それは、価値観
会社で使う接客マニュアルの作成を手伝っていたときのこと、何人かの "お偉い方" が出してきた原稿を校正していると、"聴く" と "聞く" が混在していることを発見。
全部を対象に、"聞く" に統一して担当者に戻すと、しばらくして、「"聴く" と "聞く" は使い分けて書いていたそうで、他者の話をより集中して、よりよく耳を傾けるという意味のときは、"聴く" なんだそうです」との連絡。
失敗した。
"お偉い方" が書いた原稿なんだから、一言ご意向をうかがえばよかったと後悔してももう手遅れ。
全てのページを確認して、"聞く" が入った文章を抜き出し、それぞれに "聞く" あるいは "聴く" なのかをお尋ねするということになってしまった。
ところが、原稿をお書きになった "お偉い方" も、細部に渡って神経を使って書いたわけでもなかったようで、なんともやっかいな手間が発生してしまった。
「お客様の話を "聴く"」なんてときにはわかりやすかったのだけど、「お客様から "聞いた" 話しを他部署に伝える」とか、"きく" という表現を漢字にしたときに、より集中して耳を傾けるといった意味だけでは、どっちなのかうまく判別が付かないものがでてきた。
それだけではない。
"聞く" と "聞く" を使い分けているというなら、たとえば、「お客様にお尋ねする」とか書いておくべきところなのを「お客様に "きく"」なんて表現をしている箇所もあったもんだから、もう何が何だかわからない。
"お偉い方" 本人が書いた原稿なんだけど、書いた本人でさへ、"聞く" なのか "聴く" なのかよくわからない。
なんで "聞く" に統一しちゃったんだみたいな言い方までされる始末。
(もともと厳密に書き分けることができてなかったのにさ……)
「わからないことは、うやむやにせず "きいて" みる」なんていったいどっちのつもりで書いたんだ?
悔し紛れに、僕の手元にあった広辞苑を調べても、"聴く" という字に「他者の話をより集中して、よりよく耳を傾ける」という意味は載っていなかった。
でもそのときには、そんなこともう何の役にも立たなくて、結局、最後までどうにかこうにかやりましたよ。
「全てのページを確認して、"聞く" が入った文章を抜き出し、それぞれに "聞く" あるいは "聴く" なのかを確認する」作業を。
「しっかりと集中して耳を傾ける」という意味を出したいときに気分的に何となく "聴く" という字の方がしっくりくるって感じて使っているだけなんだろうに。
書き手の気分で漢字にこだわらないでよね。
気分で漢字にこだわるというのとは違いますが、価値観という字は、価値 "感" と書くと主張する人がいます。
前にも似たような話を書いた覚えがあるけど、会社の同僚が経験したことです。
クライアントさんのところで、会議室のホワイトボードに価値観と書いたところ、「 "観" は "感"ですよ」と指摘を受けたそうです。
そのときの同僚は、自分は間違っていない旨を説明したのだそうですが、その後、違うところでも同じ指摘をされる経験を何度かしたそうです。
そのたびに同僚は、「"感" ではなくて、 "観" でいいのだ」という訂正をしていたのですが、そのうち面倒になってきて、今ではもう、価値 "感" って書くようにしているのだとか。
漢字として、価値 "感" という書き方も正しいかどうかなんて興味ないですが、僕としては価値 "観" と書きたいです。
だって、昔からずっと価値観って書いてるし、僕が使っているATOKでも、「かちかん」には「価値観」としか変換候補には出てこないしね。
ちなみに、「"感" は、"観" ですよ」という指摘は今のところないのだとか。
ひょっとして、世間一般的に、価値 "感"ってことになっちゃってる?
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