ありがとうなモブログ
ありがとう。ありがとう。
みなさん、ありがとう。
きょうも嬉しく寝られます。
あしたも元気に目を開けます。
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飛行機に乗っているとき、片側に人がいないという気楽さがあってトイレにも行きやすいということで、通路側を望む人は多いでしょうが、僕は窓側の席が好きです。
飛行機の窓から外を見るのがわけもなく楽しいから。
雲と空しか見えないといえばそうだけど、その雲を見ているだけでなんだか楽しい。それに、たまにトイレへ行ったときなど、側にある小さい窓から下を見ると海が見えるときがあります。船が見えたりすると、あの船に居る人たちは今何をしているのだろうと考えるのがこれまた楽しい。
隣の人が寝ていたりすると、自分がトイレに行きたいときに声をかけづいらいというのは本当だけど、ちょっと隙間を空けてもらえないと僕が出られないし。たまに、あからさまに嫌な顔をする人がいますが。(たぶん、そういう人は、そのような表情をしていることを自覚していないのでしょうね)
本当に嫌だったら、そういう人はエコノミークラスの席に乗ってこなければいい。僕は声をかけるのを気にしないことにしている。また、自分が寝ていて起こされるのも気にしない。飛行機のエコノミークラスというものはそういうものだから。
この前、飛行機に乗っていたときのこと。(そのときは通路側の席だった)
ちょっと眠っていたら、なんか人が動く気配がした。目を開けてみると、僕の隣に座っていた女性が、僕の脚をまたいで通路へ出ようとしているところでした。
びっくりしたのは、その彼女が完全に僕の方を向いて脚をまたごうとしていたこと。
目を開けると、女性が僕の方を向いて脚を開いて僕を乗り越えようとしている姿が見えたときには、本当に驚きました。
ちょうど彼女の脚が僕の脚をまたぎ終わって、通路側に片足が着いたところだったので、彼女の脚の間に僕の脚があるわけで、僕としてはどくことができない。
さらに、彼女は身体を支えるために、片手をシートのヘッドレスト辺りについていたものだから、身体を通路側へ動かすときには、少し前屈みになる。動けない僕は、女性の胸元が自分の目の間を横に移動するのを見ているしかなかった。少し下を向いてじっとは見ないようにしたけど。
彼女も僕が目を開けたのには驚いていて様子だったけど、もうそこまで動いていたらあとは通路の方へ出てしまうしかないわね。戻るわけにいかないし。彼女の胸元が見えたとかということはなかったのがせめても幸い。
それにしても、起こしてくれればよかったのにと少し気分を害した。
彼女にしてみれば、隣の人が眠っている間にちょっと移動してしまえというつもりだったのでしょうがね。僕が起きてしまったら、女性の脚の間に自分の脚を突っ込んだ状態でいる僕の方が恥ずかしいだろうが。
男の脚をまたいだときに僕に気づかれてしまった彼女も恥ずかしかっただろうけど、そうなったのは、そもそも彼女が僕をちゃんと起こさなかったからだし。
なんで起こさなかったのかなー。
彼女が眠っていた僕に気をつかってくれたのか、見知らぬ男に声をかけたくなかったのか…理由はわかりませんが。
さっきも書いたけど、エコノミークラスというのはそういうものだから、誰に対しても遠慮は無用。相手が寝ていようが、映画を見ていようが、自分がトイレに行きたいときはどいてもらうしかない。
エコノミークラスの座席で、必要があって移動するときは、ちゃんと相手を起こす方がお互いいらぬ想いをしなくてよいと僕は考えているのですが、どなたかそうじゃないぞというご意見があったら聞かせて欲しいです。
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あるブログで電車の「女性専用車両」について書かれている記事を読みました。「女性専用車両」があることはいいことだと思いますが、その背景になっている考え方に少し疑問を感じます。
男性なら変なことをするって、決めつけているところがあるから。
以前、大阪で僕は女性専用車両に乗ってしまって、車内にいたある女性からじっと睨まれたことがあります。
ドアにもたれていたら、車両の端の方から僕を睨んでいる女性に気が付きました。僕の勘違いではなく、ふとそちらを見た僕の視線を真っ向から睨みつけてましたから間違いなく僕が見られていました。
何だろう、失礼な人だなって思ってたのですが…彼女にしてみれば、失礼なのは僕の方だったのね。
でもね、僕はわざと乗ったわけじゃなくて、何も考えずに目の前に来た車両に乗り込んでしまったんです。
でもって、目指す駅で降りるときにホームを何気なくみたら、ホームに直接白い文字で「女性専用車両はここらあたりに止まります」といった意味の文字が書いてあったので初めて自分のしたことに気がついたんですから。
まぁ、そんな僕の事情は彼女にはわからない話だから、それはそれで仕方ないとしても、車内はぜんぜん混雑してなかったんですよ。すきすきで。座席は全部埋まっていたけど、立っていたのは睨んできたその彼女と僕、あと2人ぐらいだったんですから。
男性が乗り込んできたからといって、全く混雑してない状態なのに睨むことはないでしょうが。僕が何をしていたわけでもないのに。
女性に対して変なことをする男性がけっこういるという考えには反対はしません。ですが、男性であるというだけで、変なことをする人間だと思われるのは嫌なものです。
とはいっても、僕を睨んできた彼女は、かつて男性に嫌なめに遭わされた体験をもっているという可能性はあります。
どういうわけか、「男性に嫌な目に遭わされた女性」については理解を示してくれる人は多いですが、「女性に嫌な目に遭わされた男性」に理解を示してくれる人は、女性に対するそれと比べるととても少ないような気がします。
心が傷つくことに性別による差はないと僕は思うのですが、なぜか男性に向かっては「男のくせに情けない」とかいう精神論を言い出す人がいます。そんな精神論は、傷ついた心には何の役にも立ちません。
単純な腕力なら性別によって差が生じることがあるのはわかりますが、心の強さまで性別によって差があるとして扱うことに疑問を感じない人がいるのはどうしてなのか僕にはわかりません。
僕はそんなことはしないなんて主張するつもりはありません。僕もどこかでそういう識別をしていると思います。
でも、人の心の強さには性別による差はないんだとして物事を考えられるようになりたいとは思っています。
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言葉の使い方は難しいもので、いつの時代にも言葉の正しい使い方とか、ちょっと変だぞこの表現といったようなテーマで雑誌の記事やテレビ番組が企画されたり、そういう書籍がでたりします。
