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異性にだらしない人はだめ!

異性からやたらもてて、そのせいか複数の人と同時に恋愛(恋愛っていうのか?)を進行させる人のことをぼやているブログをみました。
(リンクをはらせてもらおうかなと思ったのですが、内容がどろどろしているのであまり関係をもちたくないなと思ってしまってやめました。)

個人的にはそういう人とは恋愛ざたに陥らないようにするのが賢明だと思っています。
彼や彼女にとっての私は、他の人たちとは違うとか、自分だけを選んでくれるはずだとか思っていたら痛い目に遭うのがほとんどの場合です。

たまに過去からの己の行動を反省して心を入れ替え、1人の人だけとちゃんとおつき合いしようとしてくれる人もいるにはいます。
でも、それはやっぱり"たまに"のことであって、期待しない方が賢明だと思います。

意図的に二股とかそれ以上の状態を作る人がいると同時に、本人にはそういう意図はないのだけど、単にだらしなくて複数の人とはっきりしない関係を続けてしまうという人もいます。

前者の方が対処はしやすいです。
やってやれと思って不誠実な行動をしてますから、こちらの態度さへ決めれば、「誰を選ぶんだ」と詰め寄るなり、「もうさよならだ」と終わらせるなりをこちらが選択できます。

やっかいなのは後者です。
意図してないし、悪気もないのでこちらとしてはひたすら振り回される場合が多くなります。

本来なら楽しかったり、嬉しかったり、たまには喧嘩して悲しくてもいっしょに何かを乗り越えていけたりするのが恋人同士だろうと思うのですが、そうした関係になれず、こちらに気をもたせるだけだったり、不誠実なことを繰り返す人とは、早めに関係を整理しておくことを僕としてはお勧めします。

どろどろ、ぐちゃぐちゃしたすっきりしない恋愛関係は、心を傷つけ、身体をむしばみ、人生をすり減らしてしまう悪因だと思います。

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サッカーって難しいね

日本対バーレーンの昨夜のサッカー。この好機を生かしてドイツへ行ければいいね。

でもね、やっぱり個人的にはすっきりしない勝ち方でした。
何千万~何億といった報酬をもらっている選手もいるプロの試合で、相手選手が自軍のゴールにボールを入れてしまったら、こちらの得点になるってありなの? ちょっとそれはどうなのよって感じてしまった。

もともと格闘技以外のスポーツ全般に僕はあまり関心がないので、サッカーについてよくわからないのですが、どういう根拠で、オウンゴールという考え方が成立してるんだろう?

相手をとことん追いつめ、絶体絶命、危機一髪、窮地に陥らせるほど攻め立てたからこそ、相手が自軍のゴールにボールを入れてしまうミスを犯したといえるので、それはそれとして得点として認めようという考え方なのかな?

ゴールに入ったボールは、サッカー場に戻さないといけないから、キーパーか他の誰かが蹴るか投げるかしないといけないしね。そのときの投げ方、戻し方も戦略として関わってくるだろうから、両軍に平等になる戻し方って難しいか。

となると、オウンゴールは相手の得点だよって決めておいた方が試合の運営としては効率的かつ平等かも。

自軍のゴールに入れてしまったボールを、どちらのチームにも有利にならない平等な状態で戻すというのは難しいだろうから。

サッカーって難しいね。


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名前で呼んでよ

この間、夕食を近所のファミレスで取っていたとき、斜め向かいのテーブルにいたカップルの会話が聞こえてきました。どうやら、2人は携帯電話を買い換える相談をしているようでした。

それで、盗み聞きしていたわけではないのですが、聞こえてきてしまった2人の会話にちょっと気になることがありました。というのは、男性の方は会話の中で、彼女に向かってニックネームで「○○ちゃん」と何かにつけ呼んでいるのですが、彼女の方は彼をニックネームですら呼んでませんでした。

○○ちゃん、彼が呼んでくれているんだからさぁ、あんたも何かしらの呼び方で彼のことを呼んであげなよ。

と、僕は心のなかで突っ込んでいたのですが、相手を名前で呼べる幸せ、名前で呼んでもらえる幸せってあるような気がしています。

たとえば、レストランや何かショップに行って「○○様」と呼んでもらえると気分がいいです。大事にしてくれているという感じもします。

恋人同士でも同じじゃないかなぁ。
彼女と彼の間で、名前やニックネームで呼びあえることは、大事にされていると感じられる大切な1つの瞬間だと僕は思っています。

「おい」とか「ねぇ」、「あのさぁ」とか声をかけることが悪いとは言いません。
でも、文字面だけだと誰に声をかけているのかわからない呼び方ではなく、大事な人には固有の呼び方で声をかけるようにしても人生にマイナスは生じないと思います。

