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認知の仕方の制御って…

認知の仕方を制御する具体的なノウハウ・スキルって実在するのかしら?

凹んでいるときはわかりませんが、少し立ち直ってくると、凹んでいたのはちょっとした事に対してだったと思い始めることが多いです。さして凹むほどのことではないと。

それに、日々の暮らしのなかで幸せを感じることはたくさんあります。

あがったり落ちたり。嬉しい安定した気分が、何故にいつまでも続かないのかと考えてしまいます。人間とはそういうものだという片づけ方もあるのでしょうが…

世の中には、本当に大変な思いをしている人は大勢おられます。相対してみれば、僕などはずいぶんと幸せな生活をおくっているのだろうと思います。
逆に、周りが見れば本当に幸せなのだろうなとうらやんでしまうような人でも、本人にしてみれば不安で苦しくて仕方がない毎日をおくっているということだってあるでしょう。

結局のところ、人間が安定した気分でいられるかどうかは、本人の認知の仕方によると思います。

以前、母に「大金だなーって感じる金額っていくらぐらい?」と尋ねてみたことがあります。母は「1万円」と言っていました。僕にしてみれば、1万円は確かにけっこうな額ではありますが、大金と感じる金額ではありません。僕の中では、大金と聞いてうかぶのは100万円ぐらいかな。
ということは、母が1万円をもっていれば、「今日は大金をもっているぞ」と感じることができるといえます。僕なら財布の中の金額は1万円という状態なら、「少々心許ない」と感じます。

コップのなかにある水の話ですね。「これだけある」と感じるか「これだけしかない」と感じるか。

あのお話も本人の認知の仕方を言っているのだと思いますが、その話を聞いたからといって僕の認知は変わりません。言おうとしていることはわかるけど、で何? どうしろっていうわけだ? という感じるのが正直なところ。

自分で自分の認知を変えるやり方を会得しなければ、対象に対する感じ方は何も変わりません。認知の仕方が原因で苦しんでいる人に、より必要なのは例え話ではなく、認知の仕方を制御する具体的なノウハウ・スキルだと思います。
(例え話が全く無意味だということではありません。)

それもそのときは切り抜けられるといった対症療法ではなくて、本人の認知の仕方を本当に変えられる根本的な解決策が必要だと思います。
僕はどうあっても認知の仕方を変えたいと苦しんでいるわけではありませんが、認知の仕方を制御する体系立てられた具体的なノウハウ・スキルがあれば習得しておきたいとは思います。

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