最近だと、「問題な日本語」(北原保雄 大修館書店)とか。僕はまだ読んでないけれど。
僕もどちらかというと他人の言葉の使い方を気にする方(自分のことはとりあえず置いておいて…)なのですが、でも、もうどうでもいいじゃないかという気にもなる場合もあります。
たとえば、他人の言葉づかいに対してやたら怒る人をみたときなど。
「ご苦労様」という表現は、目上から目下に向かって使うものですが、それを目下の人から言われてすごく怒る人がいます。
確かに間違ってはいるけど、相手は気づかって言ってくれてるんだから、怒らなくてもいいだろうにと思ってしまいます。
にこっと笑って「ありがとね。でもそれ言うの私にだけにしときなよ。他の人に言うと怒る人がいるから。」とか、さらっとアドバイスするぐらいが大人の態度だと思うのですが。
僕が見ていてもっと最悪に感じるのは、お店などで店員さんの言葉づかいに文句を言う人。「Aランチの方になります」とかもってきてくれてるのに、「"方"ってなに?」とかまじめな顔で聞き返したりする人いるでしょ? そういうことを言う人は、それを尋ねて何がどうなると思っているのでしょう。
時間帯が忙しいお昼の飲食店だったりすると、そのお客さんに対して、「お客もお店もみんな忙しいんだから、言うなとは言わないけど、今でなくてもいいでしょうが。状況を考えろ」って言いたくなります。
言葉づかいについてやたら怒ったり、返答に困るようなことを聞き返したりする人の中には、自分は正しいことを教えてやっているんだと意識が丸出しで、ちょっと危ない目になっている人がいたりします。こんなことを書いてますが、多分僕も自覚できていないだけで、どこかで似たようなことをしているでしょう。
自分が正しいと感じたことを、粘着質な意識でもって相手に言い聞かせようとするのは、日本人という人種の国民性のような気がしています。
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このまえ、「月のワルツ」が注目されてきているという記事を書きましたが、今日、諫山実生さんの最新アルバム「恋愛組曲」が届きました。
NHKの「みんなのうた」で放映された「月のワルツ」の映像入りDVDも付いてます
「月のワルツ」、やっぱりかっこいいです。ジャズ風の三拍子がたまりません。他の曲も諫山さんの声がすてきです。
他の曲では「手紙」とか「同級生」とかも泣かせてくれる。10代の頃、テニス部の練習で校庭を走っている大好きだった子を眺めていた夕暮れの教室を思い出してしまったよ。
ちょっと一青窈っぽいところもあるけど、そんなの僕の個人的な印象でしかないし、マイナス要因にはならない。
ケースの裏には、幻想的なアニメーションを作成した「いしづかあつこ」さんのイラストも載っている。いしづかさんのサイトにあるBBSでは、店頭で購入すると、いしづかさんのイラストが描かれたクリアファイルをもらえるという情報もあります。いしづかさんファンは、店頭で購入した方がよいかも。
「月のワルツ」、もっと話題になって欲しいです。
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社会に出たら自分のことは「私」というものだとずっと昔に教えてもらった。それも、「わたし」ではなく、「わたくし」と言うものなのだそうだ。
でも、うちの会社はどういうわけか社内で「僕」という男性が多い。僕も「僕」と言っている。もうそういう社内文化だからいいのだけれど。さすがにクライアントに対しては「私」とみんな言うけど。
あるパートの方が、うちの会社へ初めてきたときに「社内の男性がみんな『僕』って言うので、いい年してなんだと思ってひいた」と言っていた。
たとえて言うと、女性が多い職場でその女性たちが自分のことを自分の名で呼んでいるようなんだとか。そのたとえは感覚的にとてもよくわかった。それはひくわな。
とすると、やっぱりちゃんとした大人の男性は、自分のことを「僕」なんて言うものではないのだろうな。
男性でもお年寄りで自分のことを「僕」という人は少ないのがその証拠といえるかも。年をとってくると「僕」というのは恥ずかしくなってくるのだろう。
そういえば、亡くなったうちの祖父は、自分のことは「僕」か「わし」と言っていたけど。「僕」って使うなんてかなり珍しいじいさんなんじゃなかったのか?
まぁ、男性が自分のことを「俺」と呼ぶか「僕」と呼ぶかは地域によっても変わってくると思うけどね。僕は小さい頃からずっと「僕」だ。
一度だけ、中学の時に「俺」に変えてみたことがあるけど、なんだかしっくりこなくて、それに「自分のことは俺って言うぞ」と意識していないと言えなかったのでだんだん面倒くさくなってきてやめた。
僕の周りにいる女性の中には、僕に向かって言わないだけで、「ミッ君(仮名)って、いい年して『僕』って言うよね」なんて、さめた目で見ている女性がいるのだろうな。
なにかの機会に、1人ひとりに一度尋ねてみよう。「僕が僕のことを『僕』って言うのを、おかしいと思ってた?」って。「うん、思ってた」って言われたら、僕としてはちょっとショックかもな。
がんばれ!僕。
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携帯電話を使うときはメモリー登録してある相手にかけるのがほとんどでしょうから、間違い電話をすることはまずありません。でも、たまに登録していない相手にかけるときに番号を押し間違うことはあると思います。
昨日、不思議というか不気味というか、わけがわからない間違い電話が1日のうちに2件ありました。
まず1件目の間違い電話は次のようなもの。
個人の携帯電話なので、仕事中は電源を切ってあります。帰りの電車のなかで電源を入れてみると「留守録」のマークが。再生してみると、駅の近所とかそういうずいぶんと騒がしい場所にいるらしい騒音をバックに、知らない女性が「○○です。それでお願いします」という伝言を残していました。
"それ"って言われてもね…それに、"○○です"の部分はプライベートに配慮したわけではなくて、本当に聞き取れなかった。
昨日、ある女性に何らかの判断を依頼した人がいたら、伝わってませんから要確認です。
2件目は、最初のものと比べると不思議度合いと不気味度合いがアップしている間違い電話。
上述の間違い電話の伝言に続いて、もう1件伝言があるという携帯電話がのたまう。そのまま聞いていると、某世界的に有名なネズミキャラのテーマソングが「チャ・チャ・チャン・チャン・チャン、チャ・チャ・チャン・チャン・チャン…」って延々となっている。そのうち、録音時間の限界がきて切れていました。他には何にも録音されていない。
たぶんあれは、電話の保留音だと思うのだけど。何の理由で電話の保留音が留守録に録音されているのか。それとも、あらてのイタズラ電話なのか?
