エスカレーターの "それ" は「配慮」だと思う。
某駅のホーム。
エスカレーターの横で立ったまま、しばらく乗らずに振り返って後ろを気にしている男性がいた。
何度かその行為を繰り返した後、彼はエスカレーターに乗るために動き出した。彼の左手はほとんど自由が効いていなかった。
彼がエスカレーターに乗って自分の身体を支えるためには、動かせる右腕で摑まる必要があって、そのためには右に寄って乗らないといけない。
つまり、彼は自分がエスカレーターの右に寄って乗るので、自分の後ろから来る人がいないことを確認していたということ。
なんという配慮だ。
あるいは、身体を支えるために右側に立っていて、後ろから登ってきた人に何か嫌なことを言われた経験があるのかもしれない。
身体に不自由がある人に気をつかわせる社会ってどうよ?
とか考えていて、「エスカレーターに乗る際に片側を空けておくのはマナー」だという人がいるが、それは違うなと思った。
「エスカレーターの片側を空けておく」行為は、「他者への配慮」なんだと僕は思う。
「とても急いでる人がいたら、少しでも早く行けるように片側を空けておこうかな……」という感じの。
「(他の人がしてくれる)配慮」を「(欠かせない)マナー」のように言うのは、僕に言わせれば、「止まらないで進んでいきたい私に気をつかなさい」という横柄な主張だ。
配慮は人に「強いるもの」ではないから。
それは人が「してくださるもの」で、人から「していただく」ものだろう。
エスカレーターの片側が空いてなくても、誰も不愉快になったりしない社会に、僕はなってほしい。
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