めもりあるはくぶつかんと理科の教科書
教科書に関して忘れられない記憶は2つあります。
1つは「めもりあるはくぶつかん」。そして、もう1つは理科の教科書に書いてあった文章。
どちらも小学校のときのこと。
"忘れられない記憶" なんて気どった書き方をしたけど、ほんとは詳細なことは何も覚えてません。
表記すら覚えていません。「メモリアル博物館」なのか、「めもりある博物館」なのか、もっと他の違う表記か。
記憶にあるのは、「めもりあるはくぶつかん」という短編小説のような文章が小学校の教科書に載っていたということと、読後に何ともいえないノルタルジックな印象を感じたこと。
(あれ? "めもりあるびじゅつかん" だったような気もする……)
もちろん、当時の僕はノスタルジックなんて言葉は知りません。
この作品が当時の僕の印象に残ったのは、表現のしようの感情を読後にもったことが、僕にはとても大人な出来事だと感じたから。
小学生だった自分が、言葉で表現できない印象を感じられたことが、とても大人っぽく思えて嬉しかった。
あらすじはどんなだったか、なんとなくある記憶を探ってみると次のようなお話だったような気がします。
1.街中を歩いている主人公が、ふと気がつくと見覚えのない道にいる。
2.でも、なんとなく見覚えがあるような気もしてくる。
3.そこは主人公が忘れていた幼少の頃の町並み。
4.当時の音や色、人々との会話などを思い出す主人公(あるいは、主人公は大人のままで、幼少のころに大人だった人たちと会話を交わすといった内容だったかも……)
5.またふと気がつくと、主人公はいつもの通り道に立っている。
6.今のはなんだったんだろうと考えながら、夕焼けに照らされた道にたたずむ主人公。
とかいうような内容だった気がします。
ほんとに気がするだけで、全然違うかも知れません。
物語の終わりに漂う切ないような雰囲気が、僕の心象に残っているだけの「めもりあるはくぶつかん」。
そして、もう1つの理科の教科書。
これは、理科の実験のときに、どんな手順で実験を行うかをまず読んでみましょうと先生に言われて、1人の子が教科書の指摘された部分を読んだことから始まりました。
これも詳細に覚えてないけど、教科書にあった記述はこんな感じ……
「○と□をまぜたら、いちどにたててから……」
試験管に何かを入れて、それを使う実験。
"いちどにたててから" の部分を、先生の指名を受けたその子はこう読みました。
「一度に立ててから……」
その子が読んだときに、僕らは誰も違和感を感じませんでした。
試験管に何か入れるときって、縦に持った試験管をちょっと傾けるでしょ?
傾けた試験管に○と□を入れて、"よく混ざるように、勢いよく起こして縦に戻す" ってイメージを僕らは持ちました。
ところが、先生が何か困惑したような、ちょっと怒ったような表情を見せて、違う子を指名してもう一度読むように言いました。
その子も同じように、「……一度に立ててから……」。
まだ納得いかない表情の先生は「お前ら、これほんまにわからんか?」って尋ねて、もう一度他の子を指名。
その子もまた、「……一度に立ててから……」。
クラスでは勉強ができる偉い子だった子も同じ。
「ほんとうに読まれへんか?」と尋ねる先生。何が読み方が違うのかわからない僕たち。
なんどか頭の中で読み返しているとぴんときました。
「"一度、煮立ててから" だ!」って。
「そうだろうが」と先生。
この子たちは、こんな簡単なひらがな文も読めないのかという困惑と立腹を感じさせる先生の表情や声がすごく印象に残っています。
でも僕はそのときに思ってました。
「"煮立てて" なんて使えへんし……」って。
あれは小学校の何年生のときのことだったのかなぁ。
だいたい僕が住んでいたあたりの子供たちは、"煮る" ことを "たく" と言ってました。
漢字をあてれば、"炊く" なんでしょうね。
じゃがいもでも、ご飯でも "たく" と言ってましたから。
そんな方言を使って暮らしている子たちに、 "煮立てて" ぐらいちゃんと読めろと期待する方が間違っている気がします。
それに、ひらがな書きされてましたし。小学校で "煮" という字はまだ習ってなかったということだからね。
そういう表現自体を知らない子たちに向かって、読めないのかという不満げな表情を、大人は見せないように。
教科書の話しと違っちゃいました。ごめんなさい。
(トラックバック野郎の「忘れられない教科書のアレ」へ向けて)
追記:
タイトルは、「めもあある美術館」だと判明。それにお話の内容の方も全然違ってたことがわかりました。
でもすっきりしてよかった。
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