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みんな仲良くね。

携帯電話機のメモリの内容を見せるように、恋人や奥様・旦那様に要求する男性あるいは女性がいるんですってね。

「やましいことがなかったら見せられるだろう」というのが、そういうときによく使われるセリフのようです。

本当にやましいことをしていて、なんとか言い逃れようとしているバレバレの人に対しては別として、その主張は身勝手で暴力的な意見だと僕は思っています。

DV(Domestic Violence:ドメスティック・バイオレンス)が問題になる昨今ですが、「やましいことがなかったら見せられるだろう」というのは、僕に言わせると言葉の暴力になり得ます。
「見せられないという具体的な理由はないのに、いやだというのは何かあるからだろう。そう疑われたくなければ、気にしないで見せろ」と脅かしているのでしょうから。

特別に脅すつもりはなくて、相手の態度が心配になってメモリを見せて欲しいという人でも結局は同じでしょう。自分の欲求を満たすために、相手に気にしないように求めているわけですし。

何を気にして、何を気にしないかは個々人の内で感じることです。
「やましくなければ、見せられるだろう」というのは、そういう個人の感じ方を、他人が制御しようとする言い方だといえます。

やましいことは何もなくても、いやなものはいやで見せたくない。要するに、気持ちの問題です。

でも、そもそも相手のメモリを見ないと気持ちが落ち着かないなんてことがないのが一番いいでしょうけどね。
この星の全ての恋人とご夫婦に幸多かれ。

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悲しくなる "24"

24時間の内にある事件がめまぐるしく展開していく様を描いて話題になったドラマ"24 Twenty Four"。
「シーズン3」までいってるんですね。

「シーズン1」が流行っていたころ、友人に勧められて見てみました。
最初の方はご多分にもれずという感じでどうなるんだろと引き込まれておもしろかったのですが、最後はとても腹立たしく、厭な悲しい気持ちになってしまいました。
また、あそこまでひっぱった割には、最後の最後で展開が唐突でいきなりで中途半端な感じもしました。
(だいたい、僕は途中で最後の方で何が起きるのか何となくわかってしまったし。)
それ以降、"24 Twenty Four"は、もう二度と見ないという気持ちでいます。

まず、お話としてあんな終わり方にしなくてもいいのにと憤慨ものです。全然救いがありません。
"あの人"はとても苦しんで、大変な思いをしてきたのに…
(DVDでは、結末が異なるパターンが収録されているのがせめても救いです。)

それに、全体的にあの番組には、人間の心の中にある人を信じるという気持に何とも言えないいやな傷を付けるような感覚を覚えます。
それがねらいなのでしょうが、僕には合いませんでした。とても悲しく、辛く、厭な作品だと僕は思っています。

心に変な傷跡が残るような感覚は、その昔「羊たちの沈黙」を見たときにも味わいました。
あの映画も、"24 Twenty Four"も、心を凹ませるいやな影響力があるので、その凹んだ分を元へ戻せるだけの心の力がない人は見ない方がよいという気すらしています。

"24 Twenty Four"を見ている途中で何んだかいやな感じを覚えたら、それは心に凹みが生じている瞬間かもしれません。

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中秋の名月

本日9月28日は中秋の名月。
僕が小学校の頃、うちの実家の方では、家々に飾ってある月見団子を、子供達が夜に盗み食いして回ってもよい風習がありました。

うちの人に見つからずに団子が取れるよう、長いL字型の太めの針金のようなものを持っている子もいました。離れたところに隠れて、その先で団子をひっかけようというものでしたが、僕はその "特殊用具"が使われているのを見た記憶はありません。

その日だけは子供達は少々夜更かしが許されます。
僕らは片手に懐中電灯、もう片方には戦利品の団子を入れるビニール袋をにぎって、あっちの家から今度はこっちの家へと数人ずつのグループを組んで駆け回っていました。
途中、途中で道ばたに集まっては、どこそこの家は団子が取りやすいとか、あそこの家は2階に置いてあるから無理だとか情報交換をしてから再び各方面へ散っていったものです。

家によっては、子供達が来るのを待ってくれているおばあさんがいたりして、団子だけでなく、お茶を出してくれたり、他にお菓子もくれたり大事にしてもらった記憶があります。(そのおばあちゃんは、もうずいぶん前にお亡くなりなってしまったけど)

自宅を出るときには、母親から「全部取ってきたらあかんで」って注意を受けていましたから、取りすぎないようにすることも忘れませんでした。たくさん取りすぎたと感じたときなどは、少し団子を元に戻したりして。

おやじの昔話だと思うでしょうけど、かつてはそうやって生活の中で気の使いようを学ぶことができる半自動的なシステムが存在していたように思います。

小学校のころは自分の行動範囲に「信号機」が存在しなかったような田舎のことですから、そのころすでに過疎化の動きは始まっていました。僕らのときの小学校の卒業生は11人でしたから。
当時はその人数をもう下回ることはないだろうと大人の人達は言っていましたが、その後僕の妹たちが同じ小学校を卒業したちょっと後には、新入生が9人という事態が起きていました。

今はどうなっているんだろう?
今ではたぶん、夜陰に紛れる忍者のようにあの道を走り抜けていく子供達はもうほとんどいないと思います。
僕らが走り回った道のいくつかはまだ残っていますが、ある道は潰され無くなり、広い国道になりました。残っている道も含めて、当時と決定的に違っているのはすべての道がアスファルトになったことです。

唯一変わらないのは、その夜、空に浮かんでいた月だけですとかってかっこよく結ぼうと思っていたのですが、よく考えるとその月の表面にもアポロが着陸したりして、僕らが見ていた月とは厳密に言えば変わってしまっています。

変わらないものなんてないんだなぁと、しみじみと思ったりする…
うちの方では夕方から雨のようです。今夜は月を見ることはできないかもしれません。

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「にっぽん」と呼びたい

この国の呼び名は、国内でも「にっぽん」と「にほん」という二通りの呼び名が存在します。
自国の名を自国の言語で呼ぶとき、複数の呼び名が存在する国が世界にどのくらいあるのか知らないのですが、けっこう珍しいのではないかなぁ?

個人的には「にっぽん」という言い方が好きなのですが、前後に付く言葉によっては「にほん」と発音した方がごろがよい感じがするときがあるので困ったものです。

以前、海外旅行をしたときにベルギーの人と知り合いになりました。
最初、彼にどこから来たのかを尋ねたとき、彼は僕らの耳では "ベージャン" としか聞こえない言い方をしましたが、それがどこなのか僕らにはすぐにわかりませんでした。

どこだろう?と思って何度かつぶやいているうちに、"ベージャン→ベルジャン→ベルギー"というふうに思い至りました。
「あぁ、ベルギーか!」と僕がようやくわかったという感じで言うと、彼はにたりと笑って "yeah, 「ベルギー」" と言いました。それも、 「ギー」の部分を強調して、唇を左右にひっぱり歯をむき出してそう言ったのです。

つまり、彼は日本人が自分たちの国を日本語で言い表すときにはなんと言うか知っていて、僕らが迷っているのをおもしろがって見ていたというのが真相でした。
"ベルギー"という呼び名は日本語での呼び名であって、彼らはそうは呼ばないんだとあらためて感じることができ、僕には興味深い体験でした。

ひるがえって、たとえば日本人が英語を使うとき、自分の国を "Japan" と呼ぶことがほとんどではないでしょうか。
でも、それは英語という言語での表現であって、日本語では自分の国を "Japan" と呼んだりはしません。

「にっぽん」とか「にほん」という言い方を知らない人にそう言うと説明しないといけなくなって面倒くさいので、 "Japan" と言ってしまった方が楽でよいという気持ちはあるかと思います。

