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Kindle のカバーを購入(Made for kindle ってさ……)

Kindle Paperwhite 用のカバーを購入した。なかなかいい感じだ。

購入したのはこちらのもの。
BUFFALO Kindle Paperwhite専用 レザーケース

店頭で見て、オレンジが気に入ったのでそれを購入。
最初はカバーを付けるつもりは全くなかった。けれど、電車のなかで居眠りをして Kindle Paperwhite を落としそうになったのが購入を決意した原因。

このカバーを選んだ最大のポイントがハンドストッパー付なところ。
僕としてはカバーというよりは、「うっかり落とし防止機能」がほしかったわけで、そこに手を差し込んでおけば、居眠りしても Kindle Paperwhite を落とすことはまずないのだ。

Amazon純正カバーがもつ「カバーの開閉だけで起動・スリープ」の機能も魅力だったけれど、8千円しない本体に対して価格が高いし、ハンドストッパーがないんだから、そもそも僕が実現したかった使い方ができないので却下。

いやぁ、落とす前に購入を決めてよかったよ。同じ Kindle Paperwhite ユーザーのT氏は、見事に電車のなかで落としたらしい。落としてから動きがいまいち妙な気がするけれど、まぁ読めているからいいかという感じで使っているのだとか。

そんなふうにある程度あきらめがつけられる人はそれでよい。でも僕は落としたくないぞ。

約3千円という価格はもう少し安ければと気になったけれど、ハンドストッパーの魅力は捨てがたかった。カバー自体の重さも95gという重量は僕は気にならない。いい使い勝手だ。買ってよかったぞ。

ところで、買う前に "アマゾン・ドット・コムの基準をクリアした証、Made for kindleを取得したレザーケース" という売り文句が気になった。
だって、「アマゾン・ドット・コムの基準って何さ?」って気になるでしょ? ならない? どこにも基準の中身が載ってないんだから、Made for kindle って言われてもさ、「なんか良さそうな感じがする」ってだけだし。

でだ。ごちゃごちゃ考えてるより聞いてみるのがいいと思って、ダメもとで Amazon のサポートにメールをしてみた。「アマゾン・ドット・コムの基準の内容を知りたいんですけど、教えてもらえませんか」って。別にクレームを入れているわけじゃないから、ていねいに失礼のないようにおうかがいのメール文を作りましたよ。

そしたら、各商品の詳細についてはメーカーに問い合わせてほしい旨の返答。Amazon がそう言うんだったらって思って、今度は BUFFALO にお問い合わせメールを送ってみた。
(こちらも、不平不満を告げたいわけじゃないんで、ちゃんとていねいなメールをね。)

返ってきたメールに書いてあったのは、簡単にいうと「私たちもどんな基準なのかわからないんです」ってことだった。これには少し驚いた。彼らがいうに、Amazon に製品を送るだけなのだそうな。

たぶんだけど、満たすべき特別な基準とかはべつに無くて、普通にちゃんと作ってあれば、どんなものでも申請さへすれば、 Made for Kindle が取得できるというのが実態じゃないかって思うけどね。
(これまた僕の想像だけど、Amazon はメーカーから「審査申し込み料金」とか名目でいくらか取っていても不思議はないなぁ。)

というわけで、私見としては Made for Kindle の有無はあまり気にする必要はないんじゃないかな。

実は、『RAMA12D01』というカバーもいいなぁと思ったのだ。
こちらは、ハンドストッパーがついていて、さらに、Amazon純正カバーと同じく、「カバーの開閉だけで起動・スリープ」機能も備えている。しかも! 1,580円という衝撃と言いたくなる価格も魅力だった。

機能といい、価格といい、純正カバーが泣きながら裸足で逃げるってなもんだ。
(Amazon でも同じ価格で売ってる。Made for Kindle は取得していないみたい)

とはいっても、BUFFALO のカバーと比べるとちょっと縦横奥行のサイズが大きい。そして105gだ。たいした重さではないけれど、人間勝手なもので、BUFFALO のものと比較しちゃうと気になってくるし、だがしかしだしで……

だってさ。ハンドストッパーが付いてスリープ機能もあるんだぜ。2千円しないんだぜ。欲しくなるじゃないか。

結局、縦横のサイズが僕のコートのポケットには、きつかったというのが選ばなかった最終要因。
でも、いまだにちょっと気になる RAMA12D01 ――買った人がいたら感想を聞いてみたいんだけれど、誰かいないかな?

