書籍・雑誌

ドクター・メフィスト 若き魔道士

『ドクター・メフィスト 若き魔道士』(菊地秀行 著 祥伝社 ノン・ノベル)を読了。4年ぶりのシリーズ最新作。
前作は、同じノンノベルノで『夜怪公子』だったかな?

ファウスト魔術学校の先輩たちが登場。その彼らの設定が面白い。
人外の医療も魔戦も涼しい顔でやってのけるメフィスト。――その先輩方。さぞかし凄まじい力を持った面々だろうと思っていたら、世俗の生活にまみれて "なまくら" になっているという。
家政婦の派遣業(うまくいっていない)をどうにかこなしているお人もいたりする。「生活のため」らしい。同じ学舎から出て、大病院を運営している後輩メフィストとは、雲泥の差だ。

とはいえ、そこはメフィストの先輩だけあって、しっかりと人外の存在ではある。なんせ、彼らがドクトル・ファウストに学んでいたのは、千年以上前なんだとか。メフィストも含めて、あんたら今いくつなんだってレベルだ。

主人公の力が格下ってわけにはいかないので、先輩がなまっていたという設定にしたかな。
でも、もともとメフィストは、師匠であるドクトル・ファウストと並び称される伝説的な特待生という設定だから、単なる先輩では実力差は圧倒的・天文学的という前提はあるんだよなぁ。
なんてったって、ドクトル・ファウストの教えは、七万三千八百九十一教科という数らしいから。

そうか、ファウスト流の超絶技巧の使い手を何人も出しちゃったら話しがまとまりづらいからか。メフィストが目立たなくなるし。
それに、なまっているといっても高いレベルでの話しで、メフィストから見ればというだけ。なまっていても、 "あれだけの力" がある先輩たちとなれば、現役ばりばりのメフィストの凄さを、読み手に想像させるというもの。

さすがは、ストーリーテラーの菊地秀行。巧いよなぁ。にくいほどの設定だなぁ。

ちょっと想い出したけど、たしかメフィストって、実は"○○○の医師" なんだよな。(『魔界医師メフィスト 怪屋敷』 )
先輩っていうぐらいだから、少なくてもその点は、メフィストよりは確実に上なのか?

先輩たちのなかに1人女性がいたのにびっくり。ドクトル・ファウストに学んで、メフィストの周りにいた女性は、シビウしかいないと思い込んでたから。(『魔界医師メフィスト 魔女医シビウ』)
残念なことに、『魔女医シビウ』は未読。初出は92年で、文庫化もされてるのに……今では手に入りづらそう。読んでおけばかった。

正直、今回のラストは、僕としてはなんだかなぁな終わり方。もっとすっきりと決着を付けて欲しかったぞ。
それとも、 "落ちていったあの人" を今後ほんとに再登場させる気か。

ちょっとネタばれすると、 "黒い彼" がちらりと登場するのは、お約束。いい味を出していたと思う。
"私" も出てるよ。それから、 "黒い彼" の一族の過去もほんのわずかに少し。――そんなことしてたのねっという感じ。
『魔界都市ブルース』を読み親しんでいる人なら、にやっとできるサービス。
 
菊地秀行の新作はこの後も続くぞ。今週18日には、『吸血鬼ハンター D -魔性馬車』が出る。シリーズ21巻目だ。いろんなオンライン書店で予約受付中。

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無貌伝~双児の子ら~

望月守宮(もちづき やもり)の『無貌伝~双児の子ら~ 』(談社ノベルス)を読了。

第40回メフィスト賞の受賞作。

僕にはちょっと物足りなかった。全体に漂っている雰囲気は好きなんだけどな。

昭和初期を思わせる仮の世界(東京が "藤京" とかね)、「ヒトデナシ」と呼ばれる妖物がいて、普通の人間もいる世界。

題名にある『無貌』というのは、そのヒトデナシのうちの1つ。

人間の顔を盗むという『無貌』に、顔を盗まれてしまった探偵 秋津承一郎と、その助手となった古村少年が、出向いた旧家で殺人と思われる事件が起こっていく。

事件の犯人。その動機と真相。ヒトデナシ 無貌との関係。

そういったちりばめられた謎が解決していくラスト。ヒトデナシという人ではない存在をストーリーでうまく使っているとは思うのですが。なんだかなぁという終わり方でした。

すごく面白くなりそうなのに、急いでたたみすぎたといった印象が僕にはしました。

途中で、無貌とある人物が出会う描写が、僕に言わせるとちょっとずるい。まぁ、ぎりぎりセーフだとは思うけど。読んでいて、あれっ? って違和感を感じたし。読み手が違和感を感じるように作者は書いたと信じたい。

この作品。感想を検索して探すと、否定的な意見が少ないように思えました。
次回作はもう決まっているようです。

次のが出たら読むかな。読まないかなぁ……雰囲気は好きだし、今後の無貌の動きが気にはなるので、読むと思う。

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もう少し頑張って。講談社。

零崎曲識 "少女趣味" は、ボルトキープで、ボトルキープじゃないよ。

今年の3月に、google でボトルキープと少女趣味を組み合わせて検索したら、1610件だった。
で、同じ組み合わせでさっき検索したら、7,520件。

5倍近くに増えてる。

でも、ボルトキープと少女趣味の組み合わせでは、570件だったものが、3,570件。
6倍ちょっとこちらも増えているので、まぁバランスは取れてきてるか。(何のバランスだ?)