外国の方と話すと、彼らが自分の出身国に誇りや愛情をもっていると感じられるときがあります。僕はそんな人をうらやましく感じます。
理由が自分でもよくわからないのですが、日本人である僕は日本という国にいまひとつ強い誇りや愛情をもつことができないでいるからです。
そこへ加えて、二通りの呼び方があるというのも困ったものです。

しっかりとした誇りと愛情をもって、強い気持ちで自分の国の呼び名は自分の国の言語で言えるようになるにはどうすればよいのか。それがわかって実行できるには、まだまだ時間がかかるような気がしています。

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多分…ヴァンヘルシング

アクセス解析のなかの「検索フレーズランキング」に "吸血鬼映画  ヴァンヘイレン" というフレーズがありました。

どなたかが映画情報を探しておられたのでしょうが、それは多分「ヴァンヘルシング」だと思います。
("吸血鬼映画  ヴァンヘイレン" の組み合わせだと、今日時点ではうちのブログが頭に来てしまうのは驚きましたが。)

当たり前のことですが、便利な検索エンジンも、探している言葉が違っていたら本当に求めているものが見つかりません。

僕は前に、雑誌で見かけたイタリアの靴メーカーで「ア・テストーニ」という会社の靴が格好いいなと思い、ショップ情報を探したのですが、そのときは、「ア・トステーニ」だと思い込んでいて、いくら検索エンジンで探しても該当するページが見つかりませんって言われて困惑した経験があります。

どこかの誰かさんへ。
うちのブログで必要な情報は手に入りましたか? ゴミだったらごめんね。
(でも可能性として、ヴァンヘイレンが音楽を担当した吸血鬼映画とかがあるのかも…)

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食事の誘いと恋心

久しぶりに女性と2人きりの食事をしました。ちょっとした知り合いで、それなりにいつもお世話になっているし、誕生日がついこの間だったと聞いて、じゃぁってことで食事にお誘いしました。

2X歳になったばかりとのこと。久しぶりの女性との食事が20代の女性と一緒とは思ってもみなかったけど、いやー、お若い。ところどころいろんな意味で付いていけないところがあったりで。

話してみると、読書や音楽などで趣味が似ている部分があって、その部分ではけっこう話もあって楽しかった。
(と、僕としては思っているのだけれど、彼女の方はどうかな?)

しかし、なんというか話のノリと言いますか、テンポといいますか、リズム感といいますか、やっぱりちょっとズレるなと。僕の方がうまく付いていけていないという感覚。
もうすこし落ち着いた食事をしたかったなと感じ、それだけ年をとったのだなーと自分なりに納得。

実はその彼女、もうすぐ花嫁になるとのこと。

日頃の感謝で単に食事に誘っただけで、変な下心を持ってなくてよかったよーと内心でほっと安心。
でも、そういう会話を出したということは、ちょっと警戒されたということかとすぐ気が付く。たぶん、"私はもうすぐ結婚する身だから、そこんとこヨロシクねバリア"を、一応はっておいたんだろうな。

婚約者がいる女性が別の男性と食事をする場合の大人のふるまいとしては、さらっとしていて正解だと思う。
これが「私、婚約者がいますから、変な気は起こさないでくださいね」ってまじめな顔で言われたら露骨すぎていやだ。こっちが変な気を起こすはずだという前提で考えているということだから。
普通はそんな言い方をする人はいないだろうけど。

個人的には、婚約者がいたら別の女性と2人きりで食事には行きたくないなー。
僕が女性だとしても自分に婚約者がいたら、適当なことを理由にいって断ってしまうと思う。

そういえば、以前テレビ番組の「恋のから騒ぎ」で、さんまさんが「男から食事に誘われて、それをOKしたら、おつき合いするという意味だろう」といったようなことをしゃべっていた。食事=おつき合いとは思わないけど、少しだけ同意できる。

僕らが若い頃は、恋心を抱いていておつき合いしたいなと思っている女性を食事に誘ったものです。それも、夕食。
単なる友達とか、知り合いとかいう子は、2人きりになっても昼メシだったりとか、みんなで繰り出すってパターンだった。

だから、男性から夜の食事に誘うということは、好きだというちゃんとした告白の前段階としてのちょっとした意思表示だったと思う。
でもって、多少はいいかもねって思いが女性の方にもなければ食事の誘いはOKしないっていう暗黙の了解が、僕の若い頃にはあったような…。
逆に言うと、食事を誘った女性にOKをもらえたら、女性側としてもこっちのことを少しは知りたいという関心をもってくれてはいるというぐらいの脈はあるということだったと思う。

そこのところが世代の違いなんだろうな。

前にも書いたけど、その辺の相手の想いを実は感じ取っていて、ある程度の後々の展開を読みとることができていながら、食事をおごってもらえるというだけでOKを出して、いざ告白してみたら、食事しただけで勘違いしないでっていう言い方をする女性は、僕としては卑怯だと思う。

断るにしても、単純に断って欲しい。「食事しただけで勘違いしないで」っていうセリフは言い過ぎでしょう。
(もっともそれぐらいに言っておかないとわかんない男性もいることは確か。)

ひどい人になると、私は食事をごちそうになったけど、そっちは私といっしょに過ごしていい思いができたのだから、五分五分だろうという意味の言い方をする人もいます。
(男性にも、女性に対してこういう言い方をする人はいるから、女性の皆さんも気を付けてね。)

食事の誘いにのってくれるかどうかで、どきどきしていた時代の方が僕としてはよいなぁと思うのですが…いかがなものでしょうか?

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どれもJR

JR西日本で発売しているICカード乗車券「ICOCA」と JR東日本発売が発売しているICカード乗車券「Suica」は、今年の8月から相互利用が始まったんですってね。

僕はどちらのカードも持っていませんが、そもそも相互利用ができなかったことにびっくりです。
交通機関を利用するユーザーとしての僕なんか、意識のなかではJR西日本だろうが、JR東日本だろうが、JR東海だろうが関係ありません。

僕にとっては「どれもみなJR」です。そう感じている人は多いよね?(違うかな)

組織ごとの独立採算という形態は理解はできますが、ユーザーにとって不便なことは止めて欲しいです。
それぞれの組織でしか提供しないサービスがあってもいいでしょうけど、ユーザーの利便性は犠牲にしないで欲しいです。

不便ということでは、僕がどうも気になっているのが遠距離切符の販売方法です。
うちに一番近い某JR駅で帰省や出張用の切符を買うと、一番最後に支払額を電卓で足し算するんです。

あれはすべてのJR駅でそうなのか?
コンピュータで発券しているんだろ? なぜに最後の最後に電卓なんだ?

行列ができているときなんかいらいらします。

義理の弟が同業に勤めているので、ある日、そのことを尋ねてみました。
義弟がいうに「お客様に金額を間違って請求しないように、最後に電卓で確認する」んだそうです。

だから! そこまではコンピュータで管理して発券しているんだからさぁ。なんで最後が電卓なんだよぅ!