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ゴングル

日曜日に都内へ仕事に行ったついでに、ここで昼食。
「ゴングル」は、東京メトロ銀座線表参道駅の近くにあるインド料理店。

日曜日の開店時間は12時。開店してすぐに入ったので、店内はすいていたのが嬉しかったです。しばらくすると、けっこう人が入ってきてたし。

日曜日のお昼はバイキング形式です。
この日は3種類のカレー。ごはんとナン、それに刻んだ野菜が食べ放題。
ごはんはジャーの中に入っていますが、ナンは注文すると熱々が出てきます。

僕は辛いものが苦手なのですが、カレーは大好き。そんな僕が楽しく食べられる辛さでした。強烈な辛さが好きな人はがっかりかも。

トマトのカレーが美味しかったです。少し残念なのはご飯は日本米だったこと。
でも、ナンが好きな僕はナンを堪能できて満足。カレーの味も不満無しだし。

東京メトロ銀座線表参道駅のB1出口から歩いてすぐです。3分もかからないぐらい。
スパイラルビルのちょっと先をすぐ左折して、少し進むと左手にあるセイナンビルの2階。

今度は夕食を食べにいってみたいです。

サイトはこちら

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感謝の言葉が欲しかった時

以前、ベジタリアンの人たちとちょっとおつき合いがありました。

日本で食事に行こうと思ったとき、ベジタリアンとベジタリアンでない人たちとが混ざっているとなかなか大変です。
後者の人たちは基本的には何でもいいわけですからどうとでもなりますが、ベジタリアンには肉や魚は排除して、野菜や豆腐などを中心にする食事ができるところを探さないといけません。

互いが楽しめるお店となると、もっと見つけるのが難しいです。

宗教の戒律であったり、個人の志向であったりしてベジタリアンであること自体を僕は全く問題視しません。

ただし、上記のような手間を周りが負っているとき、そのことを、そのベジタリアンにはちゃんと理解して、お礼ぐらい言って欲しいなと思うことが何度かありました。

僕が出会ったのは、「お手間をおかけしてすみません。」とか「いつもお気づかいいただいてありがとうございます。」といった言葉を一度も言わなかった人。

こちらがあれこれと悩んでお店をセッティングし、あるときにはベジタリアンがいるからとお店の人に相談して、特別に野菜中心のメニューを用意してもらったりとしたのですが、一度も何も言ってもらったことはなかったです。

特別に感謝をしろという気はないですが、いつも自分が食べられる料理が出てきているということが何を意味しているのか気づいて欲しかったです。

(話は変わりますが、日本という国にベジタリアンが気軽に楽しく美味しく食事ができる場所がそもそも少ないというのも問題だと思います。国際化社会などと言い出してずいぶんと経ちますが、悲しい話です。ベジタリアンをちゃんともてなすのに苦労する国には、宗教的戒律を守っている人に安心して来日してもらうことができません。)

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ガルボウェハース

明治のチョコ菓子「galbo Wafers」(ガルボウェハース)。
アーモンドクリームをはさんだウェハースにまぶしたというか、染み込ませたというかのチョコレート。食感が楽しく美味しい一品。

大きさは一口大。1つずつ袋に入った個装タイプだから、お皿か何かに箱からさっとあけて皆でつまめる。袋をきれいに開ければ、そのままつまんで口に入れられるから指先が汚れることもないです。

お昼過ぎの休憩気分の時に、ちょっと食べるのにいいかも。

明治のページは、こっち。

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幸せの証

会社で昼を食べながら話をしていて、幸せの証とでもいうのかな? とにかくそういう話になりました。

とはいえ、僕らが話したの組織としての話。つまり、幸せな職場とか、幸せな組織とかそういう話題。

だから、カテゴリーに「恋愛」も含めましたがちょっと違うかもと思ったりもしています。
でも、考え方として恋愛や結婚生活にも共通するかなと感じた部分もあったので恋愛カテゴリーも含めてみたしだい。

結論を簡単に言ってしまうと、「笑顔があること」。
自分が働く組織・職場で、自分にも周りにも笑顔があるということは幸せであるという結論。

恋愛でも結婚生活でも同様の部分が多いかなと僕は思っています。

笑顔が無い恋愛や結婚生活は苦しい感じがする。
いつも、いつでも平穏な笑顔でいられるということはないだろうけど、それでも苦労を乗り越えた後の笑顔というものがあるはず。そのあたりは、ビジネスと同じじゃないかなぁ?

