幸せにする? ほんとか?
テレビドラマはあまり見ないのですが、実は“最終回”だけは結構見ています。
なぜ最終回だけかという深い理由はないのですが、いつも見なくてもいいけど、一応最後はどうだったか知っておけば、周囲の話題には付いていけるだろうといった感じです。
本日9月14日は、フジテレビの火曜日22時から放映していた「君が想い出になる前に」の最終回でした。
番組の中で、女優の加藤あいさんが演じる『富田ちひろ』が言った言葉の「幸せにできるかどうかとかいうのじゃなく、いっしょにいたいかどうかが大事だと思う」というセリフにはかなり共感。
男性が女性に向かって「君を幸せにする」と言うのが、僕は昔からどうも納得いきません。人ひとりを自分が幸せにするぞと断言してしまうような人は、何か勘違いしているのではないかと思うんです。
「幸せにする」なんて、そんなこと一体何の根拠があって言い切れるのでしょうか?
もし僕に娘がいて、父親である僕のところに男性が挨拶にきて、「娘さんをきっと幸せにします」なんて言おうものなら、ただじゃおきません。
「君がいれば私の娘を幸せにできると言うなら、私の娘の存在は何なのだ?」って突っ込んでやります。
そもそも他者に向かって「君を幸せにする」と言うためには、互いの間で「幸せとは何か」という定義が共有されていなければなりません。
そうでなければ、互いに「幸せになる」という状態について、違うことを考えているかもしれないからです。
で、冒頭のセリフに関係してきます。
「君といっしょにいたいんだ」とか「ずっといっしょにいて欲しい」とか言う方がずっと自然な感じが僕にはします。
“僕はそう思っているのだけど、できるものなら、君も同意してくれると嬉しいのだけれど、どうだろうか”という選択の自由がある感じがするからです。
選択の自由がないなんて考えただけで僕は嫌になります。
自分が嫌なことは他人にもしたくないので、たとえば「俺に付いてこい」なんて僕は間違っても女性に言いたくないです。
僕が女性で男性からそんなことを言われたら、「なんで、付いてこいなんて言われないといけないの? 私はあんたの犬か!? 」と言いたくなります。
もっとも、僕のこんな考え方は、きっぱりと言えないなんて男らしくない。相手にどうするかをゆだねているだけだということもできるでしょうが。
大事なのは、こうした価値観を互いに分かち合えるかどうかなんでしょうね。
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