…って、つっこみたくなったのですが、彼の妻は僕の妹ですし、家族の一員ですからね。あまりきついことも言えなかったです。

全くあの電卓での最後の計算はどうにかならないのかな。
(でも…ひょっとしてうちのあたりだけだったりして…)

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話を聞くのは難しい。

人の話を聞くことは難しいです。

仕事や人間関係の悩みを知り合いに相談することがあります。そんなとき、相談を聞いてもらった人によっては、こちらがよけいに落ち込んだり、わだかまったりすることがあります。
また、自分が相談される側になった場合、相手がよけいにストレスを感じる受け答えをしてしまうときがあります。

誰かに相談やちょっとした話をもちかけられて、こうしたらいいとか、あなたも悪いところがあるんじゃないかとか、すぐに指摘やアドバイスをしてしまう傾向がないか、自分を振り返ってみる必要があると僕は思っています。

そうした指摘や指示が大正解で、その一言が相談者の突破口になるということもあります。

でも、自分が言おうとするアドバイスや指摘をちょっと我慢して、相手の話をもう少し聞いてみるだけにするという方がいい場合もあるだろうと思っています。
というのは、話をしている人は、聞いてくれている側から何らかのアドバイスや指示をされると、「こっちの話を聞いてくれない」という印象をもつことがあるという経験を僕がしたからです。

10年近く前のことですが、大失恋したときのつらさを聞いてもらった人が、「ミッ君(仮名)もどこが悪かったか反省しないといけないよね」といって、僕に反省を促すようなアドバイスをしてくれたことがありました。
しかし、それは素直に聞けなかったです。
「言っていることはわかるし、ありがたいという気持ちもあるけど、何も今言わなくてもいいでしょうが」というのが、そのときの僕の正直な感想でした。

話をしている最中に他者から何かの判断を下されたり、指示を与えられたりといったことをされると、人は話を聞いてもらえないという感情をもつことがあります。
もし、この人に話を聞いてもらうとなんだか落ち着くと感じられる人がいたら、そういう人は、たいていの場合、こちらの話をひたすら聞いてくれる人のようです。

知っていることと、できるということは違います。
難しいもので、こうして思っていても、いざ自分が相談をされる側になると、やっぱり相手にアドバイスや指示・指摘をしてしまうことがあります。

あのときの心理状態はいったい何なんだろう? と考えることがあります。
話を聞いていると、この人には見えていないかもと感じる部分にこちらが気づくことがあります。そうすると、それを伝えたくなります。それがその人のためになるだろうと思えるから。あるいは、それを指摘しないとその人のためにならないだろうと思えるから。

でも、それが危険なようです。
話している人は、そんな指摘をして欲しくて話しているのではなく、話を聞いて欲しくて話している場合がほとんどだからです。
そういう状態では、どんな優れた指摘もアドバイスも、相手の心には届きません。

自分も含めて、相手に何か言いたくなるという人は男性に多いようです。
彼女や奥様から「そんなこと聞きたいのじゃないの」とか言われる男性はけっこういるのではないかなと感じています。
逆に、男性から「そんなこと聞きたいのじゃない」って言われる女性は少ないような気がしています。
(女性が人の話を聞くときの聞き方に、他者の話をうまく聞くヒントがあるのかもしれません…)

カウンセラーと呼ばれる人たちのように、人の話を聞くことを職業にしている人がいます。職業にできるということは、人の話を聞く行為は、訓練でうまくなっていけるものなのでしょう。
(コミュニケーションをするときの会話のやりとりの研修とかもありますしね。積極的傾聴とかね。)

結局のところ、非常に難しいことでしょうが、誰かから話を聞いて欲しいと持ちかけられたら、まずはいっさいのアドバイスや指摘は止めて、その人が話すことを聞き、時にはより話を理解するための質問をして、ひたすら相手の話を聞いて理解しようとすることに努力を集中することが必要になるのかもしれません。

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本気かも…ヴァン・ヘルシング

「ヴァン・ヘルシング」の感想で、ヒュー・ジャックマンに対する設定は、「X-メン」とかけたシャレなのか? ということを書きましたが、「ヴァン・ヘルシング」の監督は本気でしゃれっ気を盛り込んだのでないかと今は思っています。

でも、悪い意味ではなく、たぶん楽屋うけというか、わかる人が見たらくすっとしてしまうというか、そういうのをわざとねらっているのではないかと。

友人に「アンダーワールド」という映画を見せてもらいました。
この映画はちょっと前に公開されていましたから、見た人もいると思いますが、ストーリーの軸は、"吸血鬼一族(ヴァンパイア)"と"狼人間一族(ライカン)"との数百年に渡る争いからなっています。
この「アンダーワールド」で、"狼人間一族と戦う吸血鬼一族の戦士「セリーン」"役を演じていたのは、ケイト・ベッキンセールという女優さんです。

そして、そのケイト・ベッキンセールが「ヴァン・ヘルシング」で演じているのが、"ドラキュラと闘い続けてきたヴァレリアス一族の王女「アナ」"です。

主役のヒュー・ジャックマンとケイト・ベッキンセールが、それぞれ出演していた「X-メン」と「アンダーワールド」。
この2つの映画を見ると、「ヴァン・ヘルシング」にしゃれっ気を感じることができて、より面白いかもしれません。
(嫌う人は嫌うでしょうけどね)

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大阪から来たばかりのNへ

Nよ。何度もいうようだけど、「大阪だからどうだ・東京だからどうだ」といった類の話題には、君が思っているほどこっちの人々は関心がない。

少なくとも君がいっしょに仕事をしている人たちはそうだ。

君に何度か忠告したけど、まだちゃんとわかってないようだよね。
「大阪だからどうだ・東京だからどうだ」といった類の話題は、今の君は止めた方が無難だ。

学生時代も含めて大阪に10年いて、転職してきてからもすでに同じほどの年月を過ごし、君よりも彼らとの時間が長い僕が言うんだから、この忠告は聞いておいて損はしないぞ。

君はその類の話題をふって周りの人とコミュニケーションをよく取れたことについて成功体験を積みすぎているんだ。
だから、なかなか受けないなとか、○○さんノリが悪いですよとか思って、君がそういう類の話題をすればするほど周りはひくから止めろ。

だいたい、ひかれていることをいいかげん感じろ。
君のノリが悪いのではない。それは安心しろ。単に、君の周りがそんな話に関心が低いだけだ。

それに、いくら関心が薄いとはいえ、日頃自分たちが接している文化について、高いの、まずいの、遅いのと言われて嬉しいはずがないだろう。
そもそも、「大阪だったらこんな味では商売にならない」とか「これが大阪だったら○○円なんてしない」とか、新しい環境にやってきたばかりの人間がそんなことを言うのは失礼だろう。

ビジネスの関係だから、君とは口をきかないとかそんなことは起きないだろうけど、早く止めないと最後には人として嫌われるぞ。
どうしてもその話題を避けられないのなら、僕にだけするんだ。

Nよ。僕は君といい仲間でいたい。だから、素直に僕の言うことをきいてくれることを祈っている。

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ソナタはだれじゃ?

昨晩、テレビで「冬のソナタ」をベースに韓国俳優ブームの特集をやってました。

ちょっと興味をもって見ていたのですが、僕は「冬のソナタ」を全く見てないので、俳優と役柄の名前が頭の中で入り交じってしまいました。

番組では、「冬のソナタ」の印象的なシーンを振り返りながら、撮影場所を尋ねるツアーの様子を追っていましたが、役者と役柄の名前がごっちゃになってしまった僕には、今誰の何について話しているのかよくわからなかったです。

僕が顔をみてはっきりと識別できていたのは「ペ・ヨンジュン」だけです。女優さんなんか、みんな同じような雰囲気で、同じ顔に見えてしまいます。
今日の昼休みに、パートの方に「冬のソナタ」の話を聞いて、「ペ・ヨンジュンの恋人の名前って、チェ・ジウなの?」なんて、微妙に返事に困る質問をしてしまいました。(説明をしてもらってわかったけどね)

今度、「ホテリア」という番組が始まるそうですが、この番組は僕の実家の方ではすでに放映されていて、夏休みに帰省すると妹が一生懸命見ていました。
それを後ろでぼーっと見ていた僕は「冬のソナタ」と同じキャストだとずっと思っていました。

