« 放射性ヨウ素の量で不安をつのらせないために。 | トップページ | 桜の下でニューヨーカーサンド »

中止や延期で苦しむ人たちにも想いを向けて欲しい。

昨日、今年初めてのツバメを見た。

国難という今まで聞いたことがなかった言葉が普通になるほどの状況でも、彼らはこの国にやってくる。
もし彼らが人のような心をもっているなら、被災地に舞い降りようとしてその有様にとまどい、驚き、嘆くことだろう。

それでも、被災した人たちを気にかけながらも、自分たちも生きていくためにその地を離れ、新しい巣作りを始めるのだろう。
始めなければ彼らの明日は無い。

生きるとはそういうことだ。日々のやるべきことをやらなければならない。

ツバメにもし人と同じ心があっても、全く違うのはツバメの巣作りは客がいなくても成り立つことだ。
人はそういうわけにはいかない。

育てる。収穫する。漁に出る。積む。運ぶ。作る。売買する。明るい声と笑顔で接する。笑わせる。歌う。書く。演じる。踊る。
その他もろもろどんな仕事でもお客さまに満足を覚えてもらわねばならない。どんな仕事でも客がいなければ成り立たない。

仕事が中止や延期になり、実際に倒産してしまったところも出てきている。

この前の三連休のときには、箱根のある旅館は通常なら100%稼働しているはずが、キャンセルが相次いで、20%を切ろうかという状態だったらしい。
地震の怖さもあってキャンセルをする人、交通機関がいつも通り動いていない不便さを気にしてキャンセルする人もいるだろうけど、単に「遊んでる場合ではない。不謹慎だ」とキャンセルする人もいるだろう。

後者のような人たちは「不謹慎」の意味を強く考え過ぎてはないか?

手元の辞書を見ると、「不謹慎」とは、「つつしみがなく、ふまじめな様子」を表し、「つつしみ」とは「度をすごさないようにする。控えめにする。あやまちや軽はずみなことがないように気をつける」ということ。
それから、「軽はずみ」とは「その時のはずみで、深く考えないで物事を口にしたり、行ったりすること」だ。

つまり言葉の意味としては、「軽はずみなことにならないように、度を超さないように控えめ」であれば、それは「不謹慎」とは言わない。

中止したり延期したりしなければならない理由も無く、世間体を考えるぐらいで中止や再開時期を決めずに延期をするなら、それこそが「軽はずみな行為」ではないか。

我が町もいくつかのイベントが中止になった。個人的には中止する必要はなかったと思っている。
多くの人にできることはして欲しい。買えるものは買って欲しい。行けるところには行って欲しい。

新しい服を買い、外食をし、映画を見て、観光地にも出かけて欲しい。
本を買い、CDやDVD、ブルーレイもレンタルしたり買ったりして欲しい。
身体に疲れがあるならマッサージを受けて欲しい。
自分へのご褒美としてエステへ行くのもいいじゃないか。カラオケにも行って欲しい。気分転換をし明日への活力になるなら素晴らしいことだ。
興味があった習い事を始めて欲しい。
お店を予約し、新人の歓迎会をして欲しい。お酒や料理は少し規模を抑えても、よい機会だから今の日本をどう考えるかを、職場をどうしていきたいかなどを語り合ってもいいじゃないか。

被災地のことを思って寄付やボランティアなど行動を起こす人は多くいても、災害の影響で客足が遠のいたり、あったはずの仕事が無くなったりする人たちに思いをはせて行動する人は少ない気がする。

中止や延期で苦しむ人たちにも想いを向けて欲しい。

|

« 放射性ヨウ素の量で不安をつのらせないために。 | トップページ | 桜の下でニューヨーカーサンド »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 中止や延期で苦しむ人たちにも想いを向けて欲しい。:

« 放射性ヨウ素の量で不安をつのらせないために。 | トップページ | 桜の下でニューヨーカーサンド »