発芽十六雑穀

やずやの『発芽十六雑穀』を食べています。
妻が身体に良さそうだからとすすめてくれました。

最初に無料試食セットを送ってもらって食べてみたら、もちもちとして、風味もあってなかなか美味しい。

独身時代に玄米食をしようとしたことがありますが、ぱさぱさ、ごわごわしてどうにも食べづらい。よく噛んでいると甘みがでてきて美味しくなってはくるのですが、それに、炊きあげるにも水に浸しておいたりと結構手間がかかって、玄米食は長続きしませんでした。

でも、『発芽十六雑穀』ならそんな手間も必要なし。
ふつうにお米を洗ったらそれに混ぜるだけ。1回分が小袋になっているから、さっと流し入れて、炊飯器をオン。これだけです。

人の身体を作っているのは食物です。
ならば、身体によいものを食べたいです。

発芽十六雑穀。
これなら、嬉しく続けられると妻と2人で思ったしだい。
(なんだか宣伝用の原稿みたいになってしまった)

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Aqua Day Spa

僕が行ったAqua Day Spa(アクア・デイ・スパ)は、ホーチミンシティーの Sheraton Saigon Hotel & Towersの5階。

ビジネスミーティングが続いたあとは、スパに限る。頼んだコースは、De-stress Package。
時間は2時間45分で、全身マッサージとフットマッサージ、それにメンズフェイシャルが含まれて115ドル。う~ん、お安い!(あくまで日本とくらべてだけど)

日本語で予約できる内線番号があるのも嬉しい。

スパのフロントで予約の名前を告げると、まずジャスミンティーと冷たいタオルが出されます。ちょっと早かったので心地よいソファに座ってティーを楽しむ。先に昼食をホテルの外で済ませたので、町の熱気で少し汗をかいた肌に、冷たいタオルが気持ちいい。

まもなく名前が呼ばれて、最初は普通にシャワー。ローブも真っ白できれい。強い水流でがんがんシャワーをあびてすっきりしたら、ローブに着替えて髪を乾かし、鏡に向かってちょっときどって髪をチェックしたりしていざ出陣。

シャワールームを出ると、待ってくれていた係の人に案内されて早速フットマッサージの時間。ふかふかのソファに座ったら、木の桶にちょうどよい温度のお湯をはってくれてそこに足をひたす。
しばらくそのままでいて、やがて始まるフットマッサージ。ゆっくりとした強すぎず弱すぎずのストロークは、僕にはちょうどよかったです。
フットマッサージの間に思いっきり寝てしまった。係の人がそっと触って起こしてくれるまで終わったのに気がつかなかったです。

フットマッサージが終わったら次は全身マッサージ。
ベッドにうつぶせると、顔を入れる穴のすぐ下には美しい花を水に浮かべ置いてありました。ちょっと顔を動かしたり、軽く呼吸をしたりしたときにほのかに感じられる花の香りが気持ちも和らげてくれます。

マッサージを担当してくれた女性は、片言でも日本語ができる人だったので、「もう少し強く」とか「もうちょっと上の方を」といったぐらいのリクエストなら通じたのも嬉しかった。

全身マッサージの最中もまたまた寝てしまいました。

そして最後はメンズフェイシャル。
いったい何をいくつ塗るんだろ?と思ってしまったぐらい、いろいろな液やクリーム状のものを何度も塗って顔をゆっくりとマッサージしてくれます。

係の人の手のひらがうまい具合に柔らかく、ほどよく暖かく、これまた気持ちがよかったです。

かなりゆっくりしたなと思っても、まだまだ時間があったたっぷりとしたコースで、2時間45分を堪能しました。

カップルで受けられるパッケージもあるから恋人同士やご夫婦で並んでリラックス…なんてことも可能。

ホームページはこちら

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ポジティブでなければ?