でも、違うんですってね。

前に、「ブラックホークダウン」という映画を見に行ったときに、出演者がみんな「ユアン・マクレガー」に見えてしまったことを思い出した。

それに、「冬のソナタ」をシャマラン監督が撮ったら、おもしろいかも…なんてわけのわからないことを考えてしまいました。
今日は早く寝た方がいいみたいです。

■まだ知らない人のために(…あんまりいないと思うけど)
チェ・ジウがやっていた役名は、「チョン・ユジン」です。
ぺ・ヨンジュンは、「カン・ジュンサン」と「イ・ミニョン」という役の一人二役をやってたそうです。

でもって、「チョン・ユジン」の亡くなった恋人が「カン・ジュンサン」で、その恋人とそっくりな人物という設定で出てくるのが「イ・ミニョン」。

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"よ"って言うのね

うちの社長のお母さんが、社長の娘さんたちと会話をしていてそう言ったらしい。うちの社長の奥様から聞いた話。

細かいところは忘れてしまったけど、おばあちゃん(社長のお母さん)から何かを問われたお孫さん達(社長の娘さんたち)が、「違うよ」って答えたそうです。
それを受けて、おばあちゃんが「"よ"って言うのね。」とつぶやいたのだとか。

奥様が言うに、社長のお母さんとしては「違うわよ」って、"わ"を付けて言って欲しかったんだそうです。
年頃の女性が使う言葉として「違うよ」っていうのは、避けた方がいい言葉の使い方だと感じる世代なのでしょうね。

僕は、女性が「違うよ」という言葉に違和感は感じませんが、女性が言うのは避けて欲しいなと個人的に感じるのは、飲食をしたしたときに言う「うまい」という言葉です。

女性には絶対に止めて欲しいというわけでもないですが、「うまい」という言葉を、女性が使っているのを見ると違和感を感じます。

そこは「おいしい」と言って欲しいです。
「うまい」という言葉は、僕のなかでは、特に性別に関係なくいつでもどこでも安心して使える言葉ではないように感じます。周囲の男性に対しても、状況によっては「ここでは、"おいしい"と言って欲しいなぁ」と思うときがあるぐらいです。

時代によって男性や女性が使っても違和感がない言葉は変わっているのだと思います。個人の感じ方としても、女性なら・男性ならこの言葉は使わないで欲しいというものもあると思います。

そんなとき大事になってくるのは、相手との話し合いでしょう。
こちらが気になることを相手がしたときに、不快になったり残念に感じたりするだけで終わるのではなく、それを気軽に話し合える関係があれば、互いにもっと幸せな気分になれると思います。

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愛してくれる誰かへのお願い

僕は、クモが大嫌い。というより、はっきりいって怖い。
前は「結婚するならクモをとってくれる女性にしよう」と本気で思っていた。
いまはだいぶ平気になって、小さいのなら手で追い払うことができるようになったけど。20代のころまでは、大きさ・種類に関係なく、どんなクモでも怖かった。

でも、田舎の家とか便所とかによく出る灰色というかまだらっぽくて、足が長いでかいヤツはいまだにダメ。こう書いているだけでも身体がぞくぞくする。あれは本当に勘弁して欲しい。

先週、3日間続けてアイツが事務所に出た。3日連続なんて、僕は何かに呪われてるんじゃないかと思ったよ。

なぜか世間では、クモ嫌いは市民権を得られない。
「クモぐらいでがたがた騒ぐな」っていう周囲からの視線を感じる。これが、ゴキブリだったら皆が協力して何とかしようとしてくれるだろう。
あるいは、単に「嫌い」というなら「犬が嫌い。ほえられると怖い」とかいう話は、共感してくれる人だっている。

でも、どういうわけかクモは、誰もとってくれないし、怖いということが理解してもらえなかったりする。
挙げ句の果てには、「クモは虫をとってくれる益虫だよ」とか「朝グモは縁起がいいっていうじゃん」とか、お説教する奴が出てくる。
"奴"なんて、少々柄が悪い言葉を使ったけど、そんな言葉を使いたくなるぐらい、こっちとしては腹立たしいわけだ。そんなお説教をしてくれる間があったら、お願いだからヤツを取ってくれ。

僕は、ゴキブリも犬も平気だ。
は虫類だって、両生類だって平気だ。
蛇だって、手でつかんで投げ捨てることができる。

でも、クモはだめだ。
映画「スパイダーマン」だって、最初に主人公がクモに噛まれるシーンでは、気持ちが悪くて画面を見ながら、ウワッて言ってしまった。

だから、いつか出会うであろう僕を愛してくれる女性にお願いしたい。
ゴキブリでもその他もろもろの虫でも、トカゲでもカエルでも、犬でも、ヘビだって僕が何とかする。
あるいは、僕には好き嫌いは何もない。もし、君が食べられないものがあれば、僕が全部食べよう。
たとえ、僕が食べられないと感じたものだったとしても、何とかがんばって食べるようにするよ。

だから、だから、クモに関してだけは僕を助けて欲しい。

…って、こんな男性は嫌われますか?

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華麗なるHR

HRは「ハードロック」のことね。最近では言わないよなー。死語だね。Heavy Metalって言葉の方がまだ生きてるかな?
でも、僕のなかではHeavy Metalとハードロックってちょっと違うんだよなー。

で、華麗なるHRを聞きたい気分が最近ずっと続いている。
この"華麗なる"ってところがミソね。ビジュアル的にもスマートでかっこいいという意味。しかも、音はメロディアスでね。("メロディアス"ってのもいいかげん死語だな)

僕の感覚でハードロックミュージシャンの受け入れがたいビジュアルっていうのは「太め、ハゲ(剃っていてもだめね)、ヒゲ、やたらと多いタトゥー」。
でも、オジー・オズボーンは別。あの人は、「ランディ・ローズ」を世に出したというだけで別格ね。
で、一番好きな人は実は、ロニー・ジェイムズ・ディオだったりする僕。背も低いし、お年のせいか髪も薄くなってきてるけど、力強いボーカルとなんとも言えない僕好みのメロディーラインがあればそれでOK。

お年を召すのは仕方ないとしても、やっぱりハードロックミュージシャンは、それなりに美しく・スマートでないとね。
ハードロックとは言えないけれど、ミック・ジャガーやキース・リチャード、デビッド・ボーイなんていつまでもスマートで格好いいじゃないか。

エディー・ヴァンヘイレンなんて昔は細身でかっこよかったんだから。(世代が出るなー)
頬からあごにかけての線もすっと細くて、今で言えば髪の長かったころのキムタク風だったと僕は思ってる。

なぜ見た目のかっこよさを維持しようとしなくなっちゃうのかねー? なぜか海外ロックミュージシャンのみなさんの多くは、ヒットして売れ出すとどんどん太めになっていく。
衣装にしたって、年相応になっていくのはそれでいいけど、それなりの収入があるんだから、もうちょっと見栄えのいい服を着て、髪もちゃんとセットしたりして、こぎれいな格好しようよと言いたくなる人がいるんだよな。

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ヴァン・ヘルシング、見ました。

話題の映画「ヴァン・ヘルシング」。
かなり面白かったです。スピード感もあったし、スリリングだし。SFXも楽しめた。

お話はどこかで見たような内容をくっつけた印象がなくもなかったけど。

いまいちよくわからなかったのは、「ドラキュラの秘密」ってやつ。
結局何によって滅ぼすことができるということだったのだろう? 決着から想像すると、"アレ"でないと殺せないということだったのだろうな…

そんな細かいことを気にして見る映画でもないか。

続編への香りもたどよわせつつの「ヴァン・ヘルシング」
("アレ"が海に"ああした"ってことは、続編をねらってるよね?)。

細かいことはいろいろあるけど、全部締めたら、僕には正解の映画でした。

ところで、主演のヒュー・ジャックマンって「X-メン」でウルヴァリン役をしているけど、"あの展開"は、ひょっとしてひっかけているつもりなのかしら?