世のなかにはそそっかしい人がいるものです。
うちの自宅電話の留守録では、僕の声で名字を名乗っていますが、それでもぜんぜん身に覚えのない伝言が残っていることがあります。
たとえば、「○○農協です。ご注文されていた肥料が届いておりますのでよろしくお願いします」とか。(肥料なんか頼んでないがな。)
あるいは、「○○警察の□□と申します。昨日の事故の件でお電話しました。…」とか。(これにはびびった。近所に実在する警察署からだったし。もちろん僕には事故を起こした記憶などなかったので、すぐに連絡して間違い電話であることを伝えました。)
とまぁ、こちらがちゃんと名字を名乗っていても関係がない伝言を残すんですから、こういう人は救いようがないです。
携帯電話の留守録には僕は名乗っていませんが、かける前にはプッシュした番号をよく確認してかけて欲しいものです。
ファクシミリのようなものですよね。番号を押したらよく確認して、あらためてスタートボタンを押すという具合に。
皆さん、携帯電話のメモリーに登録されていない相手に電話をかけるときは、番号をよく確かめてプッシュしましょう。
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このあいだ記事にしたtakoさんのココログ*second message*を見ていて、そういえば自分のココログでは最近、読んだ本の感想を書いていないと思い出した。
今見たら、最後に本の感想を書いたのは、昨年の9月だったよ。
ということで、久しぶりにその後に読んだ本の感想をまとめてみようと思って、そのなかでもお勧めの一冊が「水の迷宮」(石持浅海 光文社 カッパ・ノベルス)。
最初は、「四日間の奇跡」(浅倉卓弥 宝島文庫)にしようかなと思ったけど、知る人は知るってぐらいに話題になりすぎているし、お涙ちょうだいないかにもな印象が個人的にはあって、ちょっと敬遠。
とはいえ、「水の迷宮」も僕にとっては、涙を誘う作品。でも、おしつけがましくないのがすてき。こういう作品は、何というのだろう? 一応「推理小説」かな? 違うような気もするけど。
とある水族館で殺人事件は起きる。誰がやったのかという推理もあって、犯人も指摘される。けど、それだけではない。
表紙に書かれた言葉がぴったりかも。いわく「胸を打つ感動と美しい謎。」
ヒントは、1人の男が追い求めた夢。
この夢の全貌が描かれるに至って、その壮大さにめまいがする想い。石持浅海という人の文筆力がすごいのだと思う。僕にはまるでそこにあるように感じられたから。
「水の迷宮」、美しい謎をどうかご賞味あれ。
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サービス業というのは難しいもので、お客様に「快適さ」を提供するのがサービス業のあり方だとは思いますが、かといってそもそも存在していないサービスを望まれたら、それはお断りするしかありません。
お断りの仕方が難しいのですけどね。
ちょっとまえの某テレビ番組で、いつも宿泊しているホテルでお金の立て替えをお願いして断られたという話をある女優さんがえらく憤慨しながらしてました。
彼女は、ご友人にご祝儀を渡したかったらしいのですが、その日たまたま持ち合わせが十分無くて、それでいつも宿泊しているホテルのフロントでその旨を話して、申し訳ないがあとで宿泊料と一緒に請求するという形で、ご祝儀代を立て替えて欲しいといったお願いをしたそうです。
でも、お金の立て替えはしていないと断られて、それも「規則ですから」といったような言われ方をしたので怒ってしまったのだとか。
気持ちはわかるけど、僕は番組を見ていて、その女優さんがそもそも間違っていると思ってしまった。
番組の某有名司会者の方も彼女に向かって「○○さん、それはあなたがおかしい。ホテルはお金の立て替えはしないですよ」といった指摘を笑いながらしてましたが、全く同感。
彼女の求めるのはホテルでのサービスの範疇を越えていると思う。ただし、「規則ですから」といった意味の言い方は、ホテルとしてはまずかった。
せっかく気に入って使っているのにという気持ちはあるだろうけど、それはまた別問題。気に入ってくれているからといって、その方のニーズが全て満たされるとは限らない。
個人的には、上顧客であるということで便宜を期待するのは、すごく嫌いな行為です。また、それが通常ではやらない特別な事でも、他のお客様と違った対応をされるのも好きではありません。
上顧客でなくなったら、そういう扱いはしないということだし。どちらにころんでも、僕にとってはいい気分の扱いではないです。
かといって、僕ではない他のお客様が特別な扱いをしてもらっているのは、それはそれでかまいません。何か理由があることだろうし、ただ自分に限ってだけは、やるべきことを普通に、誰とも分け隔て無くサービスを行ってくれればいいです。
やらないものはやらないと理解して、それがどうしても気に入らないなら、そこのお店やサービスをもう二度と使わなければいいだけ。
「うちのやり方が嫌なら来ないでください」というのが、表だっては示さないけど、どんなビジネスでも根底にもっているコンセプトの1つであり、メッセージの1つだと思う。
たとえば、マクドナルドでもディズニーランドでも、あのお客様への接し方が嫌な人はそこへ行かなければいい。(でも、そもそもやるべきサービスが出来ていなければ、それをお客が指摘するのは当たり前。)
それと、お客としての立場では、気に入らないからと声を荒げて怒ったり騒いだりしないで、なぜできないのか冷静に問いただしてみるのが大人の態度だと思うのですが。
違うかな?
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猫舌対策? 「ぬる~い」自販機 | Excite エキサイト : ニュース
「あったか~い」と「つめた~い」に加えて、「ぬる~い」コーヒーが出てくる自販機ですって。
僕は猫舌なので、熱いのよりはいいなと思いますが、ちょっとまった!です。
紙コップ入りのものでは、温度に関係なくそもそも「美味しい」と感じたコーヒー自販機に出会ったことがないのだけれど。
それに、世の中には「缶コーヒーファン」といってもよい人たちがいますが、「紙コップ入りのコーヒーファン」は見たことがありません。
「紙コップ入りのコーヒーファン」の方がおられて、ここの自販機の紙コップ入りコーヒーは美味しいぞという情報をおもちなら、教えてください。
機会があったら購入にチャレンジしてみたいと思います。
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ココログ新年会に関連する記事の続き。
トークショーに出ていた室井佑月さんと吉井怜さん。お二人とも生で見たのは初めて。
吉井さんは、アイドルだからそれはもうきれいで可愛いのは当然。すっごく細くてびっくり。
そして、室井さんは実際にはとてもスタイルがよくて、小顔でちっちゃくてかわいくて、それでしゃべると雰囲気が格好いい人です。
僕にとっては室井さんは作家だしね。(ご本人はどう思っているかは別)
外見が問われることが比較的少ない方のご職業だと思う。そんな作家として、あれだけ可愛らしい人は限られてくると思った。
失礼な話だけど、テレビで見ているよりもっとスレンダーな印象。
テレビでは横の比率が少し増えて見えるという話を聞いたことがあるけど、そのせいかな?