「ポジティブ、ポジティブ」。
ある知り合いが口癖のように言う言葉。その人は嫌な事や困った事があるとこの言葉を言っているようです。

僕自身が「失敗したらどうしよう」とか「もうだめかもしれない」というように物事を否定的に考える傾向があるので、ポジティブにとらえようとする姿勢にはあこがれます。

でも、その人を見ているとなんだか辛そう。
「ポジティブにとらえなくちゃ」という想いがかえってその人を苦しくしているように僕には感じられました。

positiveという単語を僕の手元にある "The American Heritage Dictionary of the English Language, Third Edition" で調べてみると、第一番目の意味に、"Characterized by or displaying certainty, acceptance, or affirmation"という説明があります。そして、a positive answer とか positive criticism とかが例文として載っています。

意訳すると「ある事が確実であることを、それを拒絶せずに受け入れることを、堅く確かな宣言でもって自分の外に向かってはっきりとわかるように表現する」というような意味合いでしょうか。

日本語では「肯定的」「前向きにとらえる」といった意味で使われるpositiveですが、英語では少し意味合いが違っていて、「肯定することを表明する」「前向きに考えていることを明らかにする」「より良くしようとする考えを伝える」といった意味をもっているように感じます。

positiveという言葉をそうとらえると、「ポジティブにとらえなくちゃ」というよりは、「ポジティブにとらえるにはどう考えればよいかを考える」という方が、positiveの意味に近いような気がします。

悲観的な傾向がある自分ですが、肯定的にとらえる努力よりは、「肯定的にとらえるには、どう考えればよいか」を考える努力の方がやりやすいような気がしています。
(英語はぜんぜんなので、positiveという単語の理解を間違ってるかも…)

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効くよ。パワーヨガ

これ↓けっこう効きます。
発掘!あるある大事典II WEBSITE
第35回 12.05 『パワーヨガでヤセる!?』 あるある式簡単パワーヨガ。
放送テーマINDEXから)

年末から年始で69キロから2キロ太って71キロになって、ちょうどよい感じだったジーンズのウェストが、座るとお腹のあたりが少しきつく感じるようになってました。

もともとパワーヨガには少し興味があったので昨年録画しておいた「第35回」を思い出して、これではいかんと録画ビデオを振り返ってポーズを覚え、地道に続けること約1ヶ月。

これだけでなく、30回ぐらいの腹筋を1日おき、さらに多少の食事調整(2週に一度ぐらいは夕食を野菜と豆腐だけにする)もしたためでしょうが、昨日めでたく69キロへ復活。

ジーンズもきつくないです。

どうよ。やったぜ母ちゃん。俺、やったよー! などと1人悦に入ってしまいました。元へ戻っただけなのに…

感覚的な意見ですが、やっぱり秘訣は筋肉の量だと思います。
筋肉が付けば、基礎代謝があがり消費カロリーが増えます。さらにお腹に筋肉がつけば、その筋肉が内臓を支えてくれるので、その分へこんできます。

パワーヨガのみではこうはいかなかったかもしれませんが、でもいま、パワーヨガのビデオを買ってみようかなと少々本気で考え出しています。

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リフレ・デートはいかが?

以前、「リフレクソロジー」へ初めて行ったときのことを書きましたが、久しぶりにまた行ってきました。

ここんとこ、仕事が忙しかったので身体が全体に疲れ気味。
常に笑顔でていねいに対応してくれる人たちに、足でも揉んでもらって少しばかりのセレブな気分に浸ってストレス解消しようと思いまして。

前回は初めてでおどおどしてたけど、今回は知ってるからね。堂々としたもの。
ボーナスも出たことだし、給料も出たしで、今回は気前よくコースを選んでしまった。そのお店で2番目に高いコース。(一番でないところが、そこはかとなく庶民な感じだと思うけど…)

まぁ、いい。
クリスマスだしね。特別だしね。自分へのプレゼントさね。

時間は75分。ゆったりとしたシートに座ったら最初はフットバスから。
これがまた気持ちいい。ちょうどよい湯加減のお湯に足をいれて暖める。エッセンシャルオイルが入っていて、血行を促進する作用があるため、リフレクソロジーの効果を高めるにも役立つのだとか。

フットバスにはフタがされているから、ちょっとぐらい中で足を動かしてもお湯がこぼれたりしない。子供がプールとかでするように、お湯のなかで足を少し持ち上げてぶらぶらさせると、足にあたる暖かいお湯の感触が楽しい。

多少は周囲の目を気にしながら…いい年したオッサンが嬉しそうにすることではないから。フットバスの底には丸い突起がついているので、そこに足裏を軽く押しつけてみるのもよい。

暖めた足を抜くときは、そっと支えてくれて、すぐにタオルで優しく拭いてくれる。これがまた「よきにはからえ」という感じでよいわけよ。

このコースは、ふくらはぎまでマッサージしてくれる。マッサージに使うオイルは数種類からお好みを選ぶことができる。
始める前に、「お選びになったオイルです」とか言ってくれて、香りの確認のようなこともする。まるで、ワインのよう。確認したって何がわかるわけでもないところもワインのようだけど…

