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変態行為を当たり前のようにするな!

世の中いったぜんたい何がどうなっているんだ!? と憤慨しないではおられない。
きっかけは、新聞でちらっと目に入った『週刊プレイボーイ』の広告。

いわく――「こじはるってパンチラできるの?」だ。

「こじはる」っていうのは、AKB48のメンバーの小嶋陽菜(こじまはるな)って女性のことだそうな。

現役の人気アイドルが、なんでそんな馬鹿げた企画に? と驚きを感じてちょっと情報収集してみたら、彼女が主演するドラマのタイトルにかけているらしい。番組宣伝を兼ねたグラビアというわけだな。
彼女が主演しているのは、日本テレビの深夜番組『メグたんって魔法つかえるの?』って番組。ドラマの主人公は魔法使いで、魔法を使うためにはパンツを見せなければならないのだとか。

なんだそれは!? 週刊プレイボーイといえば、水着や下着姿やヌードなどが売りだというのは今さら仕方がないとして、そもそも話、幼児や児童にも人気がある女性芸能人を主演に据えて、下着(見せる用のものであってもだ)を見せることを売りにしたドラマを作ろうなんて、なんという変態的で、狂気的で、気持ちの悪い非道ぶりだ。
そういう番組企画を考えて実行する大人たちの頭がおかしいんだと僕は言いたい。

僕が感じているものをどのように表現すればよいのかわからないぞ。文字だけで表現するのは僕には無理だなぁ。

仮に主演の彼女がやる気でのぞんでいたとしても、あるいはほんとうは嫌だけど仕事だからと耐えていたとしても、番組の企画自体がおかしい! 変だよ! 狂ってるよ! 制作側はもっと世の中的に追求されるべきだと僕は思う。

なんだか、その昔に宮沢りえが出したヌード写真集を思い出したぞ。あれも当時、作った側がもっと糾弾されるべき行為だったと思うのだけど。
写真集が店頭に並んだときから逆算すると、写真を撮っていたのは彼女がまだ未成年の時期だと推測されたから。
彼女が納得していたかどうかなんて関係ない。未成年の女子に服を脱ぐことを求める企画を考えた大人が狂ってるんだ。

今回だって似たようなもんだ。

主演の彼女は24歳らしい。(Wikipedia 調べなので本当の年齢かは知らないけど、24歳より低い年齢ということはたぶんないよな。)
成人女性だから下着を見せる演技をやっても法的には問題ないと言えるけど、僕に言わせればそういう話じゃない。あるいは、深夜放送だから子供たちの目や耳には届きにくいという考えはあるだろうけど、だからといってやっていいことじゃないとも僕は思うぞ。

芸能人だとかどうだとか関係ない。女性が下着を見せることを最初から不可欠な行為として設定したドラマの制作なんて、公共の電波に乗せてはいけない醜悪な行為だよ。

たとえば、思いっきり譲って「身体を売って生きている女性」を題材にして何事かを描いたのなら、下着姿が出てきても話のうえでは必然性がある。その題材ならそういうシーンが無い方が不自然だ。
でも、題材としてもストーリーとしても何の必然性もなくて、最初から女性の下着を見せることを設定しているなんて、それをやりたいだけの変態行為のための変態番組だよ。

重ねて言うけど、そんなものを作ることはもっと社会的に糾弾されるべきだと僕は思う。「そんなことをしていいのか!?」といった声がもっとあがってほしい。
どこからもたいした指摘もされずに、そんな馬鹿な変態番組がさらっと公共の場に存在できる社会にしてはいけないと僕は思う。

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『帰れま10』で連続正解100万円は「いつ」でるか。

大げさなタイトルを掲げてみせたけど、早い話が『帰れま10』について自分が勝手に思いついたことを熱く気取って語ってみようという話。
当然これから述べることには、何の根拠も証拠もない。「私はこう思う」というただの思いつき。