当日は用事があったので、トークショーの最初の方だけまでしか居られませんでしたが、プロの編集者である花田さんがしていた「文章は短い方がよい」といった意味の指摘をかみしめつつ帰路へ。僕の文章はどうも長くなる傾向があると自分で感じていたところへのあの指摘。
ちょっと文章の書き方を変えてみようかな?と思案中。書き方の問題ではないか…
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takoさんのココログ*second message*から、ココログ新年会の記事がらみでトラックバックをいただきました。
共通の記事がきっかけで新しいつながりが生まれるのがブログのおもしろさの1つ。ココログ新年会へ行ってよかったなとあらためて思いました。
*second message*では、主にtakoさんが読んだ本について感想が書かれています。本だけでなく、舞台やテレビ番組、映画の感想なども読める。
プロフィールによると、takoさんは月に10冊ほど本を読むのだとか。僕からするとすごい読書量です。
会社勤めをしておられるようですし、お仕事しながら月に10冊以上本を読むのは、よほど集中力があって、かつ時間のくくり出しが上手な証拠だと思います。
タニス・リーの「闇の公使」(訳:浅羽 莢子 ハヤカワ文庫)の感想があったのには驚き。これは僕が10代か20代のときに読んだ本。
正直いってもう詳しい内容は何も覚えてないけど、僕も当時この本の言葉を美しいと感じました。
美しい言葉で書かれた本を読んでいて、"香り"を感じた体験はありますか? この本はそういう本の1つです。
出版社もちゃんと書いてくれているし。けっこうあるんですよ。作品名と著者しか書いてないブログって。
インターネットでの購入が当たり前で、作品名と著者がわかれば検索して注文ができますが、現実の書店で作品を探すには出版社もあった方が便利。
24時間いつでも本の注文ができる時代になっても、僕はやっぱり書店へ行くのが好きです。いそがしくて書店へ行く時間がなかなかとれないときはインターネット上で注文してしまうけど…
発売日前の予約もあまり使いません。なるべく書店へ行って発売されてから購入するようにしています。書店へ行くと、そのとき欲しい本とは違う本を見かけて興味をもって、読みたくなるという"出会い"があるから。
本は単に買うものではなくて、"出会う"ものなのだ。
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ココログ新年会へ行ってきました。かなり前に一度だけ某オフ会に参加したことがある程度で、オフ会ってあまりよくわからないのですが、ちょっと雰囲気を感じたくて。
ココログブックスの各賞を受賞された方々、おめでとうございます。大賞は「フクダカヨ絵日記」。プロのイラストレーターさんだそうです。
個人的には、「のほほん*」が大賞になって欲しかったのですけどね。(読者賞は取られてました)
だってねぇ、フェルトのぬいぐるみ(いいのかな?そういう呼び方で)が可愛すぎです。ぬいぐるみと言っても生き物だけでないし、ホットケーキとかもあるしで驚かされます。
今さらでしょうけど、「のほほん*」は、見ても読んでも楽しいブログです。
コメントやトラックバックをしたいなと思うときもあったのですが、ココログブックスのノミネート発表で初めて知ったブログですし、「いつも楽しく読んでます」なんてことも言えないので何もしてませんでした。
でも、心の中では応援してたんですよ。これからも楽しい作品をいっぱい見せて欲しいです。
会場へは、1人で言ったし、特にどなたとも会う約束はしていなかったので、最初はちょっととまどいましたが、お隣に座っていた方に声をかけていただいたおかげで、わりと早く雰囲気に慣れていくことができました。
ですが、失礼にも自己紹介をするのを忘れていて、その方のお名前やココログのタイトルなどをお尋ねするのも忘れてしまいました。全くいい年こいて失礼なことをしたものです。
お子さん達に絵画を教えておられて、その子達の絵を紹介しているココログを作っておられるとおっしゃってました。お声をかけてくださった方。ちゃんと自己紹介とかしなくてごめんなさい。
会場は混雑すぎず、少なすぎずで、人数的にはちょうどよかったのではないかなぁ。その場にいるだけで楽しかったですし。ココログ新年会のための特性カレーもなかなか美味しかったです。
それから、「甘露」で感激していただいた「ゆばのつぶやき」のゆばさんにお会いしました。
妹さんを連れていらっしゃると書かれていたので、それらしい方を会場で見かけて声をかけてみたらビンゴ!
ゆばさんは面倒見がよくて、妹さんはとても仲よし。優しい感じの落ち着いた方でした。
僕は用事があったので少し早めに帰ってきてしまいましたが、ココログ新年会のことを書かれている他のいろんなココログを見させていただくと、トークショーもおもしろくてためになって有意義な時間をすごせたと感じている皆さんが多いようです。
ココログユーザーが集まるこんな機会があったら、また行ってみたいと思います。
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昨日は大寒。日本海側では「大雪の恐れ」という天気予報もあったみたいですが、幸い大きな被害になるような雪の量ではなかったようです。
テレビや雑誌でよく見るかと思いますが、雪の結晶を顕微鏡で見ると、びっくりするくらい美しい形をしているものがあります。
自然だからこそそうなのでしょうが、あまりに幾何学的な形をしているので、気持ちとしては誰かの意図で人工的に制作されたとしか思えないと言いたくなります。
雪の結晶は、全体としてどんなに複雑な形状をしていても、構成の基本は六角形なんですってね。
雪の研究の世界的権威としては、中谷宇吉郎(1900-1962)という方がおられるそうです。
この方は、世界で最初に人工雪を作り出したのだそうですが、この方の言葉に「雪は天から送られた手紙である」という何とも詩的な言葉があります。
雪の結晶は、温度が-15℃前後・湿度110以上の条件だと星形や六角形になるそうです。
「雪は天から送られた手紙である」という言葉は、そうした雪の結晶を観察すれば、上空の温度や湿度などの状態がわかるという科学者的な発想と、単なる研究対象としてだけではない雪への想いがこもったすてきな言葉だと思います。
雪に限らず、相手がどんな存在でも、深い想いが相手をよく理解するには、まず必要になることは間違いないようです。
中谷先生の功績を讃えて中谷宇吉郎 雪の科学館という施設が、石川県に作られています。
(僕は行ったことがありませんが)
興味をおもちの方がおられたらぜひ訪ねてみてください。
■中谷宇吉郎 雪の科学館
加賀市中谷宇吉郎雪の科学館
〒922-0411石川県加賀市潮津町イ106番地
TEL0761-75-3323 FAX0761-75-8088
アクセス JR加賀温泉駅から10分
(車で) 小松空港から15分 北陸自動車通 片山津インターから5分
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本日(2005年1月20日)付けのスポーツニッポンで、みんなのうたで誕生「月のワルツ」 という記事が出ました。
NHK「みんなのうた」から、新たなヒット曲が誕生しそうだ。シンガー・ソングライターの諌山実生(24)が歌う「月のワルツ」で昨年10、11月に放送したところホームページに歴代1位の問い合わせが殺到。なんだとか。
来たよ。来たね。いつかはくると思ってたけど。
うちのブログでも、昨年記事にしたけど、11月の歌としてNHKで放映されてから、多くの掲示板やブログで話題になっていたしね。僕が書いたのが遅い方ぐらいだったし。
昨年12月に発売されたCDシングルは、初回で2000枚の出荷だったそうですが、現在は3万枚を突破しているのだそうです。有線チャートも11位なんだって。
すごいぞ「月のワルツ」。
歌っている諌山実生さんは、今月26日に「月のワルツ」を含む最新アルバム「恋愛組曲」を発売。続いて、来月2月1日には東京・四谷の「天窓」で初の単独ライブ予定。
がんばれ。諌山実生!