「ちょっと違うなぁ。オイルを変えてもらおうかな」とか言ってみたらどういう反応してくれたかしらん? 
たまにはいるんだろうな、そんなお客さまも。でもせっかくだしね。自分が一番気に入った香りを選ぶのは当たり前か。

それにしても、前回のときも思いましたが、施術してくれる人たちはかなり訓練をつんできているのだと思う。「腰が疲れている」とかいうように施術後に指摘されたことは、自分でも感じていたことと同じ。

リフレクソロジーは、あなどれません。

終わったあとの気持ちの良さを考えると、恋人同士で行くのもいいかも。
いっしょにならんで座って、一番いいコースで足をもんでもらって気分良くなるのも、たまにはいいデートかもと思ってしまった。

もちろんそんなときは男性が全部払うべし。若い恋人たちにはちょいと難しいかな?

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年齢によって価値観を見直す

「健康寿命」という言葉をパートの方から聞きました。「平均寿命」がいくつだと言っても、それは「命」があるというだけで、自分では動くことも考えることもできない状態の人も入った算出です。

結局、重要なのは自分で動いて自分で考えて自分で何もかもできるという状態がいくつまで続くかということ。それが「健康寿命」。
健康寿命が尽きると、あとは命があるというだけで、毎日ただ寝込んでいるだけとかになるわけです。

そう考えると、自分の健康寿命がいくつまであるのか将来に不安がわいてきます。
健康に気をつかうことは大切なことですが、気をつかっていたからといって健康寿命が延びるかというと、これは明確な相関関係は言えないと思います。
どんなに気をつけていても、ある日大きな病になるかもしれません。

あるいは、年をとってきたら何か趣味をみつけて生きがいにしましょうとかいうこともよく聞きますが、それは僕に言わせれば可能性の話でしかありません。
そうやって生きがいを見つけて健康に生きている人も確かにいる反面、新しい趣味を見つけて始めたが故に人間関係に悩んで苦しんでいやになるということだってありえます。
何か趣味を始めることが、即生きがいを生んで楽しく暮らせることになるとは単純に言えないと思います。

また、いつまでも元気で旅行をしたりして行動的に過ごしていた人が、突然動けなくなってしょんぼりしてしまうということがあります。
でも、もともと行動的であることに価値をおいてなかった人で、足が十分に動けなくなっても、テレビが見られるから毎日退屈しなくて楽しいという人もいます。

年を取ってくると、遅かれ早かれいつかは動きづらく、あるいは動けなくなります。
そう考えると、行動的であるということにいつまでも価値をおかずに、行動的でなく楽しむことに価値観をシフトさせていくのも、年をとっていく過程であまり不幸せを感じなくてすむ1つの知恵となり得るかもしれません。

さらに、子供達がいて、お孫さんがいて笑顔が絶えないといった幸せな家族のイメージも1つの可能性に過ぎません。そうした幸せを感じるには、そもそも家族仲が良くなければなりませんから。
家族がいるということと、幸せであると感じられることはイコールではないと言えるかと思います。

こんな風に考えていくと、自分にとって幸せとは何だろうかという哲学的な想いがわいてきます。
たぶん、幸せなことや状態がどこかに存在するのではなく、何を幸せとして認知するかを自分で選択することが重要になるのじゃないかと漠然と思っています。

1人でいることが幸せだと認知する人は、1人でいられないと不幸を感じます。逆に、1人でいることが不幸せだと感じる人は、誰かがそばにいることを幸せだと感じます。

起こっていることは同じでも人によって認知の仕方が変わりますから、感じ方も人それぞれです。

ある程度の年をとってきたら、何を大切に感じているかという自分の価値観を見直して、そのままでよいかどうかを点検してみる行為が必要な気がしています。

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ドラッグに賭けるな。

アクセス解析を見ていたら、「rush  吸い方」という検索フレーズがありました。
(前にカナダのロックバンドRUSHの記事を書いているからだろうけど。)

どこの誰がどんな目的で探しているかは知りませんが、使用するのはやめた方がよい。いわゆる合法ドラッグというものだろうけど、法律にはふれないということと、身体に害は無いということは別の話。

