日記・コラム・つぶやき

ご結婚おめでとうございます。

もう一度あらためて。ポップンポールさん。ご結婚おめでとうございます。

こっそりと読んでいるポップンポールさんのブログ「ひとくちメモ」。そのポップンポールさんの結婚が、ご本人から情報解禁された。

いやまあ、こっそり読む必要はないのだけど、「以前からネット上でなにかとやりとりを続けてます」とまでは言えない関係性なもので。

どんな関係性かというと――たぶん、ご本人も忘れていると思うけど――僕は、ポップンポールさんが設立して会長をされている(いた――かも?)「ニーマン・マーカスのポテチチョコ普及委員会」の会員番号2番なのだ。

もちろん会員番号1番はご本人。

振り返ってみたら、あれは2004年のことだった。10年以上もブログを書いてるんんだなあ。お互い、よくまあ飽きずにきたもんだ。

これからも、なんだかんだをゆっくりと書き綴っていきたいものですね。

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ちょっと中二病チックな誤字

"神庭せーしょん"

「カンバセーション」と打ちたかったんだろうなあ。

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こんなところで、こんなもの

某駐車場で見かけたもの――。

Tuno

鹿の角? 置物だよね。何故に駐車場に?

持ち主に何があったか知りたいような、知りたくないような……。

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お鳥さまの粗相を防ぐには……

屋外の駐車スペースに停めてあるマイカー――ルーフアンテナのあたりにお鳥さまの粗相がやたら多くて嫌になっていた。どうもアンテナに留まって "シテイル" ようだ。

ひょっとしてと思って、ダメもとでアンテナを折りたたんでみた。

↓こういう感じのやつね。

Antena2_2
画像の出典:日産自動車のサイト「アンテナについて

そうしたら――効果抜群である! 粗相がいっさいなくなった。

鳥という存在は、なんかピンッと伸びているものがあったらそこに留まりたくなるのか、そして留まったら粗相をしたくなるのかもしれない。

それがやつらの種としての在り方なのかもしれない――などと、鳥の原理にまで思考が至りそうな午後のひと時。

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「原稿料なし」ってありなの?

某出版社からの原稿執筆依頼が、知り合いにあった。

とはいえ、書籍の発行とかではなく、Webメディアで短い記事を書くのだとか。

彼は、「書く」という方向で打ち合わせし、念のための確認として、先方のサイトで公開されてからある程度の期間をあけて、勤務先の会社のWebサイトでも同じ記事を公開してよいか尋ねたのだとか。
そもそもの公開先であるそのWebメディアを出典元と記載するということも付け加えて。

依頼してきた担当者が言うに、その場合は「記事掲載後、1ヶ月後以降の掲載」ならよいとのこと。それはそうだろうな。ある程度の期間があかないと意味がない。

話を聞いて驚いたのは、そこから。

その場合は「原稿料なし」なんだとか。なんじゃそりゃ? おかしくないか? 依頼してきたのはあっちだぞ。

「Web上で書いていただけませんか。でも、書いた記事をあなた方も公開するなら原稿料は "なし" です」って、なんかすっきりしないなあ。

もっとも彼はすんなり了解していたけど。

どんな業界にも商習慣というものがあるだろうけど、Web上の執筆ってそんなものなのかねえ。僕はすっきりしないなあ。

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よくわからないビジネス用語

「なんとなく、たぶんそういう意味だろうな」と想像しているだけで、実はよくわからないビジネス用語に出会うときがある。

いわく、「ジャストアイデア」はたまた「マター」とか。

前者は「(その仕事のオファーですが)当社で受けられない場合は、ジャストアイデアですがX社さんをご紹介するのもいいかなと……」といったように使う。

後者は、「これって、○○さんマターでしたよね」というように使う。

なんじゃそりゃ? だ。

たぶん、「ジャストアイデア」は「いまちょっと思いついたのですが」とか「決定ではなく、単なる案というか、思い付きレベルの話なんですけどね」とかいう意味だと僕は思っている。

そして「マター」は、たぶん「担当」だとか「主に関わっているのは」といった意味なんだろうと想像している。

なんとなくわかる(ような気がする)だけに、はっきりと相手に確認できない。確認したら、「この人わかってないなあ。バカなのかしら」と思われそうな気がしてねぇ。

ジャストアイデアなんですが、それを理解しなければいけないのは、私マターなんでしょうか――。

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パンダ 上野以外 って検索してごらん。

上野動物園でパンダが生まれたニュース。

まったくもって不愉快なのは、東京のマスコミの扱い方だ。

上野動物園のパンダに妊娠の兆候が見られたというだけで大騒ぎする。生まれようものなら、いろんな人に感想を聞きに行ったりする。

あんたらさぁ、関西にもジャイアントパンダがいるのを知らないの?