無理もない話しだけど。
だってね。こないだ書いた記事でも指摘したけど、講談社BOOK倶楽部のトップページで、「キーワードで探す」を選んで検索してみると、今もボトルキープだと見つかるけど、ボルトキープでは出てこなかったし。

本のご紹介でも、

“少女趣味(ボトルキープ)”こと零崎曲識

ってはっきり書いてあるしで……

いくつかの書籍販売サイトでも、ボトルキープってなってるのは、そもそも講談社がそう書いてるからだと思うのだけど。

講談社BOOK倶楽部の表記はいつ直るんだろ。

ちなみに、google でボトルキープと少女趣味の組み合わせだと、今だとうちの記事が一番にきてた。手前味噌みたいですみません。

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あの日、走り去った若い2人。あのバスの行く手には……

映画『卒業』。
ダステイン・ホフマンの主演でヒットし、サイモン & ガーファンクルの曲も記憶に残る珠玉の作品のひとつ。

手に手を取り教会から逃げ去ったベンジャミンとエレーンは幸せに暮らしましたとさ……となるかどうか。

映画公開から40年を経て、続編が発売されるのだとか。
『「卒業」Part2』 というのが題名。著者は原作者のチャールズ・ウェッブという人。発売元は白夜書房。

映画は知らなくても、「結婚式の場から花嫁衣装を着たままの花嫁を奪い去る」というパターンは、テレビドラマや漫画などいろんなジャンルで目にしている人が多いはず。

『卒業』がオリジナルなんだよ。

2人の未来の苦難を暗示しているのだと評されることもあるラストシーン。
その後のベンジャミンとエレーンはどんな人生をおくったのか。知りたいような知りたくないようなです。

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零崎曲識の人間人間

西尾維新の新作、『零崎曲識の人間人間』(談社ノベルス)を読了。

いやぁ面白かった。1日で一気に読んでしまった。
こういう雰囲気は、僕は好きです。

最終話「ラストコルラストの本懐」でじんときて、心の中で「曲識ぃ~~!」って叫んでしまったぞ。

あと一作、人識の話しで人間シリーズは終わりだとか。
そうなると、気になるのは「寸鉄殺人(ペリルポイント)」。一族で最も有名なその人の話はないのか?

レン、アス、トキで零崎三天王となってるし、とりあえずは出ないんだろうな。
(リルを含めて零崎四天王だと僕は思ってたんだけど。)

でも、西尾維新のことだから、どこかでひょっこり出てくるかもね。

■わかる人だけにわかる話し。
ボ "ト" ルキープではない。ボルトキープだよ。

さっきgoogleで、ボトルキープと少女趣味を組み合わせて検索したら、1,610件。
ボルトキープと少女趣味を組み合わせたら、572件。

でも、零崎曲識とボルトキープなら、704件。
零崎曲識とボトルキープなら、239件。

ちなみに、講談社BOOK倶楽部のWebページでも、“少女趣味(ボトルキープ)”って書いてあった。
というか、トップページで「キーワードで探す」を使ったら、ボルトキープでは「該当データがありません」って言われた。

ボトルキープで探したら該当した。
西尾維新作品の普及活動を、講談社さんはもっとがんばってした方がいいと思う。

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古泉迦十、戻ってきてね

復活して欲しい作家さん『古泉迦十』。
講談社の文学賞メフィスト賞第17回受賞者。受賞作が、今のところ唯一の作品である『火蛾』。

『火蛾』を読んだときには、その不思議な空間に引き込まれてしまった。

驚天動地、奇想天外な驚愕のトリックと謎とかいう作品ではないけど、物語を構築する力がすごいと僕には思えた作品。

ご本人。いったいどこで何をしておられるのか。
ぜひぜひ新作を発表して欲しい。

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読んでみるかな。『ラムラム王』

ちょっとしたことから知った不思議な題名の本『ラムラム王』。
「フンヌエスト・ガーマネスト・エコエコ・ズンダラー・ラムラム王」 というとても長い名前をもった少年の冒険物語だそうです。
"王" とは付いていても、本当の王様ではなく、単なる名前の一部なんだとか。
(通称が「ラムラム王」)

童話作家である武井武雄(たけいたけお)という人が書いた童話。押し絵も自分で描かれたそうです。

そもそもは、大正時代の本のようですが、Amazonで今も購入できます。

『ラムラム王』、読んでみようかな。

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レタス・フライ

森博嗣の短編集『レタス・フライ』(講談社ノベルス)を読了。

意味不明な物語のもつ雰囲気が、僕が感じている森博嗣ぽくって好き。

見事なまでに美しい論理! 超絶の本格推理!! とかいうあおりに惹かれる人には、受け容れがたいとは思う。

■わかる人にだけわかる話し

『ラジオの似合う夜』は、ちょっと気だるい雰囲気がいい。

"かなりな無理矢理な名をもつあの人"の知られざる一面がまだありました。

なかなかお盛んとしかいいようがない気がします。
女性ファンの皆さんにはちょっとショックな話しかも……

最終話の『刀之津診療所の怪』が、なかなかすてき。
Vシリーズファンの人ならピンとくるはず。

あの"医者"は、○○で間違いないよね。
それでもって、"背の高い黒い服の人" は、"□□さん"だと推測するしだい。

「身内」ということは、二人は、たぶん……
「身内」としか書いてないから断言できないけど、かなりの確率でそうではないかと思う。

この推測の根拠は、『赤緑黒白』の冒頭、保呂草の一人語りの部分。
僕の推測に賛同してくださる方は少しはいるよね。

ここら辺の話は、Vシリーズを知らない人には、もう本当に全くぜんぜん決して絶対にわからない。

さらに、ファンであっても、Vシリーズがもつ時間軸に気が付いていない人は、やっぱりわからないはず。
『刀之津診療所の怪』を読んだあとに、『今夜はパラシュート博物館へ』に収録されている『ぶるぶる人形にうってつけの夜』を読んでみよう。

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ビジネス書の邦訳って

手元に世界的に売れている書籍があります。小説ではなく、いわゆるビジネス書という類の本です。

それなりに世界で読まれている本なのですが、これが邦訳されると、中身がかなり削除された内容になっています。

名指ししてケンカをふっかけるつもりはないので、書名や出版社はふせますが、出版界で働く知人によると、外国のビジネス書を邦訳するとき、一部のページを訳さないということは出版の世界ではごく普通に行われているのだそうです。

理由はいろいろあって、まず日本ではビジネス書が大ベストセラーになるということはあまりありません。つまり売れにくいので、売りやすい形にして出版しないと商売にならないということがあるようです。