成分は、亜硝酸アミルというものが主体らしいけど、これは狭心症にも処方されるものらしい。吸引すれば、心臓や血管に負担がかかるのは間違いない。血管が広がって心臓が血液を送り出す量が増えるので。

あるいは、胃の中でいっしょになって、思わぬ反応を生じさせるものがあるかもしれない。

使っても大丈夫だよという人が周りにいるかもしれないし、そう自分でも考えているかもしれないけど、それは個人がそう思っているということでしかない。
確かに吸ってもべつに身体に何も起こらなかったという人もいるだろうけど、でも、誰もが常に全く同じ反応をするという保証はどこにもない。

後悔するかもしれないし、あるいは何事もないかもしれない。どちらにしても何が起きるかには裏付けがないのだから、どうなるかは賭だよ。そして、それは最悪もありえる賭だよ。

そんな賭はしないのが利口だ。だから、ドラッグには賭けるな。

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認知の仕方の制御って…

認知の仕方を制御する具体的なノウハウ・スキルって実在するのかしら?

凹んでいるときはわかりませんが、少し立ち直ってくると、凹んでいたのはちょっとした事に対してだったと思い始めることが多いです。さして凹むほどのことではないと。

それに、日々の暮らしのなかで幸せを感じることはたくさんあります。

あがったり落ちたり。嬉しい安定した気分が、何故にいつまでも続かないのかと考えてしまいます。人間とはそういうものだという片づけ方もあるのでしょうが…

世の中には、本当に大変な思いをしている人は大勢おられます。相対してみれば、僕などはずいぶんと幸せな生活をおくっているのだろうと思います。
逆に、周りが見れば本当に幸せなのだろうなとうらやんでしまうような人でも、本人にしてみれば不安で苦しくて仕方がない毎日をおくっているということだってあるでしょう。

結局のところ、人間が安定した気分でいられるかどうかは、本人の認知の仕方によると思います。

以前、母に「大金だなーって感じる金額っていくらぐらい?」と尋ねてみたことがあります。母は「1万円」と言っていました。僕にしてみれば、1万円は確かにけっこうな額ではありますが、大金と感じる金額ではありません。僕の中では、大金と聞いてうかぶのは100万円ぐらいかな。
ということは、母が1万円をもっていれば、「今日は大金をもっているぞ」と感じることができるといえます。僕なら財布の中の金額は1万円という状態なら、「少々心許ない」と感じます。

コップのなかにある水の話ですね。「これだけある」と感じるか「これだけしかない」と感じるか。

あのお話も本人の認知の仕方を言っているのだと思いますが、その話を聞いたからといって僕の認知は変わりません。言おうとしていることはわかるけど、で何? どうしろっていうわけだ? という感じるのが正直なところ。

自分で自分の認知を変えるやり方を会得しなければ、対象に対する感じ方は何も変わりません。認知の仕方が原因で苦しんでいる人に、より必要なのは例え話ではなく、認知の仕方を制御する具体的なノウハウ・スキルだと思います。
(例え話が全く無意味だということではありません。)

それもそのときは切り抜けられるといった対症療法ではなくて、本人の認知の仕方を本当に変えられる根本的な解決策が必要だと思います。
僕はどうあっても認知の仕方を変えたいと苦しんでいるわけではありませんが、認知の仕方を制御する体系立てられた具体的なノウハウ・スキルがあれば習得しておきたいとは思います。

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マッサージを受けたい!

仕事が忙しい。「今日は早く帰るぞ」と社内で言うときは、「日付が変わる前に事務所を出よう」という意味です。
この前なんか、11時50分に事務所を出られたので、「今日中に帰れたね」なんて会話も。家へ付いたら、"明日"になってるっちゅうねん!

だから背中がこわばって、肩も痛い。
僕は普段は肩こりが起きないので、肩がこっていると自覚できる状態は僕にとっては一大事です。肩こりに悩まされている人に言わせると、そんな状態の僕の肩を触っても"ふにゃふにゃ"らしいですが…
でも、他者との相対ではなくて、個人の主観のものですからね。このつらさがわかってもらえないのはなんだか悔しい。

というわけで、マッサージを受けにいきたい。
行けばいいだろうと簡単に思う人もいるだろうけど、僕が受けたいのは、"出張先でホテルに頼んで来てもらうような、おば様ややおじ様が揉んでくれるマッサージ"ではない。

