先生方、「淫する」って表現を知ってますか。
常用漢字に、淫・呪・艶・賭などは不適切だと学校などから反対意見が相次いだというニュース。
文化審議会は、「学校で教える漢字は常用漢字すべてではなく、学校現場の判断に委ねるべきだ」という方針で、踏み込んだ議論は行ってなかったけど、それを受けて再検討を決めたのだとか。
常用漢字には含めないとなると、義務教育では読み・書きを教えないということになるのかな。
(書くのは別か? ああ、そこはよくわからん)
不適切だと指摘されてる文字は、もっとあるのだろうけど、上の4つに限って言うと、教えづらいという気持ちは理解できるけど、教えづらいから不適切だというのはどうかなと思うぞ。
「淫する(した)」という表現があって、「度をすごして物事に熱中する。おぼれる。」という意味。
「賭け事に淫した」とか使うけど、憑かれたようにのめり込んだという意味合いがあるから、「数学に淫する」「骨董に淫した」という表現でも使う。
「艶やか」(あでやか)は、女性の姿や様子を指して、はなやかで美しい様子を言って、「艶やかな舞妓さんたち」とかいうふうに使うし、「艶やか」(つややか)と読めば、「つやがあって美しい」ことを言う。
「艶やかな肌と黒髪」なんて書くと、ちょっとアダルトな雰囲気も感じるだろうけど、洗顔と洗髪の話題だったりするわけだ。
「艶やかな光沢」と書けば、ファッションや家具の話しに使えるぞ。
もちろん、学校では教えづらいであろう「なまめかしい」という読みもあるけど、表現としてそういう意味もあるという教育は必要じゃないかなぁ。
「呪」という文字は、「じゅ」や「しゅ」と読んで、密教の真言を意味する場合もあるし。
それだけじゃないぞ。世界中で読まれている小説「ハリー・ポッター」はどうだ? 彼らが使うのは「呪文」でしょ?
「賭け」は、何かの勝負をして金品を取り合うことを言うから、それが学校で教えるには不適切だという気持ちは、まぁ理解はできる。
でも、「僕らにとっては大きな賭けだ」なんて場合はどうだ? これは「思い切ってやってみる」という意味だから、学校で教えるには困らないんじゃないかな。
この字についても、文字にはいろんな意味があるという教育が大切なんだと僕は思うけど。
僕は、小学校の頃から推理小説が好きで、推理小説といえば、もう犯罪が扱われないわけにいかない小説。
それでも、ある時に親父が読んでいた推理小説を貸してくれた。
「賭け事」がきっかけで犯罪に身を染める登場人物に出会うと、「賭け事って悪いこと」だと僕は知りながら読んでたぞ。
こうした表現は、日常的にはあまり使わなくて、たとえば小説で見たりするだろうけど、知らないと読めないし、意味もわからない。
文字なんていろんな意味をもってるんだからさ。
一面を見て不適切だというのは、教育にかかわる者として不適切な発想だと思うよ。
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コメント
常用漢字の扱いに、臭いものに蓋の典型的な発想ですね。教育は知識だけと思って教育してはいけない。特に国語は国の文化を加味しながら教育しなければいけない。おしなべて教育者と自称する人は、古来からの文化を知らずに教育を行っていて、他国の文化をさも自国の文化と勘違いしている。教育現場からの意見であれば、漢字の持つ意味さえ分からずに国語教師をしているものもいるのでは無いのか。
投稿: 森進一郎 | 2010.06.27 11:00