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広く深い心が欲しい。

昨日あたりから、イラクで日本人が人質にされたというニュースをやっています。
ご家族の方はさぞ心配なことだろうと思います。

正直言ってしまうと、このニュースを見ていると、「仕方ないんじゃないの」という気持ちがわいてきてしまいます。どうもあまり深く考えずにイラクに行ってしまったという印象を受けるからです。

でも、人が殺されるかもしれないのに放っておいてよいということはありません。

僕は、彼がどんな背景・理由をもってイラクに入ったのか知りません。何も知らないのに、「どうもあまり深く考えずにイラクに行ってしまったという印象」を感じるのは、僕の思いこみです。

人の命が危険にさらされているときに、思いこみで「仕方ない」と感じてしまう自分の心の狭さが嫌になります。

ずっと以前に、電車の中で精神薄弱の男性が抱きついてきたときのことを思い出しました。僕は彼に抱きつかれたとき、彼に対して気持ちが悪いという感情をもちました。
彼はすぐに離れていきましたが、そのあとも電車を降りてからも自分の想いが悔しかったです。彼には悪意も何もありません。ただ僕に抱きついただけです。そんな彼に僕は優しい気持ちでいることができませんでした。

人を愛し、いつでも誰にでも優しくいることはすごく難しいです。
でも少なくとも、理由はなんであれ、苦しんでいる人を切って捨てるような思いはもたない人間になりたいです。

具体的な行為としては、周りからみると切って捨てているようにみえても、内面ではその人のことを深く考えて行動しているということもあるだろうと思います。

そんな域に達するには、まだまだ永い時間がかかるようです。

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ご冥福をお祈りします。

新潟の大地震で行方不明になっていたお母さんと2人のお子さん。
ニュースによると、下のお子さんは助け出されて、入院しているとのこと。

でも、お母さんがお亡くなりになりました。
夕方のニュースで母子発見の文字を見たときにはとても嬉しかったのに。

発見されたきっけかはかすかなうめき声だったとか…そのときまでは生きておられたということ。もう少し発見が早ければなんとかなったかもしれないという思いは、何の役にも立ちません。口に出せば救助に励まれた方々を責めているようにも聞こえるし。

でも、それでもやっぱり、そう思いたくなります。あと少しだけ早ければって。

もう1人のお子さんの安否はまだわかっていないよう。何とか無事でいて欲しい。

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記事削除

新潟の大地震で行方不明になっていたお母さんとお子さん2人。1人のお子さんは助かったようですが、お母さんはお亡くなりになりました。

ここにあったもとの記事は、あまりに脳天気な話題だったので削除することにしました。

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行方不明の母子、情報錯綜か

先の記事で行方不明の母子が救出されたと書きましたが、新しいニュースでは、救出されたのはお子さんが1人だけのようです。

お母さんの脈拍が確認できないというニュースもありました。心配です。

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行方不明の母子生存!

新潟県中越地震で行方不明になっていた主婦と2人のお子さんの生存が確認され、救出されました。

土砂に埋まってしまった乗用車内からレスキュー隊が午後2時31分、肉声を確認。すぐにお子さんたちを救出したのだそうです。

23日から行方不明になっていた3人。
不幸な大災害のなかにあってすごく嬉しいニュースでした。そういえば、地震のときに出産したニュースもあったっけ? とにかくよかったです。

不幸な大災害。命を無くす人もおられれば、こうした助かる人もいる。

もっと早く、もっとたくさんの人たちが助かって欲しいです。

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ハロウィーンは誰の仕掛けか

恐い顔したカボチャ(ジャックオランタンと呼ばれる)のイメージで知られている「ハロウィーン」。
僕が大学生だったか、卒業するぐらいだったか頃からか、キディーランドなどでハロウィーンの仮装とかがすでに売られていました。
そのころから今でも、よくわからないのは日本ではハロウィーンは、何をどうする日として一般的に思われているのかということです。

そもそも日本の文化とは関係なかったもののなかで、いちばん一般的になっているといえば、「バレンタインデー」と「クリスマス」でしょう。

2月14日のバレンタインデーは、恋する女性が相手の男性にチョコレートをあげて告白する日。あるいは、すでに恋人同士の女性の方から彼氏にチョコレートをあげる日…でいいのかな?
12月24日のクリスマスは、皆が集まって「メリークリスマス」と言い合うパーティーをしたり、恋人達が愛をささやいたりする日というのが一般的か認識かな?

それらの事の是非はともかくとして、何をする日かという日本における一般的イメージが、バレンタインデーやクリスマスにはあると思います。

でも、さっきもいいましたが、10月31日のハロウィーンの日本における扱いがなんだかよくわかりません。
テレビニュースでは、アメリカの子供達が「トリック・オア・トリート」といって家々を巡る姿が報道されたりすることがありますが、少なくとも僕の生活範囲でそんなことをしている子供は見たことがありません。

もとはといえば、有名な話ですがバレンタインデーは、お菓子メーカー(メリーズだったかな?)の販促活動が国民的習慣として根付いてしまったもの。クリスマスは、イエス・キリストの誕生日。(若い人の中には、「サンタクロースの日」として認識している人もいるようですが…)

そして、ハロウィーンは、キリスト教における「万聖節」(11月1日)の前夜祭。(この程度の認識であれば常識的な範囲かと思います。詳細に捉えればいろいろ"いわれ"はあるでしょうけどね。)

バレンタインデーでもクリスマスでも、国民的習慣として根付かせることで何らかの商品やサービスの消費を高めるためにビジネス的な戦略をいろんな組織が実行した結果として、今にいたっているかと思います。

そこのところも、ハロウィーンの場合はやっぱりよくわかりません。何を消費させることをねらってどんな組織が動いているのでしょう。おもちゃ製造会社が仮装が売れるようにかな?

何かについて良い悪いという話をしようというんじゃないんです。
とにかく、ハロウィーンが何をする日ということに日本ではなっていて、そのためにどんな業界が何を仕掛けているのかが、僕にはよくわからないというだけなんですけどね。

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誰か支えてやってくれ!

明大野球部に所属していた一場靖弘さんを。

僕は野球はぜんぜんわからないし、一場さんと面識はない。
でも、実力があり、それを発揮できる場もあるはずだった22歳の若者が、たった一度の「つまづき」でその力を発揮できる場を無くすのはいかがなものか。

お金を受け取ったことは、ほめられた事ではないけれど、でも彼自身が犯罪を犯したとかいうわけじゃない。日本学生野球憲章に反する行為をしたというだけだ。だから、上の行ではわざと「つまづき」と書いた。

大人の思惑にまきこまれたということでしょ。
はたちを超えているとはいえ、彼はまだ学生です。お金を見せられたらもらっちゃうでしょう。やってはいけないとわかっていることでも、ついうっかりやってしまうということはあるでしょう。

両親や家族への支えになれればよいと思ったか、遊ぶ金欲しさか、あるいはもっと別な理由か、彼がどういう意図でお金を受け取ったのかわからないけど、今回のことは周りの大人がしっかりと教えさとすなり、叱りつけるなりすればよいだけの話だと僕は思います。

お金を渡したのは社会人として先輩の大人です。学生の見本となるべき立場の人たちがお金をちらつかせたから、学生がそれに手を出してしまったのでしょうが。

もう一度いいますが、彼は日本学生野球憲章に反する行為はしたけれど、刑に服さなければならない行為をしたわけではありません。

マスコミも、そこのところをもっと強調してくれ。
社会人として先輩である大人が彼にお金を見せたんだ!