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ヴィレッジ、見ました。

そういう事だったのね。
感想としては、映画館の大きな画面で無理して見なくていいと思う。レンタルで出てからでも十分かと。
これから、ヴァン・ヘルシングをはしご。

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ラテスタウト

麒麟麦酒のラテスタウトは、チルドビールという種類のもの。
濾過しないで酵母を生きたままびん詰めし、酵母が生きているので工場から店頭まで全て冷蔵配送。品質期限が60日というビール。

ラテスタウトは、ロースト麦芽の香ばしさが特徴。牛乳に含まれている乳糖を加えているので、かすかな甘みも感じられてけっこう美味しい。

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こんなOLは実在する。

都内で仕事をした日に昼食をとったお店でのこと。

僕は1人で注文したものを待ってました。そこは、小さなお店だったので、隣のテーブルとの間が狭く、ほとんど相席のような状態でした。
しばらくすると、2人のOLさんがやってきて、僕が座っていた隣のテーブルに案内されました。

テーブルも隣だし、昼休みの開放感もあってか少々声も大きくて、彼女たちがしていた話が聞こえてしまいました。

どうやら2人は職場での先輩と後輩で、職場のIとHという男性がその先輩の方に気があるようで…

後輩:で、Iにマジ告られたらどうすんすか?
先輩:えー、無視ぃー
後輩:でも、会社で会うじゃないっすか。
先輩:それでも無視ぃー。だってぇ、I…友達じゃないもん。
後輩:そうすっよね。I、友達じゃないっすよねー。H、どうすんすか?
先輩:Hはー…おいしいお店とか連れてってくれるしぃー、友達かな?
後輩:そうすっよね。H、友達っすよねー…

いやー、こういうOLが実在するんですね。嘘みたいですけど、本当にあった話しですよ。

先輩の割り切った考え方といい、彼女たちのバカっぽいしゃべり方といい、2人の会話をそのままお伝えできないのが残念です。
僕は、お笑い番組のコントでも見ているようで、隣で笑い出すのを我慢するのに少々努力が必要でした。

IあるいはHのイニシャルをもっていて、都内にお勤めで、いま会社で気になっている女性がいる男性へ。
ちょっと立ち止まって、彼女のことをもう一度よく見つめ直すことを僕としてはお勧めします。

男性諸君、心をよせる相手はよく吟味しよう。
女性の皆さん、あまり公の場で本音を出し過ぎないようにね。

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アーモンドトリュフ

ブルボンの新製品「クリオス/アーモンドトリュフ」。
砕いたアーモンドにからめられたミルクチョコ。アーモンドの食感が楽しい。

いいなと思うのは、袋をあけると中の1つひとつのチョコもさらに袋に入っていること。つまり、「個装」ってやつね。

この「個装」ってのが、皆で食べるには欠かせないポイント。
外袋を開けたら、さっとお盆や皿に広げることができるし、余ったらそのまま片づけることもできる。

製品が消費される「シーン」を想定して作られている製品は、好感がもてます。

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枕にはマットを

知り合いが、テンピュールの枕を買った。けれど、じきに使うのを止めたそうです。

彼いわく、「寝心地が良すぎてというか、しっくりきすぎて、寝返りをうたなくなってそのままの姿勢で寝ることが多くなるので、腰が痛くなった」んだと。

なんじゃそりゃ?

で、僕は一言アドバイスをしてあげました。
「そんなときは、マットレスもテンピュールにするんだ。使い方が間違ってたんだよ。」って。

枕を使い始めると、マットレスも必要になってくるのか? …恐るべし、テンピュール。

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ずるい男や女にご用心

この間、久しぶりに続けて見ているテレビ番組「バツ彼」についての記事を書きました。
TBSで木曜夜10時から放映していたのですが、昨日(9月16日)が最終回。

僕は、真矢みきさんが演じていた“川口夏樹”のファンだったのですが、最終回では彼女の身辺に大きな変化は訪れませんでした。

第8回のお話で、彼女は人生の一大決心をしてましたから、あの後はそんなに変化に富んだ話にはできないよなと1人で納得。
それにしても、彼女にも人生のパートナーが現れるかもしれないといった期待感ぐらいは視聴者として感じたかったです。

男性でも女性でも、異性として気になる人ができたら、自分の男女関係を整理しておくのは常識の範囲だと僕は思っています。

異性として気になっている人がいても、他の気の合う異性と食事をしたりすることは普通にあると思います。
それはそれでよいことですし、人間関係を狭める必要はないでしょう。

でも、本当に自分が気になっている人といつ恋人同士になってもいいように、他の異性との関係は、後々ややこしいことが起きないようなものにしておく方がいいでしょう。
たとえ、気になっている人とは、まだこれからどうなるかわからない段階であっても。
それは相手にわざわざ言わないけれど、自分の中でのけじめであり誠意の範囲だと僕は思います。

自分とあの人は恋人同士だと思っていた相手に、自分ではない異性と親密に過ごしている時間があったと知ったときは、本当に苦しくつらいものです。

そういえば、彼女あるいは奥様がいる男が、浮気相手の女性に「あいつとは別れるから、俺を信じてくれ」と言う話はドラマでも現実でも聞いたことはありますが、彼あるいは旦那さんがいる女性が浮気相手の男性に同じ事を言う話は聞いたことがありません。

また、そんな風に言われて、結果的にどうあれそのときは信じるのも女性が多いようです。
男性が女性から「あの男とは必ず別れるから…」といった言葉を言われて、信じて待ったという話も僕は聞いたことがありません。
どこかには実在する話だと思いますが…

ずるい男や女には、皆さんくれぐれもご用心を。

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内山君?

缶コーヒーのGEORGIAのこのCMで、駅員に扮している佐藤江梨子さん。
ラッシュ時に乗客を後から押し込んだ勢いで一緒に電車に乗ってしまったときの彼女の顔が、僕には内山君(内山信二)に見えるのですが…ご賛同いただける方はおられますでしょうか。

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幸せにする? ほんとか?

テレビドラマはあまり見ないのですが、実は“最終回”だけは結構見ています。
なぜ最終回だけかという深い理由はないのですが、いつも見なくてもいいけど、一応最後はどうだったか知っておけば、周囲の話題には付いていけるだろうといった感じです。

本日9月14日は、フジテレビの火曜日22時から放映していた「君が想い出になる前に」の最終回でした。
番組の中で、女優の加藤あいさんが演じる『富田ちひろ』が言った言葉の「幸せにできるかどうかとかいうのじゃなく、いっしょにいたいかどうかが大事だと思う」というセリフにはかなり共感。

男性が女性に向かって「君を幸せにする」と言うのが、僕は昔からどうも納得いきません。人ひとりを自分が幸せにするぞと断言してしまうような人は、何か勘違いしているのではないかと思うんです。
「幸せにする」なんて、そんなこと一体何の根拠があって言い切れるのでしょうか? 

