本当にあって欲しい「百匹目の猿」
ライアル・ワトソンが6月28日に亡くなっていたことを知りました。
80年代に書籍『生命潮流』とか『風の風物詩』などがよく売れたので覚えている人も多いかと思います。
彼の名前を知らなくても、「百匹目の猿」と言えば聞き覚えがある人が増えるのではないかな。
彼が『生命潮流』で紹介した話を他の人がまた紹介して知られるようになった話らしいけど。
前にもここでふれたけど、この「百匹目の猿」の話は全くの作り事。
ワトソン自身が本当にあったことではないと認めたという記述をどこかで読んだことがあるけど、それは事実なのかな?
今時なら「ねつ造問題」とかいって大騒ぎになる話ですが。
まぁ、ワトソンがそれを書いたからといって誰が不幸になったというわけでもないみたいだし、ちょっと筆がすべっちゃってごめんねといった感じで許された時代なんでしょうね。
最初は1匹の猿が採った行動だったものが、しだいに増えていってあるときに互いに接触の機会のない離れた場所にいる猿も同じことを始めた。
そのように「行動や考えなどが、ある量を過ぎると、それが広く伝播する」という現象は、ワトソンのような "不思議現象" といったおもむきの捉え方ではなく、他の分野でもあるようです。
マーケティングなんかでもありますよね? テレビの普及とか冷蔵庫の普及の話。
この場合は、使っている人が増えてきて周囲でよく見かけるようになると、自分も欲しくなってきて手に入れる。それが続いて広がっていくという、不思議でもなんでもないありがちな話なんですが。
「百匹目の猿」はいなかったけど、1人ひとりの想いや行動がある量を超えると、離れた場所であってもとたんに同じことが始まるという話は僕は信じたいです。
洞爺湖サミットが始まります。
温暖化や貧困などなど。この星が抱えるたくさんの課題への解決に向かって、想いや行動がつながっていけば、一気に課題解決への潮流となるかもしれません。
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