これから社会に出ていく若者に、先に生きてきた人間がしっかりと道しるべを見せてやるのが教育というものではないのか。

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シャンプービジネス

髪を切るには、僕はいつも理容店に行きます。
大学生のころは田舎から出てきた学生もろだしだったので、実家の方では無理だったこじゃれた気分が味わいたくて美容室に行ってましたが…

美容室でも理容店でも、シャンプーのときになぜか指が通り過ぎていかないエリアがあるってことないですか。

頭の後ろの方からずーっと両手の指を動かしてきてもうちょっとで頭頂だという当たりで、すっと左右に分かれて、またさっと合流していくということがあります。
時には、まんべんな手際よくしゃかしゃか洗ってくれてはいるのですが、そのあたりに来ると指が微妙に向きを変えて通り過ぎていくという部分があったりします。

図書カードを手前から一枚ずつめくっていくような気持ちで、頭の上で少しずつ指をずらしながら移動させていくことで、あれは防げるはずだといつも思っています。

でも、特に痒みがあるわけではないし、説明するのも面倒ですし、何か言ったことは今までありません。ちょっと残念なような、損をしているような気にはなりますが。

実際に家でお風呂に入ったとき、自分の理論を展開してみたことはあります。
結果は完璧でした。僕の考えにも基づいて指を動かしていけば、頭のどこにも指が通っていかなかった部分など存在しなくなります。

けれど、時間がかかるのと指が疲れるのがネックだということも同時に判明しました。
ビジネスのコストとして考えると、割に合わなくなるようです。ビジネスアイデアを実現するのは難しいです。

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恋とポロシャツ

「ビジネスカジュアル」という言葉があります。ちょっと前まではあまり耳慣れませんでしたが、今では普通に使われているようです。
普段着過ぎず、そのままクライアントとビジネスミーティングができる。かといって、格式張った雰囲気ではないというファッションのことを言うようです。

基本は、襟付シャツ(ポロシャツも可)・綿パン・革靴で、Tシャツ、ジーンズ、短パンは不可というところでしょうか。

ところで、このビジネスカジュアルというドレスコードでは、ポロシャツをパンツの中に入れるのがマナーのようです。某企業の部長さんで、「ビジネスカジュアルでお願いしますと伝えてあるのに、ポロシャツをパンツの中に入れない奴がいる」と怒っておられる方がいました。

以前、アメリカにある展示会に仕事で行ったとき、そこのブースに並んでいる人はみなパンツの中にポロシャツを入れていました。

アメリカでの行いが全て正しいというつもりはありませんが、ビジネスが関わってくる場でのポロシャツ着用時には、裾はパンツのなかに入れておく方が好ましいと個人的にも感じます。

ところが、この「ポロシャツの裾をパンツの中に入れる」という行為は、ファッション的には非常に受けが悪いようです。時に男性がこれをやると、女性の皆さんからは、はっきり言って嫌われます。

ずっと前にも同じ事を書いた記憶がありますが、男性が「ポロシャツの裾をパンツの中に入れる」行為は、上記のようにビジネス上でのクライアントに接するときと同じ感覚、つまり誠意と熱心さ、まじめさを現しているのだと言えます。

ですから、多くの女性の皆さんには、男性が「ポロシャツの裾をパンツの中に入れる」行為をしていても嫌ったりせず、それほどの気持ちで彼はあなたと接しようとしているのだと大目に見てやって欲しいとお願いします。

女性から見てどんなにかっこよくなくても、彼は単に普段と同じまじめな気持ちでポロシャツを着ているだけなのかもしれません。

もっとも、ファッションセンスのかけらもない男性である可能性もありますけどね。

でも、ファッションはあなたが気にしてあげればいくらでも直すことができます。
少なくともポロシャツの着方だけで切って捨てるのではなく、もうちょっとだけ彼に猶予を与えて欲しいです。本当はとても誠実でビジネスパーソンとしても優秀で、恋の土俵から落とすには非常にもったいない人物である可能性だってありますから。

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放っておくという選択

テレビを見ていて、よくわからんと最近感じるのが「モーニング娘。」周辺の子たち。まず「後浦なつみ」の 「恋愛戦隊シツレンジャー」。もう「後浦なつみ」自体が僕の理解の範疇にありません。
悪いとは思いませんが、何がよいのかもわかりません。
人気がある子たちを組み合わせているというのは知っていますが、それが何だというのか? 組み合わせたことによって何がどうなって、どんなものが実現しているのか全然わかりません。

「恋愛戦隊」というフレーズはなんとなく理解できます。すてきな恋愛をしたいと日夜がんばっている子たちというイメージだと思うのだけど。「シツレンジャー」っていわれてもなぁ。だいたいシツレンしたら恋愛にならないし。

また、エプソン販売の写真対応複合機「オールフォト・カラリオ」のCMもよくわからないです。
松浦亜弥さんを筆頭にモーニング娘。の皆さんが登場しますが、カメラやプリンタとかのかぶり物をして、ああいう真剣な表情で出てこられても…。
いまどきの子たちですからね。本人たちも「何これ? ありえない」って思ってるような気がします。

中学校のころに僕が好きだったアイドルを、うちの父親が理解できないと言っていたのはこういう感覚なのだろうなと思います。

他には「波田陽区」も僕には理解できません。
「残念!」という部分までの部分は意味がわかるのですが、「斬り!」の意味がわからない。あれは何を言おうとしているのか。
テレビで見ていると会場にいるお客さんたちは笑い声をあげています。ということは、僕の理解が及んでいないということです。

自分が好きになれないものや理解できないものを馬鹿にしたり、否定したりすることは、僕にいわせればそれも自由の範囲です。
ただし、わざわざ罵声を浴びせたり、否定するような言葉を本人やファンに投げつけるようなことするのは失礼な行為だと思います。

どんなジャンルのものでも、好きな人は好きでやっているのだから、気に入らない人は関わらなければいいだけです。
好きでやっている人も同じです。嫌いだとかおかしいだとか指摘している人に、わざわざ良さを説明しに近寄っていかなくてもかまいません。

何かに対して反対する人、賛同する人どちらでも自由ですが、場合によっては互いに放っておくという選択があってもいいのではないかなぁと思うのですが。

(これ読んでくれている人のなかにファンの方もいるかもしれません。一応念を押しておきますが、モーニング娘。や波田陽区を馬鹿にしたり、否定したりする意図はありません。そんな風に読みとれたら僕の文筆力のせいです。ごめんなさい。単純に、僕には何がよいのかわからないというだけの話です。)

