生きられる幸せ
日経新聞のコラム「私の履歴書」は、いま「野見山暁治(のみやま ぎょうじ)」という画家の方が書いておられる。
本日(204年5月18日)付けの「私の履歴書」を読んで、「生きることができる」幸せをしみじみ感じた。
野見山さんは、コラムのなかで美術学校の同級生7人について語っている。
そのうち、亡くなられたと書かれているのは5人。
そのなかには、飛行機からの機銃掃射で亡くなられた方、ルソン島で立てこもって亡くなられた方がいる。また、1学期とちょっとで胸を患われて亡くなられた方もいる。
人が亡くなることに、戦争と病が避けられない理由としてあった野見山さんたちの時代。
病で亡くなる人はいまでもいるけど、野見山さんの時代よりははるかに存命率が高いだろうし、戦後の日本で戦争で亡くなる人はいなかった。
でもいま、「あの国」では、日本人でも戦争が原因で命を無くす可能性はある。
僕は中・高・大学を過ごすなかで、4人の同級生を亡くしている。1人は病。あとの3人はそれぞれ交通事故。
僕が知らない内に亡くなっていた奴がその中にいる。僕は彼と仲が良かったけど、彼の家族や僕以外の友人たちは、僕とそいつが仲が良かったとは知らなかった。だから、そいつの訃報はしばらく僕には届かなかった。
「あの国」から離れていても、明日の僕が出かける場所が、テロリストが攻撃の対象にしていない絶対的な理由は無いけど、僕が暮らしているような田舎で何事かを起こすことに意味はないだろうし、そういう意味で確率は低い。
基本的には、犯罪と事故と重い病以外では、死ぬことはないのが今の時代。
いろいろと悩みもあるけど、毎日を「生きていられる」のは幸せなことだと思う。
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