ということなので、まず勝手気ままに結論を述べてみよう。
『帰れま10』で連続正解100万円がでるのは、番組視聴率が下降の傾向をみせてきたとき――だ。

さぁ、ここから熱く気取って語っていくよぅ。

語ってみようと思いついたのは、テレビ朝日の番組『お試しか!』の人気企画『帰れま10』を妻と見ていて、番組後半で妻が放った一言。

「まだ終わらないか。宣伝しないといけないものね」

そうである。何を今さらだが、ロケ場所となったお店というか企業というかにとっては、この番組は宣伝なのだ。

これから私が語ることの要点は大きく分けて2つだ。第一に企業にとっては宣伝であるということ。そして、第二に番組としては、視聴率を稼げる企画にそう簡単に区切りを付けたくないであろうということ。

番組側と企業側がどんなやりとりをして、どんな成約を交わしているのかは私は知らないが、企業側にとってはお客さんを増やしたい、広く知ってもらって興味をもってほしいと願っているのは間違いないだろう。
番組で扱われることが、その商品やメニュー、店舗での売上げ向上に大きく貢献するであろうことは、安易に想像がつく。
だからこそ、この番組のロケ場所になることを企業側は承諾しているのだろうから。

宣伝ということは、自分たちが提供できる品や、自分たちの店舗についてあれこれと紹介されないといけない。ここで第一の要点が重要視されてくる。
つまり、ロケが相対的に早く終わる(=開始後早い時点でベスト10がでそろう)ことがあっては、ロケ場所になることを承諾した企業にとってうまみがなくなるのだ。

だから番組からロケ場所への配慮として、必要なものをそれなりに紹介し終えるまではロケを終わらせる(ベスト10がでそろう)わけにはいかない。

そして第二の要点だ。高い視聴率がとれる人気企画を、番組としてはなるだけ続けたい。
『帰れま10』を見るとき、視聴者が気にかけるのは、個人ごとに度合いの大小はあるだろうが「今回は100万円はでるのか?」ではないだろうか。

その関心をうまく引っ張ることができれば、番組の視聴率の高さを維持し続けることができる。
逆に言えば、100万円が出てしまったら、気にかけていた内容が満たされた視聴者を翌週も引きつけるのはかなり難しい。
(ここで意地が悪い見方をすれば、2つの要点について「正解を出さないようにする(適時に正解を出す)打ち合わせ」があっても不思議ではない。これはまた違う話なのでこのぐらいにしておくが。)

打ち合わせの有無はわからないが、いま私が確実に断言できるのは、まだまだしばらくは100万円はでないということだ。どんなに思わせぶりにあおっていても、100万円がでるはずがないのだ。

なぜか?

出演者を確保するためには、ロケをするスケジュールがあらかじめあるわけで、高い視聴率がでている現状においては何回か撮りためていることが考えられる。放送されている日の内容が最新の収録分で、次の収録は放送日以降に行われるというのは考えづらい。
だから放送がある時点で、すでに収録が終わっている分が存在しているはずだから、その日で連続正解100万円がでるはずがないのだ。
先にもふれたように、翌週に放送が控えている分について視聴者の興味関心を引くのが非常に困難になるから。

というわけで、高い視聴率がある現状では、翌週の視聴率を下げるようなことをしたくないという思い。企業側への配慮として、それなりに紹介ができるまでは一度の収録をなるべく早く終わらせることはできないという事情。出演者のスケジュールを押さえるということで何回かは撮りためているであろうという推測。

以上を総合すると、まだまだ100万円を出すわけにはいかないというのが大人的・政治的・業界的にもっとも妥当な帰結であろう。

では、『帰れま10』で全問正解100万円がでるのは「いつ」なのか? それが、冒頭であげたように「視聴率が下降の傾向をみせ始めたとき」だ。

『帰れま10』にとって、連続正解100万円というのは、使い時が非常に困難なカードだ。
切れば、「ついに出た」という話題性の高さが得られる反面、「翌週へ視聴者をひっぱるウリを何にするのか」という扱いづらい課題も生じてしまう。