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裾、袖、襟

裾、袖、襟。
これ、大抵の場合に僕は読み間違えます。

あるいは、「駆使」。これを僕は「くっし」とずっと読んでいました。さらに、「臨場感」。これは「りんばかん」と読んでしまってました。

漢字というものは、読みを間違えていた期間が長いと、正しい読みを知った後も、間違えて読むことが多くなってしまうようです。

「廉価版」
これなんて読みますか? LPレコードを知っている僕らの世代では、「けんかばん」って読む人が多いのでは…

僕は大学生になったときもまだ「けんかばん」って読んでいました。
ある日、先輩が「"廉価版" を "けんかばん" って読む奴がやたらといる。あまり多いので、俺が間違っているかと思って辞書でひいてみたが、"兼価版(けんかばん)"  なんて言葉はない 」という発言をしていたのをそばで聞いていて、やっと自分の間違いに気が付きました。

いくつになっても、言葉というのは難しいものです。
前にも少し書いた記憶がありますが、僕は「バルサミコス」を「バルサミコ酢」だと思っていました。これはちょっと違うか…

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記憶が無い

2,000円でした。2,000円を払って、先ほど無事帰宅。
何がかって、「駐車券紛失」。

会社の帰りに用があったので、駅前の駐車場に自動車を止めておいた。1時間半ほどで戻ってきて、自動車に乗り込んでから気が付いた。

「駐車券、どこ?」

仕事帰りで疲れていてぼぉーっとしてたので、駐車券を取ってからどうしたか具体的な記憶がない。いつもならダッシュボードの上に置いてあるのだけど、そこには無い。ダッシュボードを開けてみても無い。

首を突っ込むぐらいの勢いで鞄の中を探したけれど、やっぱり無い。

助手席の下をのぞき、運転席の下を見ても無い。シートの隅にまで手を差し込んでみたけどそれらしいものは無い。

念のためと思い、足下のマットまでめくってみたけど、無い。

恥を忍んで、用事で伺った先方にまで戻り、駐車券が無いことを告げて室内をみせてもらった。けど、無い。おみやげに渡したお菓子の袋のなかまで見てくれたというお世話をかけてしまった…

結局、「連絡先」と書かれてある電話番号へ連絡して、駐車券を紛失したことを告げた。そしたら、出口のところの精算機に「駐車券紛失」というボタンがついているとのこと。

それを押して払う金額が、2,000円。ほんとうなら400円ぐらいで済んだはずなのに。
お金がどうのこうのではなく、取った駐車券をどこへどうしたか全然記憶が無いということがかなりショックです。

駐車券を無くすのは、生まれて初めての経験でしたが、何をどうしたのかという記憶が無いということは、ときどきあります。
たとえば、でかけようとして部屋の鍵をどこへ置いたか思いだせないとか。今年の初め頃ごろだったか、旅行から帰ってきてからキャッシュカードが財布の中に無いことに気が付いた。銀行のお金は無事で、カードを再発行してもらいましたが、数ヶ月あとでその旅行にもっていたバッグのなかから出てきました。
無くしたと思ったときに気が付きそうなものなのですが。

ところで、もし2,000円以上の駐車代金の場合でも、「駐車券紛失」ボタンを押したら2,000円で出て行けるということなのかしら? まさかね。その辺はちゃんと何か仕組みがあるのだろうな。

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女優の本気さ

女優のアンジェリナ・ジョリーが米エスクァイア誌の「Women We Love」という特集で「最もセクシーな女性」に選ばれたそうです。

「トゥームレーダー2」の公開のときに、彼女の女優魂を感じるエピソードを雑誌で読んでからちょっとひいきにしています。

「トゥームレーダー2」の宣伝ポスターやDVDなどの表紙では、彼女が演じるララ・クロフトが身体にぴったりとフィットする銀色のボディスーツをまとった姿で写っています。

映画の中では、そのスーツを着た彼女の胸は、はっきりと胸の先が浮き上がっていて、スーツの下に何も付けていないことがわかります。
当然、ポスターの類もそうなっていましたが、映画会社の方が画像上で処理を施し、見えないようにしたそうです。
(たぶん、元々がテレビゲームですし、未成年が目にする機会が多いということに映画会社が配慮したのだと思いますが。)

それに対して彼女は、なぜ修正したのか、どうしてそのまま公開しないのかとクレームを入れたそうです。
普通なら女性として隠したいと思っても不思議はないことですが、それにクレームを入れたことに彼女の「リアル」への本気さを感じました。

ある映画に出演した人気の某アイドルが、雨の中で倒れるシーンで衣服の下に紺の水着を着ていたどこかの国とは大違いです。
プロとしてシーンに登場するなら、中途半端なことをしないで、やるならやるという覚悟を見せて欲しいものです。

アンジェリナ・ジョリーはこの秋の話題作「スカイキャプテン(原題:Sky Captain and the World of Tomorrow)」で、男勝りな片目の女性戦闘機乗りを演じています。

「ヴァン・ヘルシング」を見に行ったときに、本編が始まる前の宣伝で映像を見ることができました。
ああいうのはセピア調というのかしら? ちょっと紗がかかったような不思議な印象の映像です。
何とも言えない時代的な雰囲気を漂わせていて、僕は好きです。

「スカイキャプテン」…早く見たいです。

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自らも襟を正せ!

いろんなブログで今日の話題になっていると思いますが、ライブドアへのNPB(Nippon Professional Baseball: 社団法人日本野球機構)によるヒアリング。

NPBの審査基準の1つに「公共財としてふさわしい企業、球団か」という記述があるらしいです。その観点からライブドアの堀江貴文社長はアダルトゲームソフトの製造、販売について質問を受けたそうですね。

この問題は、2つの点に光があたったと僕には思えます。
まず、ヒアリングの不平等。そして、既存の球団と親会社が抱える矛盾です。

まずヒアリングの不平等についてですが、審査員としてアダルト向けのサービスや商品について尋ねないわけにはいかないという考えはわかります。
でもそれなら、楽天の三木谷浩史社長ももっと尋ねられべきだと僕には思えます。

楽天だってコミックなどアダルト商品を扱っています。
楽天ブックスのページではアダルトコミックの表紙だけですが、画像として掲載されてもいます。

販売主体は楽天ではないでしょうけど、各商店に対して売り場を提供しているわけです。堀江社長がいう「場を提供している」というのと変わらないと僕は思います。

「クレジットカードを使っている」と言った程度の説明で納得していいのか? 社団法人日本野球機構!

次に、既存の球団と親会社の矛盾について。
新規参入する企業に審査基準に照らしてヒアリングするというなら、既存の球団・親会社ももっと糾弾されることがあるでしょう。(しゃれじゃないよ)

いい大人が乱闘するし。プロスポーツで、殴ったり蹴ったりしていいのは格闘技だけです。
僕は野球は好きではないです。その理由の1つに乱闘があります。野球好きの方のなかには、乱闘込みでプロ野球がおもしろいという人もいますが、僕に言わせれば変な話です。

野球選手は野球をするのが本業なんだから、殴ったり、蹴ったりしたら、もう人として間違っているでしょうが。

歌手や俳優さんが、共演者が気に入らないといって殴ったら大問題です。僕ら普通の会社員がいっしょに仕事をしている他の会社の社員を、やり方が汚いからといって蹴り上げたら、場合によっては懲戒免職です。

乱闘する集団が公共財としてふさわしいのか?
いつまでたってもプロ野球から乱闘をなくせないその親会社は、公共財としてふさわしいのか?