上野にパンダ誕生のニュースとともにふれられることで、ちょこちょこと見るようになったのが、和歌山県のパンダの話だ。

1頭、2頭なんてもんじゃない。和歌山県では、実に15頭のパンダが誕生しているのだ。しかも、和歌山のパンダは「日本で生まれ育ったパンダが生んだパンダ」なのだ。

これって、中国以外では初の出来事。

そう! 世界的にみてもトップクラスのパンダの飼育・繁殖技術は、ここ日本にある! 否! 我が故郷である和歌山県にあるのだ!

どうだ! 驚いたか!? 震えろ! ひれ伏せ! 畏れよ! ――と、まぁ多少興奮気味に声が裏返りそうになる勢いでいってみた。

そういうことを東京のマスコミはまったく大きく扱わない。
2016年9月には、和歌山でパンダが生まれているのだ。それなのに大きく扱われなかった。僕の記憶が正しければ、朝のニュースでちらっと扱われたぐらいだ。

百歩譲って、和歌山にまで取材に行くと何かとコストがかかるので行くのは控えるというのあるだろうなと思う。そこはビジネス――コスト感覚は理解はできる。

でも、上野のパンダなんて、ニュース速報が流れたりするのだ。黒柳徹子さんに話を聞きに行ったりするのだよ。
徹子さんは、日本パンダ保護協会の名誉会長だからということなんだろうけど、だったら、和歌山にパンダが生まれたときも徹子さんに話を聞きに行きなさいよ! 電車でいけるだろうが!

もう一つ言っておくと、ジャイアントパンダは神戸にもいる! 神戸市立王子動物園にだ!

しかも、神戸市立王子動物園は、パンダとコアラが見られる国内唯一の動物園なのだ!

そういうことも東京のマスコミはふれない。

上野にパンダがいないと、もう日本ではパンダが見られないと思っている人は多いような気がする。
マスコミの扱い度合いがあまりに上野とは異なるので、いわゆる "印象操作" ってやつが起こってしまっているのだと思う。

悪意でそうしているわけではないだろうけど、どこかで東京以外を下にみてなめてるんだろう。「話題の中心は常に東京であるべきだ」と彼らは意識下でも思っているに違いない。

似たような感じ方をするのは僕だけではないようで、 パンダ 上野以外 なんて検索すると、扱いの度合いの違いに疑問を感じている人たちがけっこう見つかる。

この国のすべての民よ! 覚えておきなさい!
ジャイアントパンダは、和歌山県と兵庫県にもいるのだということを!

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細かい価格の積み上げでない場合だってあるって。

請求書の金額について、何がいくらでその総計になるのか内訳を出してくれと言われるときがある。

そういう価格設定もあるけどさ。そうじゃない場合だってあるでしょうが。なんでもかんでも、個々の価格の合計が最終的な価格だなんてありえないよ。

物品ではなく、提供するサービスについての対価はそういう場合が多い。

なんでも内訳を出せと言ってくるのは、ほんと勘弁してほしいよ。

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それに何の意味があるんだ?

「今年の新入社員は○○型」、「理想の上司を動物に例えると?」などの話題を見聞きするたびに思う――それって何の意味があってやっているんだ?

型名をつけることで、動物に例えてもらうことで、何がどうなるんだ?

そのことに、何かしらの科学的な根拠がありますとかいうなら、まだわかるけどねぇ。たぶん、やっている人たちが、ただやりたいだけなんだろうなぁ。

あるいは、僕なんかが想像もつかないような深い意味があったりするのか――。

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他人の不幸を撮影するのはやめないか。

他人の不幸を撮影する人たちがいる。

家が火事で燃えているとか、子供が川で流されているとか、そういうのを撮影して Facebook だの Twitter だので公開する人もいる。

そういうのを借りてニュース映像として使うテレビ局もある。

ニュース番組が「こういうことがあった」と世間での出来事を放送するのに、何が起きていたかが映っている映像があれば、それを使いたいと思うこと自体は理解できる。
仕事なんだから、映像がほしいと望むこと自体は当たり前だろう。

でも、人の家が燃えている様子や子供が川で流されている様子を、ニュース番組の制作に携わってもいない人が撮影するのは、どういった理由からだろう。

「助かってよかったね」という様子まで映っているんだから、それはそれでいいでしょうと思っているんだろうか。
それはあくまで結果的な話だ。出来事に気づいてレンズを向けだしたときは、結末がどうなるかわからない。

レンズを向けたとたんに最悪の結果が起こるかもしれない。

それでも撮ろうと思うのはどういう心理なんだろう? あとあと自分が撮った映像がテレビで使われると、ちょっと周囲に自慢できると思っているのか?

もしそうなら、その心理ってかなりやばいぞ。

人の皮膚が焼け爛れ、まだ意識があって建物の中でもだえ苦しんでいる最中かもしれない火災、子供が川に落ちて、水を飲んでしまう辛さと、溺れ死ぬかもしれない恐怖に怯え、岸辺にいる家族からどんどん離れていく不安に苛まれながら流されている様子などなどを見ながら、「これを撮っておいたら自慢できるかも……」と感じているなんて。

他人の不幸を撮影するのはやめないか。

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