経済・政治・国際

アウシュヴィッツ博物館( Auschwitz Memorial )による声明

ロシアによるウクライナ侵攻に対して、アウシュヴィッツ博物館( Auschwitz Memorial )が、2月24日に出した抗議文。

The Auschwitz Memorial statement on the situation in Ukraine.

ナチス・ドイツによるホロコーストに照らして、ロシアの侵攻を、「いままた帝国主義の誇大妄想によって罪のない人々の命が奪われている」と抗議している。

そして、1930年代にユダヤ人が弾圧されていることを知っていながら、世界中が国外に逃れようとしたユダヤ人を受け入れず、救いの手を差し伸べることに消極的だったことも踏まえ、そのことから学んだことを示すべきだと指摘している。

■翻訳サービス DeepL による和訳
今朝、ロシアがウクライナを攻撃した。この野蛮な行為は歴史によって裁かれ、その加害者は、国際司法裁判所によって裁かれることが望まれる。

アウシュビッツ・ビルケナウ記念館に立つ私たちは、再び、狂気の疑似帝国的誇大妄想のために無実の人々が純粋に殺されている間、沈黙を守ることは不可能である。

私たちは、自由で独立した主権国家であるウクライナの市民と住民、そしてこの戦争に反対する勇気を持つすべてのロシア人と、絶対的な連帯を表明します。

この瞬間、自由で民主的な世界は、1930年代の受動性から教訓を得たかどうかを示さなければならない。今日、無関心のいかなる症状も、加担の兆候であることは明らかである。

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総選挙での無所属は大変

郵政民営化の否決~衆院解散の流れによって総選挙が行われることになりました。ところで、総選挙での無所属と公認というのでは、やれることがぜんぜん違ってくるんですね。

たとえば、無所属で出馬するとポスターが有りません。公認の場合はポスターがあります。あるいは、無所属の立候補者はトランジスタメガホンを使えないそうですが、公認を受けていると使用することができるそうです。
さらに、無所属の立候補者は、政見放送を行うことができません。立候補者の考えを訴えることができる方法の1つとして政見放送があると思うのですが、それができないとなると、私たち国民は無所属の立候補者の話を聞くには、彼らに直接接する場へ出かけていくしかありません。

なんだか無所属の立候補者をいじめ、国民に対しては無所属の候補者との接点を少なくさせるようにしていると僕には思えてしまうのですが…
こうした内容は、公職選挙法で規定されているわけですが、いったい何の意味があって無所属と公認でこういう差を設けているのか僕にはわかりません。詳しい方がおられたら教えていただけると嬉しいです。

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61法案が廃案

昨日から今日にかけて、ブログなどインターネット上に存在する多くの場で話題になっているであろう郵政法案の参院での否決と衆院解散。そして、9月11日の総選挙。

TVニュースなどを見ていると、郵政民営化の行方に話題が集中してしまって、その他に提出されていた法案への関心が政治家と国民ともに薄れてしまったような気が僕にはします。

郵政民営化を含めて国会で審議中だった法案のいくつかが衆院解散に伴って廃案となりました。
詳しくは新聞に載っている話なので、僕が関心があったものについては、こんな法案が、このときに廃案になったのだという記録として書き留めておきたいと思います。

■郵政民営化関連六法以外で、今回の国会で審議中だった法案の数は次の通り。
(以下、2005年8月9日 日本経済新聞より抜粋)
・内閣提出法案15本
・議員提出法案46本 計61法案

うち、僕が関心があったのは以下の法案。
■風俗営業法改正案
性風俗の店などの違法行為の罰則強化
■少年法改正案
14歳未満の少年への対応強化(少年院への送致を可能にする)
■障害者自立支援法案
サービスの利用料の一割を、障害者に自己負担を求める。
■政治資金規正法改正案
政治団体の間での献金の上限を規制
■刑法・組織犯罪処罰法等改正案
犯罪が実行されなくても、共謀に加わっただけでも処罰を可能とする「共謀罪」の新設


障害者自立支援法案は、自己負担を引き上げる話なので、法案の呼び名の聞こえはいいですが、場合によっては支援どころではなくなる話です。一割自己負担を重く感じていた人たちにとっては、とりあえずの廃案ですが、また再提出されれば同じことです。
障害者の負担を引き上げることを考えるなら、その前にもっと削るところがあるだろうと言いたくなるのは普通の感情だと僕は思っています。

また、政治資金規正法改正案が廃案になったことで、政治とお金の絡みによる問題の一部が先送りになったといえます。

廃案とはいっても、このまま無くなるという意味ではないし、再提出される法案も当然あるはずですが、とはいっても一度白紙になったものをまた引き出してくるというのは、政治に限らずビジネスでも何でもエネルギーが必要で難しいものです。

廃案になった法案のうちいくつが再提出され、いくつが決まり、あるいは決まらないのか。9月11の選挙に向かっては、衆院でも参院でも各議員の皆さんには廃案となった法案をどうするのかという話も忘れないで欲しいなと思います。

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打ち切りって…

米中央情報局(CIA)主導の調査チームは、イラクの大量破壊兵器の捜索活動を打ち切っていたそうな。

あのさぁ、ブッシュさんね。あなた、「ある」ってことで開戦の命令を出したんでしょうが。違うのか? 

まぁね、少々無理に言えば、「発見できなかった」ということと「無かった」ということはイコールじゃないからね。「どこかにあるのだけど、見つけられない」というスタンスなのかしら?

マクレランという報道官は、旧フセイン政権には大量破壊兵器開発の「意図と能力」があったと指摘して、イラク戦争は正しかったと言っているとか。

だからー、「意図と能力」が有ったというのじゃなくて、「モノがある」というのが戦争の発端じゃなかったのか?

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生きられる幸せ

日経新聞のコラム「私の履歴書」は、いま「野見山暁治(のみやま ぎょうじ)」という画家の方が書いておられる。
本日(204年5月18日)付けの「私の履歴書」を読んで、「生きることができる」幸せをしみじみ感じた。

野見山さんは、コラムのなかで美術学校の同級生7人について語っている。
そのうち、亡くなられたと書かれているのは5人。
そのなかには、飛行機からの機銃掃射で亡くなられた方、ルソン島で立てこもって亡くなられた方がいる。また、1学期とちょっとで胸を患われて亡くなられた方もいる。

人が亡くなることに、戦争と病が避けられない理由としてあった野見山さんたちの時代。
病で亡くなる人はいまでもいるけど、野見山さんの時代よりははるかに存命率が高いだろうし、戦後の日本で戦争で亡くなる人はいなかった。

でもいま、「あの国」では、日本人でも戦争が原因で命を無くす可能性はある。

僕は中・高・大学を過ごすなかで、4人の同級生を亡くしている。1人は病。あとの3人はそれぞれ交通事故。
僕が知らない内に亡くなっていた奴がその中にいる。僕は彼と仲が良かったけど、彼の家族や僕以外の友人たちは、僕とそいつが仲が良かったとは知らなかった。だから、そいつの訃報はしばらく僕には届かなかった。

「あの国」から離れていても、明日の僕が出かける場所が、テロリストが攻撃の対象にしていない絶対的な理由は無いけど、僕が暮らしているような田舎で何事かを起こすことに意味はないだろうし、そういう意味で確率は低い。

基本的には、犯罪と事故と重い病以外では、死ぬことはないのが今の時代。
いろいろと悩みもあるけど、毎日を「生きていられる」のは幸せなことだと思う。

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