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現在お気に入りの作家の1人「西尾維新」の新作「ネコソギラジカル (上) 十三階段」(講談社ノベルス)が、来月ついに出る。
わかる人にだけわかってもらえるこの話。
確か昨年の9月に予定していた発売が延期になって、そのまま年越し。でも、Amazonで予約も可になっているから今度は本当に出る。
当初は9月から3ヶ月連続で毎月発売されるという話だったと思うのだけど…その話は生きているのかな? だとすれば、3月には「中」が4月には「下」が出る。
クセのある文体だから好き嫌いがはっきり分かれると思うけど、今年中学生になる姪っ子は面白いと言っていた。西尾維新の他の作品をプレゼントするよう、叔父様として約束させられてしまったし。
姪っ子よ。君が本に親しんで楽しい思いをできるなら、この叔父はノベルスぐらい10冊でも20冊でもどんと買ってあげるから言ってきなさい。
でも、限度はノベルスまでにしてね。(中学生でブランド品を持っていたら逮捕されるよって教えておこう…)
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昨日、仕事から帰ってきてテレビをつけたら、国仲涼子さん主演のTVドラマ「みんな昔は子供だった」をやっていました。そこで彼女が言っていた台詞が、「ここには夜があります。」
この村ではなぜ一番暗い七等星が見えるのかと山村にやってきた都会の子供たちに向かって問うた答えです。
自分の両手を目の前に持ってきても手のひらが見えない闇を体験したことはありますか?
実家の方は山の中だし、僕が小学校のころは信号も街路灯も自販機も何もなかったので、夜になると家から数メートル離れると明かりが届かず真っ暗でした。
夜にお隣さんに、母親に頼まれて物を届けに1人で行くときは、お隣の家の明かりが届いてくるまでのしばらくの闇の時間がすごく怖かったのを覚えています。
そんな完全な闇を最後に体験したのは、10数年前、インドの田舎の方へ旅行をしたとき。
日中がとても熱かったので暗くなってからの夕涼みぐらい気持ちで、宿泊場所からちょっと外へ出たときのことでした。道の脇に並べてあった石の台のようなものに腰掛けてあたりをなんとなく眺めていたら、突然の停電。
さっきまで明るかったせいもあってあたりを見回しても本当に暗くて何も見えません。田舎のせいか自動車も走っておらず、そこらでは、突然の停電に驚く声が現地の言葉や観光客の外国語で飛び交っていました。
自分の目の前に手を持ってきても手が見えない。見える明かりは星空ぐらい。
動くと危ないので、僕は腰掛けたままじっとそこにいて、すごくきれいに見える星空を眺めていました。このまま明るくならないと宿へどうやって戻ろうかなと心配になってきたころ、電気が戻ってあたりに明りが。
ちょっと怖かったですが、あらためて星空の美しさを知ることができた体験です。
天体観測を楽しむ人たちの間では、人工物の明かりで星が見えづらくなるのを「光害(こうがい)」と呼ぶのだそうです。
子供のころは普通に存在していた完全な闇。インドの田舎で久しぶり体験した目の前に持ってきた自分の手が見えない闇。
そんな完全な闇の不便さと怖さ、闇だからこそある良さを忘れないようにすることも僕は大切だと思っています。
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ちょっとスケジュールの都合で怪しかった22日のココログ新年会への参加。行くことができそうです。たぶん。
今のまま突発的なことがないかぎり。
でも、少し早めに帰らないといけないけど。とはいっても1時ぐらいまではいられる。
いろんな人と会えるだろうし、せっかくなんでうちのココログのURLを記載した名刺を作っていこうかなとか、最初は考えてましたが時間がない。
申し込みにはニックネームを書く欄があったし、@niftyの方で名札ぐらいは用意してくれるかな?
不特定多数の人を集めるという場合、参加者同士の交流、相互作用の発生がねらいの1つに入っていると思いますが、名札ぐらい用意しないとそれらが生じにくくなるしね。
あるいは、披露宴の席のようにテーブルの上に置くネームカードがあったりして。それはないか…そうだったら、最悪かも。
人を集めて相互作用を起こさせようとするときは、ちょっとした補助的仕掛けが実はとても大きな意味をもってきます。最近は少なくなりましたが以前は、社外の研修や各種のビジネスショーなどへ行くと、ピンで服に刺して留める名札がありました。あれを胸に付けるのが嫌で、ポケットにしまった人は、たくさんおられるのではないでしょうか。
シャツやブラウスに穴が開くし。
最近少なくなったのは、そういう声を反映してのことだと思いますが、それでも、まだたまに見かける。名札を付けることに必然的な理由がないときは、その場合、僕はポケットに入れてしまいます。
最近のビジネスショーでは、名刺を入れて首からペンダントのようにさげるタイプがはやりのようです。会社の研修などでは、クリップが付いていて胸ポケットに挟むタイプの名札も見かけます。
いずれにしても、もし互いに声をかけやすくしようとする仕掛けなら、相手の名前が簡単に読みとれないといけないでしょう。
そういうねらいでは、名刺は名札代わりに使わない方が正解だと言えるかと思います。名刺の文字は小さいので、近寄ってよく見ないと相手の氏名がわかりませんから見知らぬ人に声をかけづらい状態を生んでしまいます。
会社で研修を実施するときとかは、こういうことをまじめに考えるんですよ。
声がかけやすいということでは、一番いいのは、離れていてもよく見えるぐらいの大きな文字で印刷された名札をポケットに挟むか、首からさげるというやり方かな? ポケットがない服を着ている場合を考えると、首からさげるというのが一番いいかな?