公共財としてふさわしい球団とは、企業とはということを既存の球団・親会社の経営者の皆さんにもしっかりと考えて欲しいと思います。
そして、NPBの方々には、新規参入者に時間をとってヒアリングするの同じぐらい、既存の球団・親会社に対しても「公共財としてふさわしくないことをしていないか」を監視し、ふさわしくないと思われる動きがあれば容赦なく徹底的に追求する。場合によっては除名も視野に入れるというぐらいの態度を見せていただきたいと思います。
(まぁ、あくまで審査基準ですし、設立のときには重要視するけど、設立しちゃえば話は別という考えなのかもしれないけれどね…)

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お見合いの勧め

お見合いの経験は2度あります。残念ながら、2度ともお話はまとまりませんでしたが。

どういうわけか、気になる人がいる時に限って「お見合い話」が持ち込まれることが多かったです。自分には好きな人(片思いなんだけど…)がいる場合、どうも気乗りがしないので、お見合い話は断ってきました。

けれど、まだ両想いになっていないのなら、お見合いはしてみることをお勧めします。ひょっとしたら、今気になっている人よりもっとすてきな人と出会えるかもしれないから。

でも、食わず嫌いといいますか、苦手意識といいますか、「お見合いは断りづらい。だから、したくない」というイメージをもっている人がいます。

僕に言わせればそんなのは大昔の話です。今時は気乗りがしなければさっとお断りしてしまっていっこうにかまわないと思います。もちろん丁寧な対応は必要でしょうが。

結婚する気はあるけど、出会いがないという状況で結婚への確率をあげるには、人工的に出会いを発生させるしかないでしょう。結婚相談所を利用するのもよいと思います。お金がかかることなので簡単には決められないでしょうが。

お見合いや結婚相談所の利用を恥ずかしいこと、いやなことと考える人もいるようですが、それはもったいないと思います。
自然な出会いは可能性として起こりえますが、それだけしか手札をもっていないのは勝率の低い賭け事をしているのと同じです。

出会いを得るためにどんな手段をとっても、自分が気に入る人と出会えるかどうかは最終的には「賭け」です。そして同じ「賭ける」なら、自分が望むことが得られる確率が少しでも高いものに賭けた方がよいでしょう。

結婚したいと思っていてお見合いの話があったら、僕としてはお会いしてみるとことをお勧めします。

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1ドルコインの大きさ

9.11を「記念」したコインが発売されて、ニューヨーク州司法長官が「悲劇の悪用だ」といった非難をし、裁判所は販売差し止め命令を出したそうです。
(記念といっても英語ではめでたい事も悲しい事も全部"anniversary"でしょうから、日本語で「記念」というときとちょっと意味合いが違うような…)

コインといえば、旅が好きな人ならよくご存じな話題かと思いますが、1ドル(米)にはコインがあります。
量的にはあまり出回ってなくて、本国でもめったに見かけないそうですが。

20代のころサンフランシスコに遊びにいったとき、フィッシャーマンズワーフで食事をして、帰りに有名なケーブルカーに乗ろうとしました。
チケットを自動販売機で購入したそのおつりに1ドルコインが入っていて、いっしょに行った人たちに「こんなコインがあるんだよ。知ってた?」といって見せて回った想い出があります。

帰ってきてから知り合いのアメリカ人に「1ドルコインを手に入れたんだ」といって見せたら、やっぱり "rare" だと言ってました。

でも後からよく考えてみると、あの自販機でチケットを購入すれば、誰でも簡単に1ドルコインを入手できるということだなと思い至りました。それとも、おつりで1ドルコインが出てきたこと自体も珍しいことのなのかな?

そのときに彼が言うには、1ドルコインには2つの大きさがあるとのことです。ほんまかいな?
でも、彼はあまり日本語が得意ではなく、僕の英語も「少年はパンを食べましたか?」といった程度の会話しかできないものですから、本当に彼がそう言ったかどうか自信はありません。

本国でもめったに見かけない1ドルコイン。
2つの大きさがあるのかどうか、真相をご存じの方がおられたら教えていただけると嬉しいです。

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想いを表す

フジテレビで始まった「ラストクリスマス」(毎週月曜よる9時放送)。

織田裕二さんが13年ぶりに月9ドラマ主演ということが話題になっていたので、第1話を見てみました。ロマンチックなラブストーリーの王道をいく、直球勝負のドラマのようです。

世の中そうきれいに格好よくいかないことは、誰もがわかっています。

それでも、テレビや映画、小説や舞台などで愛し合う人たちの物語に出会い、そのなかで見る優しさや思いやり、支え合う心や信じる姿などに何かしら感じ得たら、それを心の糧にすることは可能だろうなと僕は思っています。

たとえば、出かける人に対して「気を付けてね」と言います。英語でも "Take care." と言います。

あの言葉は、相手の心の中にこちらの「気にとめてますよ」「無理はしないでね」といった意識を送り届けているように感じます。
そして、届けられた言葉は鐘が響くように、相手の心の中で反響をくりかえして残っているのかもしれません。相手が具体的に意識してなくても。
その心の中の反響が、出かける過程で気を付けた行動をとるエネルギーの何割分かに転換されていて、相手を少しでも支えているような気がします。

心にある優しさや思いやりを、現実の世界でちょっとした場面でも表すことは大切なことだと思います。そして、表した想いが相手に届いたなら、それはとてもすてきなことだと思います。

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オレオレ詐欺に用心

親族を装って電話をかけてきて、交通事故の示談金や妊娠させてしまった女性の中絶費などの嘘を理由にお金をだまし取る「オレオレ詐欺」。

今朝、みのもんたさんの番組「サタデーずばッっと」で特集をしていましたが、最近では、こうした「オレオレ詐欺」の手口はどんどん巧妙になっています。

被害額は、100億円を超えていて、唖然としてしまう数字です。

最近は個人ではなく、集団でお金をだまし取る「詐欺団」になっていて、詐欺団のなかで役割を設けて、より現実味があるような演技をしてだますそうです。
冒頭にあげたような"親族を装う"といった手口は、もう古いのだとか。

警察や弁護士、保険会社の社員といった役があるそうです。もちろん、ネライにされている人のお子さんやお孫さん、その友人役、あるいはご主人の知り合い役とかいたりしもます。

それに、娘さんや女のお孫さん役もいます。
「オレオレ詐欺」という言葉の響きで、何となく "男" を想像しますが、だます方には女性もいます。

ねらわれているのはたいてい高齢者です。
携帯電話やメールの操作もなかなかできない人だと、すぐにお子さんやお孫さんに確認する手だてもありません。

さらに、最近は闇で「名簿」が売買されているそうです。
その名簿によって、詐欺団たちは、電話番号と電話をかける先の氏名を把握できます。ランダムに電話をかけてきているのではないため、詐欺を見破ろうとして、お子さんの名前を名乗らせるといった防衛手段も役に立ちません。
(家族構成を把握されている場合だってあるでしょうし。その場合は、兄弟や姉妹を装ってくるかもしれません。)