たとえば、英語で書かれている本をていねいに翻訳していると、どんどん文章量が増えて、原書は1冊であっても、邦訳すると二巻とか三巻になってしまうということが起きます。

ただでさへ売れないビジネス書を、二巻以上の形で出してしまうと売りにくくなるので、出版者側で元の内容から訳さない部分を決めて、邦訳になったときに1冊に収まるように調整しているようです。

その他には、日本人の文化や考え方に合わないと出版社や訳者が考えた部分は訳さないということがあります。そのまま訳しても、読み手に違和感を感じさせて、訳すとかえってわかりにくくなるという配慮のようです。

それでも、僕はすべての章をしっかりと訳して欲しいです。

商売なので元がとれるようにする、売りやすいようにする、読者にわかりやすいようにするという行為は当たり前といえば当たり前ですが、同時に邦訳を読んでいる人たちが読んだ内容は原書に書かれている全てではないという事態を生んでいます。
僕は英語で本を読める堪能さはないので、邦訳で読むことになるのですが、原書と見比べてみると、邦訳されていない分量に唖然とすることがあります。

すばらしい内容が書かれたビジネス書なのですが、完全に訳されていないので、邦訳を読んだだけのときと、英語が堪能な人に訳してもらって邦訳されていない部分も読んだときとでは、述べられている内容の理解度がぜんぜん違ってくるということもあります。

世界の人がちゃんと読んでいる内容なのに、日本のビジネスパーソンのなかには、邦訳されていない部分を知らないビジネスパーソンがたくさんいるわけです。

人を育てたり、活用したり、動機を高めたりするマネジメントの世界では、日本は世界から10年遅れているという考えもあります。
その一因が、こうした世界的なベストセラーの内容を充分に読めていないということもあるのではないかと僕は想像しています。

出版社の人たちは、商いの帳尻を合わせるのもりっぱですが、そういうこともしっかりと考えて使命感をもって邦訳を出版して欲しいです。

また、邦訳されたものを読んでいて、失礼なことをするなぁと感じるのは、書籍の巻末に「訳者」のプロフィールだけが載っていて、著者のものが載っていない場合があることです。

これについて、出版社の人はどう考えているのでしょう?
本を訳した人の紹介は載せているのに、実際に書いた人の紹介を載せないのは傲慢で失敬な行為だと僕は感じます。

日本の出版の世界では、翻訳物の場合は、訳者の方が著者よりも大切という基準や、邦訳した人の紹介は載せても、著者の紹介は載せなくてよいというルールでもあるのでしょうか。

もし、訳者のプロフィールを載せるのなら、著者のプロフィールの方を大きな文字で載せて、訳者の方は小さい文字で載せておくぐらいのことをするのが、実際のその著作物を書き上げた著者に対する礼儀だと僕は思います。

それに、ビジネス上のプレゼンテーションや各会合の資料の説明に際して、さまざまなデータやドキュメントを使ったりすることがありますが、そうしたなかで書籍を参考情報として紹介するといったこともあります。

そんなとき、必要なのは邦訳した人の情報ではありません。
「この本を書いた人はどういう人物か?」という情報の方が重要になります。

訳者紹介しか載っていないビジネス書、元の内容を全部翻訳していないビジネス書は、売り物として世に出すには不良品だと言い切ってしまってよいと僕は感じています。

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セリヌンティウスの舟

『セリヌンティウスの舟』(石持 浅海 カッパノベルス)を読了。

う~ん…ちょっと、ちょっとだなぁ。
登場人物の会話のやりとりによって推理が進んでいくパターンは僕は好きなのですが。

あの彼女がなぜああいう選択をしたのか、僕にはよくわかりませんでした。最後までよくらからないままに終わってしまってという印象です。

お話しのこういう展開の仕方だと、同じ著者の「水の迷宮」が方向性として似ていると思うのですが、あちらの方が感動は深かったなぁ。

やっぱり、あの彼女がなぜああいう選択をしたのかがよくわからないというところがひっかかる。好きな作家さんなんだけど、ちょっと惜しいと感じた作品でした。

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ネコソギラジカル(下)

『ネコソギラジカル(下)青色サヴァンと戯言遣い』(西尾維新 著 講談社)を読了。

知っている人は知っている人気作家西尾維新さんの戯言シリーズ完結編3部作。これで戯言シリーズはめでたく…なのかな?…終了。

「いーちゃん」と呼ばれる同じ主人公が出てくるものとしては、『クビキリサイクル 青色サヴァンと戯言遣い』から始まって、全9冊あります。
基本的に1冊ずつだけど、途中に『サイコロジカル(上)兎吊木垓輔の戯言殺し』と『サイコロジカル(下)曳かれ者の小唄』の上下編があって、完結編は3冊あるというちょっと変わった構成をもった戯言シリーズ。

第1巻と完結編のタイトルがそっくりなのも、捩れているようでこれまた奇妙な感覚。

これはハッピーエンドと言っていいのかな? 個人的にはそう言いたい。

ちょっと尻切れトンボな感じがしないでもないけど。明らかにされていないことがいっぱいあるしね。でも、そういう印象が残るようにわざとしたんじゃないかなという感じが僕にはします。

シリーズ全体としては、突拍子もない人外の能力をもった人間たちがでてきて、あばれまくり、暗躍し、破壊するといった話の中に、隠し味のように青春模様や謎解きが入っていて、そういうパターンが僕には面白い。

個性豊かな人物たちが、舞台の演劇のようにいれかわり登場してくるのが、面白さと興奮を誘う。好き嫌いがはっきりわかれる作品ではあると思いますが。

僕は「面白かった」に1票を入れたい。

■わかる人にだけわかる話。
読んだ人なら誰もが気にするであろう「いーちゃん」の本名。結局何なのだろう。

ヒントは、
・名前をローマ字で表した場合は、母音の数が8、子音の数が7。
・「あ」を1、「い」を2、…「ん」を46として名前を置き換えると、その総和が134になる。
でしたよね。

