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やっぱり面白くなかった『ロック兄弟』

2012年4月からテレビ東京で始まった『ロック兄弟』――知っている人は知っている話だけど、この番組は前は、『Vの流儀』って番組だった。

『Vの流儀』がリニュールということで始まったのが『ロック兄弟』。

『Vの流儀』はけっこう気に入っていて、録画していつも見ていた。
まぁ、ライブのシーンだと、実力に疑問を感じるバンドやアーティストもいたけどねぇ。それだけじゃなくて、巧さに驚いてしまうバンドもたくさんあったしで。実力派に出会ったときなんか、掘り出し物を見つけたみたいで、そういう出会い感があるのが好きだったんだよなぁ。

で、番組がリニューアルされるという告知がされて、ヴィジュアル系バンドのさらに充実した情報が提供されるのかと期待度が高まっていたのだけど、始まってみたら僕としてはまったくの期待はずれ。

リニューアルが近づいてくると、『Vの流儀』で取り上げていたアーティストやバンドの人たちに、『ロック兄弟!』って番組名をコールしてもらってたけど、コールしてもらってた人たちのほとんどが『ロック兄弟』では扱われていないでしょ?

あれって、ちょっと失礼じゃないかい? 裏切られた気持ちの人たちもなかにはいるんじゃないか? 新しい番組名を言わされただけか!? って困惑したり怒っている人たちがいそうな気がする。

それでも、そのうちまたかつて『Vの流儀』で取り上げていたバンドを積極的に紹介してくれるはずだと信じて何度か見続けたけど、なんど見てもそれでほどでもなくて番組を見なくなってしまった。

でも、見なくなってから数ヶ月経っているし、あるいは『Vの流儀』の時代を彷彿させる番組構成になっているかもしれないとも思って、あらためて『ロック兄弟』を見てみた――ぜんぜん変わってなかった。僕としてはまったくもって面白くない。

『ロック兄弟』になってからの方が面白い! という人は当然いるだろうし、そういう人たちの感じ方を否定するつもりもない。僕にとっては、面白くないというだけ。

『Vの流儀の』のときの方が僕は好きだったなぁ。

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凄いぞ! 相洋高校和太鼓部とOB・OG

妻と2人で、第21回小田原ちょうちん夏祭りに行ってきました。

開催日時は、20127月21日(土)、22日(日)の2日間。
僕らが行ったのは22日。お目当ては、以前も小田原で楽しい時間を与えてくれた「鬼我(おんが)」。

鬼我の演奏にちょうど間に合うように会場入り。その名も「小田原城太鼓合戦」なんだとか。
僕らが楽しんだ当日のラインナップは以下のよう。(出演順)

・和太鼓集団・鬼我(おんが)
・和太鼓集団・しゃら
・創作和太鼓集団 衆
・湘南打樂・たまゆら
・和太鼓集団・かんなぎ座
・相洋高校和太鼓部

相洋高校和太鼓部以外は、すべて、同部のOBやOGが組んでいるグループだそう。

いやぁ、和太鼓を堪能しました。
笛もいい響きだったなぁ。

1組ずつ簡単に感想をば。
全部僕の主観だから、それぞれのグループがほんとうにそうかは関係ない。
もし批判しているようにとれる表現があったら関係者の皆さんごめんなさい。ぜんぜんそんな気はないですから。もしそういうのがあったら、僕の文章が未熟なせいだと思っていただけると助かります。

■鬼我
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出演したなかでは、彼らの音が一番大きかった気がした。それにどの音も、1つひとつの音量がそろっているという感じも。
前に聞いたときと同じく、彼らの男気が伝わってくるような生きのよいたくましい音を楽しめた。


■和太鼓集団・しゃら
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代表の方はストロークというか、パラディドルというかが得意なんじゃないか? 素早い連打が心地よいぞ。
彼の叩く1つひとつの音は乱れずによく聞こえてきたという印象があってよかったなぁ。


■創作和太鼓集団 衆
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こちらのグループは迫力の中に落ち着きもあって、なんか大人の音を聞いているという印象。

「横打ち」っていうのかな? あれは身体がきつそうだ。
重力が働く方向にバチを振り下ろす姿勢と、地面に向かってできるだけ身体を横にした姿勢――どちらで叩くのがよりきついんだろう。

このあたりから、先にでた組を「後輩」と呼ぶ人たちが出てくる。
さすが先輩達だけあって、このあとに続くグループはみんな、響きにどこかしら落ち着きや渋さを感じた。


■湘南打樂・たまゆら
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今回、一番かっこいい! っと思ったのがこの「たまゆら」の鳴り物。
あれは銅鑼っていうのかな? 銅鑼といっても直径30cmもない片手で持てる小さめのものだけど。

あれを叩いていた女性がリズムに合わせてミュートするのだけど、そのミュート音がおそろしく格好いい。
それに、停めるタイミングも絶妙なんだわ。
ほんとに格好いいからぜひいろんな人に彼女のミュート音を聞いていただきたい。