もし僕に娘がいて、父親である僕のところに男性が挨拶にきて、「娘さんをきっと幸せにします」なんて言おうものなら、ただじゃおきません。
「君がいれば私の娘を幸せにできると言うなら、私の娘の存在は何なのだ?」って突っ込んでやります。

そもそも他者に向かって「君を幸せにする」と言うためには、互いの間で「幸せとは何か」という定義が共有されていなければなりません。
そうでなければ、互いに「幸せになる」という状態について、違うことを考えているかもしれないからです。

で、冒頭のセリフに関係してきます。
「君といっしょにいたいんだ」とか「ずっといっしょにいて欲しい」とか言う方がずっと自然な感じが僕にはします。

“僕はそう思っているのだけど、できるものなら、君も同意してくれると嬉しいのだけれど、どうだろうか”という選択の自由がある感じがするからです。

選択の自由がないなんて考えただけで僕は嫌になります。
自分が嫌なことは他人にもしたくないので、たとえば「俺に付いてこい」なんて僕は間違っても女性に言いたくないです。
僕が女性で男性からそんなことを言われたら、「なんで、付いてこいなんて言われないといけないの? 私はあんたの犬か!? 」と言いたくなります。

もっとも、僕のこんな考え方は、きっぱりと言えないなんて男らしくない。相手にどうするかをゆだねているだけだということもできるでしょうが。

大事なのは、こうした価値観を互いに分かち合えるかどうかなんでしょうね。

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既婚者へのお願い

2004年9月11日のNIKKEIプラス1の1面「何でもランキング」。見出しは「30代女性、結婚相手に望むこと」。結婚相手に望むことに優先順位をつけてベスト10形式で載っていました。
有効回答は男性1033人、女性も同じく1033人。ちょっと厳密な話をすると、インターネットでの公開調査のため、回答したなかには20代の人も交じっています。全部ひっくるめてのベスト10のようです。

結婚を望んでいる独身男性としてはこういう記事はつい目を通してしまいます。

同記事には、「30代男性が結婚相手に望むこと」も載ってました。
1位から4位あたりまでは、多少のずれはあるものの男女ともに同じ項目が並んでいるのが、なぜかちょっとほっとします。

1位になったのは「信頼できる、誠実である」というもの。2位も同じで「価値観や相性が合う」。
3位は女性の方が「自分への愛情が深い」で、男性は「優しい、寛容である」。4位は女性が「優しい、寛容である」を選んでいて、男性は「自分への愛情が深い」。

この辺がネックかもねと思ったのは、男性の6位である「好みの容姿や外見である」という項目。女性の方には、この項目は10位までには入っていません。
男性諸君、はらからよ。容姿や外見というのは女性の皆さんはさほど重要視していないみたいですぞ。ちょっと反省…

意外だったのは、30代女性に関してランク外になった項目としてあげられていたもの。それらは「家事や育児への協力」「両親との同居がない」「仕事への理解」の3つ。

家事や育児という点は、「子供をもつか、もたないか」とも関わってくるので、そちらの方も見てみないと、これが単純に30代女性のなかでは優先順位が低いとは言えないでしょうけど。
「仕事への理解」というのは、結婚する際にはもう当たり前なことで、わざわざ重要視するものとして選ぶ項目ではないのかもしれないと想像しています。
「両親との同居がない」というのがベスト10にも入っていなかったというのは、高齢社会を見据えて、両親との同居もやむなしという考えをもっている人が増えているかもしれません。あくまで推測の域を出ないけれど。

気になったのは、結婚についてのイメージとして悲観論が目立ったという指摘。
「結婚したいと思わない」という人が男女全体で36%になっているとか。いわく「夫がいる友人に会うと、いつも愚痴ばかり」「辛抱と忍耐の連続」などが理由としてあがっていました。

記事の中にも書いてありますが、経験しないとわからないはずの負のイメージがずいぶんと育っているようです。
まだ結婚を体験していないのに、負のイメージをもっている人は要注意かもしれませんよ。
周囲から聞いただけの情報にすぎないのに、いつのまにか自分の考えが影響されているといえますからね。

もっとも男女ともで結婚したいという人は60%、相手の結婚歴は問わないと答えた人は48%いるので、結婚を望んでいる人はそう悲観することもないかもしれません。

そういえば、僕の周りにいるほとんどの既婚者は、結婚についてマイナスのことしか言いません。
いままで、僕の周りで「結婚っていいよ」とか「ミッ君(仮名)も早く結婚した方がいいよ」とかはっきりと言った人は2人だけです。

どうも、独身のころから結婚にあまり夢をもちすぎないようにという親心というか、先輩としてのアドバイスというかそういうつもりで言ってくれているようです。
しかし、アドバイスのつもりなら、結婚とはどういうものかということをマイナスもプラスも含めて体験者として教えてくれないとアドバイスにならないと僕は思うのですが…いかがでしょうか?

僕としては、人生の先輩としての既婚者の方からは、結婚についてプラスもマイナスもちゃんと聞いておきたいという願いをもっています。

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ポッキーデコレ

期間限定の新ポッキー、ポッキーデコレ ショコラ ド キャラメル

プレッツェルを包むコーヒー風味のビターチョコ。さらにその周囲をキャラメルチョコが編み目模様に被っています。

男のくせに甘いものが好きです。
お昼を買いに出たついでに、コンビニで新発売とか期間限定とかいう言葉につられてチョコレートやアイスクリームを買ってしまう…ウ~ン…「オッサン」と呼ばれてもおかしくない年の男が気持ち悪いかもなと自分でも思ってしまうけど、好きなものは仕方がない。

でも、会社の女性陣にも結構受けてました。

うちの社内では、僕が菓子類を買ってきて女性陣と分けて食べているのは、一応ひかれることもなく許されているようです。
ちょっと食べてみたいかもと感じてる製品を、気前の良いオヤジが買ってきては味見させてくれるので重宝されているといっただけだと思うけどね。

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女性だから殴らない?

「男が女を殴るなんて最低」という考え方をする女性は僕の周りにもいます。男性にもそう思っている人は多いのでは? 確認したことはありませんが。

で、僕自身は「女性は殴らない」というルールをもっていません。というか、人を殴ることはよほどのことがない限りしない方がよいでしょう。

しかしそれでも、僕が知っている人生の経験則の1つには、「老若男女を問わず、他者から殴られても仕方がないことをする人が世の中にはいる」というものがあります。

僕は女性を殴ったことが今まで一度だけあります。
小学校のころ喧嘩して、いきおいで相手の女の子を殴ってしまいました。それ以降の人生で、僕は女性を殴ったことはありません。

僕はこれから先も、女性に限らず人を殴ることはしないで生きていきたいと思っています。
でも、性別が女性であるという理由だけで、男性は殴るべきではないという価値基準には疑問を感じます。

殴る加減の調整はあるべきだと思います。
ただただ相手の身体を傷つけ血を流させるために殴るというのは止めた方がよいと思います。人を痛め付けて認められるのは格闘技と戦争だけです。

男性が女性を殴ることは、できるならしない方がよいことでしょうが、状況によっては男性から殴られても仕方がない場合はあるだろうと僕は思っています。

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自動車は綺麗な方がいい。

パートの方を含めても20人いない我が社。そんな小規模の会社だから、社用車も忙しくないときは、自分たちで洗っています。

でも、そんな少人数のなかでも、洗車をなんだかんだいって面倒がる人がいる。
いわく、「曇ってて雨が降りそうだから、今日は止めよう」とか、「ものすごく晴れてて日差しが強いときは洗車は止めた方がいい(車体にかかった水がすぐに干しあがってしまって、水玉の跡が残るんだ)」とか。

曇っているときと、ピーカン晴れのときを省いたら、だったらいつ洗うんだよ!! 
さっさと洗っちゃえばいいじゃん! 
1人で全部やれなんて言ってないでしょうが! 僕もやるっていってるんだよォ!

