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セクスィーとは無償の愛

昨晩から始まったサラリーマンNEOにて、セクスィー部長補佐が決定した。意外とあっさりとした展開だったが、1つ前の記事における私の指摘は全くの外れではなかった。

やはり、「セクスィー」は常人には遠く厳しい道なのである。

選ばれたのはエントリーナンバー34。木訥とした風貌で生真面目そうではあるが、どう見ても「セクスイー」とは縁遠い若者「中村」だった。
しかし彼もまたセクスィー部長こと若き日の色香恋次郎と同じく、素のままで全身から「セクスィー」を漂わせる若者であったのだ。
選考会場に来る途中で道ばたの蒲公英があまりに美しかったため遅れてしまいましたと謝罪しながら、中村が拭う額の汗は、自身は気づいていないが喩えようのない芳香と化して、選考会場にいた女性社員たちの足腰から力を奪ってしまう。

もちろん、セクスィー部長から中村が指摘されたように、そのレベルは今はセクスィー部長ほどではない。しかし、もつ者ともたざる者の差は大地と天空の星のごとく離れ、そして大きいのだ。

中村の「セクスィー」もこれから研きがかかっていくに違いない。

「セクスィーとは何か?」とセクスィー部長から問われた中村が戸惑いながら口にした答えは「全世界の人々を平等に愛すること――無償の愛」であった。

サラリーマンNEOシーズン5『セクスィー部長 伝承編』全編にわたってあるときは前面に押し出され、あるときは根底に流れるであろうテーマが昨日提示されたのだ。

セクスィーとは無償の愛である。

我々サラリーマンは心深くに刻み込もう。
経済状況は依然厳しく、わずかに採用された者も「今時の若者は……」とぼやきたくなるような新人ばかりかもしれない。
しかし、そんな時代だからこそ、セクスィーつまり無償の愛の発露が求められるのではないのか。
自分だってかつては先輩から見ればどうしようもない新人だったのだ。

"どんな人にも居場所があり、誰の心にも宇宙がある" のだ。 "へこたれて憂鬱なとき、涙がいっぱいのときには、荒れ狂う水にかかる橋のように" 支え合う仲間が必要ではないのか。
"手を取り合って歩いていこう" ではないか。 "All You Need is Love" な心で。――合掌

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