番組では、かつてオレオレ詐欺で捕まり執行猶予になっている人物のインタビューを行っていましたが、その人物の証言によると、「名簿」はお金を払う人(だまされやすい人)だけが残るように精査されているのだそうです。

嘘を見破られてしまった人は二重線で消し、だまされてお金を払ってしまった人だけが残っているようになっていきます。だます側からすると、成功率が高い「名簿」になっていくわけです。

嘘の内容が、友人の借金の保証人になっていたとか、息子さんが女性を妊娠させてしまったとかいうように他人に相談しづらい内容だと、どうしようもなくお金を払ってしまうのが人情というものでしょう。

こちらとしては、自己防衛するしかないようです。

警視庁のWebページによると、

・警察が示談の仲介をすることはありません。
・弁護士や保険会社が事故直後に示談金の振込みを勧めることはありません。
・事実かどうかを、必ず確認してください。
・電話を切った後、必ず、息子さんや娘さん、お孫さん、ご主人など、本人又はその家族、勤務先などの関係者と連絡を取り、事実かどうかを確認しましょう。

ということだそうです。

それにしても、、「オレオレ詐欺」という呼び名は誰が考えて使っているのでしょう?
先にも少しふれましたが、この名称では、犯人は「単独犯で男性」という固定したイメージができてしまうように感じます。

僕に言わせると、テレビなどで「オレオレ詐欺に用心しましょう」と言えばいうほど、その固定したイメージが視聴者に蔓延していき、より巧妙になってきている詐欺の手口にだまされやすい人が増えていくという事態が起きているような気がします。

テレビで報道するなというのではなく、犯行犯や犯行の手口について、もっと幅広いイメージを思い浮かべるような名称に変えたらどうだろうかと思います。
そうするだけでも、被害を食い止めるのに役立つと思うのですが…少なくとも今のまま、「オレオレ詐欺」という名称を使い続けるよりは、ましなような気がしています。

うちの両親も高齢ですので心配です。
お父さんやお母さん、おばあさん、おじいさんをお持ちの方は、こうしたことを日頃から話し合っておくといいかもしれません。

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披露宴とご祝儀

恋をしてそして結婚へという過程にあこがれる人は多いと思います。

でも、結婚はゴールでもスタートでもありません。
「そのとき」を強く認識すると、どうしても時間の流れを止めて捉えてしまいがちになりますが、一生という時間の流れの中で1つの通過点です。

結婚をした日(人によっては同棲時代)から2人での暮らしが発生します。
食材も衣類も生活用品も買います。光熱費も払います。貯金もしたいし、保険にだって入っておきたいです。

親元にいた人は少し事情が異なりますが、1人で暮らしているときと何も変わりません。

たまには旅行もしたいし、外でおいしい食事もしたい。映画やコンサートなどへ2人で行きたいなぁって思うときだってあります。

さて、ここでいったんお風呂にでも入ってすっきりしましょう。そして、深呼吸して、落ち着いたらちょっと考えてみてください。

「2時間~3時間の間で飲んで食べて歌って踊ることに数百万円を使うことを、あなたはどう思いますか?」

昨日、知り合いと「披露宴」の是非について話をしました。金銭的な側面からだけの考えではありますが、「披露宴」に大きなお金を費やすのは止めた方がよいと僕は思っています。
大きな金額を自由に使える人は別として、普通に考えて、数時間の飲食に百万円単位のお金を費やすなんて無茶でしょう。披露宴の費用が、年収の半分からそれ以上になる人だっているでしょうし。

仮に、300万円あったら…

今時の海外旅行は安いです。有名ホテルに泊まっても、ハワイあたりなら2人で数回は行けるでしょう。

ご結婚されてから、アロマテラピーとか英会話とかITスクールとか、何かの趣味や勉強、資格取得などを始める資金にできるでしょう。

自動車が好きな人なら、ちょっといい自動車を購入する頭金にできます。

超高級なところを望まなければ、マンションの頭金にだってできます。

たとえ、両親が費用を全額出してくれるということだったとしても、それほどの額を両親に出してもらって、人を集めて歌い踊って、飲み食いしてしまうのはどうなのよという感じです。

僕にすれば、「披露宴」に数百万円の費用をかける人たちの中には、何か勘違いをしている人がいる気がします。
それが何の勘違いなのかよくわかりませんが、僕の中ではどう考えても数時間で数百万円を使ってしまってよいといえる論理的な根拠が見あたりません。

列席者側になっても、すっきりしない気持ちを感じるときがないですか?
数万円のご祝儀をもっていくのが普通だと思いますが、一度の飲食に数万円をかけても平気な人はそうはいないと思います。それに、お招きが続けば馬鹿にならない出費です。

「披露宴でご祝儀を渡さなければならない習慣はもう止めよう。」ってなぜ誰も言い出さないのか不思議です。
(もっとも、本当に少しでも役に立てれば嬉しいという気持ちでご祝儀を渡すときもあります。それはそれで、渡したい人が渡したいだけ渡せばいいと思います。)

僕の考えでいうと、昔々、年若いということと収入が少ないということがまだ同じ意味だった時代。
若い2人よりは収入がある人生の先輩達が、2人の新しい生活を後押しする意味で手渡したのがご祝儀だったのではないかと思います。

活気がない今時の日本経済です。
職場の都合で収入が減ってしまったという人は、たくさんいるでしょう。場合によっては、若い新郎新婦のお二人より、列席者の方の収入が下回っているということだってあり得る昨今です。

たとえ知らないこととはいえ、数万円のお金を用意しなければいけない状況を、自分よりも収入が下回っている人に対して作るのは、僕に言わせればひどい話です。

ビジネスでもないのに、人からお金をいただくことを前提にして行動するのは止めた方がよいと思います。そもそも、そんなにお金に困っている2人なら、大きな披露宴なんてするべきではないでしょう。

数百万円の単位を、人生の価値を高めるために使うか、一度の宴に使うか、選択は本人達しだいです。
けれども、どちらがいいでしょうかと相談されたら、僕は前者をお薦めします。

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恋する瞬間

専門ガイドの人たちがさまざまな情報を提供してくれる総合情報サイトAll About Japanの特集ページ「All About Life」は、"幸せに生きるためのヒント"をコンセプトとしたページです。

その10月のテーマは、 「愛も情けもいらない、私は“恋”がしたい」

1週目のテーマは、「恋する瞬間」です。
いわく、"ハートに火がつく瞬間を見逃さない" ためのヒントを読むことができますよ。

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むすめ師

本日(2004年10月6日)の日経新聞の最終ページ「文化」の筆者は、元警視庁捜査三課の刑事で、退官後はそれまでの経験を生かして防犯アドバイザーをされておられる稲田淳夫(いなだあつお)さん。

