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便利ツール

つい最近、仕事で役立つ便利ツールを見つけました。
ある仕事の処理の途中で、完成した複数のデータのファイル名を特定の規則にしたがって変更する必要がでてきてしまったのですが、それがあっという間に完了しました。

ファイルのリネームのためのツールなら、インターネットで探せば適当なのが見つかるだろうと考え、ソフトウェアのダウンロードなら定番のVectorを最初にあたってみたら、うちのやりたいことにぴったりのツールを見つけることができました。

それは、Excelだけでファイル名変更というもの。

エクセルのシートに、VBA(Visual Basic for Applications)でかかれているのでエクセルをもっていたらすぐに使えます。(エクセルが無いと使えないということでもありますが)
うちの環境はWinXP Proで、エクセルはバージョン2000。これで問題なく動いてます。

このツールは指定したフォルダのなかにあるファイル名を取得して一覧を作り、任意のファイル名に置き換えてくれます。

これがうちのニーズにはまったのは、このファイル名の置き換えの部分の機能。
僕らがやりたかったのは、『ファイルの拡張子はそのままで、拡張子から左側だけを、別に作ってあるファイル名の一覧リストからコピー&ペーストしてきた文字列に置き換えたい』ということ。
Readme.txtを読むと、このツールを作った方も似たようなニーズをお持ちだったようです。

広いインターネットの世界。似たようなニーズをもっている人はいるもんですね。

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我がままだと言うならやめて

男性でも女性でも、自分について「我がままなんです」という人がいます。
僕はそういう人に出会うと、どんなつもりでそれを言っているのだろうと不思議な気分になります。我がままというのは、「他の人のことは考えないで、自分のことだけを考えること」だからです。

それとも、自分のことを我がままだと言う人は、先に言っておけばある程度覚悟して周囲はつきあってくれるので、少しは自分の我がままが通りやすくなるという考えでももっているのかもしれません…などと考えたくなるくらい、普通に自分のことを「我がままなんです」と言う人がいます。

「私は、他人のことは考えないで自分のことだけ考える人間なんです」と明言する人は、注意をしておくことに越したことはないでしょう。

まぁ、冗談や何かの謙遜の意味でそう言っている場合もあるので、その人の人となりがある程度わかってくるまでは少し距離を置いてつきあうぐらいにしておくといいかもしれません。
もし謙遜や冗談で言っているのだとしても、個人的には、あまりいい謙遜や冗談ではないので「我がままなんです」という言い方はやめた方がよいと思っています。

あるいは、本気で言っているのだとしたら、自分は我がままだと自覚しているのですから、そうならない努力を始めて欲しいものです。

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思いでが残っている幸せ

昨日の日曜日(2004年8月29日)付けの日経新聞。最終ページにある「文化」の執筆者は、小説家の「出口裕弘」(でぐちゆうこう)という方だった。

この方は1928年生まれ。「懐かしの東京は、米軍機による空からの放火で焼き払われた。懐古の手づるは写真しかない」と書いておられる。

実はこの夏、実家に帰った時にふと思い立って、僕は学生時代に過ごしていた町に行ってみました。
僕が学生だったのは、両手の指の数を使ってもまだ足りないくらい前のこと。どんな風に変わっているのかちょっとどきどきしてました。

そもそもが郊外なので、極端に大きなビルが建ったり、開発されたりということもなく、基本的な町並みはあまり変わっていませんでした。

学生時代に大好きだった子を呼び出して告白した喫茶店は、炉端のお店になってました。

実家のあたりでは恥ずかしくてとてもできなかった「成人雑誌の購入」。それを初めてした駅前の小さな書店は、某有名お菓子屋さんになってました。

大学からアパートへ帰る途中で、クラブの先輩達としょっちゅうたまっていた喫茶店はまだありました。

友達が借りていたアパートのすぐそばにあった喫茶店。マスターとも仲良くてなって、卒業するときには店を貸し切りにしてパーティーを開いてくれたその喫茶店は、不動産屋さんになってました。

僕が住んでいたアパートがあった場所は、全く普通の家が建ってました。

当時そのアパートのそばにあったお店。
いまでいうところのコンビニのような何でもあるお店でしたが、そこのおばちゃんにはよくしてもらってました。シャツのボタンが取れたときなんかは、おばちゃんに縫ってもらったりして。
そのお店は元の場所にありましたが、日にあたって色あせ、ぼろぼろになったカーテンがひかれて閉まっていました。とても営業をしているように見えません。
ご近所の方に、あのお店がどうなってのか聞いてみたいという気にもなりましたが、ひょっとしておばちゃんが亡くなったなんて話を聞くことになるかもしれないので、怖くて何も確かめずに帰ってきました。