望んでいるのは、南国リゾートのスパで受けるようなもの。
ベッドの上に優雅に横たわったら、背中にオイルをのばしながら身体をほぐしてくれて、さらには心も緩やかになっていく。ゆったりとすぎていく時間のなかでうとうととしながら、心身のこわばりが解けていくのがわかる。広がる青い空と遠くで聞こえる波音、その開放感に身をゆだねて…といったのを受けたいんですよ。

以前、ハワイでいった「マンダラスパ」はリラックスできてよかったです。
「アラウンド・ザ・ワールド」というコースを頼んで、さらに、何事も体験だ! という旅の勢いで「男性用フェイシャル」などというものまで頼んでしまいました。
(男性用のフェイシャルがあるなんて、僕はそのときに初めて知りましたが)

ああいうちゃんとした大人の男性(僕が"ちゃんとした大人"かどうかは別として)が、心身のリラックスを楽しめるマッサージというのは日本ではなかなか無いような気がします。
実は前にも身体がこわばったときに、インターネットで調べてみたのですが、そのときも見つけられませんでした。

そういう類のマッサージはあるのですが、なぜか、見た目の美しさを目指すいわゆる「エステ」というカテゴリーで日本ではくくられているようで、基本的に女性向けなんですね。「女性専用」と明記されているところばかりです。

最近では、某企業のように男性エステという概念をビジネスとして育てようとしている動きもあるようですが、CMを見ていてもわかるように、やっぱり「見た目の美しさ、清潔感を目指す」というコンセプトが核で、「ゆったりと心身をほぐす」というコンセプトは中心にはないようです。

そういう面に限って言えば、広く大人が楽しめる文化としてのマッサージの範囲が、日本ではまだまだ成熟していないよなぁと、にわかに何かの専門家になったような偉そうなセリフを言いたくなってしまいます。

たぶん、無いことはないのであって僕が知らないだけなのでしょう。
リゾートのスパで受けられるような優雅なマッサージ。男性も受けられるもの。ご存じの方がいたら教えていただけると嬉しいです。

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リフレ、万歳

前から気になっていた「リフレクソロジー(Reflexology)」に行ってきました。初体験です。
簡単に言いきってしまうと"足裏マッサージ"です。

でも、単に足の裏をマッサージして終わりというものではありません。
そういうのもあるけど、僕が行った某所は、足裏だけでなく"ふくらはぎ"までもみほぐしてくれたり、フットバスがあったり、オイルをつかったり、そのオイルも複数の香りから選んだりできるといった各種のサービスを提供しています。

結果的には…なかなかいい。ちょっと若旦那、寄っておいきよってなもんです。

そこはショッピング街にあるので、入り口で受付している間、いろんなコースの説明とかを受けているオッサン(私)の後ろを多くの人が行き交っていて恥ずかしかったけど。

それでも、やってみたかったんだよ~。

行ったことがある人はだいたいわかるだろうけれど、中はほどよく照明を落として刺激がなるべく少ないようになっていました。ゆったりと座れるリクライニング式のシートが8つほどあったかな?
僕が入った時点で満席で、僕の後に並んでいた人はちょっと待ち時間が発生していました。

一度の体験だし、はりこんでやれと思って、時間は50分を選択。コース内容も、ふくらはぎまでオイルを使ったマッサージと、フットバスも付けてしまった。(お値段の方はご想像におまかせします。)

入ってみたら、僕以外にもう1人男性が施術中なだけで、あとはみんな女性。
やっぱり、止めた方がよかったかなーとか思いながらも、案内されるままシートへ着席。シートは、背もたれもあって底部はふわっとしてるし、肘掛けもあってゆったり座れた。

対応してくれた皆さんが、丁寧かつ穏やかでにこやか。フットバスを頼んだので、シートに座ってから靴や靴下を脱いでいったん店内用の履き物に履き替えます。

案内してくれた方がそのまま施術をしてくれる人。落ち着いた口調でコースの確認をしたら、施術開始です。
まずはフットバスの登場。お湯の温度の加減はどうかといった問いかけもちゃんとしてくれます。僕には、ちょうどよい温度でしたから、けっこうな湯加減でございますという意味の返事をば。

しばらく足を暖めてから、マッサージの開始です。フットバスから足を抜くときも、優しくそしてさりげなく足を支えてくれ、さっと足置きを用意してくれます。
始める前には、もみ加減の確認。頼めば、少々痛いくらいにもしてくれるのでしょうが、僕は「イタ気持ちいい」感じでお願いしました。

