泣くのは自然なこと
「男なら泣くな」という主張をする人がいます。泣くということ自体については、僕はそういう価値観をもっていません。人前で泣くことは恥ずかしいと感じる気持ちは僕にもあります。ですが、性別によって泣くことの是非を決める考え方はもっていませんし、他の男性が泣く姿をそういう考え方で見たことは基本的にはありません。人間が泣くことは自然なことだと思っているからです。
問題なのは、なぜ泣いているのかという理由だと僕は思っています。ですから、泣いている理由によっては、他の男性が泣いているのを見て、男のくせにそんなことで泣くなと感じるときが僕にもあります。
とはいっても、泣いている男性に向かって、男ならそんな理由で泣くなという主張をしたことはありません。それは僕の価値観でしかないと思っているから。
泣いている本人にとっては、耐えきれずに泣いているわけですから、それをつかまえて性別が男であるということで泣くなと言うのは酷なことのような気がします。
自分だったらそんなことでは泣かないと心に思うだけで十分で、泣いている人にそれを主張する必要性が僕にはありません。
僕はそのように思うのですが、世の中には自分で思うだけでなく、他人に対しても「男なら泣くな」と主張する人が老若男女を問わずたくさんいます。
男性が泣くことは恥ずかしい、男性なら簡単に泣いて欲しくないと感じることはその人の自由です。泣いている男性を見て、その姿に怒りを感じたり、情けなくなったりするのも感じる人の自由です。
同時に、何によって悲しみを感じるか、何によって涙を流すかは泣いている人の心が決める自由です。ある男性が泣いているのを見て、そのことが気になり、性別が男であるということだけで泣くことの是非を泣いている本人に向かって主張するのは、自分の価値観をその人に押しつけているだけで、冷たい行為ではないかと僕は感じています。
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