だから、もし彼や彼女との恋愛関係に悩んでいたり、結婚を決めてよいかどうか迷っていたら、その人と居ることでどのくらい笑顔で居られるかを考えてみるのは、けっこう価値ある検討だと僕には思えます。

けれど、笑顔で居られるといっても、ただ居られるだけではだめだと思います。その笑顔の意味が大切。
たとえば、テレビの再現ドラマで以前見たことがあるのですが、奥さんに暴力をふるう男性が、暴力をふるった後は急に優しくなって、その落差を彼女は嬉しく感じて男と離れられなくなるという内容のもの。

そんな関係で生まれる彼女の笑顔には意味がない。
だって、彼が優しくしてくるときにだけ、そのときだけ生まれる彼女の笑顔だから。それに、彼女に優しく接しているときにだけ見せる彼の笑顔にも意味がない。その笑顔の後には、暴力がやってくるから。

笑顔が生まれるのは幸せであるから。幸せであれば、幸せだと自覚がなくても自然に笑顔になっている。(そうはいっても、まず最初に笑顔を絶やさないでいれば幸せになってくるという面も確かにあるのも人生の不思議。)

彼や彼女といると、あなたには笑顔が浮かびますか?

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ラヴィン・ユー・ベイビー!

CANONの「New EOS Kissデジタル」のテレビCMが気に入ってます。

往年のハードロックバンド(この言い方が世代を感じさせるからわざと使ってみました)KISSのヒット曲「ラヴィン・ユー・ベイビー」をバックに、KISSのメイクをした子供たちが出てきます。

この子たちがかわいいんだ。

あれ、ぱっと見て "KISS" とか「ラヴィン・ユー・ベイビー」とかすぐにわかる世代は限られていると思うのだけど、だからこそのCM。
KISSを青春時代に聞いていた人達が、お父さんやお母さんになっているからね。

初めてテレビCMを見たときは大受けしてしまった。僕なんかKISSファンとしては、ど真ん中の世代だから。

最初にKISSの日本デビューアルバムを見たのは、新聞に載っていた新譜発売の宣伝。新聞のテレビ欄のページで。

若い人たちは絶対に知らないだろう話になるけど、当時の新聞のテレビ欄では、上8割ぐらいにテレビ番組表が載っていて、下2割ぐらいのスペースに新発売のレコードの宣伝が載っていたんだよ。
当時のうちは産経新聞だか、朝日新聞を購読していたと思うのだけれど、今でもテレビ欄の下に新譜の宣伝って載っているのかな?

僕はある日そこに、顔に歌舞伎役者のような化粧を施した4人の男たちが、スーツ姿でポーズをとっている小さなジャケット写真をみかけました。

それが、"DRESSED TO KILL" (地獄への接吻)。
(日本ではデビューアルバムだけど、米国では実は3枚目のアルバムだったとは後で知った話。)

彼らについての情報はそのとき何も知らなかったけど、なぜか強烈に惹かれて、すぐに買いに行ったの覚えています。

そして、 あの超絶にして究極、絶対かつ完璧、衝撃であり最高のライブアルバム"ALIVE!" (アライヴ!~地獄の狂獣)でどっぷりはまった。当時のロック少年には、"ALIVE!" にはまった人は多かったと思う。

アメリカでは、 "ALIVE!" は、ビルボードに2年間チャートインし続け、結局、国内で400万枚を超える売上だったって聞いたことがある。彼らの出世作だね。
このアルバムの大ヒットに続いて、彼らは大物プロデューサーのボブ・エズリンを招いて、次作 "DESTROYER" (地獄の軍団)を作り上げる。そして、観客動員数4万人を超えるスタジアムツアーを実現させるようになったんだ。
当然、このあと米国ミュージシャンの憧れの的「MSG」にだって彼らは立っている。

"ALIVE!" は、もちろん日本でも絶好調を見せた。その後の初来日もすごかったんだから。
今で言うところのトム・クルーズやブラピの来日のように、テレビのニュースでKISSの来日が報道された。人気の外国のロックバンドが来日したからいちいちニュースで報道するなんてことがなかった時代のことだよ。
いつもどおりテレビを見ながら晩ご飯を食べていたら、夕方6時のニュースが始まって、「お父さん、KISSという名前をご存じでしょうか。いま若者に大人気のロックバンドKISSがこのほど初来日しました」とかいうような感じでニュースがはじまったときにはびっくりしたね。

