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重要視するもの

日経新聞の最終面「文化」の欄。日曜日(2000年8月8日)は、歌人の「ほむら・ひろし」という方が書いておられた。

ちょっとした言葉の使い方で世代間のずれを感じて、年上の恋人のことを駄目だと思った女性の話がでてきます。
その女性は学生時代に、20歳ぐらい年上の男性と付き合っていたそうですが、ある日彼が送ってきたメールの中に「がんばってネ」という文字列が入っていたのをみて、"昔の人"だと感じてしまい醒めてしまったのだそうです。

その女性が言うに「がんばって"ネ"」ではなく、そこは「がんばって"ね"」と平仮名の"ね"なのだとか。

他人からしたらどうだっていいことでも、本人にしてみたら重要に感じるということはいくらでもあります。
僕は、「がんばって"ネ"」でも「がんばって"ね"」でも何でもいいと思うし、その程度ことで恋人との別れを決めるなよとも思いますが、彼女にとっては重要なことだったのでしょう。

重要に感じる部分が異なっていて、その相違の度合いがどうしても気になるなら、そういう恋人同士は、早めに別れた方が互いのためによいだろうと僕は思います。
どちらが正しいとか間違っているとかではなく、単に相違点があるものとして受け入れがたいのなら、付き合いはどのみち長続きしないでしょうから。

恋人であれ友人であれ、人付き合いの中で僕が重要に感じ、その感じ方の違いを受け入れがたいのは「時間を守る」ということです。
10時に待ち合わせをしたら、10時を過ぎてやってくる人とは僕はあまり親しくなれません。電車が止まっていたとか、仕事が長引いたといったどうしようもない理由があるなら仕方のないことですが。
(20代のころ、携帯電話なんて無かった時代、互いの会社帰りにデートの待ち合わせをして、僕は当時付き合っていた女性を3時間待ったことがあります。仕事が伸びているのだろうなというのは想像がついたから。ちなみに、彼女は来てくれました。)

5分や10分ぐらい遅くなってもいいじゃないかと主張する人とは、僕は親しい付き合いはできないです。
最悪、自分とその人だけの間の話ならまだしも、他の人もいっしょに待っていたとすると、遅れてくる人は僕以外の人も巻き込むわけですから。

人として価値観や考え方が異なっているのは当たり前。けれど、自分にはどうしてもゆずれないという部分は、どんなところなのか。それを考えると、続けていく意味がある人間関係なのか、あまり続ける意味が無い関係なのか、多少は見えてくる場合があるかもしれません。

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昨日、「重要視するもの」というタイトルの記事を書きましたが、あらためて読み返して [続きを読む]

受信: 2004.08.11 20:05

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