さて、名札は用意されているかどうか。@niftyさん、がんばってね。
それでは当日来られるみなさん。「ミッ君」という名札を付けている奴をもしみかけたら、気軽に声をかけてやってください。
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丸の内オアゾ1Fにある「ドゥバイヨル 丸の内オアゾ店」。
Marc Debailleul(マルク・ドゥバイヨル)という世界的なパティシエが展開するカフェとしては、世界第1号店。
こちらのチョコレート詰め合わせを、都内での打ち合わせの帰りに少し時間があったので立ち寄り、購入。
食べやすい一口サイズで、上品な甘み。食べ終わっても口のなかに妙に甘みが残ったりしない、すっと優しく広がっていくような風味のチョコレート。
口にしていて幸せな気分になれるチョコです。
2004年の9月オープン当時のあたりは、1ヶ月経ってもまだ行列ができるという混雑だったようですが、さすがに今は落ち着いて、すんなりと買い物ができました。平日だったということもあるでしょうけど。
僕は知らなかったのですが、インターネットなどでオープン時の記事を見ていると、ドゥバイヨルという方は、有名な方なのだとか。
彼は、原材料の選択から手間を惜しまないそうです。
自ら市場や農家を訪ね、たとえば、フルーツは木に実ったまま熟したものを使うのだとか。まだ実が青い内に摘んだものや、"旬"を問わず入手しやすい温室栽培のものは一切使わないそうです。
それだけではなく、小麦粉やバター、卵なども当然吟味をつくした「ドゥバイヨル」。
・'92年:フランス共和国勲章シュバリエ(ナイト)の勲章を受勲
・'95年:リヨン『クープ ド モンド(世界洋菓子コンクール)』グランプリ受賞
・'02年:ラスベガス『ワールド・ペイストリー・チーム・チャンピオンシップ』チョコレート・ショーピース部門優勝
・'04年:ラスベガス『ワールド・ペイストリー・チーム・チャンピオンシップ』チョコレート・ショーピース部門で、2002年に引き続いて再び優勝
などなど、華々しいとか言いようのない経歴に裏打ちされた本物の味わいをご堪能あれ。
(う~ん、形容の語彙が少ないのがばれるなぁ)
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今日(2004年1月17日)の日経新聞「文化」の欄は、元神戸市消防局長の上川庄二郎さんという方。定年退職が2ヶ月半後に控えていた1995年1月17日、阪神淡路大震災が起こったそうです。
記事を読んで、しみじみそうだよなぁと思ったのは災害時の「消化のための水」と「消防車への給油」の確保の難しさ。
当たり前のことなんだけど、言われてみるまで特に意識していませんでした。
地震のせいで、町中の消火栓は壊滅。近隣からいくら応援の消防車が駆けつけてくれても、肝心の水が出ないし、無事に営業しているガソリンスタンドなんてあるはずがない。
そして、消防隊員の心を苦しめたのが「トリアージ(被災者の選別)」の問題。
"選別"というと変に聞こえますが、限られた人数でより多くの人を助けるためには、どうしても救助対象を選ぶしかない。
災害が発生したときには、救助に向かった人たちも苦渋に向き合うことになります。
トリアージというのはもともとは医療用語だそうです。
僕なりに調べたものをまとめると、「傷を負ったり病を訴える複数の人が同時に発生した場合、限られた人数でより多くの人を助けられるように、治療あるいは搬送の優先順位を決定すること」といえるかと思います。
助けを求める人の声が聞こえる、姿も見えている。でも、その人を最初に助けにいくとは限らない。状況によっは、その人は後回しにしていくしかないという場合も多々あるでしょう。
それによって、助けられなかったという苦しみを消防隊員も心に負う結果になるかもしれません。ご家族に救急の現場で勤しんでいる方がおられる場合は、家族の皆さんもその苦しみを共にすることになるでしょう。
困っている人は助けようと言った場合、賛成する人はたくさんいると思いますが、災害の場では、単純な正義心だけでは役に立たないのだと、記事を読んで僕は初めて認識しました。
新潟やスマトラ沖、カリフォルニアの地滑りなど、世界中で災害が発生しています。
いまさらですが、災害に遭われた皆さんと救助に力を注いでいる皆さんには、がんばってくださいとしか僕には言いようがありません。
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こんな記事を書いていたら、動機が不純だったか、心根が曲がっているのか、どうにも22日は怪しそう。
「ココログ新年会」参加の確認メールはもらっているのだけれど。あれって不参加になったらキャンセル料金とか発生するのかしら?
@niftyの会員でなくても参加できるはずだったから、徴収するのは難しいだろうということで、たぶんキャンセル料は発生しない。
参加費は1000円。キャンセル料として全額徴収したとしてもあまり役に立たないかも。
定員300人集めて、1人1000円だと300人が全員来ても30万円。
東京ビッグサイトで部屋を借りて、ゲストを呼んで、その他音響機材や照明とかもろものの設備を考えると、どう考えたってまかなえない。
ほとんど全額といっていい費用を@niftyがわで持ち出しているはず。
そんな状態で、1000円をキャンセル料として集める方が手間とコストがかかるだろうし。
それでも、無いよりは有った方がよいのが資金。
ココログスタッフのみなさん、当日もし行けなかったらごめんなさい。
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ゆばさんのブログ「ゆばのつぶやき」の"ぃやった!!!"という記事で、僕が記事中に以前書いた「甘露」という言葉をずいぶんと喜んでいただいています。
「甘露」という言葉をあんなに喜んでいただけるとは思っても見ませんでした。
僕やゆばさんのように、お年寄りとよく話す機会があると、こういう古い言葉や古くからの風習にふれる機会が多くなると思います。
うちには祖父と祖母がいましたが、毎年お正月には祖父が札読みをして、家族そろって百人一首をしたものです。
祖父と祖母は亡くなりましたが、いまも父が札読みをしてくれて、妹や妹の子供達も交えて正月には百人一首を楽しんでいます。(妹の旦那はあまり興味がないようですが)
正月に家族が集まって百人一首をするなんて話は、僕は小・中・高・大、それに就職してからも他の人から一度も聞いたことがないので、ずいぶんとめずらしいことなんだろうなと思ってます。
でも、いつまでたってもちゃんと歌を覚えられないんですけどね。祖父は百人一首の歌を全部暗記していたのですが…(だから、いつも読み手をやってもらっていたわけ。祖父が札を取る方へ入ると誰も勝てないから)
百人一首のチャンピオンクラスの人になると、たとえば、歌のなかに「か」から始まる歌はいくつあるとか覚えているのだそうです。
さらに、「か」の後にどんな言葉が続くかも覚えていて、2文字目や3文字目まで読み上げられれば、もうそれがどの歌なのかわかるのだそうです。
祖父がいなければ僕は百人一首なんかやらなかったと思います。
祖父のように全部の歌を覚えているようなレベルにはなれないでしょうけど、お正月に一家で百人一首を楽しむ習慣は続けていきたいなと思っています。
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米中央情報局(CIA)主導の調査チームは、イラクの大量破壊兵器の捜索活動を打ち切っていたそうな。
あのさぁ、ブッシュさんね。あなた、「ある」ってことで開戦の命令を出したんでしょうが。違うのか?
まぁね、少々無理に言えば、「発見できなかった」ということと「無かった」ということはイコールじゃないからね。「どこかにあるのだけど、見つけられない」というスタンスなのかしら?