実は、これだけでは、候補が多すぎて確定はできないらしい。

でも、作家本人は「いーちゃん」にちゃんと名前を与えているらしい。
そのあたりは、上記のヒントを分析し、その他の情報も掲載してくれているこちらのページが詳しい。

リンク先のページにある記述によると、いーちゃんの本名について、作家本人は、「名前は決まっていますし、『クビツリ~』で名前当てクイズのようなことはやっているのですが、あれで当てたら天才かもしれません(笑)」
(ぶんか社 「絶対ミステリーが好き!2」 掲載のインタビューにて)と語っているのだとか。

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新・魔界行

11月頭に大きなイベントを控え、ある締め切りがあったのだけど、みんなでグワ~~ッとがんばったら以外に早く目標に達してしまった。

よかったよかった。

ということで少々できた余裕の時間を読書で過ごす。秋だしね。

『新・魔界行 魔群再生編―新バイオニック・ソルジャー・シリーズ〈1〉』(菊地秀行 著 祥伝社 ノン・ノベル)を読了。

生体強化戦士(バイオニック・ソルジャー)・南雲秋人の今に出会える。興奮するなぁ。若いモンにはわからんだろうな。この感覚。

私、前作『魔界行 1~3』に、確かに、まともに、間違いなくのめり込んだ側の1人。

挿絵での南雲の見かけが、ずいぶんとスマートにおしゃれな印象になってるのは、今風ということか。
前は、もっと筋肉があって四角い感じのキャラクタだった。それはそれでいいイメージなんだけど、今の時代だと単なるごっついオッサンになってしまうしね。

個人的な好き嫌いを言うと、菊池さんのどの作品でもそうなのだけど、彼の性的描写が苦手。
生々しくて、気持ちが悪くなるときがある。でもまぁ、それが1つの売りだしね。好き嫌いの範疇に収まる程度かなと。そのせいで作品の質が下がったりはしていないと言っておきたい。

SFチックというか、魔術的というか、登場人物がそれぞれに繰り出す特殊能力の描写も独創的でおもしろい。

前作に比べるとちょっとパワー不足かという印象は正直言ってある。
けど、前作は全くの新人作家としての作品。シリーズで続けるなんてのは夢のまた夢。一気に書き上げて勝負しないといけない立場だったはず。
でも、今回は押しも押されもせぬヒット作家としての新シリーズ。これから続くのだから、第1作としてはこれくらいでしょ。ここからスピードを上げていくはず。

ちょっと面食らったのは善龍の性格。なんかさらっとしすぎてないか? 前作のラストでいったい彼に何が起きたのか? それも今後描かれるのかな?

十和田湖で過ごす"麻里子"とのほんのいっときの穏やかな時間には泣かされるなぁ。できるものなら、南雲には幸せになって欲しいよ。無理だろうなぁ。血と硝煙がもっとも似合う男だからなぁ。

ちなみに、前作『魔界行 1~3』も、『魔界行 完全版』として3冊が合本したものが、同じノンノベルから発売されています。
興味を持った方は、『魔界行 完全版』を読んでから、『新・魔界行 魔群再生編』を読むといいかも。前作を読んでおくと人間関係とか背景事情とかがわかって、新作がますます面白くなるから。
でも、そういったことがわからなくても支障はないので、最初に新作から読んでも大丈夫。

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想いをつなげる

のぶさんのブログ「大きな意味はありません」で知った「ブッククロッシング」。この試みはおもしろそう。

そういえば、昔読んだ作家の夢枕漠さんのインタビューでは、彼はお金がないころに電車のなかに残された雑誌などを拾って読んでいたので、今でも雑誌とかは捨てないで網棚にわざと置いてくるのだというようなことが書かれてありました。
当時の自分のような人がいたら、少しでもその人の役に立つのではないかという思いがあるといった意味のことを話しておられたけど、「他の人が読めるように雑誌を網棚に置いてくる」という行為は、ブッククロシングの考えに通じるものがあると思いました。

自分の想いを何かの形で他の人につなげていきたいという要求をもっている人が世の中にはいるようです。

僕は中学校のころに学校の図書室で借りてきた本のなかに、僕より先にその本を読んだ人が本に対する想いを綴った便せんを挟んであったのに出会ったことがあります。日付が書かれていたので、うちの学校の卒業生が恐らくやったことだと想像できました。

僕はその偶然の出会いにとても興奮して、その行為をすてきに感じました。だから、名前も顔も何も知らないその先輩であろう人物の真似をしたくなりました。
僕は同じように本に対する自分の想いを綴って、先に入っていた便せんといっしょに挟んで返却しました。

本の題名も便せんに書いてあった内容も、自分が何を書いたのかももうぜんぜん記憶にないですが、そういう行為をしたことは忘れません。本に挟んだ僕と名も知らない先輩が綴った便せんがその後にどうなったかも当然ですが知りません。

でももし、あの便せんに他の誰かが出会っていて、想いを伝えるという行為に楽しさを感じてくれていたら嬉しいなと思います。

ブッククロッシングでは、想いを伝えていくことは目的ではありませんが、自分の思い入れがある本が他の誰かに渡っていくのを想像すると何だかわくわくします。そうやって本への想いが伝わっていくんだと言ってしまってよいだろうなという気が僕にはしています。

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『サハラ』がまもなく公開

『サハラ-死の砂漠を脱出せよ-』がもうすぐ公開になります。
日本公式サイトは、こちら

冒険小説ファンなら知らない人はいない「ダーク・ピット」シリーズの11作目 "Sahara" が原作。
作者は、Clive Cussler (クライブ・カッスラー)という人。

国立海中海洋機関NUMA(National Underwater & Marine Agency)の特殊任務責任者ダーク・ピットを演じているのはマシュー・マコノヒー。ヒロイン役はペネロペ・クルス。ピットのよき相棒であるアル・ジョルディーノをスティーブ・ザーンという俳優が演じています。

そういえば、この作品がきっかけでペネロペとマシューは婚約か結婚をしたんじゃなかったかな?