翌朝、学校に行ってすぐに友人たちと「昨日のニュース見た?」って大はしゃぎしたのを覚えている。

僕の実家は和歌山の山奥で、小学校のときの卒業生が11人だったという本当の田舎だけど、それでもKISSの大阪でのコンサートの日、町中でこれから大阪のコンサートへ行く人をみかけたときは、驚きと嬉しさでいっぱいだった。「こんな田舎でも、KISSを知っている人がいたんだ。こんな田舎からでも、KISSを見に行く人はいるんだ」って。

どうしてKISSのコンサートへ行くとわかったかというと(ちょっと感のいい人ならもうわかっていると思うけど)、その人がKISSのメイクをしていたから。

そしてそして、知っている人は知っている伝説の「ヤングミュージックショー」。
NHKでKISSのライブが放映されたんだよ。
(去年だか再放送してたよね? 馬鹿なことに僕は録画に失敗してしまったけど…)

"ALIVE!" や「ヤングミュージックショー」がわからない人は、お父さんやお母さんに尋ねてみよう。
君たちのはお父さんやお母さんが「ハードロック」と呼ばれていた音楽を聴いていた人なら、好き嫌いは別として "ALIVE!" や「ヤングミュージックショー」を知らないはずはない。

おっと懐かしさに浸っていたら忘れるところだった。
CANONの「New EOS Kissデジタル」のテレビCMは、こちらで見ることができます。

30秒のロングバージョンの方がおすすめ。
本当はドラム担当「ピーター」役の子もギターをもっているのはご愛嬌。僕は「ポール」役の女の子の腕組み姿がお気に入り。

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出会ってくれてありがとう

すてきだなと思える人に出会えることは、とても幸せ。

すてきだなと思える人と出会って、その人とじっくり話すことができたら本当に嬉しい。

すてきな気分を感じさせてくれる人。おじゃまします、あなたの人生へ。そして、ようこそ僕の人生へ。出会ってくれてありがとう。

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"体温"を感じられる大切さ

親しい人の"体温"を感じられることはとても、とても大切。
直接触れるというだけでなく、声が聞ける、顔が見られるというのは本当に大事だと思います。

どんな間柄だって、親しい人の声が聞けたり、顔が見られたりするのは嬉しい。

それが夫婦や恋人のように愛し合っている同士ならなおさら嬉しい。
実際に触れ合っているだけでなく、食事をしたり、映画を見たりしたいっしょに過ごした時間を思い出すことができるだけでも、そこにもう相手を感じられる"温度"が発生します。それが楽しく優しい時間であればあるほど、思い出すだけで、もう誰に対しても優しい気持ちになることができることがある。

親しい人の"体温"を感じられる時間の存在は、いつも柔らかで優しい気持ちでいられるということに対して、深く関わっている要因の1つだと僕は思っています。

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三連休は予定がいっぱい

三連休の初日、僕が住んでいるあたりでは朝からとてもよい天気。きれいな青空が広がっています。
空気は日中でもまだつめたいし、夜になれば肌寒いので、でかけるときは何か羽織るものが必要ですが、確実に冬が遠ざかっているとわかるのは嬉しいです。

寒いと、どうしてもでかける場所が限定されるし、外でぼぉっとしているというわけにもいかない。
暖かい季節の方が、どこへでも行きやすい。寒さ対策が必要ないから、見晴らしのよい場所でベンチに腰掛けてまったり過ごすなんてことができたりするし。

で、今日は海の見えるところへおでかけ。まだちょっと寒いだろうけどね。

幸い三連休は予定がいっぱい。もっとも明日だけはお仕事だけど。でも、3日あるうち2日は自由に使えるのだから嬉しいことだ。。

明日だって、朝は現地に8時半集合だから早いけど、僕はヘルプで入っているだけ。
だから、終わったらクライアントさんとの打ち合わせとかもないし。たぶん、6時には現地を出ることができる。そういえば、明日の仕事の場所も海の近くだ。仕事が終わったら新鮮なお魚でも食べて帰ってこようかね。
(自動車で遠征してってるから飲めないのが残念。事故だけは気をつけないとね。)

お仕事の人もプライベートの人も、みんないい日でありますように。

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新種のカブトエビ、見つかる

exciteの「世界びっくりニュース」で見かけた記事。

大型で獰猛な新種のカブトエビを発見 [ 2005年03月18日 13時16分  ロイター]