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2013年の初ツバメを見てあれこれ。

3月18日、今年初のツバメを見ました。

昨年の記事を見返してみると、4月19日に「初 ツバメ」の、記事を書いていました。おととしは、4月1日でした。
自分が気が付くよりもっと早くからいつも、ツバメはうちのあたりに来ていたのかもしれません。

当然というか、おととしも昨年も震災をからめて書いていました。昨年の記事では、そのころにはあまり取りざたされたり、実施しなくなった「節電」にふれて、「のど元過ぎれば――というものか」という表現を使っていました。

今、「のど元過ぎれば――」という生活をしているのは自分自身です。
明るい部屋で好きにテレビを見て、コンピュータを使い、携帯電話を充電しています。昨年の記事を書いたときには持っていなかった Kindle Paperwhite を所有し、電子書籍を楽しんでいます。

政権が代わり、新しい政権は原発を失くすことを止めました。投票によって選ばれた政権です。投票した人たちの多くが、原発が無くなることは望まなかったと言えます。

自分の気持ちとしては昨年の記事を書いたときと変わっていません。

原発を無くしていくことがこの国の未来にどれほどよい影響を与えるのか、あるいは悪い影響を与えるのか僕はわかりません。
原発が無くなれば補助金を受けている自治体だって困るだろうし、原発があることで仕事を得ている人たちも困る。そうはわかっていても、ただ単にいまの想いは? と訊かれれば、「無くしたい」と僕は答える。

ということです。

では、お前はなぜ電気がなければどうにもならない Kindle Paperwhite を持っているのだと問われたら、言葉に詰まります。
暮らしに大きな苦労がない自分の立場がなんかお気楽な感じがするのと、それはそれでいいことなんだろうという気持ちが入り混じっています。
自分が間違ったことをしているとは思わないのですが、だからといって、私がやっていることは正しい! と胸を張って言えるかと問われればちょっと躊躇します。

自分を納得させるために使うのは、消費がなければ困る人もいるだろうってことでしょうか。被災地に思いをはせることはそれとして、だから日々の生活や消費を極力抑え、削っていくべきだというのは、僕としてはちょっと違う気がします。

やれるのならば、遊びで消費でもなんでもやればいいと思うんです。
まぁ、多少は自粛する部分もあってもいいかと思いますが、何をどこまで抑えるかなんて本人が本人の事情と意思で決めることです。周りがどうこういうものじゃないでしょう。
毎日、百万、千万のお金を使える人なら使えばいいんだと僕は思います。それが社会に還流するんですから。被災地も社会の一部です。

たとえば、お金に限っていうと――

きれいなお姉さんに横に座ってもらって高いお酒を楽しんだ人の財布からでるお金と、少しずつでも使わず貯めたお金を被災地へ送った人のお金は、どちらもお金です。
お姉さんがお客さんから得たお金を被災地へ送っていてもおかしくはありませんし、被災地へ送るために貯めたお金を、貯めずにどこかのお店で使っておけば、そのお店が潤って、お金を貯めていた人が送ったよりもっと多くのお金をお店から送れたということがあっても、これまたおかしくありません。

「金は天下の回り物」というのはそういうことでしょう。

なんだか屁理屈をこねくり回してしいる気がしてきましたが。まぁ、暮らすってそんなものでしょう。自分の周りに災害や病や何も困難ことが起きていなければ、起きていない日々の生活ができるんですから――と考えて自分は納得するようにしていますが、もしこれを読んでお怒りになる方がおられたらごめんなさい。

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Google Chrome、Firefox の設定の保存場所

この記事は自分用の覚書です。

WindowsXP のパソコンから、Windows8 のパソコンへ変える際に、Google Chrome と Firefox のブックマークやユーザー設定なども移行するには次のフォルダ内のデータをコピーして、移行先のパソコンの同じ場所に上書きする。

■Google Chrome (バージョン 25.0.1364.172m)の設定(プロファイル)
・WindowsXP Pro
C:\Documents and Settings\ユーザー名\Local Settings\Application Data\Google\Chrome\User Data