マクレランという報道官は、旧フセイン政権には大量破壊兵器開発の「意図と能力」があったと指摘して、イラク戦争は正しかったと言っているとか。
だからー、「意図と能力」が有ったというのじゃなくて、「モノがある」というのが戦争の発端じゃなかったのか?
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来年、知り合いの結婚が決まりました。おめでとう。ほかの人が結婚していくのをみていると、自分が独身でいるのがちょっと寂しい。
こんな記事を書いていたら、また1人、結婚するという報告がありました。今度は女性だけど。
春も近いしね。これから、こんな話がぽろぽろと出てくるシーズンなんだなとわけもなく感じ入ってしまったついでに、自分も早く結婚したいという気持ちがまたわいてきた。
"また"というのは、結婚したいっていう気持ちがときどきぐんと高まることがあるから。別に普段から結婚したくないわけではなく、したいとは思ってはいますが、ものすごくしたいというわけでもない。
でも、ものすごく結婚したいよ~という気持ちになるときと、まぁいい縁があったらねぐらいの気持ちのときが交互にやってくることがあります。変な周期だけど。
だからといって相手がいないしね。資金面でも問題があるし。そう簡単にたまらないしね…
結婚式・披露宴のどちらでも、主役は女性。
20代のころ、某有名結婚式場で長くアルバイトをしていたことがあるので、なんとくわかるのだけれど、男の思惑ではどうにもならんのが結婚式や披露宴。
あまたのカップルをバックステージから見てきた経験で、今から式場探しを始めて結婚を進める男性に言っておきたいのは、「女性の意見と家族の意見はちゃんときっちりと聞いておくこと」。
それが式の進行の打ち合わせや2人の暮らしなどあとあとに控えるさまざまな出来事を円滑に進めるひとつのコツのようです。
「女性の意見を聞いておく」というのは、彼女の言う通りにするということではありません。
まず、男性は式の打ち合わせや衣装の選択、新居探しなどなどにおいて「どっちでもいいよ」とか「どっちもいい」とか、「そんなの何でもいいじゃん」とかいった、投げやりで面倒そうな態度は絶対にしないこと。
彼女の言い分をちゃんと受け止めて聞いておくことが大切。
たとえ彼女の衣装を決めるのだって、彼女にしてみれば2人に関係することだから、彼女だけで決めるのは嬉しくない話。たとえば、彼女が「こっちのブルーもいいけど、かわいいのはこっちのピンクよね」とか言ったら、「そうだね。かわいいのはピンクだよね」とかちゃんと話を受け止める。話をちゃんと聞いておけば、喧嘩にならないし。
(もっとも、この時点でいっかい大きな喧嘩をしておくのが大事という人もいる。それもまた真理)
「家族の意見を聞く」というのも同じ。親族・家族の言い分通りにするということではありません。とくに相手の叔父様・叔母様などがかなめ。披露宴で「男は紋付き袴を着るもんだ」ともう決めつけている叔父様とかが大抵いたりするから。
こういう叔父様がいることに気が付かず、2人でタキシードやドレスを決めたりしたら、もう挙式日も近づいてきてからその叔父様からクレームがでたりする。その叔父様が、彼女のお父さんのお兄さんだったりすると、また話がややこしくなる。
まず結婚話を控えているカップルは、そういう少々うるさいことを言いそうな人が互いの親族・家族に居るかどうかを確認しておくとよいかも。
いなければいいけど、いたなら、何かアドバイスがあったら聞かせてくださいといったぐらいのスタンスで、互いの親族・家族の思惑を声に出してもらっておく。
いわゆるガス抜きのつもりで、周りの意見をお伺いだけはしておくことも、あとあと面倒なことにならないためのミソのようです。
これらは僕の周りの既婚者諸君もそう言ってます。
それから、「結婚話を進めている間に、一度は"この結婚は無かったことに"といった展開になる場合があるので、覚悟しておいて、そういう話が出ても、あぁ始まったなと思ってうろたえたり慌てたりしないように」というのは、うちの社長の意見。
ありがちな話だと思います。
その状況にどうやって元の方向性を与えるかは僕にはわかりません。状況によってがんばって対応してくださいとしか言いようがない。
とりあえず、"この結婚は無かったことに"という展開になる場合があると思っておくだけでも、実際になっても気が楽? かな。
これからご結婚を控えている全てのカップルに幸多かれ。
(それから、僕にちょっとでいいから幸せのお裾分けを…)
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日本では前田知洋さんに代表される「クローズアップマジック」。最近も、テレビでよくやってますね。昨年からのマジックブームが続いているようです。
より小さくできる素材、より柔らかい素材、肉眼では見えない細さの"糸"などなど、そんな最新素材を駆使してマジシャンは、不思議を見せてくれます。マジシャンとテクノロジーは切っても切れない関係にあるようです。
クローズアップマジックの場合、多くは指先の精妙な動きでボールやカード、コインをコントロールしているかと思いますが、それでもマジックに使う素材の研究は欠かせないものなんだろうなと思います。
でも、テクノロジーはときに、マジシャンという職業の根底を脅かすこともあります。
先日あるテレビ番組で、某マジシャンがコインを消したり、出したり、大きさを変えたりしていました。
最後の方では、マジシャンが片手に持っていた小さな数枚のコインを、一瞬で巨大な1枚のコインに変えてみせてゲストのタレントさんたちをびっくりさせていました。
僕は仕事から帰ってきて、録画してあったそれを見ていたのですが、そのコインが巨大になる瞬間をじっくりと見たいとふと思って、デッキでコマ送りの再生をしてみました。すると、コインの大きさが変わろうとするまさにその瞬間、タネがちらっと見えていました。
それは一瞬の早業でした。普通の速度で再生すると見えませんから、スタジオにいるタレントさんにも、絶対に見えていないと思います。
ですが、もう一度コマ送りで再生すると明らかにコインを入れ替えている瞬間を見ることができました。
一度わかってしまえば、普通の速度で見えなくても、あのときに変わっているんだという瞬間には気が付くことができます。
マジシャンの中にはスローで再生してもぜんぜんタネがわからないマジックを披露する人もいます。
僕が見たその人は、運が悪かったのか、油断したのか、あるいはマジシャンとしては今ひとつの技術なのか、とにかく、いろんなやり方はあるでしょうが、コインが巨大になるマジックの1つのやり方を、デッキのコマ送りというテクノロジーで僕は見つけることができました。
テクノロジーの進展は、マジシャンの皆さんにいろんなイマジネーションを与えて、すてきなマジックをたくさん生み出す要因になるでしょう。
けれど同時に、ハイビジョンやハイスピード撮影などどんどん高度なものがでてくると、テレビカメラにタネやトリックを写されてしまうという危険性も発生します。
マジシャンの皆さんは、さらなる高見を目指して技術やアイデアを磨き上げていかないといけないんですね。
どんなテクノロジーが現れてきても、マジシャンのみなさんにはそれを乗り越えて、これからも僕たちを不思議の世界へ連れて行って欲しいなと僕は思っています。