そう考えると、そのカードを使って一番効果が期待できるのは、高かった番組視聴率が下降の様子をみせてきたときではないだろうか。

そこでカードを切れば、一時的とはいえ「ついに出ました」効果によって視聴率を上方へ引き戻すことが期待できる。使えるのは一度きりのカードだが、そのままでも視聴率はどうせ下がってきているのだから、使わないでなお下がっていくより、いくらかましだろう。
ましというのは、必ず翌週の視聴率が下がるとは限らないからだ。「ついに出ました」効果をうまく生かすことができれば、翌週からも視聴率上昇の可能性はゼロではないと思う。
生かすことができるかどうかわからないわずかな可能性だが、それにかけることはできる。だからこそ一度きりのカードを切る意味もあるのだ。

『帰れま10』での連続正解100万円はしばらくは絶対に出ない。出るのは、視聴率が下降気味になってきたとき――この結論、いかがでしょう?

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Face Blindness (相貌失認)を知ってますか。

Face Blindness (相貌失認 : そうぼうしつにん)は、『TBSニュースバード CBS 60 MINUTES』で扱われていた話題。
相貌失認のひどい人は、顔を記憶したり、認識できない。どんなに親しく、近しい人であっても。

番組によれば、他人どころかひどい場合は自分の顔も覚えられない。
鏡に映っているのが「人」だとはわかっても、それが自分の「顔」だとはわからない。鏡に映っているこの人は誰だろう? となるのだとか。
友人、家族も会うたびに初対面になってしまう。いま話していても、ちょっと相手が席を立ってもどってくると、もう誰だかわからないことがあるという話も番組内でされていた。

そういう人たちは、知能や記憶力、運動能力、言語など何も問題なく、社会生活も普通におくれるのに、ただ「顔」だけを認識できないのだとか。
そのせいで、人間関係に悩み、友人を失い、つらい人生を送ってきた人もいる。

そりゃそうだよな。親しい人から「はじめまして」とか言われると、誰だって気分を害するわな。
でも、「はじめまして」と言った人のうっかりや、失礼さや薄情さ、他者への関心の低さではない。何も悪くない。「顔」を覚えて見分ける力が発揮できないだけ。

番組では、有名人の顔写真を加工して、丸い枠のなかに額からアゴまでが見えているもの(髪型や髪の色、体型や服装など顔以外の情報が得られない)を作って相貌失認の人に見せていた。

彼らは、どんな有名人でもその人が誰かを言い当てられない。日本人でも顔が売れている人だと――オバマ大統領、ジョージ・クルーニー、トム・クルーズ、ジョン・トラボルタなどなど。さらには、見せている写真のなかに、当人のお子さんの写真も混じっていたのだけど、やはりわからなかった。

相貌失認の人たちは、それでもなんとか工夫しながら相手が誰かを知ろうとしている。声の調子や、髪型、服装、アゴや耳の形など顔の一部分を覚えようとして。

重度の相貌失認だと診断されたけど、似顔絵の仕事をしている男性が出ていた。彼は、顔写真の上に碁盤の目のように線を描いて、区切られた1つひとつを部品として覚えて、絵を描いているのだそう。
彼に有名人の写真を見せると、正確に当ててみせる。その様子からは重度の相貌失認とはわからない。でも、写真を言い当てるときは、「そのアゴは、○○ですね」など、記憶の鍵になっている部分をもとに誰なのかを判別しているのがうかがえる指摘の仕方をする。

相手が誰であるかを判別する努力をしても、手がかりにできるのが、声や髪、服装なので変わってしまうとどうにもならないのだとか。
番組に出ていた1人の男性は、目の前で友人の女性と話ながら、最初は束ねていなかった髪を後ろで束ねたり、ほどいたりしてもらったのだそう。彼女が髪を束ねるたびに、誰かわからなくなり、ほどくと髪型から誰なのかがわかる。束ねる――誰かわからなくなる。ほどく――誰かわかる。束ねる――また誰かわからなくなる、の繰り返しだったとか。

興味深かったのは、相貌失認の人が顔を見たときにどんな風に感じているのかを、相貌失認でない人が感じる実験。
先のように、丸い枠のなかに額からアゴまでが見えている顔写真を、今度は天地をひっくり返してならべたものを、番組の司会者が見せられる。