閑話休題…

洗車をした後で雨がふることを残念に感じる人は多いですよね。

けれど、僕に言わせると、汚れた自動車が雨にうたれて、もっとドロドロになるより、ピカピカの自動車が雨にうたれて、ドロッってなった方がまだましだろうにと思います。

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φは壊れたね

「φは壊れたね」(講談社ノベルス)は、森博嗣の最新作。ついこの間、「スカイクロラ」(中央公論新社)を読みましたが、僕にはあれはちょっと最後がやりきれない暗さがありました。

けど、この新シリーズはそれほど暗くなさそう。読み出したばかりですが…

φの読み方がわからない人は、誰かに尋ねてみてください。このお話になかにもφの読み方を尋ねるシーンがでてきますし。ヒントは、僕はこの最新作を「πは壊れたね」だと思いこんでいました。

φっていう記号は、何に使うか決まってない記号らしいです。「関数」を意味したり、「空集合」とかを意味するのに使ったり…数学がとても苦手な僕は、「空集合」って文字を読んで、なぜかフタがない空っぽの小さな箱が無数に並んでいる光景を想像してしまいました。(我ながらベタだと思います。発想が貧困です)

しかし、空(カラ)をどうやって集合させるんでしょう? 集合させられる実態があるなら空(カラ)じゃないだろうと思ってしまうのですが…数学に詳しい方、馬鹿なこと言ってごめんなさい。

■わかる人にだけわかる話し
久しぶりに西之園さんに会えます。国枝先生は相変わらず無口です。

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GO! SILVERTIDE

SILVERTIDEというロックバンドのデビューアルバム"SHOW & TELL"をゲット。

これがご機嫌なRock'n Roll。久しぶりに出会えた最高にノッてる奴ら。

こういう音は好きな人と嫌いな人がわかれるかな?
エロスミスやヴァン・ヘイレン、いっときのホワイトスネイク(懐かしいー、世代がもろに出るなぁ)なんか好きな人には受けがいいかも…

最近の流行はR&Bとかラップとかの傾向が大きい。それもいいけど、こういうギターが唸っているサウンドも好き。

すでに一部では話題になっているらしいSILVERTIDE。こいつらはもっと来るよ。きっとね。来なきゃウソだよ。

行け! SILVERTIDE.
この国にもうお釣りがくるぐらいいるディーバとか呼ばれるお姉ちゃん達をぶっ飛ばしてやってくれ!

1, 2, HERE WE GO!

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映画は早い回が好き。

いま、11:00前。これから散髪に行って、その後は映画に。
ヴァン・ヘルシングか、ヴィレッジ。

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誰かの不幸を望むのは苦しい

ほとんどテレビドラマは見ないけれど、TBSで木曜夜10時から放映している「バツ彼」は、久しぶりに続けて見ている番組です。

見続けている理由は、真矢みきさんが演じている“川口夏樹”。
最初は単なる偶然。風呂からあがってテレビをつけたときにたまたま彼女が映っていました。

実は、真矢みきさんは、昔好きだった人に雰囲気が似ている。それは前から思っていたのですが、この“川口夏樹”さんというキャラクタが、またその女性にちょっと似ている。

知っている人に女優さん自身が似た雰囲気をもっていて、その女優さんが演じている役もまた似ているなんてことがあるんだなと不思議な気分です。

でもって、昔好きだった人に会っている気分がちょっと楽しくて番組を見続けてます。夏樹さんが出てくるシーンでは、胸の当たりが少し暖かい感じになります。(それが何なのかわからないのですが、まだその人のことが好きなんだというほどの想いではない。「懐かしい」という言い方が一番ぴったりくるかも…)

夏樹さんが人生の一大決心をしたときなんか、見ていて「オレがいるがな。」という気持ちになってしまいました。

妙に屈折したストーカーとも言えなくもないような…違うか? ストーカーはすでに屈折しているしな…

とかなんとか思いながら見ていて、ついに来週が最終回。夏樹さんが一番幸せだと思えるようになって欲しいです。

昔好きだった人がいまどうなっているかは知りたいような知りたくないような感じですが、人が不幸になっているのは見たくありません。たとえ、先方に否がある離れ方をしたとしても。

あいつには不幸になっていて欲しい、苦しんでいて欲しいという想いが残っていく離れ方になってしまった人は、その想いがあること自体でご自身も苦しい日々を送っているのだと思います。

誰かの不幸を望んでいるということは、自分の心の中にそう望みたくなる何かがあるということでしょうか。それは「相手に自分の怒りをもっと伝えたかった」という気持ちや、「思いっきり声をあげて泣きたかったのに涙は見せまいとして我慢してしまった」という想いなのかもしれません。
そして、そうした何かが心の中で解消するなり、決着がついていないので相手の不幸を望むという心の動きとなって現れているのかもしれません。

とするなら、それが何なのかを自覚できれば、その何かを解消・決着させる手だてが見つかるきっかけになるかもしれません。それが本当に見つかり解消できれば、誰かの不幸を望むといった負の心の動きから解放されるかも…?

心のあり方について、僕には偉そうに語れるような詳しい知識も深い体験もありませんが、もし自分が誰かの不幸を望みたくなったら、そのように考えて自分の心と向き合うことを忘れたくないなとは思っています。

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抗菌でなくてもいい

会社のトイレがひとつ壊れて、フタを閉めることができません。便座は無事なので使用には問題ありませんが、本来なら閉められるフタが閉まらないというのは気分のよいものではありません。

ところで、今時はもうどんなものにでも抗菌作用がうたわれています。便座だって抗菌便座があります。

個人的には、便座が抗菌であることを望むのは、病的に潔癖すぎないかと疑問を感じています。
僕が子供のころから今日にいたる数十年。おおかたの時間を僕は抗菌ではない便座を使ってきました。でも、それによって何かのトラブルが心身に発生したことはありません。

もちろん、病や高齢などのさまざまな理由で身体の抵抗力が落ちているため、身の回りの物には抗菌作用が必要だという人もいます。

そんな深い理由はない健康な心身の人が、抗菌作用を求めるのはちょっとどうなのよ? という感じです。

個人的には、この国は無駄に清潔さを求めるようになってきたなと感じています。
テレビでは、高性能の顕微鏡で拡大して、「きれいに見えても、こんなに雑菌が…」とかいったコマーシャルをしている商品を普通に見ることができます。

でも、高性能の顕微鏡で拡大しなければ認識できない菌を排除したがるのはいかがなものか。それはやっぱり少々病的な反応だろうと僕は言いたくなります。

それに人体への影響も心配です。

抗菌というからには、身体の表面にいるさまざまな菌も当然影響を受けるでしょう。
人間の身体はひとつのシステムといえます。システムは部分の集合だと考えることができますが、その部分も別の部分の集合からなるシステムです。
人間の身体はすべてつながり関連しあい、完全に区別することはできません。たとえば、静脈と動脈という呼び名は存在しますが、ここからここまでは静脈で、ここからは動脈という厳密な境を誰も指摘することはできません。

そんな人体の表面あるいは口などの内部にいる菌も人体を人体たらしめているシステムの一部だといえます。
その菌を抗菌作用が死滅させているとしたら、身体を構成しているシステムの一部に損傷が起きているといえるのじゃないか、そしてその損傷は人体に何かの負の影響を与えているのではないかと思っています。

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認知の仕方の制御って…

認知の仕方を制御する具体的なノウハウ・スキルって実在するのかしら?

