箱根旅行
父と母を連れて箱根に行ってきました。(妹一家は事情により不参加)
思えば、父と母と自分の3人でどこかへ旅行をするのは生まれて初めてだな。
宿泊先は、せっかくだからどんとはりこんで「小田急 山のホテル」。食事も美味しく、高級感あるホテルに2人ともとても喜んでくれて大満足で帰っていきました。
母が草花が好きなこともあって、箱根では草花づくしのコースを設定。「箱根湿生花園」、「芦の湯フラワーセンター」、「強羅公園」と母は好きな草花を存分に楽しめたと喜んでくれました。
その間に「ガラスの森」とか桃源台からロープウェイで大涌谷へ行ったりと、父にも楽しめるようにとときどきコースに変化を盛り込みながらの箱根の旅。
少し残念だったのは風が強くて、いつもなら山のホテルのプライベート桟橋から出航している遊覧船が休航になっていたこと。芦ノ湖の湖上から眺める箱根も見せてあげたかったんだけれど…
久しぶりに父と母といっしょに話して、ずっと知らなかった意外な事実を親父から聞けた。
親父の名前には「弘」という字が使われているのだけれど、親父の父(つまり父方の祖父ね)が、息子(=親父)につけた名前を和尚様に報告に行ったとき、「弘法大師のお名前の一部を子供に気軽につけてはいかん」とか言われて「弘」という字を書くときには「博」と書くように僕の親父には教えていたのだとか。それも親父が高校生になるくらいまで続いていたそう。
だから、僕の親父は14、15歳ぐらいまで、自分の名前の字が戸籍では「弘」が使われていることを知らなかったのだとか。昭和ひとけたの時代、そんなこともあったのね。
箱根で「へぇ~」と思ったのは、「箱根神社」の「宝物殿」に展示されている「豊臣秀吉禁制状」。
豊臣秀吉の小田原攻めの際に、箱根神社の僧兵や檀家の一般市民は次は自分たちの番と恐れ、職やら家土地を放り出して逃げ出したのだとか。それに対して秀吉は「いっさいの危害を加えたりしないので、僧は元の職へ民は住まいへとただちに戻り、いぜんのように暮らし始めること」を呼びかけた。
その呼びかけと同時に、「戻ってくる彼らには、いかなる危害も加えないこと。この禁を破った者は"成敗"する」と自軍の将兵に対して言い渡したのがこの「豊臣秀吉禁制状」。
いまでいうところのコミュニティーを機能させないと、年貢も徴収できず、たんなる荒れ野を領地としてもっているだけとなるのを防いだという政治的施策という面が大部分だったと思うけど、「戻ってくる人に手出しをして、俺の命令に逆らう奴はただではおかんぞ」という通達を直々に出し、施策の遂行が滞ることを防止しようとするアポローチは、いまのトップダウンで重要事業を進めるような企業の経営にも通じるバランス感覚を感じる。
命がけの戦乱の時代を勝ち抜いてきた人は、やっぱりどこか他人とは違うと思った。
あれやこれやと、いろんな想いをのせた箱根旅行。2日間と短かったけど、父と母が喜んでくれたのが何より。
長生きしてな。またいっしょに旅行しような。
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コメント
こんばんは!
ご両親の喜ぶ顔が見えるようですね。私も実の父母と一緒に、年に一回だけですが、小旅行に行ってます。
疲れるから、日帰りか、一泊二日なあんですけれどね。
普段あまり外にでない母などは、あちこち楽しそうに歩いているので、やっぱり続けようかなって。
箱根に、秀吉の政治手腕を物語るような「お触書」があるんですか。今の政治家には・・・ 匹敵する人っていないかな?? (ー"ー;)
投稿: つきのこ | 2004.06.02 00:50
つきのこさん、両親が喜んでくれて本当に良かったです。
帰ってから、隣近所で「息子のところへ行ってきた」と話をしまくっているようです。
昨年亡くなった祖父(母の実父)の介護に何年も大変だったので、母は好きなときに好きなところへ行けるのが本当に嬉しいようです。
僕も両親が元気なうちは、定期的に旅行へ行くようにしようかなー
投稿: ミッ君 | 2004.06.03 19:28