「むすめ師」という言葉は、昔の"蔵破り"、つまり泥棒のこと。
蔵の白壁を"娘さんのおしろい顔"に見立てた隠語だそうです。(ちょっと変なことを考えている人いたでしょ? 反省するように)

「鍵と錠前」との付き合いは、刑事時代もふくめると40年を超えるとか。
長いキャリアを積む内に、稲田さんは、鍵の壊し方でそれが初犯かベテランの仕業かを判別できるようになっていたそうです。

稲田さんは「和錠」の収集もされてます。
「和錠」というのは、日本の鍛冶職人によって作られた日本生まれの錠前のこと。

コラム「文化」で、稲田さんが説明している「商家の蔵のものと思われる錠前」の仕組みが、なかなかすごい。鍵を外して扉を開けるまでに8つの操作をしなければなりません。

特にすごいなと僕が思ったのは、鍵穴の工夫。
普段は鍵穴が見えない状態になっていて、それを見えるようにするためにだけ、5段階に渡る操作をします。(へたしたら忘れちゃうよ)

その後、「かかっている鍵を外す操作」があって、最後に「鍵が外れた扉を開ける操作」もします。

鍵を外しただけではまだ扉を開けられないという厳重さ。
錠前の写真付きで手順の説明がされているのですが、職人技の美しさだと思いました。

よく言われることですが、手間がかかるところには泥棒はよりつかないそうです。
稲田さんも「ワンドア、ツーロック」を勧めておられます。それだけでなく、貴重品を納めているところには、3重、4重の鍵を勧めてもおられます。

40年を超える経験によって稲田さんがおっしゃるには…

「備えた家だけ助かりなさい」

なんだそうです。

悲しいことや物騒な事件が起きるこのごろ。
日本も、まず自己防衛が基本という国にもうなってしまったと僕は思っています。

何も知らない時代なのに、「むすめ師」の出現が大ニュースになったであろう時代が何となく恋しく思われます。(被害に遭った方はたまらないでしょうけど)

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ケチャップはフォークで

この前の日曜日、「笑っていいとも増刊号」で『ハンバーガーの正しい食べ方』というのをやっていて、アシスタントのジョン君が、あめりか~んな食べ方の見本を見せていました。

外国のものを使ったり、食べたりするとき、その正しいやり方に悩んだ経験をお持ちの方はけっこうおられると思います。

以前、仕事でアメリカに行ったときのホテルでの話。
会社の人と何人かで行ってはいたのですが、その朝は僕は1人で朝食を取りにロビーの方へ降りていきました。

コーヒーを頼み、ベーコンやソーセージ、ハッシュポテトなどをプレートにとってテーブルに戻ってきた僕は、そばを通ったボーイさんにケチャップを頼みました。

そこまでは良かったのですが、彼がもってきてくれたケチャップは、瓶入りでした。それも半分より少し下ぐらいまで減っている状態。

何度か勢いをつけて振ってみたのですが、ケチャップは瓶のなかで動いてもくれません。

あまり力を入れすぎて、辺りを汚すほど出てしまうのも困るしで、いまいち力強く振ることがためらわれたのもあって、何度振てっもぜんぜん出てきません。

そしたら、向かいのテーブルの方から、ヘイ!っという声が。
そっちを見ると、1人の男性が左手の指を軽く曲げて合わせて"穴"を作り、そこに右手にもったフォークを入れて、ちょこちょこと動かしています。

瓶のなかにフォークを入れて、それでケチャップをかき出せというわけです。

でも、日本でも時々見かけますが、外国人だと思って変なことを教える人がいます。
僕は、そんなことしていいのか? と感じたので、一応彼に "Is it poite ?" (それは礼儀正しいやり方なの? と尋ねたつもり…)と確認しました。

彼は、にっこりと笑って "Yeah." と言っていましたが、ホンマかいな? と僕はまだ疑っていました。
そうすると、彼と僕とのやりとりを見ていたのか、彼のさらに向こう側に座っていた別の男性が僕を見てにこやかな表情でうなずいています。

どうもそれでいいようなので、僕は彼らに礼を言って、遠慮無く瓶にフォークを突っ込んでケチャップをかき出しましたが。

あとで、やっぱり気になったので、ニューヨークで長く暮らしていた知人に、フォークでケチャップを書き出す行為はやっていいものなのかを尋ねてみました。
その友人もフォークで書き出すと言ってはいましたが、彼もするからといって正しい食事の仕方かどうかはわかりません。

とはいえ、その後も瓶のケチャップに出会ったら、フォークで書き出す行為は続けてはいるのですが。
それでいいのかどうか若干の不安は今もずっと残っています。

神様、僕が変な外国人に見えていませんように。

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残り3ヶ月

最近、テレビでも話題のあのおばさま。
まだ今ほどもテレビでは流行っていないころ、おばさまの占い本を何気なく購入してしまったことがありました。それによると、今年2004年の僕はもっとも運気が悪い期間にいます。

不幸中の幸い? なのは今年がその期間の最後の1年であること。
ですから、あと3ヶ月で運気が悪い期間は僕から離れていき、年が明ければ運気が上昇しだす期間に入ります。よかった、よかった。あと少しは、派手なことはせずにおとなしくしておいた方がよいようです。

何の占いであれ、「悪い」とはっきり示されるのは気持ちがいいものでありません。信じてなくても何とは無く気になります。

朝、出勤する前につけているテレビで、占いコーナーが始まったら僕はつい見てしまいます。でもって、ああいう占いはだいたいが良い方からのランキング形式になってますから、しばらく見てて自分の星座とかが後の方(悪い方)へ出そうだとわかったら、チャンネルを変えたりしてもう見ません。

だってねぇ。たとえば、昨晩遅くまでがんばって仕事にめどをつけたとしますよね。
それで、翌朝の一番から「ごめんなさい。これまでやってきたことが無駄になりそう。運気を高めるには熱いシャワーを浴びて出かけてください」とかもし言われたら、信じてなくたって気分が悪い話ですよ。
「シャワーを浴びて」とかアドバイスされてもね。もう身支度も済んでたらどうすんねん!

逆に「良い」と言われれば、信じてなくてもちょっと嬉しい気分がします。我ながら単純だと思っています。

そんな僕の本日の星占いでは、「様々な情報が飛び交い、それに振り回されてしまう暗示」があるそうで、「家族のありがたみを実感できそうな日になるでしょう」とのこと。
…実感できそうな日になるでしょう…これは実感できると言ってくれてるのか? でも、「できそうな日になるでしょう」ってずいぶんな推測だなぁ。

はて、今日はいったいどんな日になるでしょう?