カッスラーの「ダーク・ピット」シリーズは、知っている人は知っている人気作品。
"Sahara"の邦訳は、『死のサハラを脱出せよ〈上・下〉』(新潮文庫)。ちなみに、「レイズ・ザ・タイタニック」(1980年公開だったと思う)という映画があったけど、あれも「ダーク・ピット」シリーズが原作。

カッスラーのこのシリーズは、日本では全て新潮文庫から出ています。
他にも 、ピットの同僚で"カート・オースチン" という主人公が活躍する別シリーズも彼は書いていて、これも新潮文庫から出ているので、「ダーク・ピット」シリーズが欲しいときには購入に注意が必要。必ず主人公を確かめるべし。

「ダーク・ピット」シリーズは好きで読んでいるので、映画として見るのは楽しみでもあり、怖くもある。
(好きで読んでるくせに、僕は大きく勘違い。この映画の宣伝を最初に見たとき、「フライト・オブ・フェニックス」の宣伝だと思っていました。)

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『ギロチン城』殺人事件

「『ギロチン城』殺人事件」(北山猛邦 講談社ノベルス)を読了。

なんだろ?これ。なんか不思議な雰囲気の作品です。
幕辺ナコ(まくべなこ)と頼科有生(よりしなゆうき)という二人が出てくるのだけど、有生はなぜかナコから「ライカ」と呼ばれているし、ナコの性別もよくわからん。有生はたぶん男性だと思うけど。

彼らは不思議な縁で、いつの時代のどこなんだかわからない場所にある「ギロチン城」と呼ばれる建物にやってくる。そして、そこで起きる密室殺人。

ミステリーかといえばそうだけど、言い切れないなんともいえない不思議な雰囲気がただよっています。ファンタジーというか、ホラーというかといった…

僕はこういうのは嫌いではないけど、すごく面白かったとも思えなかったです。
最後もすっきりしない終わり方だし。

作者はいったい何がしたいんだろう?と正直思ってしまった。

この雰囲気の世界を描いていこうとしているのか、あるいは何かのための習作なのか。よくわからないけど、どうせならこの方向で突き進んで、極め切っちゃって欲しいです。それはそれで個性だろうから。好き嫌いはあるだろうけどね。

昔ながらの、いわゆる探偵小説というか推理小説を思い浮かべているとぜんぜん違います。
なんともいえない妖しげなムードただよう世界で起こった不可思議な事件を楽しめるかどうかは、もう相性としかいいようがない気がします。

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麝香姫の恋文

「麝香姫の恋文」(赤城毅 講談社ノベルス)を読了。

麝香姫は、"じゃこうひめ"と読みます。

う~ん、僕は好きだなぁ、こういう義賊もの。時代背景も好きだし。「帝都」という呼び名がまだ似合う時代。

びっくりするような論理展開とかトリックとかはないけど、単純にお話が楽しめる。

義賊「麝香姫」が真にねらったものは何か。間宮諷四郎と香月百合子の密かな恋? の行方も楽しみ。

■わかる人にだけわかる話
この作品はできれば漫画にして欲しいと感じるほど各シーンを僕は思い浮かべることができます。僕の想像力がたくましいのではなく、赤城毅さんの描写力がすばらしいのだと思います。

個人的には、名香智子さんあるいは一条ゆかりさん絵で漫画にして欲しい。
(美女姫シリーズや有閑倶楽部を知ってるかな? あの感じで。妹が好きで読んでたので僕もちょっとは知ってます)

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見えない人影

「各務原氏の逆説 見えない人影」(氷川透 徳間書店)を読了。

なんだろう? 個人的にこの"各務原氏の逆説"シリーズは、いまいちのように感じています。

「真っ暗な夜明け」や「 最後から二番めの真実」(共に 講談社ノベルス)とはちょっと違う。論理構成のみごとさがもう少し及んでいないような…

おもしろくないというわけではないのだけれど。夢中になって読めない。でも、各務原氏の何ともいえないくどい話し方は好きです。

■わかる人にだけわかる話
サッカーボールって"あんなこと"に使えるの? ちょっと強引すぎないかしら。

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禁涙境事件

「禁涙境事件」(上遠野浩平 講談社ノベルス)を読了。

「ブギーポップは笑わない」(電撃文庫)のシリーズで知る人ぞ知る上遠野浩平 作 <事件シリーズ>最新刊。魔法が日常的なファンタージ世界の物語でありながら、殺人(人じゃないものも殺されたけど…)が起き、犯人が指摘される推理小説的謎解きも楽しめる二重においしい作品。

複数のお話が関係しあって最後につながり、全貌が見える展開がとてもおもしろかったです。このシリーズ、もっと頻繁に出して欲しいです。

■わかる人にだけわかる話
エドワース・シーズワークス・マークウィッスル(ED “エド”)の過去が語られます。僕のお気に入りキャラクタである“風の騎士”ヒースロゥ・クリストフ(ヒース・クリフ)少佐の活躍が少ないのがちょっと残念。

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ネコソギラジカル

西尾維新の新作、昨年出ると言われていて延期になったうわさの作品「ネコソギラジカル(上) 十三階段」(講談社NOVELS)を読了。

待ったかいがありました。上巻でここまで盛り上がっていたら、中と下はどうなるのかと嬉しい心配をしています。某指輪の映画みたいに、えぇーここで終わりって感じで終わってます。中と下への期待がどんと高まりました。

この作品は、西尾ワールド全開というところでしょうか。キャラクター総出という雰囲気だしね。

■わかる人にだけわかる話
西尾さん、あんた姫ちゃんを殺しちゃったからちょっと嫌いになったけど、これだけ面白い作品のためだというなら許して差し上げましょう。

中と下の発売が未定と書かれていましたが、関係所部署と各人はすみやかに出版を進めて欲しいです。でなければ、僕が「殺し名」として1人ひとり始末してしまいそうです。

どうせ出ないなら、出ないで結構。その代わり「殺して解して並べて揃えて-晒してやるさ」

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ST 緑の調査ファイル

「ST 緑の調査ファイル」(講談社ノベルス 今野敏)を読了。

僕の好きな「不可解な謎解き」というほどの内容ではないけど、読み終わった後に何だか暖かい気持ちがただよった。

そういう意味で、僕にとっては読んで正解。
バイオリン奏者と指揮者がお話の中心にいるので、音楽、特にクラシックに関する記述が多い。
クラシックが好きな人には、共感できる部分があると思う。

