「完成車検査」は本当に必須なの?
無資格の従業員に「完成車検査」をさせていたことが判明した日産自動車。
完成車検査とは、新車を出荷する前に行う最終のチェックのことで、道路運送車両法などに基づいて各社が認定した「検査員」が実施するのだとか。
日産では資格をもたない人による検査が常態化していたらしく、しかも偽装のためのハンコを貸し出すなどしていて、どうも組織ぐるみでやってましたよ感がありありらしい。
でも! だ。
自動車が世に普及し始めた時代ならともかく、技術がはるかに向上し、「うちの社が作る自動車の安全性には絶対の自信がある」といった状態でいつでも、どこでも生産が可能な時代になってくると、完成車検査というものを国が定めることに、はたして意味があるのか? という気は僕にはする。
西川社長が会見で言っていた言葉――「検査そのものは確実に行われており、安心・安全に使っていただける」――つまり、「無資格の人が完成車査をしていた」という手順の問題であって、検査の時点では完成している車両の品質がなんら汚されるものではないということだ。
社長の言葉をそのまま信じればということだけど。僕は信じたい。
「こんな検査の手順を経なくても品質には何にも問題がない」とわかりきっている状態の車両の完成車検査を、法に定められているからといってやり続けなければいけないとなると、どこかで「この手順は誰がやっても何の影響もないだろう」と考え始める――気持ちとしては理解できる。
それだけコストがかかり、かかったコストは消費者の購入額として返ってくるのだし。
より良い製品をより安価にと考えるなら、不要な手順は省きたいと思うのがまっとうな経営というものだろう。
(国の委託を受けているなら委託費が出てるだろうけどねえ。コストが回収できてかつ潤沢な利益になるような額ではないだろうなあ……)
日産がそう考えているという話ではない。そう考えた人たちがいても、そのことを心情として僕は理解できるという話。
だからといって世間からは「いいんじゃないの」とすませてもらえないだろうけど、国が法として定めている内容が、時代に合わなくなっているのではないかという振り返りを、国と企業が肩を組みあって行う必要がある気がする。
たとえば、車検だ。
それこそ大昔なら国が介入して自動車の安全性を維持・向上させようとする仕組みとして意味があったと思う。
でも、技術革新が進んできたこの時代に、数年ごとの車検なんて不要なんじゃないか? と思うことは僕にはある。
運転者が気づいていないうちにどこかが緩んでいて危険な状態に――とかあるといえばあるだろうから、まったく車検は無しというのは難しいかもしれないけれど、3年とか2年ごとというのは期間が短すぎだろうと思うのだけど。
今の時代の自動車はそんな間隔で点検しなければならないような品質ではないだろうに。
(とはいえ、車検はもう経済の仕組みの一つとして長い年月が経ってるから、いまさら止めるとか期間を延ばすとなると、整備工場の死活問題になってくる。難しいところだ。)
完成車検査も実態はそんな感じになってたんじゃないのかなあ。ひょっとしてだけどね。
「完成車検査なんて、無くせばいいんだよ。あれを無くしてどうにかなるような車を作っているメーカーなんて、いまどきいないよ!」と、自動車業界の人たちがあちこちで言っているような気が僕にはする。
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コメント
元は、外国からGMPと言う圧力があって、従来のやり方では、輸出が信用されなくなった。この時日本政府が、介入し日本人の教育レベルの高さやJIS規格をアピールし、各国を説得すべきだったのだけど、怠慢を決め込み、各業界各社は、個々で対応に追われた。その中での品質管理を組み上げる事は、二重の品質管理を行う事になり、かなりの負担となる。今更日本の規格を持ち出されても、当惑しているのでは?なお海外向けの自動車に完成検査は必要ないそうだ。
投稿: 矢野 | 2017.10.24 20:39