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某作家によると、、「クラーク・ケントが黒縁の眼鏡をかけただけで、彼の周りの人間が彼はスーパーマンだとわからなくなるのはなぜか」という疑問に対する答えは、米国の最高機密であり、「ウルトラマンはなぜ最初からスペシューム光線を出さないのか」と「水戸黄門はなぜ最初から印籠を出さないのか」についての答えは、日本の最高機密らしいです。
最高機密ですから、答えを知ろうとする者を、国家は放っておかないのだとか。
でも、僕は、答えを知ろうとしてはいけないこの国の最高機密はもう1つあると信じています。それは…「成人式用に購入された高級振り袖一式はその後どうなるか」。
この答えを知ろうとして幸せに人生を過ごせた人は多分いないでしょう…明日から、このブログの更新がばったりと止まってしまったなら、僕に国家権力の手がのびたのだと思ってください。
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友人や恋人から携帯電話へのメールの返事がすぐに来ないことについて、「忙しくてもメールぐらいできるよね」とこちらに同意を求めるような言い方をする人がいます。
僕はそういうのを聞くと「忙しいからできないんじゃないの? ずいぶんと器量の狭いことを言うなぁ」と思ってしまいます。
前にも似たような記事を書きましたが、携帯電話でのメールは、送ったら返事をすぐに返すのが当たり前と思っている人が多いように感じます。
相手がどんな状態にあるかわからないのに、送ったメールへの返事は早いのが普通だなんていうのは、僕に言わせれば自己中心的な考え方です。
ビジネスでの連絡ならクィックレスポンスを求めるのはわかるけど。
もちろん、どんなに忙しくてもすぐに返事をくれる人はいるでしょう。でも、それは相手が気をつかってくれているだけです。
友人や恋人同士の間で、「メールの返事をもっと早くするように気をつかって欲しい」という気持ちになることはあるでしょうし、「返事をすぐに送れなんて言わないでくれ」という反応もあるでしょう。
ようするに、メールのやりとりは互いの気づかいの問題であって、「すぐに返事をするのが当たり前」と決めつけているのはおかしいと思います。
電波が届くところならどこにいても送受信ができるという仕組みについて、若干の勘違いを起こしている人が多いのかもしれません。
「いつでも受信できる」ということと「すぐに送信できる」ということはぜんぜん違う話です。それに、相手は何かの必然的な理由で電源を切っているのかもしれません。
こう考えてくると、「ビジネスでもないのに、メールの返事をすぐに求めるのは一般常識違反という認識を世の中に広める会」の会長に就任したくなってしまいます。
送信した側が忙しいなかでメールを送信したなら、どうしても相手にも同じことを望むのは人情だとは思いますが、落ち着いた口調の会話で返事が早く欲しいと感じる自分の気持ちを伝えるとか、相手の気持ちも察してそこをうまく引きずらないようにするとかできるのが "大人のふるまい" だと思うのですが…いかがなものでしょうか。
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PM21:00。ファミレス「ジョナサン」で晩ご飯中。
昨日のミスの分は取り返した。気分がいいのでドリンクバーを付けて注文。
315円の贅沢。
わざわざ言うほどのものじゃないけど、こんな単純な自分に乾杯。
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PM11:50。今日の仕事がようやく終わり。
僕のミスで、一緒に仕事をしていた人に二度手間を発生させてしまった。
新年そうそうから落ち込む出だしになった。
明日のがんばりで取りかえそう。
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なんかアメリカの返品制度ってすごい。
プレゼントのなかに、『ギフト用のレシート(値段が記入されていない返品用レシート)』もいっしょに包装されているのだとか。
この『ギフト用のレシート』は、書店でも発行してくれるそうです。僕にはよくわからない感覚です。
僕なんか、誤植があっても本や雑誌を交換してもらったことはないです。前後からみてなんて書いてあるかだいたいわかるし。(落丁に出会った経験は生まれてから今日に至るまでまだないです。)
もらったけど、もう読んだものだったとかいうときに返品するんだろうな…
(昨晩、実家から戻ってきました。これ読んでくださっている皆さん、ことしもよろしく。)
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年末年始と実家にいて、ニュース番組で奈良の女児誘拐殺人事件のことを見ていて感じたことがあります。
番組では、アメリカの「メーガン法」(*)を引き合いに出して、日本でもそういう法制化がもう必要な時代になったのではないかという指摘を行っていました。
僕も大筋では賛成です。具体的な運用は難しいでしょうが、そういう法制化を検討する必要がある時代になってしまったという想いはあります。
ただし、そもそも性犯罪者を増やさないようにどうするかという観点が、そのニュース番組ではあまり語られてなかったように感じました。非常に難しい課題ではありますが。
今回の事件の犯人は、聞いただけでも気味が悪くなる嗜好をもっていたようですが、そんな風に他人にはとても理解できないことをしている人は、世間にはたくさんいるでしょう。
他人が知ったらどんなに受け入れがたいことでも、犯罪になっておらず、周囲に迷惑もかけていなければ、それは個人の趣味の範囲です。
そして、そんな性的嗜好をもった人がみな性犯罪者になるとは限りません。単に個人の嗜好にとどめているだけの人もいるでしょうし、中には、そんな自分に悩んでいる人だっているでしょう。
あるいは、下着泥棒や痴漢など実際にもう罪を犯していても、止めたいけれどどうにも自分を抑えられないと苦しんでいる人もいるかも知れません。
すでに罪を犯してしまっていたなら、それはそれとして償わないといけませんが、悩んで苦しんでいる人たちが、安心して相談をすることができ、どうにかして嫌な自分を変えていく手助けができる社会的な仕組みも存在していた方がよいのではないかと僕は思います。
*1994年、当時7歳の女の子Meganちゃんがいたずらをされたあげくに命を奪われた。犯人は近所に住んでいた男性で、その男性には幼い子供への性犯罪の前歴があった。
Meganちゃんの遺族は、そうとわかっていれば何かもっと対応ができたはずだとして、子供に性犯罪を行った犯人の氏名を開示できる法律を設ける運動を起こした。その結果、1996年にはクリントン大統領(当時)の署名によって、全米で適用される連邦法として制定された。
メーガン法によって、前歴者の顔写真や氏名、住所も住民は知ることができるが、前歴者がいやがらせを受けたり、過剰に反応した住民によって襲撃されるということなどがあり、刑を終えて出所してきた人の人権問題として世論を騒がせたりもした。
現在では、性犯罪者たちへの差別や暴力は犯罪であるということが明記され、また、就職や保険加入などにおいて性犯罪前歴者を差別すると罰せられる決まりも設けられている。
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