「ホワイトデーのお返し」ってちょっと妙に感じるんだけど。
ホワイトデーに男性からの贈り物は必要ないという話ではない。僕はあったほうがよいと思っている。
だったらなんだ? と問われれば、日本語としてどうなのかなぁという話なんですが、と答える。でも、言葉の使い方が間違っているとかそういう話がしたいわけではない。
単純に僕にとって妙に感じるというだけの話をします。
僕としては、この場合は「バレンタインデーのお返し」という表現がしっくりくる。あるいは、「ホワイトデーの贈り物」なら、僕はすっきり感じる。
「の」の使い方が、日本語として間違っているとか正しいとか、どちらでもないとか、そういうことはどうでもいいです。そういう言葉の使い方についていろいろ言いたい方はこの記事は無視してください。
単に、僕はなんだか妙に感じるんです、という話だから。
主格が無いからか?
「彼のホワイトデーのお返し」
「彼女のホワイトデーのお返し」
「私のホワイトデーのお返し」
「あなたのホワイトデーのお返し」
「あの人のホワイトデーのお返し」
ますます妙になってきている感じがしますが……妙じゃない? 僕の感じ方がおかしい?
"ホワイトデーの" という部分に謎が潜んでいる気がします。
どうせ正確な話をしようというものじゃないので、適当に Wikipedia からひろってきてごちゃごちゃこねくり回してみます。
「の」は、連用修飾語の動作や状態の主体を表したり、属格(連体格)や連体詞となったりするのだそう。
格助詞「の」は、「の」が「私」につくことで、「私の」を修飾語にするのだかと。例として「私のペン」があがってますね。
「ホワイトデー」につけた「の」は、「私のペン」ほども僕はしっくりこないけど。ペンは私に所属する物だけど、「お返し」は「ホワイトデー」に所属するものじゃないからか。
"連用修飾語の動作や状態の主体を表す" ってのも、この場合はしっくりこない気がするなぁ。 Wikipedia には、「修飾語の中で用言(おもに動詞、形容詞、形容動詞など)を修飾するものを、連用修飾語という。」とあるけど、「ホワイトデーの」の「の」は、用言を修飾して動作や状態の主体を表していないもんなぁ。
並列助詞の「の」は、「並列や列挙を示したり、程度がはなはだしい意を表したりする。」なんだとか。う~ん、これはますますわけがわからん。「ホワイトデーのお返し」って、何の程度がはなはだしいんだ? そういう話じゃないのか……
意外に、終助詞の「の」がちょっと近いか?
「活用語の連体形につき、断定を和らげる意味(こちらも「かしら」同様女性語となっている。)を表したり、質問または疑問、強い命令の意味を表したりする。また、感動の意味でも用いられるが、近年では古風な表現とされる。」のが終助詞の「の」。
たとえば、「今週って、ホワイトデーなの?」というときの「の」なんだろうけど、「これ食べていい?」「だめ。ホワイトデーの!」とかいう感じで、「ホワイトデーの! お返し!」って――違うなぁ。
なんだかんだとこねまわしていたら、これじゃないか? ってものを見つけた。
属格の「意味上の主語・目的語」ってやつだ。「動詞的な意味を持つ名詞を修飾し、意味上の主語・目的語を示す。」んだそうで、例としてあがっているのは次のよう。
・神の怒り(神が怒ること)
・真実の追求(真実を追求すること)
・日本語では連体修飾節の中の主語も、属格で表される:神の怒った日
「ホワイトデーのお返し」の「お返し」は、たぶん動詞的な意味をもつ名詞でしょ。近いのは「真実の追及」の例かな。
「バレンタインデーにもらったチョコレートに対して、ホワイトデーということでお返しすること」というのが、「ホワイトデーのお返し」――って、これだと「バレンタインデーのお返し」じゃないのか?
不可解だ……
このあたりにただよう不可解さは、三上章氏のいう「象は鼻が長い」とか「象の鼻は長い」と似たようなものでしょうか。
全国飴菓子工業協同組合がホワイトデーを発足させたのは、1980年(昭和55年)だそうです。
それ以前は、ホワイトデーという呼称は無かったのか、あってもあまり一般的ではなかったのか。
1971年にお亡くなりになっている三上氏は、'80年発足のホワイトデーのことを知らなかった可能性はあります。
もし知っていたら、「象」といっしょに「ホワイトデーのお返し」という例文も使っていたかもしれません。
「ホワイトデーのお返し」という表現について話をうかがってみたい気がします。
「ホワイトデーのお返し」――僕には不可解に聞こえますが、これを読んでくれたあなたにはそうでないことを祈ります。
あなたからのお返しを待ってくれている人がいたら、迷わず返してあげてください。
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