あれは、作者の今野敏さんの音楽観だと思う。
そういう風にいろいろ想像しながら読むのもまた楽しい。

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水の迷宮

このあいだ記事にしたtakoさんのココログ*second message*を見ていて、そういえば自分のココログでは最近、読んだ本の感想を書いていないと思い出した。

今見たら、最後に本の感想を書いたのは、昨年の9月だったよ。

ということで、久しぶりにその後に読んだ本の感想をまとめてみようと思って、そのなかでもお勧めの一冊が「水の迷宮」(石持浅海 光文社 カッパ・ノベルス)。

最初は、「四日間の奇跡」(浅倉卓弥 宝島文庫)にしようかなと思ったけど、知る人は知るってぐらいに話題になりすぎているし、お涙ちょうだいないかにもな印象が個人的にはあって、ちょっと敬遠。

とはいえ、「水の迷宮」も僕にとっては、涙を誘う作品。でも、おしつけがましくないのがすてき。こういう作品は、何というのだろう? 一応「推理小説」かな? 違うような気もするけど。

とある水族館で殺人事件は起きる。誰がやったのかという推理もあって、犯人も指摘される。けど、それだけではない。

表紙に書かれた言葉がぴったりかも。いわく「胸を打つ感動と美しい謎。」

ヒントは、1人の男が追い求めた夢。
この夢の全貌が描かれるに至って、その壮大さにめまいがする想い。石持浅海という人の文筆力がすごいのだと思う。僕にはまるでそこにあるように感じられたから。

「水の迷宮」、美しい謎をどうかご賞味あれ。

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ネコソギラジカル出るよ!

現在お気に入りの作家の1人「西尾維新」の新作「ネコソギラジカル (上) 十三階段」(講談社ノベルス)が、来月ついに出る。

わかる人にだけわかってもらえるこの話。
確か昨年の9月に予定していた発売が延期になって、そのまま年越し。でも、Amazonで予約も可になっているから今度は本当に出る。

当初は9月から3ヶ月連続で毎月発売されるという話だったと思うのだけど…その話は生きているのかな? だとすれば、3月には「中」が4月には「下」が出る。

クセのある文体だから好き嫌いがはっきり分かれると思うけど、今年中学生になる姪っ子は面白いと言っていた。西尾維新の他の作品をプレゼントするよう、叔父様として約束させられてしまったし。

姪っ子よ。君が本に親しんで楽しい思いをできるなら、この叔父はノベルスぐらい10冊でも20冊でもどんと買ってあげるから言ってきなさい。

でも、限度はノベルスまでにしてね。(中学生でブランド品を持っていたら逮捕されるよって教えておこう…)

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φは壊れたね

「φは壊れたね」(講談社ノベルス)は、森博嗣の最新作。ついこの間、「スカイクロラ」(中央公論新社)を読みましたが、僕にはあれはちょっと最後がやりきれない暗さがありました。

けど、この新シリーズはそれほど暗くなさそう。読み出したばかりですが…

φの読み方がわからない人は、誰かに尋ねてみてください。このお話になかにもφの読み方を尋ねるシーンがでてきますし。ヒントは、僕はこの最新作を「πは壊れたね」だと思いこんでいました。

φっていう記号は、何に使うか決まってない記号らしいです。「関数」を意味したり、「空集合」とかを意味するのに使ったり…数学がとても苦手な僕は、「空集合」って文字を読んで、なぜかフタがない空っぽの小さな箱が無数に並んでいる光景を想像してしまいました。(我ながらベタだと思います。発想が貧困です)

しかし、空(カラ)をどうやって集合させるんでしょう? 集合させられる実態があるなら空(カラ)じゃないだろうと思ってしまうのですが…数学に詳しい方、馬鹿なこと言ってごめんなさい。

■わかる人にだけわかる話し
久しぶりに西之園さんに会えます。国枝先生は相変わらず無口です。

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言葉との出会い

年齢を重ねる過程で人間はいろんな言葉を覚えます。そして、言葉には、時代によって"はやりすたり"があります。
先日から、「虚無への供物 」(中井 英夫 (著) 講談社文庫)という本を読んでいますが、その中に「地理痴」という言葉が出てきました。いわゆる、"方向オンチ"のことです。

僕は「地理痴」という言葉を初めて知りました。
こんな風に、ある言葉に最初に出会った時というのを覚えておられますか。

僕は、"5W1H"という言葉に出会った時をはっきりと覚えています。
小学校のとき、講堂で生徒に向けて校長先生が話されていて「皆さんは、"5W1H"という言葉を知っていますか」とおっしゃられたのがその瞬間でした。

そもそも校長先生が何の話をしていたのか、その後にどんな話を続けてされたのかは、もう何も覚えていません。(あまり良い生徒でなかった証拠だな。)

けれど、生まれて初めて出会った"5W1H"という言葉、それも英語を知ったとき、何だか少し偉くなったような気がしたのも覚えています。
"5W1H"以外では、初めて出会った瞬間を覚えている言葉はありません。よほど深い印象を僕に与えたのでしょう。

"5W1H"は、最近では"5W2H"と表現されることの方が多いようです。僕が最初に出会ったときからは、いつのまにか少し変わってしまいました。

小学校のときから知っていた自分としては、"5W1H"の方が常識ある社会人らしい表現だという想いをもっています。
というのは、"How much (いくらなのか)" についての情報は、必要なら"What (何を)"と共に伝えるのが社会人としては当然だろうと思うからです。

"5W2H" という表現にするのは、少々お節介ではないかしら?
言葉と共に大人になっていく感覚を、あまり本を読まないと言われている世代の人たちにも知って欲しいと思います。