アイダホ州サルモン(SALMON, Idaho)で見つかった新種のカブトエビですって。カブトエビって世界に4種類しか見つかっていなかったとは知りませんでした。
オーストラリアカブトエビとか、アジアカブトエビとか、ヨーロッパカブトエビがいるらしいです。
日本国内の田舎の水田などでよく見かけられるのは、「アメリカカブトエビ」だとか。ちなみに、アメリカカブトエビの学名は、Triops longicaudatus (LeConte) Longhurst。

ロイターの記事のオリジナルはこっち。
U.S. scientists discover rare carnivore shrimp (Wed Mar 16, 2005 08:53 PM ET)
記事のなかでは、"fairy shrimp "って書かれてます。

画像をこちらで見つけました。"エイリアン"の幼生、"フェイスハガー"を痩せさせたようなヤツです。

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ETCゲートでは減速を

くっきもさんのブログ「ぶつぶつぶろぐ」で、搭載したETCを初めて使った記事を読みました。

ETCは、僕もマイカーに搭載しています。
最初はそれほど付けたいと思ってたわけではなくて、「まぁ友達のなかには便利だって言う奴もいるし、ちょっと付けてみるか。たいして便利だと思わなかったら、外してもいいしなぁ」というぐらいの気持ちだったです。

でもこれが、使ってみると意外によい。
料金所で止まらずに走っていけるというのは使ってみないとわからない便利さだなと思ってしまった。

ETC、ごめんよ。誤解していたよ。

っと…まぁいきなりETC信者に変わってしまいました。それから、まだ搭載していない知り合いがいると、「いいよぉ。付けなよ。」って勧める側に成っています。

なかに1人、搭載を決めた人がいて、そいつが「もっと早くから付けておけばよかった。便利だね」と言っていたのを聞いたときには、"ETCの神" がいるなら頭を撫でて欲しかったです。

しかし、くっきもさんの記事の中に書かれているようにスピードを落とさずに突っ込んでいく人がいるんですね。僕としてはびっくりです。機械仕掛けだろうが、人の手によるものだろうが、ミスっていうのはあるものだから。

もしものときの安全の確保という観点で考えれば、目の前に道路を遮っているバーがあるなら、それが自動的に開く仕組みであるとわかっていても、それなりに注意してゲートに近づいていくのが当たり前だと思います。

バーが開かないという事態はあってはならないことですし、ETCだからこそいつでも確実に開かないと意味がないという考え方自体には賛成します。
でも、もしも何かあって開かないという時の対処、つまりいざというときにはブレーキで確実に止まれる速度で侵入していくことを全くやらないというのは、危ない運転だと僕は思っています。

ETCは、料金所で止まらなくてもよくしてくれる仕組みであって、自動車の速度を下げなくてもよくする仕組みではありません。

ETCによってゲートを確実に開かせる責任を負っている人たちがいると同時に、ETCが開かなかったときの安全を考慮する責任の一端はドライバーにもあると思うのですが、いかがでしょう?

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話していると楽しい人って

友人や恋人、あるいは先輩や後輩などなどその関係の種類にかかわらず、話していると楽しい人とがいます。そういう人といっしょにお話しをしていると、こちらが何も話さなくて相手の話を聞いているという状態にしばらくなっていても苦になりません。
一方、誰かにずっとしゃべり続けられたら、嫌な気分になることもあります。

その違いって自分にとっては何だろうなと考えてみました。

どうやら僕の場合は、相手が僕の話をちゃんと聞いて反応してくれるということを、僕が信用しているから相手が話し続けても気にならないようです。

だから、今は相手が話し続けていても、何かのタイミングで僕が話し出すと今度はそれをちゃんと聞いてくれるという信頼感・安心感を覚えながら相手の話を聞いていることができます。

話し上手と聞き上手というのはセットになっているようですが、それは本当なんだなという気がしました。

人の話を受け止めて聞くことについては、あまり上手ではないと僕は自己評価しているので、人の話はちゃんと受け止めて聞けるように努力しないといけないなと思っています。

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"男性向けサイト"って…

以下かなり長文です。
Fe-Mail という女性向けサイトで、日替わりで連載されていたコラムが好きだったのですが、3月14日に大幅なサイトのリニューアルがあって、それと同時に無くなってしまったようです。

コラムのページへのリンクも作ってあったのですが、クリックしてもエラーが出るので消してしまいました。(それとも、僕が見つけられないだけでサイトのどこかに残っているかも。)

いつも思うのですが、女性読者をターゲットにしたサイトを見るとなかなか興味深いです。扱われているテーマには定番があって、「コスメ」、「ファッション」、「恋愛」、「健康」、「美容」、「旅」、「ダイエット」、「グルメ」といったところ。