痛くなく、弱くなく、優しくもみほぐしてくれるのでとても心地よい。オイルのすべり具合も、これまた気持ちよくて、うとうとしているうちに50分が過ぎてしまいました。
延長も可能だということで、少し心が揺れましたが、今日のところはここまで。本音はもっとやって欲しかったですよ。施術してくれた「○井さん」、どうもありがとう。

次回の予約も可能で、施術をしてくれる人を指名することもできるようですね。
足裏のマッサージ自体は、以前台北に遊びにいったときにやってもらったことがありますが、「リフレクソロジー」はまた違った体系をもった健康法だと感じました。

通常は特に強くもんだりしないので、施術をしている側の手に負担が少なく、してもらっている側も気持ちがよいというやり方になっているようです。全ての、「リフレクソロジー」がそうなのかはわかりませんが。

施術する側に負担が少ないあのやり方なら、力の強い・弱いに関係なく施術者になれることができ、また炎症などの職業病のような形で手に何らかの障害が起きたりといったことがあまりないのだと思います。

「リフレクソロジー」自体に少し興味をもってしまいました。両親の足をもんだりできるだろうし、簡単な足もみの方法が書かれた本でも探してみようかなと思ったりしてます。

■初めて行かれる方へ
マッサージのために、ズボンを膝上10cmぐらいまで上げる必要があります。ズボンを履いてお出かけのときには、やわらかいゆったりした生地のものでどうぞ。

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雷は気づき、雨は浄化

7月11日(日)、午後15時半ごろ。すごい雨と雷。でも太陽も照っている。いわゆる狐の嫁入りという状態。
「雷は気づき、雨は浄化」は、ネイティブアメリカンか、あるいはインドの聖者の言葉だったような。

僕はわりと「何となくそう感じる」という感覚を大事にしている。
仕事をしているときでも、普通に暮らしの中にいるときでも、ふっと気になって戸締まりを確かめたり、もう一度書類のチェックをしたり、なんとなくいいなと感じたものを買ってみたり。

特にそれで何かが見つかり、起きたりして大助かりしたという経験は今まで全くない。
世の中そうドラマチックに美しくはいかない。まぁ、縁起ものというか、験をかつぐようなもの。

こだわっているわけではないけどね。
「こだわる」という言葉を辞書でひいてみると、「ちょっとしたことにとらわれる」と書いてある。では「とらわれる」とはなんぞやと思い、それもひいてみると「自由に考えることが出来なくなる」となっている。

「こだわりのラーメン」とか言うように「こだわり」は、最近では良い意味合いで使われる言葉だけど、辞書的には決して良い意味ではなかった。

とかなんとか1つの言葉の意味をどうこう言っていることがもう「こだわっている」か。
こだわらずに生きていくことは難しいようです。

でも、毎日の暮らしのなかで、雷の音を聞くときのように心がハッとして何かを気づけるようにしたいとは思っている。
そして、雨が降るときのように自然体で物事を流せるようになりたいとも思います。

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晩婚と高齢出産

正直言ってもう決して若くない。1人のときには、タイトルのようなことを思い詰めてしまうこともある。

結婚相手の年齢については、もともと「若い女性でないといやだ」という条件を自分はもっていない。
でも、子供は欲しいとは思っている。
縁というものは誰にもわからないけど、普通は自分のような「おっさん」と呼ばれてもおかしくない年齢の男性が、妊娠から出産、そして子育てという体力と精神力を相当に駆使するライフステージをわりと余力をもって過ごせられる世代の女性と結ばれる確率はあまり高くない。

となると、お相手となる女性の年齢によっては、そしてその人が出産に同意してくれるなら、いわゆる高齢出産という状態になる可能性は十分ある。
妊娠から出産、そして子育てに関わる精神的・肉体的負担のほとんどは女性にかかってくるのだけれど、自分もそこそこ年齢はいっているわけで、子育てという段階になってくるとやはり体力的に自分も不安にはなる。
子供が生まれてきて終わりじゃなくて、そこから「始まり」なわけだからね。

年を経れば経るほど、女性にも男性にも、単純に「体力」という面において妊娠・出産・子育てという流れは大きな峠だ。
特に肉体的負担は女性により多くかかるので、場合によっては、子供は作らないという選択をするしかなくなることだってありえる。
結婚が遅くなるということは、そういう事態が起きる可能性もあるという覚悟が必要になるということだろうとも思う。