ちなみに、あのおばさまの本は「悪い運気の期間」だと書かれいて、ちょっと腹が立ったので捨ててしまいました。(僕、地獄に堕ちるかもしれません…)

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あなたの知らない世界

ケンブリッジ大学と聞いて、どこの国の大学を思いつくでしょうか。普通に思いつくのは、英国にある世界的に有名な名門大学のことだと思います。

僕は知らなかったのですが、米国マサチューセッツ州はボストンにもケンブリッジという町があり、そこにもケンブリッジ大学という大学があるのだそうです。

そして、米国のケンブリッジにも、英国には決して負けない名門校が存在しています。
それは、米国最古の大学であるハーバード大学とSF映画や小説などでおなじみのマサチューセッツ工科大学(MIT)です。

ハーバード大学とMITの両方が、ケンブリッジという同じ町に存在しているとは知りませんでした。僕にはちょっとしたトリビアです。

離れた大陸に存在しているケンブリッジという2つの町は、Cambridgeというスペルも同じだそうです。

この世の中にはまだまだ知らないことがいっぱいあるようです。


ここで突然ですが、米国の州つながりでひとつ問題を出します。

「 "ウォルト・ディズニー・リゾート" があることで有名な米国フロリダ州。そこは、温暖な気候にふりそそぐ太陽と、白い砂浜が訪れる人を迎えてくれるリゾート地ですが、さて、そのフロリダ州があるのは西海岸である。○か×か?」

答えはここを反転→答えは「×」。フロリダ州は東海岸にある州です。
この問題に迷った人や、間違った人はここから下の話を一度は読んでおくとよいかもしれません。(あまりいないかな?)


以前、米国フロリダ州オーランドという町に仕事で行ったことがあります。

最終日近くになって、いっしょに行っていた別の人の部屋からの通信費がとんでもない額になっていました。
結果的に、その人はどうやら西海岸にあるアクセスポイントに電話をかけてメールチェックなどをしていたようです。自分たちは東海岸にいますから、完全に大陸の反対側です。
ましてやホテルの部屋からです。それはそれはすごい電話料金になります。
(まぁ、その人は僕とは違う会社の人でしたが)

なぜそんなことが起きたのか?
恐らくその人は、東海岸にあるフロリダ州と西海岸にあるカリフォルニア州を勘違いしたのだと思います。

どちらの州も海沿いにあり、『温暖な気候にふりそそぐ太陽、白い砂浜』という似たイメージももっています。
さきほどの問題に間違った人も、多分、同じような勘違いを起こしたのではないでしょうか。

そして、重要なのはここからです。
多くの人はご存じないでしょうが、「オーランド」という名前の町は、僕らが行ったフロリダ州にも、そしてカリフォルニア州にも存在します。

実は僕も、フロリダ州とカリフォルニア州を勘違いしていました。
幸い、日本を発つ前にアクセスポイントを探している途中で自分の勘違いに気が付いたので助かりましたが。
その探している過程で、「オーランド」という町がフロリダにもカリフォルニアにもあると初めて知りました。

ちなみに、2つの「オーランド」はスペルもほとんど同じです。
フロリダ州にあるオーランドは、Orlando (最後に "o" が付いている)
カリフォルニア州の方は、Orland(最後に "o" は付かない)です。

この世の中にはまだまだ知らないことがいっぱいあります。
(米国のケンブリッジには、ハーバード大学設立当時は、ニュータウン(Newtowne)という地名だったものが、植民地の指導者的立場の人の多くが英国ケンブリッジ大学出身だったため、ケンブリッジに変わったという説があるようです。)

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祝 料理教室卒業!

今までここでふれたことがなかったのですが、料理教室に1年間通っていました。1年といっても月1回の全12回ですけれど。

それで、この度めでたく卒業。

料理教室に通っていたからといって料理が好きということではありません。むしろ料理をするのはあまり好きではないです。

でも、料理が何にもできないというのも一人暮らしだし問題かなという思いや、少しできるようになったらちょっとは好きになるかなという思いがありました。
それに、顔を横に向けていてもタマネギやキャベツを軽やかにきざめる人に少し憧れもありまして…

だけど1年通ってみて、「やっぱり、俺は料理をするのは好きではないんだ」ということをあらためて感じました。

百貨店などで料理器具や食器を見るのは好きです。
こじゃれたガラスの容器とかきれいな色をしたフォーローのパンとかを見ていると楽しいです。
でも実際にそれらを購入したことはありません。どうせ使わないだろうと思うから。

好きではないですが、それなりに楽しい時間を過ごせたので、つまらない1年ではなかったです。
講師の説明を聞いたあとは、3,4人一組で実習をします。その日に初めて会った人たちでも、協力して何かを作っていく過程で仲間のような一体感を感じることができました。

料理が趣味というのではなく、料理教室に通うのが趣味という有り様でしたが、少しは料理をするときの勘所がわかったような気が致します。

まだまだ未熟な僕の手料理は、恋人と呼べる人にだけ振る舞おうと思っております。
僕の手料理を食べてみたいという若干の興味と多大な勇気、並びに深いボランティア精神をお持ちの独身成人女性の方はぜひご連絡いただければ幸いです。

ただし、諸般の事情により以下の事項に同意してくださる方に限らせていただきたいと思います。

1.出された料理は全て食べきる。
食べ物を粗末にしない女性はすてきです。

2.思いやりと優しさに満ちた笑顔と声で「おいしい」と必ず言う。
「優しさ」とは女性の代名詞であると存じております。

3.僕と僕の料理に対してひたすら賞賛を続ける。
愛する人の支えによってこそ男は強くなれるものでございます。

4.常にほがらかで機嫌良く、明るくいる。
明るい2人にこそ明日は来るものでございます。

以上、よろしくお願い致します。
(なお、応募資格には年齢の上限はございません。)

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書くエネルギー

昨日の記事(CD-ROMドライブなどの書き込み速度の基準は何?って話)に、こちらのブログで、答えをいただきました。どうもありがとうございます。

リンク先のオーナーさんの指摘にもあるように、ココログブックスコンテストに参加してみました。ちょっと面白そうだったので…

本当は誰にもわからないようにしたくて、申し込みフォームの「ココログブックスコンテストPeopleへの掲載」では「希望しない」にチェックを入れたつもりだったのですが。
何かのミスでしょうか、記載されてしまいました。

思いついたことを好きなように書き殴っているだけのくせに、コンテストに応募しているなんて他人に知られたら恥ずかしいと思っていたのだけれど…

まっ、出てしまったものはしょうがないか。

「文章を書く」ことにすごいエネルギーをさくことができる人がいます。
僕が昔知っていたある人は、ビジネス関連の書籍を何冊も出していて、某ビジネス誌にも記事を書いたりしていましたが、時間があれば何かの文章を書いてました。

そういえば、ピカソはアトリエで気絶するまで絵を描き続けることがあったそうですが、文章や絵、その他もろもろの創作行為を、いつでもどこでも行うことができ、またそれを尋常ではない勢いで続けることができる人を僕はうらやましく思います。

ああいうエネルギーはどこから来るのでしょうね。
僕の知り合いの1人に詩人として活躍している人がいます。その人がいうに詩というものは「降ってくる」のだそうです。そのたとえはとてもよくわかります。

10代のころに、僕は詞を書きためていたことがあります。
そのためのノートを一冊作って、そこに書いてましたが、詩ができるときには、僕も「降ってくる」というか「やってくる」としか言いようがない感覚を感じたことを覚えています。

今では詩を書くことはしてません。いつ書かなくなったのかも覚えてませんが、前にその詩人の方と話していたときに何となく感じたのは、僕はもう詩を「書かなくてよくなった」のだと思います。

僕はキーボードで文字を入力するという行為が好きです。
ローマ字入力をしているのですが、キーを叩くときの一連の指の動きや叩いた時の感触にちょっとした心地よさを感じます。こういう心地よさを共感してくれる人はいるかな? 