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伝説の書

「新装版 虚無への供物 上」(中井英夫 講談社文庫)を読み始めました。

「虚無への供物」は、"推理小説"(僕はあえて推理小説と呼びたい。この辺の重要視の意味がわからない人は無視してください)が好きな人たちの間では、”名作”とか”伝説”といった言葉を伴ってその名が呼ばれる書籍です。

推理小説好きの1人だけれど、僕はこの書籍は題名でしか聞いたことがありませんでした。
講談社文庫で新装版が出ていたと知ったのも最近のこと。今年(2004年)の4月には出ていたんだとか。

ミステリーが好きな人同士では、同じ講談社文庫から出ている「姑獲鳥(うぶめ)の夏 」や「絡新婦(じょろうぐも)の理(ことわり)」(どちらも著者は京極夏彦 )を読めということも聞くけど…

あれ書店とかで見たありますか?
よく売れて平積みされていた本だから、知っている人は多いと思いますが、"ものすごく"分厚いです。

重さを考えると持ち歩きたくないです。
そんなわけで、いまだ京極さんの作品は一冊も読んでいません。

いかん。話題が変わってしまった。

まずは、この伝説にして奇書、希代の名作「虚無への供物」を読んでからにいたしましょう。
(今日は会社で1人で仕事。寂しいので、ココログへ書き込みをしてしまう。)

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「はじめての結婚」

「はじめての結婚」(秋元康 柴門ふみ 角川文庫 )は、 マロンカフェ店主の部屋.というブログで紹介されていた本です。
こちらのオーナーさんの評に心ひかれて読みたくなったのに、手に入れたきりちゃんと読めないでいました。今回、めでたく読了。よかった。よかった。

自分の場合、どちらかというと柴門さんの考えに方にうなずくことが多かった。
秋元さんの指摘にもうなずける部分はあるけど、この人の文章では、他者や物事を決めつけているように取れる書き方が僕には目について、ちょっと感情的に反発したくなる部分の方が多い。

「○○な人は■■だ」「△△な場合は、**なものだ」といった言い切る記述が目立つように感じた。
(著作そのものよりも、そんなところに感情的に反応して、著作について語ってはいかんとだろうとは思うのですが…気になるものは気になる。)

特に、男性の場合は、一緒に映画を見ても、食事をしてもセックスをしないんだったら時間の無駄と思っているという趣旨のことを言い切っている部分には腹がたつ。
少なくとも、自分は今までそんなこと思ったことはないし、自分の友人にも、女性に対してそんな風に考えながら時間を過ごしているという奴はいない。

この人は、たぶん自分がそういう考えでいつも女性と接しているから、他人もそうだと思っているのではないかと勘ぐってしまった。

そうはいっても、秋元さんの文章のなかにも共感・納得できる部分があるのも本当です。いっしょにいると心が楽になれる人が現れたら、結婚すればよいという主張は、本当にそうだろうな思います。

いっしょになったら、死ぬまでいっしょですからね。死ぬまで、毎日疲れる人とはいたくないですよね。

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さあ、零崎を始めよう

「零崎双識の人間試験」(著者:西尾維新 講談社)を読了。いつもながら、かっこいい。デビュー作の「クビキリサイクル 青色サヴァンと戯れ言遣い」からずっと読んでいますが、キャラクタ設定が異常にとがっているのが秀逸。

確かこの人は、二十歳のときがデビューだったかな? いやーすごい二十歳もいたもんです。言葉の使い方に独特の個性というか美学というか毒というかそういうものがあって、クセがあるといえばあるので、人によっては好きになれない作風だとは思いますが。

僕は、一連の「戯れ言遣いシリーズ」の最新刊だと思って本作を買ったのですが、実は独立したお話でした。つながっていることは、つながっているのですがね。直接の続き物ではないです。

これから初めて読むと、なんだかよくわからないこともありますが、「さあ、零崎(ぜろざき)を始めよう」のセリフに何かしら感じた人は、お手にとってどうぞ。

■わかる人にだけわかる話し
本作「零崎双識の人間試験」には、「いーちゃん」も「玖渚友」も出てきません。が、「潤さん」は印象的な出方をしています。でも、「潤さん」のファンの人にはちょっと物足りないかも。「人間失格」は大事な役でしっかりと現れてます。

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すべてがFになる

コミック版「すべてがFになる」(原作:森博嗣、作画:浅田寅ヲ 幻冬舎コミックス)を買いました。

いやぁー、格好いい。1ページ目を開いたときから「格好いい」とためいきのようにつぶやいてしまった。
原作の雰囲気がとてもよく出ていると噂には聞いていたけど、これほどとは思っていなかった。原作を好きで読んでいたこともあるだろうけど、作画の浅田寅ヲ(こんなペンネームだけど、女性だそうです)という人はただ者ではないと感じました。

原作者の森さんが後ろのページで言っているけど、「原作者もびっくりの理解度」だそうです。

無理にけちをつければ、主人公の西之薗萌絵(にしのそのもえ)の風貌が僕のイメージとは若干違う。だけれど、そんなことはマイナスにはならない。

浅田寅ヲ、この人は僕としてはお勧めの漫画家です。良い意味で要注意です。
(浅田寅ヲという漫画家がコミックの世界でどのぐらい知られているのかを僕は知らないので、よく知っている方には何をいまさらという感があるかもしれませんが。)

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お勧めは、霧舎 巧

「霧舎 巧(きりしゃたくみ)」と読みます。お気に入り作家の一人です。 古くは探偵小説や推理小説、最近ではミステリーと呼ばれる分野で何か面白いものがないかと尋ねられたら、いつもお勧めとして名前をあげています。

彼の作品は、デビュー作で新本格派の「あかずの扉研究会」シリーズや、ラブコメミステリの「私立霧舎学園ミステリ白書」シリーズが講談社ノベルスから出ています。 最新作は、霧舎学園シリーズのもので、「八月は一夜限りの心霊探偵」です。これを昨日を読み終えました。なかなか楽しかったです。

