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思いでが残っている幸せ

昨日の日曜日(2004年8月29日)付けの日経新聞。最終ページにある「文化」の執筆者は、小説家の「出口裕弘」(でぐちゆうこう)という方だった。

この方は1928年生まれ。「懐かしの東京は、米軍機による空からの放火で焼き払われた。懐古の手づるは写真しかない」と書いておられる。

実はこの夏、実家に帰った時にふと思い立って、僕は学生時代に過ごしていた町に行ってみました。
僕が学生だったのは、両手の指の数を使ってもまだ足りないくらい前のこと。どんな風に変わっているのかちょっとどきどきしてました。

そもそもが郊外なので、極端に大きなビルが建ったり、開発されたりということもなく、基本的な町並みはあまり変わっていませんでした。

学生時代に大好きだった子を呼び出して告白した喫茶店は、炉端のお店になってました。

実家のあたりでは恥ずかしくてとてもできなかった「成人雑誌の購入」。それを初めてした駅前の小さな書店は、某有名お菓子屋さんになってました。

大学からアパートへ帰る途中で、クラブの先輩達としょっちゅうたまっていた喫茶店はまだありました。

友達が借りていたアパートのすぐそばにあった喫茶店。マスターとも仲良くてなって、卒業するときには店を貸し切りにしてパーティーを開いてくれたその喫茶店は、不動産屋さんになってました。

僕が住んでいたアパートがあった場所は、全く普通の家が建ってました。

当時そのアパートのそばにあったお店。
いまでいうところのコンビニのような何でもあるお店でしたが、そこのおばちゃんにはよくしてもらってました。シャツのボタンが取れたときなんかは、おばちゃんに縫ってもらったりして。
そのお店は元の場所にありましたが、日にあたって色あせ、ぼろぼろになったカーテンがひかれて閉まっていました。とても営業をしているように見えません。
ご近所の方に、あのお店がどうなってのか聞いてみたいという気にもなりましたが、ひょっとしておばちゃんが亡くなったなんて話を聞くことになるかもしれないので、怖くて何も確かめずに帰ってきました。

この国の首都には本当に大変な出来事がありました。出口さんも書いてますが、1923年には関東大震災。1945年には空襲。20年ほどの間に2度も炎に包まれた町です。

あらためて考えてみたらすごいショックなことです。
たとえば、震災のときに大学生だった人は、空襲のときには30代後半から40代です。必死の思いで立ち直って人生を過ごしてきたと思ったら、また焼け野原なんですから。

自分の学生時代の思い出が燃えかすにならずに残っている時代に生きられたことを感謝したいと思います。

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