言葉との出会い
年齢を重ねる過程で人間はいろんな言葉を覚えます。そして、言葉には、時代によって"はやりすたり"があります。
先日から、「虚無への供物 」(中井 英夫 (著) 講談社文庫)という本を読んでいますが、その中に「地理痴」という言葉が出てきました。いわゆる、"方向オンチ"のことです。
僕は「地理痴」という言葉を初めて知りました。
こんな風に、ある言葉に最初に出会った時というのを覚えておられますか。
僕は、"5W1H"という言葉に出会った時をはっきりと覚えています。
小学校のとき、講堂で生徒に向けて校長先生が話されていて「皆さんは、"5W1H"という言葉を知っていますか」とおっしゃられたのがその瞬間でした。
そもそも校長先生が何の話をしていたのか、その後にどんな話を続けてされたのかは、もう何も覚えていません。(あまり良い生徒でなかった証拠だな。)
けれど、生まれて初めて出会った"5W1H"という言葉、それも英語を知ったとき、何だか少し偉くなったような気がしたのも覚えています。
"5W1H"以外では、初めて出会った瞬間を覚えている言葉はありません。よほど深い印象を僕に与えたのでしょう。
"5W1H"は、最近では"5W2H"と表現されることの方が多いようです。僕が最初に出会ったときからは、いつのまにか少し変わってしまいました。
小学校のときから知っていた自分としては、"5W1H"の方が常識ある社会人らしい表現だという想いをもっています。
というのは、"How much (いくらなのか)" についての情報は、必要なら"What (何を)"と共に伝えるのが社会人としては当然だろうと思うからです。
"5W2H" という表現にするのは、少々お節介ではないかしら?
言葉と共に大人になっていく感覚を、あまり本を読まないと言われている世代の人たちにも知って欲しいと思います。
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