この国の首都には本当に大変な出来事がありました。出口さんも書いてますが、1923年には関東大震災。1945年には空襲。20年ほどの間に2度も炎に包まれた町です。

あらためて考えてみたらすごいショックなことです。
たとえば、震災のときに大学生だった人は、空襲のときには30代後半から40代です。必死の思いで立ち直って人生を過ごしてきたと思ったら、また焼け野原なんですから。

自分の学生時代の思い出が燃えかすにならずに残っている時代に生きられたことを感謝したいと思います。

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お疲れ様、岡本選手

アテネ五輪テコンドー女子67キロ以上級に出場した岡本依子(ルネスかなざわ)選手。敗者復活戦も技が決まらず、敗退してしまった。

前回シドニー五輪では銅メダリスト。
今回のアテネ五輪では、行く前にテコンドーの団体分裂騒ぎでなんだかんだとあって、一時はテコンドーは選手派遣が無しになるかもしれなかった。

心休まる暇がなかったと想う。その分、練習にも集中できなかった部分があったかも。

勝負の世界には「たられば」は通じないけど、心身ともに万全の状態ででかけていたら…と想ってしまうのは、お気楽に五輪を見ている自分のような人間なら一度は思うはず。

いま32歳だとか。
テコンドーという競技の激しさはわからないけど、次の世代の選手に望みを託すことも考えに入ってくるよな。

北京への選手派遣も、次世代の選手の育成も、すべては団体が整わないいけない。4年後もまた今回のようなことになったらテコンドー自体のイメージも悪くなる。

上層部の皆さんにお願い。4年後は、今回のような騒ぎにはならないでね。

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助け合うゾウ

某生命保険の会社のCMなんですが、河へ水を飲みに来たゾウが、足を滑らせて河へ落ちるテレビコマーシャルを見たことがありますか。
さらに、ゾウが落ちるだけではなく、落ちたゾウを別のゾウが鼻を絡め合わせて引き上げるシーンも出てきます。さすが生命保険会社のCMです。

本当に落ちて、そして本当に助け上げているのか、訓練による調教など何らかの作為が働いているのか、ちょっと気になるシーンではあります。

まぁ。CMなんで本当にあった出来事でなくても何も問題はないのですが、僕としては、本当であって欲しいなと感じています。

ずっと以前、もう詳しいことは何も覚えてないのですが、あるテレビ番組のシーンが強く印象に残っています。それはドキュメンタリーでしたが、怪我をして命を落としたクジラを映したものでした。

印象に残ったのは、もう死んでいるためゆっくりと海中に沈んでいくそのクジラを、別のクジラが下から支えるように押し上げていたことです。
元気な方のクジラは、その行為をしばらく続けていましたが、やがてあきらめるように離れていきました。

それがどういう意味がある動作なのかわかりませんが、僕には動けなくなったクジラをなんとかして海面まで押し上げてやろうとしているように見えました。

クジラとゾウは同じほ乳類。ゾウだって別のゾウを助け上げてもおかしくないだろうと思いたいです。

そして、人間もほ乳類。
自分は、誰かが困っているとき「人間」であるというだけで助けることができるか? できると強く言い切れませんが、できるようにはなりたいと思っています。

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過去記事への反応

他のブログを見て回っていて、ある記事にコメントやトラックバックを付けたくなったとき、その記事がちょっと前に投稿されたものだったりするとコメントやトラックバッグをしづらいということが僕にはあります。(2,3日前なら気にはしませんが。)

あるいは、コメントやトラックバックを付けたとしても、「古い記事にごめんなさい」とか「古い記事だし、どうしようかなとも思ったのですが」とか一言エクスキューズを入れてしまうことがあります。

でも、初めてその記事を読んだ自分には、"最新の出会い"なわけだし、そんなこと気にするのがおかしいのかなとも思うし。

このブログの過去記事についたコメントで「古い記事へすみません」といったような意味のコメントをもらったことがあるので、こういう感覚は僕だけが感じているのではないと思います。

どのぐらい前の記事なら、コメントやトラックバックを付けたいと思ってもちょっとしづらいと感じるかなー。
「バックナンバー」を読んでいて見つけた記事だったりすると、僕はコメントやトラックバックを控えてしまう場合があります。
なんだかブログの運営者に悪いような気がして。「古い記事だし、やめといた方が無難かなー」とか考えたりする。何がどう無難なのか自分でも不明なのですが。

過去記事へのコメントやトラックバックの仕方。
一般的なマナーのような認知がされているやり方ってあるのかしら?