男女双方が、子供はいらないという気持ちでいれば多少はこの問題は互いの人生の中で重要度を下げていくかとは思うけど、気持ちなんて何かのタイミングで変わるかもしれないし、本人達はしっかりと避妊していたつもりでも妊娠してしまったという事態だって起こりえる。

だからといって、結婚するなら子供が欲しいので年齢的に若い女性しか相手として考えないというのも個人的に何か違うんじゃないかという気がする。
自分が女性で、そういうことを言っている男性に出会ったら「女性は子供製造マシーンじゃないんだ。女性を馬鹿にするな」といいたくなるだろう。その男性が自分の恋人だったりしたらなおさらだ。ひょとしたら殴ってやるかもしれない。

まぁ、その辺は個人の価値観の範囲だとも思うけど。
「結婚するなら子供が欲しいので年齢的に若い女性がいい」という考え方を男性がもっていたとしても、そんなことは特に気にしないという女性だっているだろうし。

女性にとっても男性にとっても、結婚する年齢が遅くなるということは、あとあとさまざまな余波を生じさせることでもある。

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水に溶け込む

仕事が終わり、まだ少し時間があったので泳ぎに行った。
大好きなクロールでゆっくりと進む。自分の身体の周りを水が流れていく感覚を楽しむ。
もっと力を抜いて泳げるようになって、いつまでも泳ぎ続けていられるようになれれば嬉しいが。

本当は、泳ぐだけでなく、ただただぷっかり浮いて、その状態で手足をゆっくり動かしながら浮遊感を楽しむのも好きなのだけれど、不特定多数の人がいるプールでそれをやって許されるのは小学生まで。いい年をしたおっさんが、そんなことをやっていたら気味が悪いだけだ。…でも、やりたいんだけどね。本当は。

バタフライの前練習としてドルフィンキックで進むのも面白い。大きな魚か鯨ににでもなったつもりで、ゆっくりと水のなかをくぐって進むのは楽しい。
このまま水に溶け込めていけたら、何にもこだわらない、自由な形の存在になれる…かな?

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水でほぐされる。

忙しい日が続いていたけど、久しぶりに泳ぎに行った。
普段からあまり肩こりはしない方なんですが、ここんとこ肩から背中にかけてこわばった固い感じがとれなかった。
そんなときは身体を動かすにかぎると、なんとか時間を作って泳ぎに行けました。

がんがん泳いでタイムアタックするときもあるけど、こんな日はゆっくりと心も身体もほぐすような気持ちで泳ぐのがいい。
クロールで泳ぐとき、耳のそばでする水を切る音が好きです。身体の両脇を流れていく水の流れも心地よい。
水につかっているとそれだけで何かが身体や心から外へ向かって出て行くような気がする。

癒されるというのとは少し違う。ほぐれるという表現が一番ぴったりくるような気がする。
心と身体は一体だという考え方があるけど、それには賛成。心も身体もこわばったままでは思うように動かない。

心身がほぐれたら、明日に向かって、さぁまた進もう。

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男の身体の仕組み

まもなく結婚するという後輩と話していたら、恋愛話から始まって男の生理現象の話しになった。

世の中には、たとえ夫婦間であっても「子供をつくるためでないなら、そんなのイヤ」といって性生活を拒否する女性が結構いるようです。
この事に対して、僕と後輩の共通見解は、「そんなことを言ってたら、旦那さんが浮気をする確率が高くなる」です。

特に性的機能に問題がない限り、男性の身体のなかでは精子が作られて貯蔵されていきます。そして、貯蔵のための容量は無限ではありません。やがて貯蔵量の限界がきます。限界がきたら、体内に貯蔵されたものは体外へ移動することでしか対処できません。

若い男性なら多くの人が経験しているであろう「夢精」という現象になってこれは現れます。
意味は違いますが、身体機能の質としては、「おねしょ」と原理は同じです。たまってきたら出して、またためられるようにするという過程が必要になります。身体のなかで自然と消えていくということはありません。

これが男性の身体の仕組みです。製造される量と貯蔵できる量に個人差があるだけで、起こる現象自体は誰もが同じでしょう。

そして、貯蔵された精子を体外へ移動させるには、自分で移動作業を行うか、でなければ他者といっしょに移動作業を行うかになります。そんなとき「子供を作るためでないと…」などと言われて拒否されてしまうと、あとは自分で移動作業を行うしかなくなります。(ときたま同じ男性を移動作業のパートナーに選ぶ人もいるようですけどね)