ですから、僕は仕事でも他人が書いた原稿を入力するといった作業や、印刷物しかないものをデータ化するために入力するという作業がわりと好きです。

どうも、僕がこのブログを書くエネルギーは、キーを叩くときの感触が快感として感じられることのようです。

このブログを「書かなくてよくなる」ことがあるのか、ないのか今はわかりませんが、僕がキーボードを叩くことに飽きないうちは続いていくだろうな思います。
そうすると、もしこのブログを止めるときは「書かなくてよくなる」のではなく、「キーボードを叩かなくてもよくなった」というべきかもしれません。

キーを叩くことには、どうやらもうしばらくは飽きないようです。
つたない文章ではありますが、うちのブログをお気に召してくださった方々には、もう少しお付き合いしていただければ幸いです。

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書き込み速度の基準って?

会社の備品として、ハードディスク付きDVDレコーダーを購入しようとしています。

最近ではハードディスクからDVDへダビングする速度がどんどん向上してますね。でもこの速度は、画質を一番低いものにしたときの速度だってお店の人が説明してくれました。

大きな声で主張するほどの意味がないと思いました。画質を一番低くすることが前提なんて…。

そういえば、DVDでもCD-ROMでもドライブの書き込み速度が○○倍というのは何を基準にしているのでしょう?

ずいぶん前に人から聞いたような記憶はあるのですが不確かです。
たぶん、IBMかどこかが初めて作ったフロッピーディスクの書き込み速度を基準にしているのだとかいう話だったような、違ったような…ごめんなさい。よく覚えてません。

DVDやCD-ROMドライブの書き込み速度が○○倍というのは何を基準に言っているのか? ご存じの方がいたら教えていただけると嬉しいです。

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お客様もていねいに。

「お客様は神様」という言葉があります。その言い方には反対しません。
けれど、意味として「言われたことは、こちら側が聞き続けていなければいけない偉い存在」ということなら、断固反対します。お客様は大切です。でも、 "偉く" はないというのが僕の持論。

お客だからといって、理不尽なことを言ったり、偉そうな態度をとったりするのは、人間として間違えていると僕は思います。

逆にいうと自分がお客であるときは、働いている人に理不尽な要求をしたり、筋違いなことを言ったり、偉そうな態度をとったりすることがないように気を付ける。言葉づかいもていねいに話し、サービスを受けたり、商品をもらっていくときなどは「ありがとうございました」といって頭を下げるようにしています。

サービス業に特にそういう理不尽なお客様がお越しになるようです。
以前、某百貨店の紳士服売り場で自分勝手な主張をくりかえす男性をみたことがあります。店員さんがそれを受け入れられない旨を説明すると、その男性は怒ってしまい、クレームを百貨店側に入れていました。
僕の感じでは店員さんには失礼な言動はなかったのですが…

家ではおじいちゃんと呼ばれていてもおかしくないようなお年の男性でしたが、ああはなりたくないなと思いました。

お客様という立場になったとき、尊大な態度をとる人がいるのが僕には不思議です。
「来てやっているんだ」という思いがあるのでしょうか。

お客として製品を購入したり、サービスを受けたりするときは、働く人に対して手間をとらせない。そして、偉そうな態度を取らず、働く人を1人の人間として尊重して接するべきだと僕は思っています。
だいたい、そうやってていねいに接し合った方がお互いに気持ちよくいられると思うのですけどね。

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不思議な"沈黙シリーズ"

アクション俳優 "スティーブン・セガール" の最新作「沈黙の聖戦」が、明日(2004年10月2日)公開されます。

"もうとても有名な話ですが" と前置きしないと言い出しづらいぐらい有名な話ですが、"沈黙シリーズ"というのは邦題としてそう名付けているだけで、各作品に同じ主人公が出てくるいわゆる "シリーズ" ではありません。
もちろんこの「沈黙の聖戦」も、いわゆる"続編" ではありません。

最初に"沈黙"という冠をつけて公開されたのは、「沈黙の戦艦」でした。(これが大ヒットしたわけですね)
そのあと日本で公開されたセガール主演の作品群のなかで、実際の続編(元SEAL(海軍特殊部隊)の先鋭で、いまは過去を隠して名料理人として暮らしている主人公ケーシー・ライバックの活躍を描いた作品)なのは、「暴走特急」だけです。

でも、「暴走特急」の前に、"沈黙シリーズ第2弾"として「沈黙の要塞」が公開されています。
物語として関連していない作品が、"第2弾"として公開された後に、本当の続編(なぜかこっちはタイトルに"沈黙"が付かない)が公開されるという変な事態に日本ではなっています。

各作品をよく見ればわかりますが、そもそも主人公の名前が違います。また、物語の背景も異なっています。

1992年「沈黙の戦艦」
(原題:Under Siege:セガールの役名 Casey Ryback)

1994年「沈黙の要塞」
(原題:On Deadly Ground:セガールの役名 Forrest Taft)

1995年「暴走特急」
(原題:Under Siege 2: Dark Territory:セガールの役名 Casey Ryback)

1997年「沈黙の断崖」
(原題:Fire Down Below:セガールの役名 Jack Taggart)

1998年「沈黙の陰謀」
(原題:The Patriot:セガールの役名 Wesley McClaren)

2001年「沈黙のテロリスト」
(原題:Ticker:セガールの役名 Glass)

2004年 「沈黙の聖戦」
(原題:Belly of the Beast:セガールの役名 Jake Hopper)

僕はなんだかすっきりしないものを感じます。
どこの誰がどんな理由で決めているのか知りませんが、個人的には"沈黙シリーズ"と呼ぶのは止めて欲しいです。

最初の大ヒットを受けて、あとに出たセガール主演の作品も似たようなタイトルを付けておけばそれなりにヒットするだろうというイヤらしい計算があるのではないかと考えてしまうのは無理ないですよね?

それにしては、本当の続編のタイトルに"沈黙"の文字が付いていないのも不思議な話ですが。
映画制作と配給の世界のなんともいえない大人の事情があるのでしょうね。

■"とても有名な話"を記事にした理由
昔々、僕の友人が「沈黙の戦艦」がおもしろかったので、あとあとレンタルで出ていた"沈黙シリーズ"を見て、「最初のはおもしろかったけど、あとの"続編"はそのぜんぜんおもしろくなかった」と言っていました。
それを聞いて、映画ファンが1人無くなりそうな気がしたので、"沈黙シリーズ"について、本当の"続編"ではないのだという話をしたことがあります。

僕の友人のように、せっかく興味をもったのに間違った情報(あえて"間違った"と言ってしまいたいです)のために、興味が育っていかなくなる人がいると残念です。

インターネットの片隅ですが、それでも何人かの人の目にはふれるかと思うので、分かり切っていてくどい話題だと自分でも感じてはいても、ここでも説明しておきたいと思ってしまいました。

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