それに、「仕事」が加わったり、あるいは、「日常にちょっとした変化を生じさせるもの」という印象のテーマが加わることもありますね。「ライフスタイル」とかいう名称になっていたりもしますが。

おしゃれなお店の情報や行ってみたいなと感じる海外の紹介があったりすると、男性の僕でも読んでいて楽しいし。

ところでそういうサイトをみていると、疑問を感じるときがあって、なぜこういう複数のテーマを楽しげに扱った「男性をターゲットにしたサイト」が無いのかということ。

あってもなぜか、やたらビジネスチックだったり、いわゆるアダルトだったりする。せいぜいあっても、「大人の男」という風なテーマで、ダンディーさや高級感が漂うファッションや持ち物を紹介するといったところかな。

わからないでもないけど。
「男性」のイメージって、男性である僕が考えても「なるだけ多くの人がどことはなく理想的に感じてあこがれるイメージ」がわからない。

「女性」の場合は、「コスメ」、「ファッション」、「恋愛」、「健康」、「美容」、「旅」、「ダイエット」、「グルメ」、「仕事」とかいう単語を並べると、それだけでも、なんとはなしに「何事にも前向きに打ち込んで、プライベートも仕事も充実して毎日を生き生きと過ごしている」という、「なるだけ多くの人がどことはなく理想的に感じてあこがれるイメージ」を想定することができる。

でも、「男性」の場合、どうもそういうわかりやすく、かつ、前向きでいきいきとしたすがすがしさがあるイメージを思い浮かべづらいです。
なんでだろう? それとも同性についてそんなイメージを浮かべづらいと感じているのは僕だけかな?

「ファッション」、「恋愛」、「健康」、「旅」、「ダイエット」、「グルメ」、「仕事」というテーマは、男性対象に考えても悪くはないテーマなのに、それでも、やっぱり、なぜか女性を対象にした方が僕はイメージしやすい。

そんな個人的疑問についてちょっと哲学してみた。

社会人になって会社勤めをする男性の場合は、そもそも仕事用の制服があったり、私服に近い姿で仕事ができるという人は別として、ほとんどの人が、職場での「ファッション」の選択肢がスーツ以外に存在しなくなる。で、男性のスーツなんて、細かくみれば違うのだろうけど言ってしまえばどれも似たり寄ったりの色と形で、女性のようにいろんな形、色のスーツがあるわけじゃない。当然職場で「ファッション」が話題になることは皆無に近いというのは想像できる。

次に、「恋愛」。
これも、職場で男性の同僚から「恋愛」の相談を受けるなんて男性はあまりいないだろうなと想像できます。反対に、職場の同僚に相談する男性もいないだろうなぁ。
ずっといっしょに仕事をしていて互いに気心を知っているという仲間や先輩・後輩ならそういうこともあるだろうけど。でもまぁ、職場で恋愛相談はそうないよなぁ。

「健康」は、男性の場合、なぜか「肉体の衰え」を想起させる。「高脂血」「尿タンパク」「糖尿」といったイメージかな。で、いまいち前向きなイメージを持ちづらい。
でも、女性だって年齢が大きな要因になることはたくさんあるだろうし、これは僕の偏見でしょう。

「旅」
「旅」もちょっと無理があるなぁ。女性についてのイメージは仲のよい人たちでそろってでかけるというものがあるけど、男性の旅と言った場合にはそういうイメージをもっている人は少ないと思う。
2人あるいはそれ以上でわいわいと楽しく旅をする男性もいるとは思うけど、男性と旅という組み合わせで率先して浮かび上がってくるイメージではないような気がします。

「ダイエット」も男性を対象にしてもおかしくない話題だけど、やっぱり女性を対象にした場合と何かが違うような。女性の場合「見た目の美しさが得られる」というはっきりとしたわかりやすいゴールがあります。
こんな書き方をすると女性蔑視を責められるかもしれないのも覚悟で書くけど、男から見たって「前よりほっそりなった」ということが明らかにわかるのは、印象として好印象がある。同性からだって「最近スマートになったよね」と指摘されて多少の憧れの視線を受けるのは、指摘されている本人も嬉しいだろうし。

でも男性の場合、「見た目に痩せたから」といって何がどうなるものが、女性と比べるとあまり無いような…。
同僚や友人から「ほっそりしたね」と言われるのはそれはそれで本人は嬉しいというのは女性と変わらないだろうけど。
けれど、細くなったということを憧れるようなまなざしを同性から向けられることは男性の場合は無い。うん、絶対とは言わないけど、あまり無いと思う。あったとしても嬉しくない。