さすがにテレビ番組の司会者だから、簡単にどの写真が誰なのかを言い当てていくけど、最後の1枚が誰かわからない。
天地をもとに戻してみると――その顔写真は司会者の娘さん。司会者は「ショックだ」としばらく声がでず、「相貌失認の人たちはこういう感覚をいつも味わっているのですね」と。

相貌失認が問題視され始めたのは、戦争で頭にケガをして帰国した人たちが家族の顔がわからなくなる症状をみせたことから。けれど、実は先天性の人たちがいるとわかってきたのは、それから数十年後だとか。

アメリカでは「50人に1人」の割合で相貌失認がいると言われているらしい。世界の全人口の2%だとも。
相貌失認だとわかっていなくて、顔が覚えられないのは怠慢ややる気の無さだと思いこんだり批難されたりで、人間関係に悩んでいる人もたくさんいるのだとか。

相貌失認――僕は初めて知った。
もしあまりに他者の顔を覚えられない人が身近にいたら、覚えられないことを責めるのではなく、彼らの困惑や苦しみを理解しようとするのも必要かも。
あるいは自分がほんとに人の顔を見ても誰かわからないのなら、相貌失認を疑ってみたほうがよいかも。


■CBS 60 MINUTES
Face Blindness: When everyone is a stranger (March 18, 2012 7:51 PM)

Face Blindness, part 1 (March 18, 2012 4:45 PM)

Face Blindness, part 2 (March 18, 2012 4:46 PM)


■上記リンク先で紹介されているサイト
Face Blindness に関する情報
http://faceblind.org/

『レナードの朝』などの著者として知られ、自身が相貌失認であることを告白している神経学者オリバー・サックス (Oliver Sacks) 教授のサイト
http://www.oliversacks.com/

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名刺は見やすくしてほしいです。

いただく名刺のなかには、とても見づらいものがあったりする。

そういう名刺は、文字の大きさがやたら小さかったり、文字間が詰まっていて読み取りにくかったり、郵便番号や電話番号、肩書きなどがどこに書いてあるのかぱっと見てすぐわからなかったりする。

そんな見づらい名刺たちに一番困らせられるのは、名刺を見ながら、PCで管理しているアドレス帳に入力するとき。

どんな名刺を作ろうとその会社や個人の自由だけど、せめて文字の大きさと文字間は、誰が見ても見やすいものにしておくれ。

なかには、眼鏡をかけても読み取るのがちょっとつらい大きさの文字があったりするのだ。これほんとの話。
そういう名刺を使っている会社では、社員も社外の人も視力の弱い人が名刺を見る機会はあまりないのか? 誰も見づらさを指摘しないのか?

とくに悩まされるのが「メールアドレス」――これが小さな文字で文字間を詰めて打ってたり、もう勘弁してよという気分になるときがあるんだよなぁ。

mail:i.tarou@nantara.co.jp

なんて書き方をしてあると、うっかり

tarou@nantara.co.jp

とか入力しちゃうのだよ。入力した人とは別の人に名刺と見比べながら確認してもらっても、間違いがそのまま残ることがある。

当然メールは届かないから、あれ? ってことになってもう一度見比べてはじめて気づいたりする。

そのときにメールが届かなくてもいい場合があるけど、やっかいなのが tarou@nantara.co.jp ってメールアドレスがもし相手の社内にあると、その人に届いてしまうこと。
特に tarou の部分が、satou とか suzuki とかよくある名字だったりすると、そのアドレスはすでに社内にあるのでちょっと文字を足して同じ名字の人用に違うメールアドレスを作ってることは普通にあるし。

間違った人に届いたメールの内容が重要な個人情報だったりすると、いまどき大ごとだ。

でも、言い訳させてもらうと、最初から他人が見やすいメールアドレスの書き方をしておいてくれればよいのにと思ったりする。
名刺に載せるメールアドレスは誰が見ても見やすく書いておく配慮もビジネスとしては必要なんじゃないかなぁ。

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