結婚式と披露宴
いつも楽しみにしているココログのひとつ、くわとろさんのココログでquatro: 離婚の聖地で結婚という記事を読みました。
ネバダ州での結婚と離婚ってほんとにお手軽なんですね。
ずっと以前、某結婚式場でアルバイトをしていましたが、そのときに「結婚式」と「披露宴」は違うものだと初めて知りました。
この2つ、以外にいっしょにして捉えてしまっている人が僕の周りには多い気がしています。「『地味婚』でしたかったので、届けで出して、あとは2人の家族だけで食事会をした」といったような言い方をする人たちが多いです。
「神前」という結婚式の挙げ方は、神主さんが「かしこみ、かしこみ」ってやってくれるタイプのものですが、このやり方でご結婚された人はごぞんじでしょうが、結婚式の場に同席できるのは互いの親族だけです。
「キリスト教式」で挙げても、何百人も集まってくる人はまれだと思います。「人前」と「仏前」という挙げ方もあります。(ごめんなさい。この二つは具体的内容はよくわかりません。)
何が言いたかったかというと、「結婚式」というものは大抵の場合はそんなに多くの人が集まらず、それ故にコストも膨大にはかからない、そもそも地味なものだということです。
で、何が派手でお金を食うかというと、これが「披露宴」です。
友人が唄を歌ってくれたり、親戚の誰かが詩吟を聞かせてくれたり、キャンドルをもって入場してきた新郎と新婦が、列席者のテーブルに置かれたロウソクに灯をともしてまわったりするあれです。
この「披露宴」をやらなければ、「結婚式」にかかる費用なんてしれてます。
個人的には、届け出て終わりという形にはしたくないです。けじめをつけるという意味で「結婚式」はちゃんとやりたいです。
そして、「披露宴」はやりたくないです。せいぜい、互いの家族だけで食事会という程度がいいなぁ。
でも、アルバイト時代に600組ぐらいを送り出してきた経験によると、新婦と新婦の母親との力関係でおおむね決まってしまうのだという印象をもっています。
母親の方が強ければ母親の言い分が通りますし、新婦の方が強ければ、新婦の言い分が通るようです。
結局、結婚式と披露宴に関しては新郎にはほとんど発言権がない場合が多いというのが僕の印象でした。
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