このシリーズの題名には、「○月」という文字がかならず入っていて「四月は霧のラブラブ密室」がシリーズ第一作です。 シリーズものの説明としては、定番すぎてカビが生えているでしょうが「どれから読んでも楽しめますが順番に読んだほうがより楽しめます」な作品です。

「あかずの扉研究会」シリーズの方は、「マリオネット園(ランド)」という作品で止まっていますが、この作品の「あとがき」に次回作への熱い意気込みが述べられています。 その時点では詳細にされてませんが、その次回作というのが「霧舎学園シリーズ」になります。 お気に入りの作家を追いかけるとき、著者自身からのこういうちょっとした"情報漏れ"があると嬉しいです。

ちょっとした"情報漏れ"ということでは、前出の「マリオネット園(ランド)」の第一章2ページ目に、語り手である「二本松翔(にほんまつかける)」の口を通してシリーズ四作品の題名が出てきます。 そのうち二作が本当に出版されているので、結構本気で作者はこれらの題名を記したのではないかと僕は感じています。

残りの「アポトーシス荘」と「クロックワーク湖」はまだ出ていません。 「翔」によるとすでに題材との"遭遇"は済んでいるようです。 「霧舎学園シリーズ」の方がしばらく続くようですのでまだ先でしょが、もし出るのならなるべく早く出して欲しいです。

「霧舎 巧」を書店で見かけたらぜひお手に取ってレジへどうぞ。

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世界の中心で、ちょっと驚き

こっちの記事で、「世界の中心で、愛をさけぶ」(片山恭一、小学館)の題名が、テレビアニメーション「新世紀エヴァンゲリオン」の最終話タイトルにそっくりと思っていたら、「新世紀エヴァンゲリオン」にも元ネタがありました。

それは、『世界の中心で愛を叫んだけもの』ハーラン・エリスン (著),ハヤカワ文庫 (1979/01) 早川書房、原題:The Beast That Shouted Love at The Heart of The World
という本です。
「新世紀エヴァンゲリオン」が話題になっていたころに、本に詳しい人の間では、最終話のタイトルがハーラン・エリスンの本のタイトルとほとんど同じなことも話題になっていたようです。うーん、知らなかったなぁ。

いわゆる「本歌取り」ってやつですね。
ということで、片山さんは、ハーラン・エリスンの方に照準を合わせていたのか、あるいはエヴァンゲリオンに照準を合わせていたのかが僕は気になりました。
ほんのちょっとだけ読んだけど、あの主人公の雰囲気は、エヴァンゲリオンの主人公「碇シンジ」風だと思うのだけど。

そう言えば、最近男がやたらうじうじ、うだうだしている話を見ることが多いです。
「マトリックス リローデッド」のDVDを買ったのですが、ネオは何だか寂しがりで甘えんぼの男の子という感じです。「僕ね…僕ね…」って半分鳴き声で言いながらトリニティに抱きついて「大丈夫よ僕ちゃん。僕ちゃんならきっとできるわ」とか慰めてもらってるような感じです。
モーフィアスもいっけん男らしい感じだけど、何だか昔の恋人に未練がましいようにもみえるしなぁ。

あんまりヒットしなかったけどルーシー・リューとアントニオ・バンデラスの「バリスティック」って映画でも、ルーシー・リューは無敵の人間兵器として銃やら爆薬やらで周りを破壊しまくってますが、バンデラスが演じるエージェントは登場シーンでは昔の思い出にひたって飲んだくれだし、その後もどちらかといえば助けてもらっている時の方が多いし。

以前見た「ロード・オブ・リングス」では、フロドは「使うな」と言われている指輪の力を、ちょっと危なくなったかと思うと使っちゃうし、そのくせ指輪をはめたとたんに怖くなって大あわてで外してたし。
そうやって、怖くて指輪を外したくせに、また危なくなったらやっぱり指輪をはめて、そんでもってやっぱり怖くなって外すというのを繰り返してました。第2部でも、もうほんとにうだうだしていてはっきりしない。お付きのサムの方がよっぽどしっかりしてました。

「ハリーポッター」のシリーズでも、ハリーやロンよりは、ハーマイオニーの方が頼りがいありそうだったし。ホグワーツの先生方にしても、男性教諭よりは女性教諭の方がしっかりしていそうでした。

男性諸君、はらからよ!もっと強くなろう!!
俺は男だ!俺が法だ!俺が世界の中心だ!と叫んでみよう。
でも、どうしても言えなければ、一番優しくしてくれる人に「がんばって、あなたなら言えるわ」って勇気づけてもらおうね。

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世界の中心でアイを叫んだけもの

「世界の中心で、愛をさけぶ」(片山恭一、小学館)という本が100万部を突破したとか。

この本、実はずいぶん前に買っていました。(自慢してるわけではないよ)
でも、ぜんぜん読まずに放っりぱなし。100万部を突破したというニュースで持っていたの思い出し、片づけてあったものをひっぱりだしてきました。

なぜこの本を買ったのかにはほんのささやかな理由があります。
わかる人にはわかるでしょうが、この題名、かつて大変話題になったテレビアニメーション「新世紀エヴァンゲリオン」の最終話(たしか、第26話だったと思いますが)のタイトルにそっくり。
それが、「世界の中心でアイを叫んだけもの」ってやつ。
なんか関係あるのかなって思って、深く考えずに本をレジに持っていったのを覚えています。

で、この本。ちょっと最初のページを読んでみたのですが、あまり好きになれず、読み進もうとする気持ちになれませんでした。
100万部も売れているこの本の良さがわからないというのは、ちょっと問題かもしれないと、なぜ問題だと思うのか理由がこれまたよくわからない不安を感じています。流行におくれているかもしれないというこわさかな?

それにしても、なぜこんなにそっくりな題名をつけたんだろう。内容的にどこかで関係があるのでしょうか。でも、あまり深い理由はなくて、単に著者の片山恭一さんが「新世紀エヴァンゲリオン」が好きなだけだったりして。

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