップルだったのに。
友人一同で会っての帰り際、彼らは遠距離恋愛をしてましたから、遠くまで帰る未来の奥さんをみんなで見送ったことがあります。彼女は彼にくっついて電車を待ち、恥ずかしそうな顔で黙ってうつむいていました。
発車するときには、デッキに立って、ホームの彼氏に向かって小さく手をふってました。
それから間もなく2人は結婚したのですが、彼女が彼のお尻を蹴飛ばすまでには1年かかりませんでした。
もっとも、蹴飛ばされても仕方がないようなことを日頃から彼がしていたのかもしれませんが。

とにかく、男も女も変わるのはいいのだけれど、マイナス方向へ変わって欲しくない、変わりたくないなと思います。誰だってそうでしょうけどね。

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結婚式と披露宴

いつも楽しみにしているココログのひとつ、くわとろさんのココログでquatro: 離婚の聖地で結婚という記事を読みました。
ネバダ州での結婚と離婚ってほんとにお手軽なんですね。

ずっと以前、某結婚式場でアルバイトをしていましたが、そのときに「結婚式」と「披露宴」は違うものだと初めて知りました。
この2つ、以外にいっしょにして捉えてしまっている人が僕の周りには多い気がしています。「『地味婚』でしたかったので、届けで出して、あとは2人の家族だけで食事会をした」といったような言い方をする人たちが多いです。

「神前」という結婚式の挙げ方は、神主さんが「かしこみ、かしこみ」ってやってくれるタイプのものですが、このやり方でご結婚された人はごぞんじでしょうが、結婚式の場に同席できるのは互いの親族だけです。
「キリスト教式」で挙げても、何百人も集まってくる人はまれだと思います。「人前」と「仏前」という挙げ方もあります。(ごめんなさい。この二つは具体的内容はよくわかりません。)
何が言いたかったかというと、「結婚式」というものは大抵の場合はそんなに多くの人が集まらず、それ故にコストも膨大にはかからない、そもそも地味なものだということです。

で、何が派手でお金を食うかというと、これが「披露宴」です。
友人が唄を歌ってくれたり、親戚の誰かが詩吟を聞かせてくれたり、キャンドルをもって入場してきた新郎と新婦が、列席者のテーブルに置かれたロウソクに灯をともしてまわったりするあれです。

この「披露宴」をやらなければ、「結婚式」にかかる費用なんてしれてます。
個人的には、届け出て終わりという形にはしたくないです。けじめをつけるという意味で「結婚式」はちゃんとやりたいです。
そして、「披露宴」はやりたくないです。せいぜい、互いの家族だけで食事会という程度がいいなぁ。

でも、アルバイト時代に600組ぐらいを送り出してきた経験によると、新婦と新婦の母親との力関係でおおむね決まってしまうのだという印象をもっています。
母親の方が強ければ母親の言い分が通りますし、新婦の方が強ければ、新婦の言い分が通るようです。

結局、結婚式と披露宴に関しては新郎にはほとんど発言権がない場合が多いというのが僕の印象でした。

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愛があふれる時

クリスマスが近づくごとに、恋人達の存在が気になります。
男・女がいっしょに歩いているの見るだけで、恋人同士はいいなぁと勝手に決め込んで思ったりします。

クリスマスはキリストの誕生日。
ある人によると、キリストは生涯にわたって、特に男女の恋愛だけでなく普遍的な愛を説いたのだとか。汝の隣人を愛せよという有名な言葉もありますね。
僕はキリスト教徒でもなんでもありませんが、生涯にわたり愛を説き続けた人が生まれたその日に向けて、この星のかなり広い範囲で「誰かを愛そう」という気持ちが高まっていくような気がします。そして、それは単なる偶然ではないかもしれないなという気がしています。

昨年のクリスマスに、あるギフトショップでお店の方に相談にのってもらって選んだプレゼントを、日頃世話になっている友人に送りました。友人が大変喜んでくれたので、いいものを勧めてくれたお礼に、そのたった一度だけ入ったギフトショップにもう一度行き、相談にのってもらった当の女性店員さんに簡単なプレゼントを渡しました。
彼女は、一度口をきいたただけのお客からの突然の贈り物に驚いて「いただけません。こんなの」と言ってていねいに断ろうとしてくれました。
でも、僕は「長い人生、こんなクリスマスが一度ぐらいあってもいいじゃないですか」と言ったら喜んでプレゼントを受け取ってくれました。
いまでも、何か人に贈り物をしたいときには、そのお店に顔を出します。(その人に恋心を感じているわけでも何でもありませんよ。)

互いに楽しく思え、喜んでいられる。そんな時を世界中の人が過ごせたらいいな思います。

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やっぱり大事だよね

「くわとろ」さんという方が、quatro: 結婚しても恋愛したいというココログを書いておられます。共感できる部分が多かったので、勝手ながら初めてのトラックバックの相手先にさせていただきました。

僕にはまだ結婚を話し合うようなパートナーはいませんが、僕も結婚しても恋心は失いたくないなと常々思っています。でもね、この話を既婚者に向かってすると、たいていの既婚者は「まぁ、今のうちは言ってなよ」とかいうような発言をします。

しかし、なんで僕の周りにいる既婚者たちは、結婚に対してマイナスのことしか言わないんだろう?
独身者に対して先輩として、ちょっときつめに言っておいた方が役に立つだろうという親切心なんだろうなと思っているのですが。
「家族がいるっていいよ」「はやく結婚しなよ」とはっきりと口にした人は2人だけです。

「愛している」とか「きれいだね」とか奥さんに言わないっていう人もいっぱいいます。会社の同僚の中には「そんなに言うものじゃないんだ」と主張する人もいましたが、僕に言わせれば、「じゃあ、いつ言うのよ」って感じですね。
既婚者の皆さん。一番最近、奥さんに「愛しているよ」って言ったのはいつでしょうか。言わなくてもうちのはわかってくれてるとおっしゃるかもしれませんが、確かにそうであっても、それは奥さんが奥さんの力でわかってくれているのであって、旦那さんが自分の力で伝えているのではありません。

大切に思っている人に対して、もう少しだけ頻度をあげて「愛している」を口に出して言ってもいいのではないかと僕は感じています。

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