・Windows8 Pro
C:\Users\ユーザー名\AppData\Local\Google\Chrome\User Data

■Firefox ( 19.0.2 )の設定
・WindowsXP Pro
C:\Documents and Settings\ユーザー名\Application Data\Mozilla\Firefox\Profiles\xxxxxxxx.default

・Windows8 Pro
C:\Users\ユーザー名\AppData\Roaming\Mozilla\Firefox\Profiles\xxxxxxxx.default

* xxxxxxxx の部分は一定ではない。df16aq1n のようなアルファベットと数字が交じった8文字が並ぶ。

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「ホワイトデーのお返し」ってちょっと妙に感じるんだけど。

ホワイトデーに男性からの贈り物は必要ないという話ではない。僕はあったほうがよいと思っている。
だったらなんだ? と問われれば、日本語としてどうなのかなぁという話なんですが、と答える。でも、言葉の使い方が間違っているとかそういう話がしたいわけではない。

単純に僕にとって妙に感じるというだけの話をします。

僕としては、この場合は「バレンタインデーのお返し」という表現がしっくりくる。あるいは、「ホワイトデーの贈り物」なら、僕はすっきり感じる。

「の」の使い方が、日本語として間違っているとか正しいとか、どちらでもないとか、そういうことはどうでもいいです。そういう言葉の使い方についていろいろ言いたい方はこの記事は無視してください。

単に、僕はなんだか妙に感じるんです、という話だから。

主格が無いからか?

「彼のホワイトデーのお返し」
「彼女のホワイトデーのお返し」
「私のホワイトデーのお返し」
「あなたのホワイトデーのお返し」
「あの人のホワイトデーのお返し」

ますます妙になってきている感じがしますが……妙じゃない? 僕の感じ方がおかしい?

"ホワイトデーの" という部分に謎が潜んでいる気がします。
どうせ正確な話をしようというものじゃないので、適当に Wikipedia からひろってきてごちゃごちゃこねくり回してみます。

「の」は、連用修飾語の動作や状態の主体を表したり、属格(連体格)や連体詞となったりするのだそう。

格助詞「の」は、「の」が「私」につくことで、「私の」を修飾語にするのだかと。例として「私のペン」があがってますね。
「ホワイトデー」につけた「の」は、「私のペン」ほども僕はしっくりこないけど。ペンは私に所属する物だけど、「お返し」は「ホワイトデー」に所属するものじゃないからか。

"連用修飾語の動作や状態の主体を表す" ってのも、この場合はしっくりこない気がするなぁ。 Wikipedia には、「修飾語の中で用言(おもに動詞、形容詞、形容動詞など)を修飾するものを、連用修飾語という。」とあるけど、「ホワイトデーの」の「の」は、用言を修飾して動作や状態の主体を表していないもんなぁ。

並列助詞の「の」は、「並列や列挙を示したり、程度がはなはだしい意を表したりする。」なんだとか。う~ん、これはますますわけがわからん。「ホワイトデーのお返し」って、何の程度がはなはだしいんだ? そういう話じゃないのか……

意外に、終助詞の「の」がちょっと近いか?
「活用語の連体形につき、断定を和らげる意味(こちらも「かしら」同様女性語となっている。)を表したり、質問または疑問、強い命令の意味を表したりする。また、感動の意味でも用いられるが、近年では古風な表現とされる。」のが終助詞の「の」。

たとえば、「今週って、ホワイトデーなの?」というときの「の」なんだろうけど、「これ食べていい?」「だめ。ホワイトデーの!」とかいう感じで、「ホワイトデーの! お返し!」って――違うなぁ。

なんだかんだとこねまわしていたら、これじゃないか? ってものを見つけた。
属格の「意味上の主語・目的語」ってやつだ。「動詞的な意味を持つ名詞を修飾し、意味上の主語・目的語を示す。」んだそうで、例としてあがっているのは次のよう。

・神の怒り(神が怒ること)
・真実の追求(真実を追求すること)
・日本語では連体修飾節の中の主語も、属格で表される:神の怒った日

「ホワイトデーのお返し」の「お返し」は、たぶん動詞的な意味をもつ名詞でしょ。近いのは「真実の追及」の例かな。
「バレンタインデーにもらったチョコレートに対して、ホワイトデーということでお返しすること」というのが、「ホワイトデーのお返し」――って、これだと「バレンタインデーのお返し」じゃないのか?