誤解のないように書いておくけど、彼女の格好よさはミュートだけじゃないからね。音を停めるミュートが格好よく聞こえるってことは、鳴っているときの音も格好いいってことだからね。

鳴り物なんて誰が鳴らしても一緒だろうって思っている人がいたらとんでもない間違いだよ。
僕も今回初めて知ったけど、人によって響きが違うんだから。

また、彼女が楽しそうな顔で音を出すんだよなぁ。ほんとに演奏が好きなんだというのが伝わってくる。
(ちなみに、彼女のことを僕は心のなかで「ミュートレディー」と名付けた。)


■和太鼓集団・かんなぎ座
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出演したグループのなかでは、こちらの太鼓の音が一番落ち着きがあるように感じた。
音量が大きいからといって激しく荒々しく聞こえるかというと別。大きな音でも落ち着きのある音ってあるんだよなぁ。

「かんなぎ」っていうのは、神様と交信する役目のことをいうそうだから、そういう意味の名前をつけているだけあって、神様への捧げものとして音を出しているのかも――だから、どことなく落ち着きのある印象が生まれるのかな? と勝手に解釈してみたりする。

鈴(りん)っていうのか? 片手にそれぞれもって打ち鳴らす鳴り物。あの鳴らし方も面白かった。
左右の鈴を打ち鳴らしたあと、互いに震えながら当たり合って残響が残るように「間」を開けすぎず近づけすぎずにうまく調整していたように見えたけど違うかな? そのへんは僕の想像だから、ぜんぜん違ってるかも。


■相洋高校和太鼓部
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いやぁ、みんな気合いが入っていていいなぁ。僕は相洋高校和太鼓部に入りたくなったよ。

若い人が叩く音は、どこかきらきらしているというか、若々しいというか、そういう響きがある。
先輩方になってくると、音に渋さが加わってくる。どことなく落ち着いた大人の響きがするのだ。

これほんと。聞いたら感じるから。妻もそう言っていたし。

音の響きの安定感っていうか、どっしりとした感じも先輩方の方が増してくる。キャリアが長いんだから当たり前だろうけど。
太鼓でも鳴り物でも叩く人によってそれぞれ格好よさが違うので聞いている方も楽しいぞ。

現役部員もOB・OGの人たちにも皆さんに感じたのが、何でもやっぱり鍛錬した人は違うなぁってこと。
特に鍛錬の確かさを感じるのが「小さい音」――打楽器に限らず、ピアノや木管・金管、生ギターでも、音をマイクでひろっていてもそもそもの音の大きさは人の力加減で操る生楽器の場合、小さく鳴らしているのだと聞き手に感じさせる小ささを出さないと「小さい音」の表現にならない。

そっとやりすぎれば聞こえる音にならないし、力を入れすぎていたらその部分の前後と比べて「小さい音」で表現していることがうまく伝わらない。
太鼓の音量を「小さく鳴っている」ように表現できるのは、やっぱりみんな鍛錬した時期があるから、技術というか基礎というかが身についているからなんだろうなぁ。

お客さんたちも、視線に愛がこもっていたように感じたぞ。
学校の部活動に励む子たちにも、卒業しても和太鼓の演奏を続けている人たちにも、お客さん皆が愛情をもって目を向けているように感じた。

やっぱり地元で何年も続いている活動だから、皆が大切に思っているのかも。
そして、周りからそう思ってもらえる活動を常にしているんだよなぁ。
凄いぞ! 相洋高校和太鼓部とOB、OGの皆さん!

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電力社員の発言禁止はちょっと違うんじゃないか。

将来に向けての原発の比率などについて意見を聞く「聴取会」。政府は、その場で電力会社の社員には発表させないようにするのだそう。
電力会社の社員が意見を言ったことに批判が出たからだとか。

それはちょっと違うんじゃないかなぁ。
電力会社の社員の発言を批判することも、政府がその批判を受けて発言させないことも。

僕自身は原発は無くして欲しいと思っている。
でも、民主主義国家なんだから、さまざまな意見が平等に出されるべきだし、原発を残そう。増やそうという考え方も一つの見解として提示することは尊重されるべきだと僕は思う。

イエスとノーの考え方、あるいはもっと別の考え方などさまざまな見解が示されないと熟議にならないじゃないか。
さまざまな立場から、検討する課題について皆が学び、検討や討議が行われ、共に解決策を探っていこうとする意識と行動が、民主主義には必要なのだと僕は思うのだけど。

原発を減らす。無くす。という結果ありきの「聴取会」になりそうで、それはそれで僕は怖い。
異なる立場や見解を拒否する集団的なヒステリックさをそこに感じるから。

原発は必要だとする立場。原発は無くしていこうとする立場。その両方から平等に意見が提示され、検討されるのが民主主義の姿だと僕には思える。

あるいは、すぐには思いつかないけど、さらに別の立場も出てくるかもしれないじゃないか。
検討が深まるというのは、そういう観点が広まることだとも僕は思う。

電力会社の社員が聴取会にいるのを参加者全員にあらかじめ明らかにしていなかったことに、不信感を感じるのはわかる。
それはそれで、複数人を集めた会合の運営の仕方としてはよくないやり方だったと僕は感じる。

でもそこで問われるべきは、会の運営のまずさについてであって、電力会社の社員に発言をさせないようにするという話ではないだろうと僕は思っている。

異なる立場の見解が尊重されない――それは全体主義につながる危険な動きじゃないか?

