八方美人だなんて言う方が変!?
直したい自分の性格というアンケートで、「八方美人なところがいや」というのが、上位にきていました。
それで、八方美人の意味をあらためて調べてみると、いろいろ面白かったです。
手元にあった広辞苑に第一の意味として載っていたのは、「どの点から見ても欠点のない美人」というもの。最初にこれに驚き――そんな意味があったのね。第一の意味で使う人はいないんじゃないかなぁ。
そして、第二の意味が「誰に対しても如才無くふるまう人を軽んじていう語」というもの。
面白いと思ったのは、まず「如才無く」という部分。
広辞苑や大辞林を見ると、「如才(じょさい)」は、そもそもは、「如在」と書いて「神様の前にいるかのように、相手を敬いかしこまる」という意味。
それがどういうわけか、現代では「如才」と書いて、「気を使わずに、いい加減にすること。十分な配慮をせず、手抜かりがあること、ぞんざい」という意味に変わってきたよう。
だから、「無」という字は何が無いのかというと、「いい加減さ、配慮不足、手抜かり」が無い。
そういうわけで、「気がきいて人をそらさない。行き届いていて愛想がよい」というのが、「如才が無い」ということ。
「如才無く話しかける」というように使います。
(この表現の意味を、くだらないと思っていても、そう見えないように装って相手が好きそうなことを話題にし、気に入られるようにすることだと僕は思ってたけど違った。「気の置けない人」みたいだ)
その次に面白いと思ったのは、「軽んじて」という部分――「かろんじて」は、「軽くみる、あなどる、粗末にする」ということ。
つまり、八方美人というのは、「"誰に対しても、手を抜かず、いい加減に扱わず、配慮した振る舞いができる人" を、見下して粗末に扱った言葉」だと言えるわけで、八方美人だと呼ばれた人は、実は公正でちゃんとした人なのだ!
そう考えると、「(あんな立派な人を)八方美人なんて言うもんじゃない!」と叱られそうな言葉ですが、そんなことはなくて、「あいつは八方美人だから気をつけろ」とか人間性の問題点として使ったり、「八方美人ではいけない」とか言って「あれもこれもじゃなくて、何か1つに注力しなさい」という意味で普通に使ったりする。
他人を見下す際に使う言葉だから自然に口にする頻度はそう多くないだろうに、どこでどうして普通に使うようになったんだろう――不思議だ。
相手を軽んじて用いる言葉だけど、その指している人や様子は激しく正しい「八方美人」。
誰に対しても、手を抜いたり、いい加減に扱ったり、配慮が足らないことが無い人になりたいなぁ。
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