あっ、この記事自体がバックナンバーになったころに反応をもらったら、どうしよう…

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あの人ならね

先日、Kinki Kids が司会をしている番組に、叶姉妹が出ていました。
「結婚するならどんな男性か」といった問いに、お姉さんの方がいったセリフがすごかった。
「ため息がでるような資産と、めまいがするような忍耐力、それに見栄え」とか言ってたかな。詳しいところは忘れた。

まぁねー、あの姉さんだからいいのか。
あの人以外がテレビでこんなこと言ったら視聴者から恨みを買うな。
妹さんの方はしごくまともに「誠実な人」って答えていたけれど、先にあそこまで言い切られちゃうと、他に言い様がないわな。

ずっと前にも少し書いたけれど、やっぱりあのお2人は何度見ても好きになれない。なんか気持ち悪い。
彼女たちを「きれい」「美しい」という人に反対するつもりはない。
けれど、僕の感覚としては、どことなくいやな感じがする。

小林旭さんとか石原裕次郎さん、赤木敬一郎さんといった男優さんが主演してた大昔の国籍不明なアクション映画に出てくる場末のホステスさんとか街の娼婦といった雰囲気を感じてしまう。

見た目が男好きするけど、どことなくけだるく、退廃的な女性像。そんなイメージが僕にとっての叶姉妹。

まぁ、何かイベントがあると顔を出しているし、それはそれで彼女たちを求める人がちゃんといるということだから、ビジネス的にはいいことなんだろうな。

女性として好きなタイプではないというだけで、お2人には何の恨みもないし。
人気があった人が注目されなくなっていくのは、誰であっても見たくないから、いつまでも現役でいてくださいね。

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憧れの"男の財布"

こちらの記事は、クルミさんという方のブログから。
「女性の財布の中のステータスは、お金が減らないってこと」(ごちそうしてくれる人がいる)っていうのに少し納得してしまった。

「他者がごちそうしてくれる」というのは男女に関係なく、たしかに1つのステータスとなり得るかもしれない。
異性からもてるという意味だけでなく、仕事や人生や趣味などで何かしら尊敬されるものをもっていてそのお話を聞かせて欲しい人が、お食事でもしながらと、場を用意してくれるということだってあるでしょうし。

ところで、男の財布の中のステータスは、Gold Cardだっていう話をする人が、クルミさんの周囲にはおられるようです。
これが本当だとすると、僕の財布にはステータスは無いな。ごめんなさい。(誰に向かってかわからないけど、謝りたくなっってしまった。)

僕の場合は、今まで財布のなかにあった最低金額は1000円というときがありました。
僕も「必要になったらおろせばいいや」と考えて、そのまま出勤したことがあります。でも、そんなときに限っておろせない状況で入り用になったりするんだよな。

財布の中身について、自分で自分が嫌になるときがあります。それはいろんなレシートを財布に入れたままにしてしまうこと。

したくてやっているわけではない。特別に高価な買い物をしたときは、後でなにかあるといやだから一定期間レシートを置いておくようにしてますが、コンビニやスーパーなんかで、おつりといっしょにレシートを受け取る場合、つい財布のなかにそのまま入れてしまう。
それが溜まってくるわけで、ときどき、レシートを捨てる作業をしてます。

なぜためてしまうのだろうとがっくりすることがあります。ついうっかりとしか言いようがない。

う~ん、"男の財布"には限りなく遠い現実だなー。

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古き良き時代の“何か”

日経新聞の最終頁には「交遊抄」というコラム欄がある。木曜日(2004年8月19日)の交遊抄で、神田外語大学学長の「赤澤正人(あかざわまさと)」さんが、外務省に勤めていたころの思い出を書いておられた。