勘違いされたくないから、もう一度書いておくけど、僕は原発は無くして欲しい。
でも、自分とは異なる立場の見解を聞きたくない、主張されたくないという考えはもたないようにしたい。
だから、僕としては、電力社員の発言禁止は撤回されるべきだと思っている。

(念のため付け加えておくと、異なる立場の人から罵倒されたり、蔑まれたり、嫌みを言われたりしても僕は平気だという意味ではない。そんなことされて平気な人はいない。主張の内容とそれを主張する人とは同一視しないでいられるが僕の理想。相手の主張が気に入らないのはそれはそれとして、だからといって相手を馬鹿にしたり、揶揄したりするなどは間違っていると僕は思う。まぁ。理想の話だから、失敗もするけどね。)

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「番組内容」はちゃんと書いてよ。

スカパーでの話――スカパーで契約しているチャンネルのなかに面白そうなタイトルを見つけると、どんな内容なのかちょっと知りたいってときがある。

そんなときは、リモコンの「番組内容」ボタンを押すのだけど、何にも書いてないときがある。

はぁ? である。

地上デジタルの放送局の番組も、番組表から番組内容を見ようとすると何も書いてないことがあって、「ちゃんと書いておいて欲しいなぁ」と感じるときがあるけど、それはそれとして僕には理解できる。
だって、そもそもこっちは無料で見てるからね。無料で見てる番組に細かな気づかいを求める方がおかしい。

でも、スカパーのチャンネルは有料だ。お金を取っておいて、放送している番組の内容をちゃんと記しておかないってのは、どういう了見だ?

そもそも、そこまでする気がないのだったら、リモコンに「番組内容」ボタンなんか付けなきゃいいんだ。
まぁ、各チャンネルがスカパーのリモコンを製造しているわけじゃないからそんなことはできないのはわかっているけどね。

そういう気分になるときもあるわけよ。

番組内容を記載しておくには、あらかじめ番組を見ることが必要だ。でも、大人の事情でそれができない番組もあるだろうから、常に番組内容を最新のものにはチャンネル側ではできないだろうことも想像がつく。

それならそれで、古い映画やドラマとか、あらかじ内容を確認できるものぐらいは番組内容をちょっとは書いておこうぜ。

聞いたことも見たこともないタイトルだけど、なんか興味をひかれて、内容を見てから予約を入れるかどうかを決めたいときってあるんだよなぁ。
お金を払ってる側からすれば、そのくらいのニーズには応えて欲しいよ。

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間違えたんだよぅ。ごめんよぅ。

仕事先に移動する途中で、女性専用車両に乗ってしまった。
気づくまで一駅を移動してしまった。

車両間にある扉付近で座っていて、ふと顔を上げたら隣の車両から見知らぬおじさんが僕のことをもの凄い目をして睨んでいた。
(車両間の扉ってガラス窓が付いてるでしょ? そこを通してあきらかに僕は睨まれていた。視線があってしまったし)

ちょっとの間、睨まれる意味がわからなかった。「あの人なんだろ? 気味が悪いなぁ」ぐらいに思っていたのだ。
でも、そう思うのと同時ぐらいに車内放送があって、僕が乗っていた車両が女性専用車両だとわかった。

あれ? そうなの? と思って周りを見回してみたら、確かに男性は1人もいない。
車両も空いていて、僕が座っていた扉付近の座席には、僕以外誰もいない。

あちゃぁぁ――である。

悪気はないんだよぅ。
暑かったんだよぅ。
ぼぉっとしてたんだよぅ。
車内放送があってからすぐに隣の車両に移動したし。
ごめんよぅ。

電車のなかで男性に嫌な想いや、怖い想いをさせられたことがある女性なら、女性専用車両に乗っている男性を睨みつけたくなるのもわかるよなぁ。

だけどさぁ、ついうっかり気がつかないで乗ってしまってたってこともあるわけよ。
だから、女性専用車両に男性が乗っているからって睨みつけるのは、やめた方がいいと僕は思うのだ。

基本的に、他人を睨みつけるって失礼でしょ?

なぜ、女性専用車両にその男性がいるのかって背景がわからないんだから、「そこにいる」ってだけで睨むのはちょっと違うかなぁという気がするのだけども。
たとえば、体調が悪くて、わりと空いている女性専用車両でちょっと座らせてもらおうって緊急避難的な行動かもしれないし――

とかなんとかいろいろ書いたけどさぁ。女性が睨んでくるならまだ理解できるけど、なんの理由があっておっちゃんに睨まれないといけないんだ?

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