凹んでいるときはわかりませんが、少し立ち直ってくると、凹んでいたのはちょっとした事に対してだったと思い始めることが多いです。さして凹むほどのことではないと。

それに、日々の暮らしのなかで幸せを感じることはたくさんあります。

あがったり落ちたり。嬉しい安定した気分が、何故にいつまでも続かないのかと考えてしまいます。人間とはそういうものだという片づけ方もあるのでしょうが…

世の中には、本当に大変な思いをしている人は大勢おられます。相対してみれば、僕などはずいぶんと幸せな生活をおくっているのだろうと思います。
逆に、周りが見れば本当に幸せなのだろうなとうらやんでしまうような人でも、本人にしてみれば不安で苦しくて仕方がない毎日をおくっているということだってあるでしょう。

結局のところ、人間が安定した気分でいられるかどうかは、本人の認知の仕方によると思います。

以前、母に「大金だなーって感じる金額っていくらぐらい?」と尋ねてみたことがあります。母は「1万円」と言っていました。僕にしてみれば、1万円は確かにけっこうな額ではありますが、大金と感じる金額ではありません。僕の中では、大金と聞いてうかぶのは100万円ぐらいかな。
ということは、母が1万円をもっていれば、「今日は大金をもっているぞ」と感じることができるといえます。僕なら財布の中の金額は1万円という状態なら、「少々心許ない」と感じます。

コップのなかにある水の話ですね。「これだけある」と感じるか「これだけしかない」と感じるか。

あのお話も本人の認知の仕方を言っているのだと思いますが、その話を聞いたからといって僕の認知は変わりません。言おうとしていることはわかるけど、で何? どうしろっていうわけだ? という感じるのが正直なところ。

自分で自分の認知を変えるやり方を会得しなければ、対象に対する感じ方は何も変わりません。認知の仕方が原因で苦しんでいる人に、より必要なのは例え話ではなく、認知の仕方を制御する具体的なノウハウ・スキルだと思います。
(例え話が全く無意味だということではありません。)

それもそのときは切り抜けられるといった対症療法ではなくて、本人の認知の仕方を本当に変えられる根本的な解決策が必要だと思います。
僕はどうあっても認知の仕方を変えたいと苦しんでいるわけではありませんが、認知の仕方を制御する体系立てられた具体的なノウハウ・スキルがあれば習得しておきたいとは思います。

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秋が近いねー…

「今年も年末・年始は1人だなー」など僕が何をどう感じていても、関係なく時は流れていくなどとセンチメンタルな気分になりやすい季節が近づいてきました。

「心の傷は時が癒してくれる」という言葉もありますが、少々違うなと以前から思っています。

傷の痛みは時とともに和らぐでしょうが、ついてしまった傷跡はなかなか消えないというのが僕の考え。
僕の身体には子供のころに受けた手術の跡が残っていますが、それのように、心の傷についてももう何も痛まないし心身に影響も全くないけれど、その後の人生でもずっと残ってはいるといったことが起きることはあると思っています。

ドラマや小説で自分が苦しかったころに似たような状況を見たとき、「あんなことが本当にあったよな」と懐かしく思い出すようなときは、痛みはないけど傷は消えてないという時ではないのかなと思います。
恋愛でもビジネスでも何でもね。

朝起きて、仕事へ行って。帰ってきて、夕飯食べて、お風呂へ入って寝て…朝起きて、仕事へ行って。帰ってきて、夕飯食べて、お風呂へ入って寝て…といった生活を続けていると、ますますセンチメンタルな気分になってくるわな。

あぁ暗い。気分転換に時間作ってスポーツクラブで泳いでこよう。

凹みタイム終わり!

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LOVERS、見ました。

僕にはなかなか楽しめました。

随風(スィーフー:金城武)と随風の友人である劉(リウ:アンディ・ラウ)、そして、盲目の美少女、小妹(シャオメイ:チャン・ツィイー)。絡み合う三者三様の思惑。

正直なところ、ラストの方では、ちょっとお話の収拾がついてないのかな? という印象もありましたが、それでも僕はああいうお話は好きです。

男たる者、一生に一度ぐらいは、あのように全身全霊を傾けた恋を経験してみたいものです。
ああいう心境はを一言で表す言葉を僕は知りません。言い表すとすれば、「我が身よ焦げよ、肉の一片も残さぬほどに。君の笑顔のためなら、この腕一本、差し出しすことにも迷い無し」といった感じでしょうか。(ちょっと気取った表現をしてみました。)

原題は「十面埋伏(邦題が、LOVERS)」。
英語でのタイトルは、“HOUSE OF FLIYNG DAGGERS” (なんでその英語タイトルなのかは本作を見ればわかります。)
監督は「英雄(邦題:HERO)」のチャン・イーモウ。

中国語をローマ字で表音化したものを「ピンイン」というそうで、「十面埋伏」のピンインでの読みは“shi mian mai fu”となるそうです。

「中国情報局」(http://searchina.ne.jp/:株式会社サーチナ)というサイトが提供している「中国情勢24」というニュースの2004/06/17付けの芸能情報によると、「十面埋伏」がヒットしたために、shimianmaifuをもじった、映画とはぜんぜ関係ないサイトがたくさん開かれているのだとか。
映画とはぜんぜん関係ないのに、そのものずばりの shimianmaifu.comというサイトもあります。

そんな状況のせいか、中国語での公式サイトのドメイン名は、houseofflyingdaggers.comになっています。URLは、こちら。

日本公式サイトは、こっち。

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マッサージを受けたい!

仕事が忙しい。「今日は早く帰るぞ」と社内で言うときは、「日付が変わる前に事務所を出よう」という意味です。
この前なんか、11時50分に事務所を出られたので、「今日中に帰れたね」なんて会話も。家へ付いたら、"明日"になってるっちゅうねん!

だから背中がこわばって、肩も痛い。
僕は普段は肩こりが起きないので、肩がこっていると自覚できる状態は僕にとっては一大事です。肩こりに悩まされている人に言わせると、そんな状態の僕の肩を触っても"ふにゃふにゃ"らしいですが…
でも、他者との相対ではなくて、個人の主観のものですからね。このつらさがわかってもらえないのはなんだか悔しい。

というわけで、マッサージを受けにいきたい。
行けばいいだろうと簡単に思う人もいるだろうけど、僕が受けたいのは、"出張先でホテルに頼んで来てもらうような、おば様ややおじ様が揉んでくれるマッサージ"ではない。

望んでいるのは、南国リゾートのスパで受けるようなもの。
ベッドの上に優雅に横たわったら、背中にオイルをのばしながら身体をほぐしてくれて、さらには心も緩やかになっていく。ゆったりとすぎていく時間のなかでうとうととしながら、心身のこわばりが解けていくのがわかる。広がる青い空と遠くで聞こえる波音、その開放感に身をゆだねて…といったのを受けたいんですよ。

以前、ハワイでいった「マンダラスパ」はリラックスできてよかったです。
「アラウンド・ザ・ワールド」というコースを頼んで、さらに、何事も体験だ! という旅の勢いで「男性用フェイシャル」などというものまで頼んでしまいました。
(男性用のフェイシャルがあるなんて、僕はそのときに初めて知りましたが)

ああいうちゃんとした大人の男性(僕が"ちゃんとした大人"かどうかは別として)が、心身のリラックスを楽しめるマッサージというのは日本ではなかなか無いような気がします。
実は前にも身体がこわばったときに、インターネットで調べてみたのですが、そのときも見つけられませんでした。

そういう類のマッサージはあるのですが、なぜか、見た目の美しさを目指すいわゆる「エステ」というカテゴリーで日本ではくくられているようで、基本的に女性向けなんですね。「女性専用」と明記されているところばかりです。

最近では、某企業のように男性エステという概念をビジネスとして育てようとしている動きもあるようですが、CMを見ていてもわかるように、やっぱり「見た目の美しさ、清潔感を目指す」というコンセプトが核で、「ゆったりと心身をほぐす」というコンセプトは中心にはないようです。

そういう面に限って言えば、広く大人が楽しめる文化としてのマッサージの範囲が、日本ではまだまだ成熟していないよなぁと、にわかに何かの専門家になったような偉そうなセリフを言いたくなってしまいます。

たぶん、無いことはないのであって僕が知らないだけなのでしょう。
リゾートのスパで受けられるような優雅なマッサージ。男性も受けられるもの。ご存じの方がいたら教えていただけると嬉しいです。

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