赤澤さんは1961年から71年までアメリカの大学に研修を受けにいった。そのときに外務省で同期の「岡本行夫」(元首相補佐官)さんという方もいっしょだった。

1ドルが260円の時代、800ドルの中古車を2人で購入し、アメリカを自動車で旅したそうだ。
途中でモテルに泊まるのにお金が惜しくて、片方が自動車の中に隠れていて、1人料金で宿泊手続きしたそうだ。次の朝は、窓から抜け出すというやり方で宿泊費をうかしたとのこと。

完全な詐欺だ。外務省の職員が研修先でそんなことをしていたとわかったら、今の時代ならとんでもないニュースになってしまう。

はたまた、僕が勤めている会社の同僚から聞いた話だけれど、彼が高校生のときに、あるとき同じクラスの奴が学校へ来て言うに「電車のなかでOLさんのお尻を触ったらそのOLさんに手をつかまれて見つかってしまい、警察に連れていかれてすごく怒られた」と笑いながら話していたそうだ。

高校生だったということもあるのだろうけど、痴漢をして警察で怒られただけで済んだ“のんびりした時代”だったのだなぁ。今ならその高校生は退学か少なくとも自宅謹慎だよな。

あるいは、WBC世界バンタム級元チャンピオンの薬師寺保栄さんは、子供の頃に悪さをするとお父さんに足をつかまれ、「もうしません」と言うまでベランダから逆さにぶら下げられたそうだ。我が子のしつけとしてそれはそれで済んでいた時代。今なら我が子と言ってもそんなことしたら、児童虐待とか言われてしまう。

そんなこんなの“のんびりさ”が、なんとなくよく思えてしまう今日この頃。
外務省の職員が無銭で宿泊したり、高校生が女性に痴漢をしたりしても、なんとなく笑い話にできることがよいと言っているのではない。

でも、高校生がやった痴漢がやたら大きな問題になるのではなく、警察や周りの大人からこっぴどく怒られるというだけで成り立っていた時代。
外務省の若き職員が時にお金を払わずに宿泊して外国を見て回ることも見聞を広めることに役立っていた時代。
父親が我が子のしつけにベランダから逆さづりにしても虐待だとは言われなかった時代。

そんな時代にあった“何か”が、最近では無くなっているような気がする。

そしてその“何か”が、今は必要なのではないのかなぁとなんとなく思う。それが具体的には何なのかはわからないけれど、ひょっとしたら“加減を知る”ということかもしれない。

駄目となったら融通が利かず、良しとなったら限度を知らない。
今のこの国は、そんな傾向が強くなっているような気がする。

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親も親かもね

遅刻生徒、大阪の中学校「午前10時以降登校無用」


遅刻生徒、大阪の中学校「午前10時以降登校無用」(読売新聞)
 大阪府門真市立第四中学校(勝岡義尚校長)で昨年5月以降、今年1学期末まで、遅刻が目立つ生徒4人に対し、午前10時以降に登校した場合は、授業を受けさせずに帰宅させていたことが21日、わかった。[読売新聞社:2004年08月21日 15時19分]

なんだって。
で、校長先生は「教育を受ける権利を奪う行為で反省している」と話しているのだと。

なんだかねー。
遅刻が続く限りいつまでも授業を受けさせないことによって、やがて授業が受けられないという不安感が生じてきて遅刻を自らしなくなるといった結果を期待したのだと思うけど。

「させない」というやり方は、やりたがっている人には効果的だけど、そもそもやりたがっていない人には、効果は期待できない。
そうした考えは浮かばなかったか。

それにしても、この件は保護者から市教委が指摘を受けたのだと。
僕が見た記事内には詳しく書いてないのでわからないけれど、その保護者とは「遅刻が目立つ4人の生徒」の保護者なんだろうか。
もしそうなら、それはそれで問題を含んでいる。
指摘するのもいいけど、自分の子供が遅刻を繰り返しているということを、親としても考えるべきだと思うのだけれど。

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姪っ子の人生に幸多かれ

姪っ子(12歳)が、実家に置いてあるいわゆる“推理小説”を面白いといってどんどん読んでいる。“霧舎 巧”、“西尾維新”、“森 博嗣””、“殊能 将之”といった最近の作家がほとんどだけど。

彼女は小さい頃から本が好きだったので、周りも読書の習慣が育つのはよいことだと考え、誕生日やクリスマスなど何かのイベントの贈り物には数々の本を選んできた。
それが良かったのどうかわからないけれど、とにかく彼女は本好きになった。
彼女が言うに、一番好きなのは静かな部屋で本を読むことなのだそうだ。家では妹や弟がうるさく走り回っているのが嫌なんだとか。

