Kindle で温故知新?
Kindle Paperwhite で無料本を楽しんでいます。いくら読んでもお財布の中身が減らないのが嬉しい。
温故知新とまではいかないけれど、昔の本を読んでいるとあらためて気づくことや考えさせられることに出会います。それがまた楽しいです。
たとえば、鴨長明の『方丈記』には、養和の飢饉(ようわのききん)の様子が出てきます。養和元年(1181年)に起こった大飢饉だそうです。
あまりの餓死者の多さを、仁和寺の隆暁法印という人が悲しみ、亡くなった方に出会うとその額に「阿」の字を書いていったそうです。その数を数えたところ、二か月で42,300人ちょっとになったとか。
たった2か月で4万人以上が亡くなるなんて、どういう社会だろう。
いまの世なら、餓死によって2か月でひとつの町が無人になるという話です。現代でも農作物の不作はありますが、どんなにひどくても4万人が亡くなることはありません。
830年ほどまえの日本では、作物の出来・不出来は、命を左右するほんとうに大変な出来事だったんだなぁと思いを馳せます。
作物の不出来が直接人の生死に影響しない場所と時代に生まれることができたのは、まったくの幸運としか言えません。生まれる時は選べないんですから。
もう一冊見てみます。
森鴎外の『青年』――1910年(明治43)年3月から1911年(明治44)年8月まで文芸雑誌『スバル』に連載された長編小説からの三連発。
主人公の学生の心情にふれる場面で、
珍しい晴天続きで、国で噂に聞いたような、東京の寒さをまだ感じたことがない。
というくだりが出てきます。
2月14日成人式の日に、都内で大雪が降って多くの人が困りました。「東京ってときどき雪にやれるよね」って話を周りとしていましたが、東京はもともと寒いところだったんですね。大雪が降ってもおかしくないほどに。1910年のころは、「東京ってところは寒い、と田舎で噂する」と小説に書いても変に感じないくらい。
今の時代に同じことを書いたら、なんか違和感があります。
100年のあいだに東京はずいぶんと暖かくなったのでしょう。森鴎外が生きていたらびっくりなぐらい。
また、次のような描写も出てきます。
女中が鮓を一皿配って来た。瀬戸はいきなり鮪の鮓を摘まんで、一口食って膳の上を見廻した。
100年ちょっと前にマグロの寿司を食べる習慣があったんですね。たぶん、トロではなくて、普通の赤身でしょう。
冷蔵・冷凍技術が確立できていない時代のことです。トロは腐りやすかったでしょうから。
東芝科学館のサイトで、国産初の電気冷蔵庫の画像を見ることができます。1930年(昭和5)の製品だそうです。
『青年』の発表から20年後ですね。リンク先の記事によると、
当時、冷蔵庫といえば氷で冷やすのが一般的だったが、その氷冷蔵庫を持っている家庭も少なく、まして価格が720円で庭つきの家が一軒買えるくらい、電気冷蔵庫は庶民にとって超贅沢品であった。
のだとか。
ざくっと調べてみたのですが、生のマグロを日常的に食べるようになったのはどうやら1970年ごろからのようです。こちらは、40年ちょっと前のことですね。
おそらく、鴎外の時代では、お客から予約が入ったときだけマグロを仕入れて、食事まで時間が少しあるときは氷で保管しておくというやり方だったのだろうなと想像します。
ふらっとお店に入って、マグロを注文してもたぶん出てこなかったでしょう。というか、予約をしないでマグロ食べられると思っている人は、その時代にはいなかったんじゃないかと。
現代では、気軽に食べられるようになったマグロ。あと100年経ったら、今は簡単に保存がきかないものでも、日常的に保存ができる時代になっているかもしれません。
最後は、女性のお化粧について。
芸者なんぞは、お白いや頬紅のeffet(エフェエ)を研究するには好(い)いかも知れないが、
僕にはわかりませんが、主人公の学生はフランス文学に親しんでいるので、effet というのはたぶんフランス語でしょう。
現代なら、コスメとかって表現になるのかな?
英語での Effect でしょうね。お化粧について Effect と表現されると、なんだかどきっとします。鴎外の時代にも、女性は「特殊な効果で外見を覆う」場合が多かったのでしょうか。
その点については、何百年経っても我々男性にとっての教訓は変わらないでしょう。見た目に惑わされないで内面を見極める力をもつべしと。
100年前の本を読んで、男性としての心構えをあらためて気づくことになるとは思いませんでした。
Kindle Paperwhite を手に入れてから世界が広がった気がしているこの頃です。
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