不可解だ……

このあたりにただよう不可解さは、三上章氏のいう「象は鼻が長い」とか「象の鼻は長い」と似たようなものでしょうか。

全国飴菓子工業協同組合がホワイトデーを発足させたのは、1980年(昭和55年)だそうです。
それ以前は、ホワイトデーという呼称は無かったのか、あってもあまり一般的ではなかったのか。

1971年にお亡くなりになっている三上氏は、'80年発足のホワイトデーのことを知らなかった可能性はあります。
もし知っていたら、「象」といっしょに「ホワイトデーのお返し」という例文も使っていたかもしれません。
「ホワイトデーのお返し」という表現について話をうかがってみたい気がします。

「ホワイトデーのお返し」――僕には不可解に聞こえますが、これを読んでくれたあなたにはそうでないことを祈ります。
あなたからのお返しを待ってくれている人がいたら、迷わず返してあげてください。

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Windows8の「スタートメニュー」の場所

この記事は自分用の覚書です。

Kさん。
Windows8 には、「スタートメニュー」や「すべてのプログラム」という表示はありません。
インストールしたプログラムがまとめられているフォルダは次の場所にあります。

C:\ProgramData\Microsoft\Windows\Start Menu\Programs

インストールの際に、Programs のなかに登録されるソフトウェアは全部ここにあります。
登録されないものは、当然ですがここには表示されません。

上記のパスをたどっていくと、Windows フォルダのなかに「スタートメニュー」というフォルダがあります。
その「スタートメニュー」の上で右クリックして、「送る」から「デスクトップ(ショートカット作成)」を選ぶと、Windows8 のデスクトップに「スタートメニュー」へのショートカットを作ることができます。

Windows8 Pro 64ビット+パナソニックCF-SX2LEABR

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女性が痴漢に遭ったんだからさ。それぐらいのことは言うでしょうよ。

痴漢にあった佐藤江梨子さんが、2013年2月21日付の東京新聞のリレーコラム「言いたい放談」で「女性専用歩道を作ってほしい」というようなことを書いたら、ネット上で物議をかもしているという話。

反対でも賛成でも、議論や非難する話ではないだろうに。

彼女のオフィシャルブログに、新聞掲載のものと同じ内容が載っています。
東京新聞『ダメ!絶対!痴漢!』(2013年02月27日)

そもそも記事の結論は、逃げる痴漢を捕まえたと思ったら人違いで大変失礼をしてしまいましたという反省話だし、そのことを踏まえて「女性専用歩道ってあってもいいと思うんだけど、どう?」といった調子で投げかけて締めて、気軽に読めるコラムらしくしてみましたといった書きぶりだし。

内容に対してああだこうだ言うのは、大げさに反応しすぎじゃないかと僕は思うなぁ。
投げかけてきたのだから応えたのだ、という言い分は揚げ足取りってもんだ。そもそもが「言いたい放談」なんだからさ。言いたいことを遠慮しないで話すのが放談なんだしね。

議論や非難の的にするもんじゃないと思うんだよなぁ。文責を重要視すべきものじゃないだろうに。

それに、「私的には」とことわって、さらに「時間を決めて」という言葉も添えてある。憤慨しているなかでも、そういった抑制をきかした判断や、自分とは違う考え方への配慮がみえるし、感情に任せて書きなぐらず、書き手としてそれなりの質の読み物にしようとした落ち着きが感じられて僕は好感がもてる。そうした言葉を添えての「女性専用歩道を作ってほしい」という主張は、決して男性軽視でもなければ、利己的なものでもないと僕は思います。

少なくても、「女性専用歩道を作れ」と彼女が単純に主張したように伝えられるのはおかしい。

彼女の主張は、痴漢の被害にあった女性としての困惑や恐れや、怒りや悔しさや悲しさなどの感情からのものであって、あの記事に対して他人が示すべきは、非難でも賛成でもなく「女性専用歩道を主張したくなるぐらいにショックだったんですね。大丈夫でしたか。怖かったですね。ケガはなかったですか」といったようないたわりの一言だと思うんだけどなぁ。

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