妹や弟がいっしょに実家に来ていても、さすがに僕の部屋にまでさわがしく乗り込んではこない。それで、僕が実家でゆっくり読もうとして買ってきた本をもって部屋に引っ込むときには、いっしょについてきて部屋の片隅に座り込んで彼女も本を読む。

僕が実家に帰ると、おじさんが帰って来たといってとても喜んでくれる。とはいっても、僕の読み終わった本をもらえたりするからなんだけど。

ときどき、ストーリーやキャラクタについての感想を交換したりする。妹や弟とはふだんできない会話なためか、そうした意見交換がとても楽しそうだ。
もう12歳だからね。来年の春からは中学生のお姉さんだ。漫画やゲーム、テレビ番組の話し以外にも、ちょっとばかし違った質の会話もしたくなるよな。

「うちに持って帰っていいか」と尋ねてくるので、「部屋にある本はどれでも持って帰って読んでいいよ」と言っておいた。
でも、実家においてあった本は全て読んでしまったとのこと。それを繰り返し読むのがまた楽しいのだそうだ。

人を刺したの、殺したの、バラバラにしたのといった内容の本を小学校のころから読むのは、ちょっとどうなのかと思ったりもした。
けれど、よく考えてみると僕自身も12,13歳のころにはエラリー・クイーンの「エジプト十字架の謎」を読んでいた。この作品も出てくる遺体の様子はなかなか凄惨だ。しかも連続殺人。

だからといって、僕は連続殺人犯には成っていないぞ。

このブログでこれまでもいくどかふれた話題だけれど、少年犯罪に際して、やたらと彼らや彼女たちが読んでいた本や漫画などが指摘されることがある。あれは全く無意味だと僕は感じている。あのやり方はやめて欲しいとその類の報道を見るときにはいつも思う。
あるいは僕が知らないだけで報道としての何かしらの意味があるのかもしれない。その意味をご存じの方がいたらぜひ教えて欲しい。

話題がそれてしまった…

姪っ子よ、好きなだけ読むがいい。
来年は中学生。図書館も今よりもっと大きくなる。君の行動範囲もさらに広がる。そして、君がまだ出会ったことがない新しい世界に出会うこともどんどん多くなる。
まだ読んだことがない本にであってそれを楽しみ、人生の潤いを増すような青春時代を送って欲しいと君の叔父は遠くの空から願っている。

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夏休み終了

昨晩、実家から戻ってきました。
高校のときからの親しい友人に、ひさしぶりに会えて楽しい時間をすごせた。(去年は、夏や年末年始でも一度も会えなかったしね。)
彼は僕と違って既婚者だから、お子さんや奥さんといっしょに過ごす時間が大切。それに家族を大切にする男なので、花火大会やキャンプ、夏祭りや山登りなどなど、自分が休暇のときには何かとイベントを企画してお子さんや奥さんといっしょに出かけている彼。なかなか会う機会を作るのが難しい。

でも今年は去年会っていない分、彼も時間を積極的につくってくれた。
僕と軽く夕飯をいっしょに食べて別れたあとは、息子さんを夏祭りへつれていくんだと言っていたけど、本当はもっと何かイベントがあったのではないかと気になる。
いい旦那さんであり、いいお父さんだと思うよ全く。

手間かけてごめんな。

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18日まで夏休み

実家に帰省します。
PCは持っていかないのでコメントとか返せません。

モブログは、するかも・・・

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異なる観点も重要

昨日、「重要視するもの」というタイトルの記事を書きましたが、あらためて読み返してみると自分を客観的に眺める態度にはふれていませんでした。

人として価値観や考え方が異なっているのは当たり前。けれど、自分にはどうしてもゆずれないという部分は、どんなところなのか。それを考えると、続けていく意味がある人間関係なのか、あまり続ける意味が無い関係なのか、多少は見えてくる場合があるかもしれません。

という書き方をしましたが、それだけではなく、自分が重要視していること自体を一度疑ってみることも必要でしょう。

自分が大事だと感じていることを、大事ではないのではないかという観点でみてみる。
このような「解釈や枠組みを違った観点で捉えみる」とらえ方を、「ダブルループ学習」というのだとか。経営学の方面では著名な学者"クリス・アージリス"という方が提唱してきたらしいです。
アージリスの考え方では、ただ異なる観点で捉えようとしただけでは「学習」とは呼ばす、「実際に新たな解釈や枠組みを構築した」ときに「学習は成立した」というのだそうですが。
(経営学に詳しい皆さん、間違っていたらごめんなさい)