あとは、はけなかったスボン(お父さん、いまはね本当は「スボン」も"パンツ"って呼ぶんだよ。)がはけるようになったというぐらいか…な? つまり男性にとって「細くなった」ということで他者から高く評価され、印象としてすがすがしくもあり、それが自分でも嬉しいという状況はあまり多くないような気がします。

「グルメ」は男性誌でもあつかってるけど、これも女性の場合とは少々違うような…うちの妹が読んでいた女性誌とかを見ても、世の中のWebサイトを見ても、女性の場合「食」にも「おしゃれな」という印象が欠かせない気がします。
男性向けの雑誌とかの場合、「おしゃれ感」がなくても、「美味しいお店」というだけで成り立つ特集だったりするのですが、女性向けのものではそうはいかないようです。

それと、「旅」のときのように2人あるいはそれ以上でわいわいと楽しめるという要素も、女性向けWebサイトのテーマとしての「グルメ」には必要なようです。
男だって連れだって美味しいお店にいくことは多々あるのですが、それでもやっぱりどこか違う。女性の場合、美味しい食事と楽しい会話の混ざり具合が、男性の場合より大きいというのが僕の印象。

男性だって美味しく食べながら、親しい友人との会話を楽しむという時間をもつことがありますが、男性の場合は美味しい食事と会話が認識の中では個々に成り立っているという感じがします。そもそも美味しい料理があって、かつ楽しい会話をしているというイメージかな。

一方、女性の場合は、美味しい食事と楽しい会話が相乗効果というか、混ざり合うというかそういう印象があるのですが。
だから、男性の場合、「あのお店の料理はいまいちだったけど、友人と話せてよかった」ということが成り立っても、女性の場合それは成り立ちにくいような印象を僕はもっています。
女性の場合は、「食事がおいしくないと、せっかくの友人との時間も台無し」という印象かな。

こういう風に考えると、どうも"ある程度の年齢の男性"に対するイメージが、「なるだけ多くの人がどことはなく理想的に感じてあこがれるイメージを感じられる男性向けサイト」の成立を難しくしているようです。

女性もマイナスイメージというものが存在するでしょうが、男性がもたれているマイナスイメージの方が、負の力は大きいようです。

だいたい、"男性向けサイト"って言っただけで、もうすでにあまりおおっぴらにできない内容が載ってそうって思いますでしょ?(まったく考えようによっては男性蔑視だよ。)

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ようやく復活!

風邪の熱がなかなか下がらない状態が続いていましたが、ようやく普通になりました。
まだノドが少しひりひりしますが、もう大丈夫です。

それにしても、熱は高いし、悪寒はするし、頭痛もあって、咳がでて、ノドも痛くて腹も下るというきつい風邪でした。こんなひどくて、しかも長引く風邪になったは何年かぶりです
(まぁ、先週は完全に休める事態ではなかったので、午前中出社して仕事を一段落させたら、早退するというのを繰り返していたから、よけいに長引いたと思うのですが。)

それに、インフルエンザでなかったのも幸い。

実は、実家の方では父の体調がちょっと心配されていたのですが、病院の検査ででたいしたことがないと判明。ダブルで嬉しい復活。

よかったよかった。みなさんも風邪には気を付けてくださいね。

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寝込んでます

事務所の移転が落ち着いてきて、記事を作成する時間も出来てきたなと思っていたら、風邪をひいてしまいました。

インフルエンザではないようですが、熱が高く寒気がしています。ようやく37度代にまで熱が下がってきたので、これを書いてます。

でも、起きあがると吐き気がする。
本格的な復活にはまだ少しかかるようです。いつも目を通していただいている皆さんには、気長に待ってやってくださると嬉しいです。

皆さんもお身体には気を付けて。

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大切にしたい人がいると

大切にしたいと思える人がいる人は幸せ。

大切にしたいと思える人から、「大切にするよ」と言ってもらえた人は、本当に幸せ。

大切にしたいと思える人から、「大切にするよ」と言ってもらえて、「私も」とちゃんと声にして返した人は、きっと幸せ。

恋愛に限らず、ビジネス上でも家族でも友人同士でも、大切にしたいと思える人がいることは、普通に大事なことなわけ。

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青龍門

青龍門は、台湾小皿料理のお店。台湾には何度か行ったことがあるけど、確かに小皿料理が多い。
渋谷に本店があり、その他にも都内に数店、ヴィーナスフォートやイクスピアリなどにも出店している。

