カップ麺を本物ぶらせるな。
ここんとこ、カップ型のインスタントラーメンいわゆるカップ麺が騒がしい。
どんどん新製品が出されているよう。
世の中での話題が途切れないように、次々に新製品を売って出すというやり方は、1つのビジネスモデルとしてはありだと思う。
がしかしだ、「名店仕込み」とか「匠」だとか、「激」だとか「濃厚」だとかを使って、カップ麺がやたら本格ぶる態度が個人的にはどうも気に入らない。
しょせんインスタント麺なのに。
そんなに "本格" がいいなら、本物のラーメンでいいじゃないか。
「どんなにぶったところで、本物にはかなわねぇんだよお前さん。」と後ろから肩をたたいてやりたくなってくる有り様をていしているのがカップ麺市場。
インスタントであるというアイデンティティから目を背け、どこまでも本格を追い求めようとしているがごとくの生き様が気に入らない。
インスタントなのだから、インスタントならではこその求道を促したい思いである。
その点、同じような気軽な飲食物のなかでりっぱなのは缶コーヒーだ。
やつらは、本物のコーヒーにせまろうなどとしていない。市場に現れたときから、ミルクや砂糖を含んでみせて、カフェなどで出されるコーヒーとは似て非なるものだということを明らかにしている。あるいは、「ブラック 加糖」などという、本物のコーヒーには絶対に存在しない味を提供するものもいる。
それにそもそも、本物の方には「レギュラーコーヒー」という選ばれた者だけに用いられる呼び名があるのだ。どんな世界でもレギュラーでないものは、控えであり、補佐である。場合によってはいい仕事をするときもあるが、それでもどんなに実績をあげてもレギュラーが帰ってくればその座を明け渡さないといけない。
だから缶コーヒーは、けっしてレギュラーの座をねらいにいかない。
それどころか、たとえば、○○専用とかレギュラーコーヒーにはない用途を宣言し、アイデンティティを明確にすることで、レギューラコーヒーとの差異を誇るものすらいる。
私の知り合いのコーヒー好きは、「缶コーヒーは、コーヒーじゃない。缶コーヒーは、"缶コーヒー"というひとつの飲み物なんだ」と言ったことがあるが、名言だと思う。
カップ麺だって同じだ。 "レギュラーラーメン"のみがたどるべき道をいつまでも目指したりせず、カップ麺という食べ物になるべくその高みを目指していただきたい。ぜひ缶コーヒーを見習って欲しい。カップ麺メーカーも、そこのところの熟考を早めていただきたい。
そもそもは、本格ぶるカップ麺をありがたがって食べる輩がいるのもいけない。
カップ麺を愛する人たちには、一刻も早く目覚めて欲しい。カップ麺を本当に愛しているなら、本格ぶるカップ麺をいつまでもそのままにしておいてはいけない。
実態がないのに大金持ちとして扱われてきた人間がいると想像して欲しい。そんな人間がどんな最後を迎えるか考えてみたまえ。
カップ麺を愛する人たちには、本格ぶるカップ麺に鉄槌を下してやって欲しい。
いままでのことを考えると身体が引き裂かれるような思いはあろうが、カップ麺の将来を思うなら、そこのところは心を鬼にして断行していただきたい。
今後、カップ麺がカップ麺という食べ物になれるかどうかは、カップ麺を愛する人たちにかかっているといって過言ではなかろう。
カップ麺よ。本物ぶるのはもう止めなさい。
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