自分が大切に感じていることを一度疑ってみる。
そうすることで、動かなかった何かが動き出すこともあるかもしれません。

■参考情報
Chris Argyris (1923-) Double Loop Learning

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重要視するもの

日経新聞の最終面「文化」の欄。日曜日(2000年8月8日)は、歌人の「ほむら・ひろし」という方が書いておられた。

ちょっとした言葉の使い方で世代間のずれを感じて、年上の恋人のことを駄目だと思った女性の話がでてきます。
その女性は学生時代に、20歳ぐらい年上の男性と付き合っていたそうですが、ある日彼が送ってきたメールの中に「がんばってネ」という文字列が入っていたのをみて、"昔の人"だと感じてしまい醒めてしまったのだそうです。

その女性が言うに「がんばって"ネ"」ではなく、そこは「がんばって"ね"」と平仮名の"ね"なのだとか。

他人からしたらどうだっていいことでも、本人にしてみたら重要に感じるということはいくらでもあります。
僕は、「がんばって"ネ"」でも「がんばって"ね"」でも何でもいいと思うし、その程度ことで恋人との別れを決めるなよとも思いますが、彼女にとっては重要なことだったのでしょう。

重要に感じる部分が異なっていて、その相違の度合いがどうしても気になるなら、そういう恋人同士は、早めに別れた方が互いのためによいだろうと僕は思います。
どちらが正しいとか間違っているとかではなく、単に相違点があるものとして受け入れがたいのなら、付き合いはどのみち長続きしないでしょうから。

恋人であれ友人であれ、人付き合いの中で僕が重要に感じ、その感じ方の違いを受け入れがたいのは「時間を守る」ということです。
10時に待ち合わせをしたら、10時を過ぎてやってくる人とは僕はあまり親しくなれません。電車が止まっていたとか、仕事が長引いたといったどうしようもない理由があるなら仕方のないことですが。
(20代のころ、携帯電話なんて無かった時代、互いの会社帰りにデートの待ち合わせをして、僕は当時付き合っていた女性を3時間待ったことがあります。仕事が伸びているのだろうなというのは想像がついたから。ちなみに、彼女は来てくれました。)

5分や10分ぐらい遅くなってもいいじゃないかと主張する人とは、僕は親しい付き合いはできないです。
最悪、自分とその人だけの間の話ならまだしも、他の人もいっしょに待っていたとすると、遅れてくる人は僕以外の人も巻き込むわけですから。

人として価値観や考え方が異なっているのは当たり前。けれど、自分にはどうしてもゆずれないという部分は、どんなところなのか。それを考えると、続けていく意味がある人間関係なのか、あまり続ける意味が無い関係なのか、多少は見えてくる場合があるかもしれません。

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もうすぐ夏休み

今、朝の8時前。事務所から。
7月末から8月の第1週は忙しくて、ココログを更新する余裕がなかった。今日はようやく少し余裕が生じてます。

前から8月の頭は忙しくなるというのはわかっていたけど、ちょっとしたミスも重なって泣きそうな状態になってしまった。なんとか乗り越えられたけれど。

会社で大変な状態になっていると聞いて心配した他の同僚たちが、出張先でホテルに戻ってきてからも電話でアドバイスをくれたりして何かと助けてくれた。少ない人数でよく乗り切ったなぁと渦中のメンバー達とはほっと一息。

でもって、12日から18日まで僕は長い夏休みをいただきます。
忙しさが始まったころは、休みを削るか、最悪は「無し」かも? とか思っていましたが。甘露、甘露。(甘露ってこんな風に使うんだっけ?)

実家に帰って姪っ子や甥っ子と遊んできます。

でも、姪っ子と遊ぶのはいいのだけど、どなたか甥っ子がやりたがるデカレンジャーとか仮面ライダーごっこのキックやパンチを防ぐ方法ってごぞんじないですか? 小さいくせに、あいつのは結構痛いのよ。
(こっちは当然いつも敵の怪人役だし。たまにはおじさんにも仮面ライダー役をさせなさい! 君よりも仮面ライダー歴は長いんだからね。)

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