« 蜘蛛男、見ました。 | トップページ | プーラン1848 »

雷は気づき、雨は浄化

7月11日(日)、午後15時半ごろ。すごい雨と雷。でも太陽も照っている。いわゆる狐の嫁入りという状態。
「雷は気づき、雨は浄化」は、ネイティブアメリカンか、あるいはインドの聖者の言葉だったような。

僕はわりと「何となくそう感じる」という感覚を大事にしている。
仕事をしているときでも、普通に暮らしの中にいるときでも、ふっと気になって戸締まりを確かめたり、もう一度書類のチェックをしたり、なんとなくいいなと感じたものを買ってみたり。

特にそれで何かが見つかり、起きたりして大助かりしたという経験は今まで全くない。
世の中そうドラマチックに美しくはいかない。まぁ、縁起ものというか、験をかつぐようなもの。

こだわっているわけではないけどね。
「こだわる」という言葉を辞書でひいてみると、「ちょっとしたことにとらわれる」と書いてある。では「とらわれる」とはなんぞやと思い、それもひいてみると「自由に考えることが出来なくなる」となっている。

「こだわりのラーメン」とか言うように「こだわり」は、最近では良い意味合いで使われる言葉だけど、辞書的には決して良い意味ではなかった。

とかなんとか1つの言葉の意味をどうこう言っていることがもう「こだわっている」か。
こだわらずに生きていくことは難しいようです。

でも、毎日の暮らしのなかで、雷の音を聞くときのように心がハッとして何かを気づけるようにしたいとは思っている。
そして、雨が降るときのように自然体で物事を流せるようになりたいとも思います。

|

« 蜘蛛男、見ました。 | トップページ | プーラン1848 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 雷は気づき、雨は浄化:

« 蜘蛛男、見ました。 | トップページ | プーラン1848 »