恋をしてそして結婚へという過程にあこがれる人は多いと思います。
でも、結婚はゴールでもスタートでもありません。
「そのとき」を強く認識すると、どうしても時間の流れを止めて捉えてしまいがちになりますが、一生という時間の流れの中で1つの通過点です。
結婚をした日(人によっては同棲時代)から2人での暮らしが発生します。
食材も衣類も生活用品も買います。光熱費も払います。貯金もしたいし、保険にだって入っておきたいです。
親元にいた人は少し事情が異なりますが、1人で暮らしているときと何も変わりません。
たまには旅行もしたいし、外でおいしい食事もしたい。映画やコンサートなどへ2人で行きたいなぁって思うときだってあります。
さて、ここでいったんお風呂にでも入ってすっきりしましょう。そして、深呼吸して、落ち着いたらちょっと考えてみてください。
「2時間~3時間の間で飲んで食べて歌って踊ることに数百万円を使うことを、あなたはどう思いますか?」
昨日、知り合いと「披露宴」の是非について話をしました。金銭的な側面からだけの考えではありますが、「披露宴」に大きなお金を費やすのは止めた方がよいと僕は思っています。
大きな金額を自由に使える人は別として、普通に考えて、数時間の飲食に百万円単位のお金を費やすなんて無茶でしょう。披露宴の費用が、年収の半分からそれ以上になる人だっているでしょうし。
仮に、300万円あったら…
今時の海外旅行は安いです。有名ホテルに泊まっても、ハワイあたりなら2人で数回は行けるでしょう。
ご結婚されてから、アロマテラピーとか英会話とかITスクールとか、何かの趣味や勉強、資格取得などを始める資金にできるでしょう。
自動車が好きな人なら、ちょっといい自動車を購入する頭金にできます。
超高級なところを望まなければ、マンションの頭金にだってできます。
たとえ、両親が費用を全額出してくれるということだったとしても、それほどの額を両親に出してもらって、人を集めて歌い踊って、飲み食いしてしまうのはどうなのよという感じです。
僕にすれば、「披露宴」に数百万円の費用をかける人たちの中には、何か勘違いをしている人がいる気がします。
それが何の勘違いなのかよくわかりませんが、僕の中ではどう考えても数時間で数百万円を使ってしまってよいといえる論理的な根拠が見あたりません。
列席者側になっても、すっきりしない気持ちを感じるときがないですか?
数万円のご祝儀をもっていくのが普通だと思いますが、一度の飲食に数万円をかけても平気な人はそうはいないと思います。それに、お招きが続けば馬鹿にならない出費です。
「披露宴でご祝儀を渡さなければならない習慣はもう止めよう。」ってなぜ誰も言い出さないのか不思議です。
(もっとも、本当に少しでも役に立てれば嬉しいという気持ちでご祝儀を渡すときもあります。それはそれで、渡したい人が渡したいだけ渡せばいいと思います。)
僕の考えでいうと、昔々、年若いということと収入が少ないということがまだ同じ意味だった時代。
若い2人よりは収入がある人生の先輩達が、2人の新しい生活を後押しする意味で手渡したのがご祝儀だったのではないかと思います。
活気がない今時の日本経済です。
職場の都合で収入が減ってしまったという人は、たくさんいるでしょう。場合によっては、若い新郎新婦のお二人より、列席者の方の収入が下回っているということだってあり得る昨今です。
たとえ知らないこととはいえ、数万円のお金を用意しなければいけない状況を、自分よりも収入が下回っている人に対して作るのは、僕に言わせればひどい話です。
ビジネスでもないのに、人からお金をいただくことを前提にして行動するのは止めた方がよいと思います。そもそも、そんなにお金に困っている2人なら、大きな披露宴なんてするべきではないでしょう。
数百万円の単位を、人生の価値を高めるために使うか、一度の宴に使うか、選択は本人達しだいです。
けれども、どちらがいいでしょうかと相談されたら、僕は前者をお薦めします。
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