ところが、男性でも女性もそうでしょうが、移動作業はたんたんと行われる類のものではありません。やはりいっしょに移動作業を行ってくれる相手が欲しいものです。
そんなときに、「私ならいっしょに作業をしてあげる」と言ってくれる女性が現れたら… 男性としては、くらくらと傾いてしまう人が中にはいるだろうなと推測するのは、そう難しいことではありません。悲しいことではありますが。

男性も色々な意味でもっと女性の心身について知る必要がありますが、女性にも冷静に男性の肉体的・心的仕組みを認知していただきたいと思います。
そして男性としては、女性との移動作業は、精神的な結びつきや安心感・充足感といったものも内包するとても繊細な作業であるということをしっかりと認識し、むやみに移動作業を女性に求めない。
また、「共同で行う作業」の結果として女性も十分な満足感が得られるように、男性がさまざまな配慮をするべきだろうといった話しに後輩との間でなったのですが、いかがなものでしょうか?

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自分にとっての幸せ

「正しさ」よりも「幸せ」を。は、成井裕美さんとおっしゃるカウンセラーの方がオーナーをされているココログ、「なるイズム」の記事のひとつ。
この話には、なんだか救われた気分を感じてちょっと目がうるんでしまいました。

もうシーズンは終わっちゃったけど、「梅」を見に行こうと思っていました。
会社でそのことを話していて、「梅、見に行かないといけないなー」と僕がぽそっと言ったの聞いた同僚から、「ミッ君(仮名)には、梅は『行かなければいけない』ものなんだね」と言われた。
その指摘にはけっこう気づきがありました。自分の毎日に、仕事も趣味も何もかも含めて「しなければいけない」と思っていることの何と多いことか。梅を見に行くことまで、「しなければいけない」と普通に発想してしまう自分は、他人と比べてずいぶんとつらい人生を送っているのかもしれないなーと思ってしまいました。

自分が「こうでなければ」と考えていることの多くは、成井さんが指摘されているように、確かに「恐れ」が元になっていることが多い。
やらなければ、どうにかなってしまうかもしれない。そのどうにかなった結果が怖くて、そうなりたくなくて、○○をやらなければいけないという気持ちになる。

梅を見るくらいなんだというのだ。そんなもの今年見られなくても何でもいいではないか。
梅と同じ程度の「ねばならない」が自分の周りにはいっぱいある。

自分が「幸せ」でいられることをもっと考えてみようと思った。

しかし、苦しんだり、悩んだりしている自分が「好き」な人っているよな。
苦しいのは苦しいのだけれど、それが「好き」ってことは、それが「幸せ」だとその人は感じているのだろうか。そうだとしたら、そうは成りたくないな。

あるいは「好き」と「幸せ」っていうのは、ちょっと違うのかもね。

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みんな幸せでいてほしい。

ココログの使い方がよくわからなくて、いらいらしていたのですが、通っているスポーツクラブでひと泳ぎして、夕食を楽しみ、テレビを見たら気分が落ち着いてきました。我ながら単純な精神構造です。

やっぱり、ストレス解消には運動と美味しい食事だね。これでかわいい恋人でもいれば言うことなしだね。フン!どうせ独り身さ。
そういえば、以前つきあっていた人が結婚したという知らせを最近もらいました。仲が良かった人が幸せになるのはとても嬉しいことです。

世の中、ぶっそうで不幸な話が起こりすぎだと感じています。たとえ何の面識がない人でも、人が苦しかったり、傷ついたり不幸になる話を見たり聞いたりするのはつらいです。
最近は、人の生き死にの事件が多いです。それも親兄弟の間で傷つけたりするのはなぜなんでしょう。
それに、だいたい不幸な出来事というのは、どうしてそのタイミングなのよと怒りを感じるタイミングで起こることが多いようです。
ある人にとっての不幸が、他のある人にとっては幸福になっていることもあります。みんなが幸せでいられるというのは無理なんでしょうか。

何をもって幸せというのかという幸せの軸・基準をどこに置くか、それによって幸せのあり方が変わってくるでしょうが、不幸のまっただ中にいるときには幸せの軸・基準などを考える余裕は僕にはありまん。
ただ、当たり前な話ですが、意図して他人を不幸に陥れることはしないで生きていこうと考えています。

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