僕らが行ったのは、みなとみらい21の玄関口「桜木町」駅前にある複合施設「クロスゲート」の3階。サイトの説明によると、"横浜外国人居留区の地下水道をイメージした店内"だとか。

各テーブルの真上にある小さなライトが手元を明るく照らしてくれるけど、向かい席にいる相手の表情はほんの少し薄暗くなる。テーブルは大きすぎず、互いにちょっと身を乗り出せば耳元でささやき会えるぐらいの距離。恋人同士なら雰囲気もあってよいと思います。

青龍門の料理は正解。
数種類の料理を頼んで、分け合って食べられるのが楽しい。しかも美味しい。
醤油味が好きな僕のお薦めは、「豚バラ肉の角煮」。やわらかいお肉が甘辛いおつゆと相まってとても幸せな味。

嬉しかったのは「海老のマヨネーズ炒め」。
中国や香港でマヨネーズを使った料理を頼むと、このマヨネーズが何とも言えない"甘さ"をもったマヨネーズであることが多い。これじゃお菓子だよという気持ちになったことが何度かある。(青龍門は台湾料理だけどね)

でもここは日本。ちゃんとマヨネーズの味がマヨネーズになっている。これが嬉しかった。けれど、海老はややぷりぷり感が足りない感じ。でもまぁ僕の中ではひどいマイナスになるほどではなかったから、正解。

「大根もち」は、ちょっと香ばしい風味がしたけど、あれは干しエビを潰して入れているのではないかな? どうだろう。

最後にもう少し何か食べたいと頼んだのが「海鮮ビーフン」。
小皿料理だとはいえ、これが盛りがよい。僕の貧弱な語彙では「もっこりとした小山のよう」としか書けない。小山といっても、そんなにでかいわけではないけど。
(え~い、変な表現だなぁ。本当に語彙が貧弱だ。うまく表現できないのがくやしい。ごめんなさい。本人はこの表現にぜんぜん満足していないということだけは明記しておきたい。)

でね。店内ではある演出が行われる。
記憶が確かではないのですが、7時ぐらいにお店に入って10時前までいたと思います。その間に、2回遭遇。1度目の方が少しだけ時間が長かったような気がしたのだけれど。勘違いかな?

どんな演出かはここでは書かない。知らない方が楽しいでしょうから。
(「青龍門」を検索して見つかるページには、演出の内容を書いているものもあるので、調べないで行くことをお勧めします。僕は演出があるということも知らなくて行ったので楽しかったですよ。)

サイトは、こちら

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自分らしくいられること

誰かといっしょにいるときでも、1人のときでも、自分らしくいられていると感じることができていたら、それはとても幸せなことだと思います。

べつに恋愛に限らず、他の人といっしょにいるときに、自分が自分のままでいられると実感できるのは嬉しいものです。そして、いっしょにいると自分らしくいられると感じることができる人(たち)が身近にいることに感謝したくなります。

誰かといて自分らしくいられているかどうか、僕にとってはそれはその人といると疲れないかどうかで判別できます。いっしょにいて疲れないと感じる人の前では、僕は自分らしくいられていると思うことができます。

より深い関係になっていけるかどうかには、いっしょにいて疲れない人ということが僕にとっては大事なことです。

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大切にされているという実感

ずっと前に同様のことを書いた記憶がありますが、自分が誰かから大切にされているという実感が人には必要なのだという気がしています。

つい最近もあらためてそう思うことがあったので、よけいに感じます。

誰かから自分は大切に思われていると十分に感じられることで、人の心は安らぎを覚えるようです。

相手は、親であったり、友人であったり、恋人であったり、師であったり、兄弟であったり、いろいろでしょう。相手が誰であれ、あの人は自分を大切に想ってくれていると実感できることは、生きていく上で人の心の支えになると僕は信じています。

そういうふうにして幸せな安らぎを得ることができたら、こんどは自分も誰かを大切にしようという気持ちになれる気もします。青臭いことを言うようですが、大切に思いあう心がつながっていけば、もっと心安らぐ人が増えていくと思います。そして、そのことは柔和な社会をもたらしてくれるかもしれません。

想いを伝えたくても諸事情で伝えられないという状況もあるでしょうけど、もしそんな制限がないのなら、それはとても幸せなことでしょうから、その制限がないことを十分に活かして、大切に感じている人に対して想いを伝えることを僕としてはお勧めします。

見た目にわかるほど大きな変化はないかもしれません。けれど、少なくとも、人生のマイナスにはならないと思います。

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